遡ること~小学6年生・5
小道から来た誰かがボールを拾い上げている。
その体ですぐにわかる。ユイのお兄さんがにこやかな顔で近づいてくる。横で足を止めると、僕の背後へと視線を向け、
「まだ、ちっと早いか。1、2、3……」
頭を動かしながら桜を見て数をかぞえている。そして、視線が僕へと向かってくると、
「昨日からじゃ、そんなに変わるわけないか」
にっかり笑った。
視線はすぐに桜へと向かい、
「ちっちぇだろ、こいつ。もう5、6年前っていったかな。幼稚園生が植えた桜らしいんだよ――」
クリーニング配達の帰りにここへ寄った時に誰かから聞いたらしい。毎年、この時期なるとちょくちょく来ちまうんだ、と笑っている。
「なんだか毎年少しずつでも成長しているのがわかって楽しんだよな」
そう言って細めたが目が、僕へと落ちてきた。
僕は今、どんな顔していたのだろう。ユイのお兄さんの目は自分の手元のボールに移っている。
唇が閉まり、眉間が微かに寄っている。
この人はどこまで知っているのだろう。
昨日の自治会館では、パパのことが話題になることはなかった。でも、僕らがここに引っ越してきたわけは、きっと誰もが知っている。パパがプロ野球選手だったことも、うちから野球が消えていったことも、僕が野球をできないことだって……。
ずっと、ボールを見続けている。新品なんかじゃないボールを。
親指が小さく動いている。いくつものを傷を、汚れをなでている。
そのボールが僕へに向かってふわりと飛んできた。両手でキャッチすると、声も飛んできた。
「ちょっと待ってろ。昔は亮とよくやってたから、どっこかにあると思うから」
そう言うと、僕の返事を聞くこともなく動きだしていた。
大きな体なのに、軽快な走りで、あっという間に小道へと消えてしまった。
待ってといわれたからには待つしかない。僕の胸ほどの高さがある木柵に腕をのせ、ぼんやりと街並みを眺めていた。
それから、どれくらい経っただろう。30分くらいだろうか。戻ってきたユイのお兄さんの手には2つのグローブがあった。
戸惑う僕など無視するかのように、「亮のやつ借りたから、お前こっちな」とグローブが渡され、何も言えぬまま、キャッチボールが始まっていた。
そして、いつしか楽しくなっていた。しっかりと返ってくるボールも。グローブで取るという感触も。
いい球投げるな、といったユイのお兄さんがにこりと笑って、腰を落した。キャッチャーのようにグローブを構えている。
テレビで見たストラックアウトというのをまねて、壁に9つの的を書いて、毎日のように遊んできた。だから、コントロールには少し自信がある。
といっても、あくまでも壁に向かっての話だ。
なんだか、少し緊張してくる。
心の揺れはボールに伝わってしまい、投げたボールは浮いてしまい、ユイのお兄さんは伸び上がるようにして掴んだ。
「よし、もういっちょ」
返ってきたボールを受け取り、構えられたグローブに視線を向ける。
壁にしていたのと同じことだ。ど真ん中の5。
今度も、ユイのお兄さんのグローブは大きく動いてしまった。
なんだか、腕が縮こまっている気がする。
だから――胸元でグローブを構えると、そこから振りかぶり、足を上げて投げた。ピッチャーのように。
「ナイスピッチ!」
声とともに、ボールが返ってくる。
ユイのお兄さんは、もういっちょ、と構えている。
そこに向かって同じように腕を振るった。
ただ、それだけの繰り返しなのに、胸が弾んでいる。
でも――ユイのお兄さんのひと言で、ボールは僕のグローブの中で止まったままだ。




