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9、依頼の書簡



 アルが連れ去られてから丸一日も眠らされていた。アルがどうなるか分からない今は、ボヤボヤしている暇はない。

 ジェンスには反対されたが、雨の降る闇の中をクラへ向けて移動することにした。どちらにしてもクラは帝国への通り道で、時間の損失もない。先に書簡を届けるほうが賢明だ。



 朝には雨も止み、抜けるような青空だったが、地面は足をとられるほど泥濘ぬかるんでいた。空を猛獣の咆哮のように唸らせて、北からの風が時おり強く吹きつける。外套の襟を立てて首をすくめても、冴えた空気の身を切るような冷たさは変わらない。




 それにしても引っかかることがある。あの連中は、どこでアルの正体を知ったのだろうか。あれからずっと、疑問を反芻はんすうし続けていた。



 充分すぎる睡眠を幸いとし、ゲンブルンを出て闇の中を歩き続けた。昨夜の宵の口から歩き始めて、翌日の夕方にはクラへと着いている。本来なら二日かかるところを丸一日で進んだことになる。

 歩かせ過ぎたせいか、ジェンスは今にも倒れそうなほどヨロヨロになっていた。もちろん、喜ばしいことに口数も減っていた。強風に乱された髪が、憐れさに拍車をかけている。無駄に身なりは良いのに、みすぼらしく見えるのは不思議なものだ。




 クラは、人通りもまばらな、さびれた街だった。大通り沿いの手近な商店へと入り、シオという油商の居場所を店主に尋ねた。


「油商のシオ?聞いたことないけど」

 人の良さそうな若い店主は目を丸くして言った。


 意外な答えが返ってきた。依頼主の話では、シオという商人は街で聞けばすぐに分かるほど有名な人物とのことだった。



「シオなんて知ってるかい?」

 店主は奥にいる妻らしい女に聞く。



「この街は小さいのに、知れてるさ。シオなんて名前は聞いたことがないよ。聞き間違いじゃないの」

 忙しそうにしながら、商売の邪魔だと言わんばかりの口調で女は言う。



 そう言われたものの、疑問は晴れなかった。



 店を出て、少し離れた道にいた男にも同じことを尋ねた。だが、首をかしげるばかりだ。


 もし、シオという人物が他の地へ移転していたり死亡していた場合は、こういう返事ではないだろう。やはり、この依頼の話はおかしい。



「担がれたか」


「えー、急いでここまで来たのに」

 さすがのジェンスも、口を尖らせてぼやいた。


 どちらにせよ帝国へ行くのに通る場所だから、ここまで急ごうが急ぐまいが関係ないとは思うが。




 話を持ってきた男を思い起こしてみた。ひょろりとして目立たないが、どこか薄気味悪い風貌。旅の格好をしていた。だが、何か引っかかる。



 …いや、あれは、旅人なんかじゃない。偽装だ。あの男はアルの家の下男だ。見たことがある。




 鞄から手紙の筒を取り出した。


「何をするんだい?」

 ジェンスが間延びした声で言い、大きくまばたきをした。



 俺は筒のフタにある印が捺された封を引き剥がし、フタを開けた。中の紙片を出す。



「そんなことをしてもイイのかい?」


 ジェンスが手元を覗き込む。紙片を開き、俺は確信した。



「あれっ?白紙じゃないかぁ」


「アルは下男に売られたらしい」


 あの男は、アルが俺についてくることを見込んでわざわざ俺を指名し、偽の話でこんな所へ誘い出しやがったんだ。



 謀られたことに怒りが込み上げる。目には見えない計略の書かれた手紙を握りつぶし、泥濘ぬかるんだ土の上へと投げつけた。





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