小学4年――弾まぬリフティング
健ちゃんが数日、教室を休んでいたので、おじさんにどうしたのか聞いてみると、やめた、と告げられた。
その理由を聞けば、他にやりたいことが見つかったからという。
次の日、適当な理由をつけて、いつもより早めに車で教室まで送ってもらった。そして、建物に入っていくふりをして、母ちゃんを見送り、サックスケースを抱えて別方向に走った。
昔は健ちゃんの家に遊び行くことが何度もあった。場所は分かるし、そんなに遠くもない。
チャイムを鳴らすと、おばさんがでてきた。
「あら、久しぶりねえ」
楽し気に続けようとするが、僕はさえぎるように健ちゃんを呼んでもらった。
階段を下りてきた健ちゃんは、サッカーボールを抱えている。一瞬、僕を見たが視線をそらし、おばさんに、
「ちょっと、練習してくるね」
靴を履き、行こう、と言ってくる。
健ちゃんは、そのまま玄関をでていってしまう。あ然とするおばさんに、僕は軽く頭を下げ、後に続いた。
一拍遅れて、「いってらっしゃい」の声が追いかけてきた。
近くの公園に着くと、健ちゃんは唐突にリフティングを始めた。でも、数回ですぐ落としてしまう。何度か繰り返すと、「まだまだだな」とボールを抱えた。
そのボールを見れば、昨日今日買ったという感じで、いかにも真新しい。
なんて、切り出せばいいか分からない。だから、
「健ちゃんのやりたいことって、それなの?」
「そうそう。実はずっとサッカーがやりたかったんだよね」
こんな僕にだって分かる。健ちゃんが本気でそう言っていないことが。
生まれくる静けさ。
それを埋めるように、健ちゃんは言葉を続けた。
「来週からサッカー教室に通うから、今、練習中なんだよね」
無理しているよね。無理に明るく言っているんだよね。
みんなが僕だけじゃなく、健ちゃんにも冷たくなっていたことには気付いていた。
「僕のせいだよね……僕のせいで……」
「えっ? 何が?」健ちゃんは、わざととぼけるように言い、「ただ、サッカーのほうがやりたくなっただけだよ」
うそだよね。そんなのうそだよね。
みんなのことだけじゃない。僕のせいで、バンドのメンバーに選ばれるのだって……。
「ごめん。ごめんね」自然と涙がこみ上げてくる。「僕がやめればいいのに」
「何言ってんだよ!」
強い声が飛んできた。
健ちゃんの目が潤んでいる。
「大ちゃんは絶対やめちゃだめだ。大ちゃんのサックスは凄いんだ。誰がなんっていっても凄いんだ。だから、胸を張ってればいいんだ」
健ちゃんは目をぬぐうと、ポンっとボールを手放した。そして、足を振り上げた。
何度か蹴ると、ボールは大きく跳ね上がり、転がっていった。
健ちゃんは追いかけていって拾い上げると、振り返り、「大ちゃん、ごめんな」、こくりと頭を下げた。
そして、頭を上げると笑顔で、
「大ちゃんは負けるな。大ちゃんは」
「健ちゃん……」
健ちゃんは、「早く行かないと遅刻するぞ」と言うと向きを変え、後ろ手を振って歩きだした。
その背中に、また涙がこみ上げてくる。
僕の知らないところでも、いろいろあったのかもしれない。僕に対しても、いろいろな思いがあるだろう。
僕はどうすればいい。僕は……。
サックスケースを抱えた。強く握りしめ歩きだした。