21、哀切の月
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なかなか寝られんかった。
窓辺に立って空を見ると、月が見えた。だんだん丸くなってきているけど、まだ真ん丸でもない。
それにしても、クェトルは俺を探してくれとるんやろか。きっと俺なんか、どうでも良くて、手紙だけ届けてさっさとヴァーバルに帰ったんちゃうやろか。…やりかねんなぁ。
自分の正体のこととか、ありのままを、何もかも打ち明けてしまおうかと何度思ったか。せやけど、いっつも言えずじまいやった。嫌われてしまうよりか、男としてでもエエから、そばにいたかった。
押し潰されそうなほどしんと静まり返った闇の中、遠くで鈴の音がかすかに聞こえてる。あれは、バナロスの伽の相手をつれに来る人が着けてる鈴らしい。この話はレイラ様から教えてもろた。そして、伽って何なんかも教えてくれた。まぁ、そげなことというわけや。
またしばらくして、鈴の音が遠ざかって行った。
いつか、この部屋に鈴の音が忍び寄って来ると思ったら……怖い。バナロスは俺を殺すでもなく、無理矢理に変なことをするわけでもなく、どうしようと思ってるんかわからんかった。
冷えも手伝って、ぶるっと身震いして、ベッドに戻って頭から布団をかぶる。
………ってか、ますます寝られん!きっと、イヤなこと考えてしもたからや。
真っ暗な中を、さらに闇がのしかかってきた。なんか分からん恐怖と不安な気持ちで、押しつぶされそうや。
衝動的に布団をはねのけて、俺は起き上がった。ほとんど叫びたい気分や。
そや!レイラ様のとこ行こ。
灯りを手に、そっとドアを開けて部屋を出る。廊下には誰もいない。
長い廊下は窓からの月明かりで、ぼんやりと照らされている。
レイラ様と俺の部屋は同じ階の端と端やった。
自分の足音以外、何も聞こえん。シーンと静まり返っとる。もし、何かいたらどうしよう……ちょっと後悔。自然と足早になる。てか、ほとんど走った。
突き当りの部屋のドアをコンコンと静かに叩く。ほんま、控え目に。返事はなかったけど、ちょっと考えてから、ドアの取っ手に手ぇをかけて、そっとドアを開けてみる。鍵は、かかってない。
開けると、ふっと優しくて甘い香りがする。レイラ様の香水の香りや。
正面の大きい窓に、俺の部屋で見たのんと同じ月が見えとった。
後ろ手に静かにドアを閉める。
「どなた?」
ベッドのカーテンの中から声が聞こえた。
「トゥルーラです…」
「そう。そんなところで突っ立ってないで、こっちへいらっしゃいよ」
ギシっと音がして、ベッドのカーテンの陰からレイラ様が顔を覗かして手招きをする。ベッドの近くへ行くと、部屋の奥、ベッドの窓側のカーテンはぜんぶ開けられてるのが見えた。窓側に回る。
レイラ様は寝間着に白っぽいショールを羽織って立っていた。背ぇは俺より、ちょっと低い。
「いらっしゃい。どうしたの?あ、淋しくて来たんでしょ。図星かしら」
レイラ様は、そう言って頬を緩め、肩をすくめる。
月明かりに照らされて、長いまつげに影ができる。横に並ぶのんが恥ずかしくなるくらいキレイやった。せやけど、やっぱりジェンスに顔やら雰囲気が似とって、美人なんやけど、ちょっと変わった人のような気もする。
「早いものね。わたくしが、ここへ来た当初…もう、十一年前になるかしら。十三歳で異国の地で独りぼっち。その時は淋しくて不安で、泣いて暮らしたものよ」
そう言うて、窓辺のイスに座る。手の平を上に向けてテーブルをはさんだ向かいのイスを指す。座りなさいってことやと思って、俺は軽く頭を下げてから座った。
「寝てはったんですか?」
「いいえ。夜空を見てたのよ。淋しい時は、いつもそうするの」
レイラ様は窓の外を見上げた。俺もつられて見る。
水に溶かした墨みたいな形の雲がサーっと流れとった。月とか星が出たり隠れたりしとる。
「時々思うのよ。雲のようになれたらって。ああやって、どこまでも、どこまでも流れていってみたい」
二人で黙って雲をながめた。雲は形を変えながら、後から後から流れていった。どこへ行くんやろう。
雲が減って、さっきまで見えていなかった星がぎょうさん見える。雲の切れ間から月もキレイに見えた。
「女は哀しいわよね。しょせん、政略の道具なのですもの」
レイラ様は、そうつぶやいた。俺は思わずレイラ様の顔を見た。
「月は現れたり、雲に隠されたり…」
静かな声で、そう続けた。俺が見ているのに気づいて、哀しく笑った。
「さぁ、もうお休みなさいよ」
ごまかすように言うて立ち上がり、ベッドのほうにゆっくりと歩く。
ふと、レイラ様の腰の辺りに目ぇがいった。身体全体とのつりあいからして、やけにおなかが太い。おなかに子供がいてはるんやろか。服の加減か今までぜんぜん気づかんかった。
じっと見とったら、レイラ様が気づいて自分のおなかにそっと手ぇを当てる。なでて、はにかむように首をかしげて静かに笑う。
「わかるかしら?」
俺は答えようがなくて、薄ら笑いにしかならんかった。




