小学4年――ひとり
駆けこむように建物に入り、教室に向かっていると、異変を感じ始めた。
もうすぐ練習開始時刻で、いつもなら楽器の音がもれ聞こえてもおかしくないのに、静まり返っている。
扉の前でも、何も聞こえてこない。
そっと扉を開けると、がらんとした空間が広がっている。
おそらく、練習場所が変わったのだろう。昨日のうちに変わったのか、それとも今日突然変わったのか。
本来なら子供たちの間で回されていく連絡事項。でも、僕には伝えられていなかった。
またか。
いつもなら、文句のひとつでも言い合って……。隣りに言い合っていた姿はない。誰も……。
そのことに改めて気付かされ、体が小刻みに震えだしている。
「あら?」
そんな声が聞こえ、振り返ると先生が立っている。彼女は、いつもと変わらぬ調子で、「なんか忘れ物?」
僕が、いえ、と答えると、先生はじゃれるように、僕の体をつっつきながら、「珍しく遅刻か」
そして、僕の背中を押して、
「ほら、みんな、もう会館に行ってるぞ」
先生は、「打ち合わせが終わったら、先生たちもすぐに行くから」と言葉を残し、足早に別の部屋へと向かっていった。
先生の足取りは弾んでいる。今度の大会で初めて指揮棒を握ることになっている。だから、力が入っているし、どこか楽しそうでもある。
僕は重い足取りで歩きだした。ひとりだということを感じながら。
会館は歩いて15分ほどのところにある。中規模の舞台があり、これまでも大会前の最終確認で、公民館と同様に使わせてもらうことがあった。明後日がその日だったが、急に空きができて、今日も使えることになったのかもしれない。
会館に入り、舞台ホールに近づくと、扉から微かに音がもれ聞こえてくる。
その扉に手をかけたが、引くことができない。
胸の中がぐらぐらと揺れている。体まで揺れだして倒れそうだ。
僕は、一度大きく息をついて、手に力をこめた。
音がパラパラと消えていく。
僕に気付き、冷たい視線が集まっている。僕の視線は落ちていく。それでも足を踏み出した。
再び音が鳴り始める中、舞台に上がり、楽器を準備すると、置かれていたパイプ椅子を持って、空いているスペース、信くんの横にそれを置いた。
一瞬、信くんの視線が向かってきたが、何も言うことなく、サックスへと息を吹き込んでいる。
僕も何も言うことなく、楽譜台を取りに向かった。そして、楽譜を置いて、腰を下ろすと、サックスへと息を吹き込んだ。
音を確認するように、音階を刻んでいき、ロングトーンを繰り返す。そして、曲のさわりの部分を吹き込んだ。その時――
「うるさい!」
怒鳴り声が聞こえ、楽譜台が倒れている。信くんの楽譜台と、その奥あった楽譜台が倒れ、僕の足元に楽譜が散らばっている。
信くんの横の女子が立ち上がり、僕を睨んでいる。
「バカみたいに大きな音だされて、ほんとやりにくいんだけど」
サックスのサード位置の彼女には、陰で何度もそんなことを言われていたが、今日は真っ向から言葉が飛んできている。
僕のせいでメンバーからはずれた女子とは仲もいい。その恨みをぶつけるように、言葉が飛んでくる。
「あんたのせいで、バンドのバランスが崩れてんの。いいかげんに気付いてよ」
音はやみ、視線が僕へと集中している。
信くんは何も言うことなく、椅子から立ち上がって、楽譜を拾い集めている。舞台の端まで飛んでしまったペンを拾いに向かっている。
声を上げる女子がにじり寄るように、僕の前に立った。他の何人かも立ち上がり、囲むように近づてくる。
いくつもの言葉が、降り落ちてくる。
「マジでバンドってバランスが大切なのに、大きい音とかだされると邪魔よね」
「勘違い君、気付かないよね」
「調子乗り、マジやめて欲しい」
「っていうか、(バンド)やめろよ」
僕は何も返せなかった。ただただ、床を見つめ続けた。
「あたしたち、話し合ったんだけどさ」
中心となっている6年生女子の声が聞こえてくる。
とその時、扉が開き、おじさんたちが姿を現した。
僕の周りにあった影が消えていく。視界の片隅にあった足が消える瞬間、言葉が突き刺さってきた。
小さくて置き捨てられるような声だったのに、胸の中は激しく波立っている。
「あんたがやめないなら、あたしたち全員やめるわ」
信くんは無言のまま、横の椅子に戻ってきた。
おじさんは何も気にすることなく、「時間がないから、すぐに通しでいくぞ」と客席側に腰を下ろしている。
先生もいつもの感じで舞台に上がってきて、指揮棒を振り始めた。
もしも、みんながやめてしまったら、大会に……。
曲は何度も止められ、おじさんの激が飛んできた。僕へと。




