↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死社畜、悪役令嬢の飼い猫に転生する ~美人な飼い主にモフられながら、破滅フラグはチートでこっそりへし折ります~  作者: 真野真名
第二章 猫の手は借りられないので猫が動く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
23/24

第二十二話「羽ペンと蜂蜜」




 新しい家庭教師が、フィロパトール公爵家にやってきた。


 トライ・トッテンマイヤー。


 四十代前半くらいだろうか。


 女性の年齢というものは、猫にはよく分からない。

 前世の俺にも分からなかった。特に関西のおばちゃんの「なんぼに見える?」は、質問に見せかけた試験問題である。


 正解すれば飴ちゃんがもらえる。

 間違えれば、肩を叩かれる。


 ――いや、今はどうでもいい。


 彼女の物腰は柔らかいが、背筋は槍のように真っ直ぐな女性だった。

 経歴は申し分ない。というより、申し分がありすぎる。

 アウグストを教え、ユリウスも教えた人物だ。


 前者は優等生。

 後者は途中で塔に籠もった。


 つまりこの女は、従順な生徒と、逃亡する生徒の、両方と戦った実戦経験者だ。

 対して、我がパトリシア様の戦歴はというと。


 家庭教師、一名、戦闘不能。


(……戦績、一勝零敗か。今回はリーグ戦の格上相手だな)


 これは面白い。いや、面白がっている場合ではない。

 パティには教育が必要なのだ。俺の昼寝を邪魔しない程度に。


 初回の授業は、東棟の教室で行われた。


 俺は窓際のクッションに座り、昼寝の体勢に入った。体勢だけだ。耳は、もちろん起動している。


「では、パトリシア様。本日はまず、文字の復習から」


「……うん」


 開始、三分。


「パトリシア様? ペンを持ってください」


「手がつかれた」


 開始、七分。


「あの、まだ一文字も」


「ネコチャンがさみしそう」


 振り返って、こちらを見た。


(寝ている猫を言い訳に使うな)


 目を閉じる。俺は今、完璧に寝ている。

 何も知らない。何も考えていない。ただの日向ぼっこ中の猫である。


 開始、十分。


 パティは、席を立った。

 いつもの時間だった。この令嬢の授業持続時間は、十分で切り上げられる。身体に刻まれた定時だ。


「あ、パトリシア様」


「お手洗い!」


 嘘だ。逃げる気満々である。


(……よし。では、始めるか)


 俺は、目を閉じたまま、体の奥の塊を、ほんの少しだけ緩めた。

 見えない手が、するすると伸びる。まず、椅子。

 パティの座るべき椅子を、音もなく、ずずっと、部屋の中央へ運ぶ。


 ――きし、きし、きし。


「…………え?」


 扉へ向かっていたパティが、振り返った。


 椅子が、机の前から、教室の中央まで移動している。


 椅子が、ない。 机の前にあるべき椅子が、部屋のど真ん中に、ぽつんと、座っている。


「……せんせ」


「はい?」


「イス、動いた」


「…………」


 トライ先生は、椅子を見た。次にパティを見た。そして、俺を見る。


 俺は寝ている。完璧に寝ている。


「……気のせい、ではございませんね」


「うん」


「そうですか」


 トライ先生は、深く息を吸った。


 そして言った。


「では、パトリシア様。お座りください」


「……え?」


「椅子が動いた理由は、後で考えましょう」


「あとで?」


「今は授業です」


(……ほう)


 パティは仕方なく椅子に座った。


 すると――


 ぱたん。


 机の上の教科書が、ひとりでに開いた。今日の課題の頁で、ぴたりと止まる。


「…………」


「…………」


 トライ先生は、教科書を見た。そして、ゆっくりと俺を見る。


 俺は寝ている。猫である。何も知らない。


「……続けましょう」


 教師の顔に戻った。




 翌日。


 パティは、また十分で立ち上がった。


「お手洗い!」


 今度は、昨日より堂々としている。


 俺は目を開けた。


 そして、ほんの少しだけ魔力を動かす。


 ――きし。


 椅子が、数センチだけ動いた。


「…………」


 パティが止まる。


 昨日のように逃げようとはしない。


 椅子を見る。


 俺を見る。


 もう一度、椅子を見る。


 そして――


「……わかった」


 小さく呟いて、座った。


 ぱたん。


 教科書が開く。


 パティは、恐る恐る羽ペンを持った。


 一文字。


 何も起きない。


 もう一文字。


 何も起きない。


 三文字。


 何も起きない。


(……そう。それでいい)


 俺は目を細めた。


 恐怖で座らせ続けるつもりはない。


 座れば何も起きない。


 まずは、それを覚えればいい。


 十五分。


 二十分。


 三十分。


 パティは、座っていた。


 トライ先生も、余計なことは言わなかった。


 ただ、淡々と授業を続けた。


「本日は、よく頑張りましたね」


「……うん」


 授業が終わる。


 パティが立ち上がった。


 ――何も起きない。


 扉へ向かう。


 ――何も起きない。


 廊下へ出る直前、パティが振り返った。


「……もう、おこらない?」


 俺は、尻尾を一度だけ動かした。


 答えは、もちろん届かない。


 だが。


 パティは、少しだけ安心した顔で、走っていった。




 この「怪奇現象」は、一週間のうちに、洗練されていった。


 法則の整備である。


  法則その一。

  サボろうとすると、椅子が動く。


 法則その二。

 机に向かうと、何も起きない。


 法則その三。

 頑張った日は、おやつの蜂蜜が、ほんの少しだけ多い。


 この三つ目が、ポイントだった。


 怪奇現象だけでは、子供は育たない。

 怖がらせるだけでは、いつか慣れる。


 テストの点数が良かった日、パティのミルク粥に、ほんの少しだけ蜂蜜が増えている。

 本人は「きょうの、おいしい」と気づく程度の増量。絶妙な増量である。


 空間収納から蜂蜜を継ぎ足す技術は、なかなかの精密作業だった。匙加減とは、まさにこのことだ。


(……前世の俺の上司にも、これくらいの匙加減が欲しかった。あの人の褒賞は、全部、無糖だった)




 そして、一週間後。


 パティの口から、あの言葉が出た。


「パティ、知ってる」


 夕食の席。家族全員の前で、六歳児は神妙な顔で言った。


「……なにをだ」


 ロムルスが訊いた。


「パティのお部屋、なにかいる」


 フォークが、数本、止まった。


「勉強しないと、おこる。勉強すると、おとなしい。……それでね、それでね、がんばると、おやつがおいしくなるの」


「…………」


 家族全員が、それぞれ違う顔をしていた。


 ロムルスは「ふむ」と言った。


 深い方の「ふむ」だった。つまり、考え込んでいる。

 娘の部屋に何かがいる、という事態に、当主は真剣に思案している。


「……魔力を持つ何かが、住み着いている可能性は?」


 間違ってはいないが、そこは真面目に考えるな。



 アウグストは無言で立ち上がった。


「部屋を確認してくる」


(行くのかよ)


 三十分後、戻ってきた。


「……何もいなかった」


 当然である。


 だが、あの男なら、しばらくはパティの部屋周辺を警戒するだろう。



 そしてユリウスは――


「…………ふっ」


 肩を震わせていた。


(……お前、知ってるな)


「ユリにーに、なんで笑ってるの?」


「いや。……何でもない」


「ほんと?」


「本当に」


 目が泳いでいる。絶対に知っている。


(……まあ、いい)


 今のところ、黙っていてくれるなら問題ない。

 ただし、後で何か要求されたら困る。


 特に、「テトの魔法を再現したい」などと言われたら、全力で逃げる。




 数日後。


 応接間では、月例の教育報告が行われていた。


 アウレリア、セバス、そしてトライ先生。俺は定位置、テーブルの下にいる。


「それで、トライ先生。本当に、お変わりありませんか」


「はい」


 トライ先生は、きっぱりと答えた。


「パトリシア様のご成長ぶりは、驚異的でございます。授業の持続時間は十分から四十分へ。文字の綴りの正確さ、読書の速度、どれを取っても、先月までのお方とは別人のようです」


「……そう。何か、きっかけが?」


「ございます」


 トライ先生は、少しだけ間を置いた。


「教室に、おられるようです」


「教室に?」


「はい」


 トライ先生は、真面目な顔で続けた。


「パトリシア様を、見守っておられる、何かが」


「…………」


「私は、最初は錯覚かと思いました」


 トライ先生は淡々と語る。


「ですが、椅子が動きました。教科書も勝手に開きました。羽ペンが浮いたこともございます」


 セバスの眉が、ほんの少し動いた。


「そして、不思議なことに」


 トライ先生は微笑んだ。


「パトリシア様は、それが怖いのではなく――期待するようになりました」


「期待?」


「はい。今日は頑張った。だから、何も起きない。……そのことを確認するために、机へ向かうのです」


 アウレリアは、黙っていた。


 やがて、ほんの少しだけ笑った。


「……なるほど」


「申し訳ありません。教師として、説明しにくい話ではありますが」


「いいえ」


 アウレリアは首を横に振った。


「成績が上がっているのであれば、私は、その『何か』に感謝しなければなりませんね」


(……この家の人間は、たまに、とんでもなく懐が深い判断をする)




 その夜、パティの部屋。


「ねえ、テト」


 布団の中で、パティが言った。


「にゃ」


「パティのお部屋のね、かみさま」


 神、と来た。格が上がった。ポルターガイストから神への昇格である。人事考課のスピードが、うちの会社より速い。


「かみさま、たぶん、仕事に、うるさい人なの」


「にゃあ」


(お前の保護者だよ。残業はさせないが、定時の勤務はきっちり取る主義のな)


「でもね」


 パティは、俺の頭を撫でながら、小さく言った。


「おやつ、ふやしてくれるから。……すき」


「…………にゃ」


(……よし。懐柔は成功だ)


 怪奇現象と飴の二正面作戦。

 前世で編み出した社畜の処世術が、まさか教育工学として開花するとは。


 パティの寝息が、静かに始まった。  俺は枕元で、明日の課題を考えた。歴史の授業が始まる。あれは暗記科目だ。暗記には、反復が要る。反復には――少しばかりの、演出が要る。


(……さて。明日の羽ペンは、何センチ浮かせるか)


 夜の屋敷に、猫のあくびが一つ、響いた。




――その夜、西棟の塔。


『テト観察日誌』


“東棟の教室で、ポルターガイストが発生しているという噂を聞いた。椅子が動く。羽ペンが浮く。教科書が勝手に開く。


 ……ふざけるな。


 ふざけるなと言いたいのだが、よく考えてほしい。この屋敷で、物を浮かせられる存在が、何者か。僕は知っている。僕だけが、知っている。

 あいつだ。テトだ。あの猫が、妹の部屋に、勝手に見張りを立てたのだ。

問題は、その効果だ。

 パティの成績が、上がっている。信じられないくらい、上がっている。僕が五年かけてもダメだったあの妹が、四十分も机に座っている。原因は、怪奇現象への恐怖と、蜂蜜だという。


 ……研究対象が、僕の妹を、教育している。


 主客が、逆ではないか。観察者が、被観察者に、家の運営を手伝われているのではないか。


 ……腹が立つ。悔しい。


 だが、もっと悔しいことに、僕は今日、あの部屋の前を三回通り過ぎた。

 何か見られるかと思って。

 何も、見られなかった。見られなかったのが、悔しい。


追記:明日は、四回、通り過ぎる”




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。