30、お目通り
……………………………………
「よろしゅうございますか」
ルカスは静かな声色で言い、指の背でドアを叩く。すぐに中から短く返事があった。ルカスは俺へ向けて軽くうなずき、眼鏡をかけ直してから意を決したようにドアを押し開けた。
薄暗い廊下に比べて、部屋の中は大きな窓からの明かりに満ちていた。
正面に飾り気のない大きな机があり、窓を背に男が一人座り、何かを書いているのが目に入った。他には誰もいない。
部屋へ足を踏み入れると、刺すように冷え冷えとした廊下とは空気が違った。陽射しのおかげか、柔らかな空気に包まれている。部屋の中が毛足の短い絨毯敷きだから余計に暖かく感じられるのかも知れない。
「申しておりました者をつれて参りました」
ルカスが言うと、男は机の書類から目線を上げ、こちらを見た。
服も髪も黒く、闇を切り取ったかのような姿。
会うのはオデツィアの烏だとルカスは言っていた。ルカスには敢えて伝えていないが、前に、オデツィアの烏とは、あの女好きの伯爵の館で会ったことがある。まあ、すべてを含め、思い出したくもない日だが。
座るように言われ、ルカスが横から運んで来た木の椅子に座り、男と対峙する。ルカスも隣の椅子に腰を下ろした。きっと、ルカスは色々と気がかりだろう。何かあれば自身の活動に支障が出る。
前に会った時には全く気がつかなかったが、おそらく自分の予想は当たっているだろう……この男、オデツィアの烏は俺の兄だ。
「私はディーザス・ディベテットだ。そなたの名は?」
やはり考えは正しかったようだ。オデツィアの烏は黒ずくめの見た目だけでなく、出身国ヴァーバルの国鳥・烏の意味も含まれているのだろう。誰も本名を口にしないのは、人々の畏怖の念なのか、はたまた偶像化されて存在自体が幻になっていたのか。
ここは縁故という強みに一種の甘い期待を乗せて名乗るべきか。しかし、全くの裏目に出ることも考えられる。
一瞬、悩んだが、結局は甘い期待を選ぶことにする。言わば、これは賭けだ。
「わからないか、あんたの弟だ」
俺の言葉で兄貴の瞳に一瞬驚きの色が浮かんだ。じっと黙ったまま、俺の顔を見据える。そして、やがて理解したように口許を緩めた。
「見違えたな。大きくなったな」
親が子に言うような口調で言った。
「御令弟であらせましたか。申し訳ございません」
ルカスが慌てて詫びた。
「ルカス、この者はならん。関わらないほうが良い」
兄貴はルカスのほうを向き、叱責するようにゆっくりと言った。
ルカスが驚いた顔をするのが見える。と同時に、しくじったか、と胸中で人知れず悔やむ。
「父上に文で聞いたぞ。お前は帝国に良い思いは持っていないそうだな」
再び机の書類に目線を落とし、誰に聞かすでもなく言い放った。
しばしの沈黙があった。
「そのような輩を入隊させるわけにはいかんことは分かるな?」
俺は首を縦に振るしかなかった。あがいたところで、進展が見込めるとは到底思えない。どうやら真実は隠しておいたほうが良かったようだが、過ぎたことを悔いるのは無駄だと悟る。
ある意味、思わぬ所で死んだ親父の邪魔が入った。ルカスには骨折り損をさせてしまったが、これ以上、良い案もない。むしろ、諜報活動をしているルカスの妨げにならないように気をつけなくてはならない。
なんとなく疎外感が増したような気がし、所在ないままに部屋を見回す。膨大な書物や書類に囲まれているが、身の回りがとても几帳面に整えられている。
窓の外を見ると、青空の下、高い城壁の上部と重なるように遠くの細い塔が見える。庭には木々が生い茂っているが、まだ花の季節には早く、色合いは暗く沈んでいる。
この広大な城のどこかにアルがいるのか。




