寂れゆく
「よおっ!」
背後からそんな声が聞こえてきた。振り返れば、数メートル先に見慣れた顔がある。
俺は何も言うことなく、向き直って足を踏みだした。
「こんな美少女を無視するってか」
声とともに足早に向かってくる雰囲気が伝わってくる。
さびれた商店街では、声だけでなく足音まで聞こえてくる。日が暮れかけた今は悲しいほどに静かだ。今だけじゃない。朝も昼も夜も。
数年前はにぎわっていたこともあった。でも、今は……。
視線を上げれば、商店街から旧道に面した角に喫茶店の看板が見える。かつてはそこに木下ジムというボクシングジムがあった。
そこにいたボクサーの活躍で、商店街まで活気づいていた。
横へと並んできた池田ユイだが声は聞こえてこない。
視線を横に投げると、ユイの目は俺が見ていた場所へと向かっている。その横顔は曇っている。
「あのさ。なんか、今日は早いじゃん。部活さぼった?」
自然と言葉が口をついていた。このまま黙っていたら、商店街と同じように沈んでいく。なんでもいいから、彼女の目をその場から放したかった。
俺へと視線を向けてきたユイは、小バカにするように笑い、「あんたとは違うっちゅーの」
憎まれ口をたたいてくるいつもの姿に少しほっとする。数年の時が流れたことで心にできた大きな傷も少しは癒えたのかもしれない。そうであってほしい。
「新入部員も入ったことで、バンド新編成の(パート)リーダー会議があったから早いのよ」
ユイは吹奏楽部に所属していて、トロンボーンを担当している。
俺らもこの春で高3になったし、リーダーとやらになったのだろう。
「それで、結局そっちはどうだった?」
ユイは、俺の前に回りこみ、いくぶん身を乗りだすように聞いてくる。
俺は指で〇を作ってみせた。親指と人差し指だけじゃない、全ての指で作った〇だ。
「なに? それってゼロってこと。ひとりも新入部員なしってこと」
俺はひとつうなずいて、自分の家である靴屋へと足を向けた。
これでも、今日だって練習はなしにして、勧誘という最後の悪あがきをしてきた。
店に向おうとする行くてがさえぎられ、
「ねえ、野球って5人でも大会にでれるの?」
俺が首を横に振ると、ユイが芝居がかった仕草で肩を落とし、大げさなため息をついた。「夢が……終わった」
夢って……。吹奏楽部の夢ってのは、なんとかという場所だろ。ユイがよく口にしている……普門館だっけ。そこに行くことだろ。
それを言うと、ユイは、
「それは当然なんだけど。ほら、高校入る時言ったじゃん。忘れちゃった?」
もちろん覚えている。でも、俺はとぼけるように首を傾げた。
「もうっ! だから、勝太が甲子園に――」
俺はユイの声をさえぎり、「わかってるって。覚えてるけど無理だからしょうがないだろ」
「もうっ! 別に甲子園なんて、贅沢は言わないから、せめて市民球場でいいからスタンドで吹きたかったのに」
そう、一度も吹奏楽がスタンドで吹くことはなかった。俺らが大会にでることはなかったから。
俺らが1年だった夏の大会前に不祥事があり、野球部は1年間の大会出場禁止及び対外試合もできなくなった。
いつしか部員は5人となり、その後も悪い噂のせいか、新入部員が入ってくることもなかった。そして、俺らにとったら最後の年である今年も……。
「ごめんな」
思わずそんな言葉が口をつく。
ユイが慌てたように、首を横に振っている。
ほんとは冗談でも言えればいいのに、ごめんな、と繰り返してしまう。そして、ユイの顔を見ることなく店に入った。
店主であるじいちゃんの、おかえり、の声に言葉を返し、そのまま奥へと向かった。
2階の自分の部屋に入ると、肩掛けの鞄を放り投げた。中にはグローブと汚れていないユニホームが入っている。
制服の上着を脱ぎ捨て、勉強机に手を伸ばした。そこには小さな3本のバットで組まれたオブジェがあり、その上に硬式ボールがのかっている。
それを手にして、ベッドに寝転んだ。
ボールを投げあげ、掴む。そんな動作を繰り返す。意味があるわけじゃない。ただ、小さな頃からよくしていた。
いや、できない時期もあった。家から野球に関するものを全て排除していたあの頃は。




