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29、すれちがい




 俺は目線を落として、バナロスの顔を見ずに手ぇを見た。黒の生地に金の刺繍の入った袖が見える。

 武人ぶじんていうたらゴツい手ぇしてそうやのに、この人、本人は剣を握ることもないんやろう。ふしの細い綺麗な指をしてる。大きいけど、女の人の手ぇみたいに白くて綺麗な手。銀の太い指輪をしてるのが見える。


 自分の手ぇは汚さんと、ぎょうさんの人間を殺してきた手やと思うと、綺麗なのが逆に憎らしい。




「そなたとは、こうして話をしたことは無かったな。居心地は、いかがか」

 バナロスは、そう言うて俺を見た。


 俺は一瞬、目を合わしたけど、すぐに逸らして前を向いた。射るような冷たい目ぇを見るのがイヤやった。



 バナロスは三十二やと、前にレイラ様が教えてくれた。即位して十三年。ちょうどティティスが滅ぼされたんが十三年前。そう考えると、どうしても沸き起こる恨みを忘れることなんかできん。どんだけ好意的に見ようと努力しても、この男をエエふうに思える訳がない。やっぱり、何もかもが憎く感じられて仕方ない。



「そなたは何をほっする。侍従か?宝飾か?望みの物をくれてやろう」


 俺は黙っていた。どれも欲しくないし、たとえ欲しい物があったとしても、バナロスからは何も貰いたくない。



「余が、そなたにしてやれることは、そのようなことしかない。望みを申せ」


 俺の頬に触れて言った。

 大きな手の温もりが頬に伝わる。温かい。人々から恐れられてるバナロスの体温が感じられる。冷酷な帝王にも血が通っている、と。



 恐る恐る顔を上げてバナロスのほうを見る。目が合う。とても背が高い。俺は女としては、そんなに小さくはないほうやけど、バナロスは俺が見上げるほど大きい。


 バナロスは一瞬、目線を落としたかと思たら、自分の指輪を外した。俺の左手を引っ張って、その指輪を薬指にはめた。俺は驚いてバナロスの顔を見た。



 文句の付け所がない美しい顔に、今まで見たことないような優しくて穏やかな笑みを浮かべて俺を見つめる。翠玉(エメラルド)のような双眸が俺を見据えている。魔法のように心の奥底まで覗かれて、心を持っていかれてしまいそうな瞳。心の扉を静かに抉じ開けられるような感覚。


 俺は背筋が痺れるような気がして、たぶん危険を感じたんやろう。思わず目線を外した。



 バナロスは俺の肩を抱いて身体を引き寄せる。

 俺は自分の手ェにあるブカブカの指輪を指ごと握りしめた。


 騙されたらアカン。皆を殺してティティスを滅ぼした皇帝や。俺を思い通りにしようとして、見せかけだけ優しくしてるだけに違いない!



 俺がバナロスに言いたい望みは一つだけやった。

 俺はバナロスの腕から逃れて、バナロスのほうへ向き直る。



「それでしたら……人を、国を元通りに、お出来になりますか?死んだ者を戻せますか?」


 俺は思っていたことを吐き出した。皇帝相手でも怖いとは思わんかった。たぶん、もう殺されてもイイと思ってるんや。ヤケクソというよりかは、なんか清々しいような気持ちになる。




 バナロスは淋しげにスッと目を細めた。



「余とて万能ではない……無理を申されるな」




「私の望みは、それだけです。他には何も要りません」


 俺は吐き捨てるように言うて顔を逸らした。

 歯を喰い縛る。


 望みが通るわけでもなく、死ぬことができるのでもなく、どうしようもない情けなさとか悔しさとかが押し寄せてきて、よく分からん涙があふれてきた。





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