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4、森の一夜




 湿っぽい土のにおい、味気ない非常食。


 二人に休むように促した。俺は夜通し火の番をすることにした。それは親切心などでは決してなく、まあ、要は、こんな奴らに任せて眠る勇気はないというだけなのだが。



 ジェンスは、落ち葉に包まれて眠るだとか何だとか言っていたくせに、地に座ることも拒むようなヤツだから、もちろん落ち葉の上に横になるようなことはしなかった。旅にはいつもご持参の折りたたみ式の小さなイスに座り、傍の岩にもたれかかって早々に眠りこけていた。器用に寝るヤツだ。こんな寝方だと、余計に疲れるだろ。




 火の向こうに座ったアルはヒザを深く抱え込み、ヒザにアゴをのせて丸まっている。


 じっと地面を見つめている。眠りもせず、話しもせず、黙ったまま動こうとしない。さっきまで、さんざんイヤミを言っていたから口が疲れたか。



「寝ないのか」


「うん…」


 お互いに、ずっと目線も合わさずにいた。



 火の中で小枝のはぜる音が、やけに大きく聞こえた。





「…なぁ、俺…」


 アルが下を向いたまま、聞き取れないくらいの声でぼそりと言った。またイヤミの続きか?もう聞き飽きたぞ。



「何だ」


 一本の枝を手の中で遊ばせながら聞き返す。なぜか、ふいにあの時の接吻が思い出された。あれは一瞬の気の迷いだと、人知れず心の片隅へと追い遣り、忘れようとしていた思い出したくもない記憶がよみがえる。


 急に、自分自身が汚らわしいもののように思えてくる。そこで眠りこけている破廉恥な王子のそういう嗜好を軽蔑していたが、安易に馬鹿にできなくなった。どうりで、この歳になっても、特定の異性を想うことがなかったワケだ。


 また、その対象が目の前のコイツだとは、非常に複雑だ。いったいどこに惹かれるのか分からなかった。…いや、断じて惹かれているワケではない。あれは、一瞬だけ、その時だけ、そう思っただけに違いあるまい。




 アルは口をとがらせて俺を見ていた。怒っているような、困惑しているような、表現しがたい顔つきをしている。妙に、いとおしかった。


 ……今、いとおしいと一瞬でも感じてしまった自分は、完璧にイカレていると思った。もはや俺は壊れている。




「いや、もうエエわ。何でもあらへん」


 アルは、明らかに作り笑いをした。



 俺は内心を悟られないようにしようと思ったのか、必要以上にアルをねめつけていた。目線が合うと、アルの口元の作り笑いは消え、代わりに悲しそうな顔へと変わっていった。



「いや、あのな…お前はな、俺がおらんようになったら、どない思うかなって…」


「せいせいするだろうな」


 とっさに口をついて出た言葉は、憎まれ口だった。



 アルは「さよか!」と言い、俺をにらみつけた。そして、こちらに背中を向けて寝転ぶ。





 問いの真意を考えてみたが、見当もつかない。


 考えてみたこともなかった。アルは空気のような、当たり前の存在だ。いないということなど考えには及ばない。中央帝国に行っている実の兄よりも、アルのほうが兄弟らしく思えているくらいだ。


 アルは、時たま、真意の分からないことを口走る。今しがたも、一人で問いを投げかけ、一人で怒って、結局は答えが出ないまま一人でいじけて眠ってしまう。付き合いきれないヤツだ。勝手にすりゃイイ。




 新しい枝を火にくべる。よく乾燥していて、すぐに炎の一部になった。焚き火の音以外は静かなものだ。鳥や獣の声すらしない。





 そういえば、兄貴はどうしているだろうか。生きているだろうか。兄貴は母さんが死んだ直後に帝国オデツィアへ行ってしまったと聞かされている。俺が六つの時だ。小さな時のことで、母さんも兄貴も面影はほとんど記憶にない。健在であれば、歳は二十八になっているだろう。


 親父は俺も兄貴のように帝国に仕官してほしかったのだろう。だが、俺は宮廷で名誉のために儀礼で縛られて生きることなんて耐え難い。仕官ではないが、ジェンスなどその最たるものだ。さぞかし窮屈な思いをしているのだろう。


 反戦主義ではないが、非戦主義だと自分自身では思っている。それは卑怯なのかもしれないが、戦うことによって誰も傷つけたくない。何よりも、中央帝国の皇帝バナロスの、力にものを言わせて各国を統治下におくやり方にはヘドが出る。そんな奴に命を捧げるくらいなら、野犬にでも喰われたほうがマシだ。帝国兵をやっている兄貴の気が知れない。馬鹿じゃないのか、と思う。





 熟睡している二人の毛布を肩までかけ直してやる。よく寝てやがる。うらやましい。




 それにしても寒い。眠い。夜明けは遠い。




 風はなく、火の単調なゆらめき以外に音もない。






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