先輩と後輩
「よう。なんか良いことでもあったのか?」
いろんな出来事があって、一夜明けたのちの昼休み。
机の上を空にしていると、そんなことをマルスに言われた。
「まぁ、良いことではあるかな」
すくなくとも悪くはなっていない。
「ふーん。ま、好転したなら何よりだ。昨日よりいい顔してるぜ」
「そうか?」
自覚はないが、マルスが言うならそうなんだろう。
たしかに以前よりも状況はマシになっている。何もかもがわからない状態から、目標と、それを達成するための手段を手にすることが出来た。
それ相応の苦難が待ち受けているだろうが、あのまま目指すべき光も見えない闇の中をもがき続けるよりは遥かにマシだ。
「それにしても昨日は大変だったな」
「あぁ、本当にな」
ゲートの多発に加えて、薄紅との戦闘、組織への加入。
大変なんて言葉だけでは言い表せないほど、大変だった。
まぁ、マルスはゲートのことだけを言っているのだろうけれど。
「それで? 結局、どうなんだ?」
「どうって、なにが?」
「惚けんなよ。あの助けた女の子だよ」
「あぁ……まだ言ってたのか?」
そう言えば、あの獣人の女子生徒との間に、何かがあったと思い込んでいたな。
なんでもかんでも色恋に発展させればいいってものじゃあない。
第一、俺は彼女の名前すら知らない。
まずその土俵にすら互いに立っていないのだ。
なにをどれだけ勘ぐっても、何も出てきはしない。
「だいたいなぁ――」
「おーい、コクトー」
説教の一つでもしてやろうかと思ったが、折り悪くほかから声がかかる。
「なんだー?」
「なんか用があるって後輩が来てるんだけどー」
「後輩?」
クラスメイトから後輩と聞いて、マルスと目が合う。
「お前に後輩の知り合いなんていたっけ?」
「いや、心当たりはないけど」
憶えはないが、名指しで呼ばれているなら、行かない訳にはいかない。
疑問を抱きながら席を立ち、頭の中であれこれと人物を思い描きつつ、その後輩のもとへと向かう。教室を出てすぐの廊下。その壁にもたれかかる形で、その後輩は俺を待っていた。
「あっ。えへへ、会いに来ちゃいました」
頭部に生えた獣耳が、ぴくぴくと動く。
その仕草には見覚えがあって、その容姿にも憶えがあった。
「せーんぱい!」
後輩とは、件の獣人の女子生徒だった。
「――それで? 用事って言うのは?」
この街では珍しい隔たりのない空の下。
校舎の屋上にて、俺は彼女にそう聞いた。
「えーっとですね。用事は三つあって」
そう言いながら、彼女はどこからか取り出した可愛らしいデザインのシートを敷く。
「きちんとしたお礼がしたかったって言うのと」
その上に腰掛けた彼女は、弁当箱を膝におく。
やけにサイズの大きなものだ。
獣人は人間より食欲が大きいのか?
「先輩のこと、もっと知りたいと思って」
俺のことが知りたい。だから、こうして本人を呼び出した。
なるほど、たしかにそれが一番、手っ取り早い。
「面白くもなんともないぞ、俺の話なんて」
「それでもいいです。聞きたいんです。私を助けてくれた先輩のことを、先輩の口から」
助かった。ラッキー。それくらいに考えておけばいいのに。
なかなかどうして、物好きがいたものだ。
「三つ目は?」
「まだ内緒でーす」
なら、楽しみは取っておくとしようか。
「それじゃあ、まぁ、飯でも食いながら話そうか」
「はい! 私、先輩にお弁当作ってきたんですよー」
包みを開けると、そこには二つの弁当箱が。
「なるほど、お礼ってのはそれか」
「えへへ、自信作です」
可愛らしいデザインのシーツに腰掛け、すこし遅れた昼食を取る。
まず互いの自己紹介から始まり、弁当の感想を言い、それからかるい談笑へと移った。
彼女の名前はサン。
出身は意外に異世界ではなく、この地球だと言う。
この街が異世界と繋がりを持ってから、もう随分と経つ。
こちらに来た異世界人が、地球で子を成すのも珍しいことではなくなった。
「――ところで、先輩って、どうしてあんなに強いんですか?」
「さてな。ある日、気がついたら強くなってた」
冗談っぽく、そう言ってみる。
昨日、ミズキに真実を話してから、どうも口が軽くなったみたいだ。
「ある日、気がついたらですかー。でも、もし、そうなら私も勇敢になれるかなー?」
冗談を冗談とただしく捉えた上で、サンはそう呟く。
「まぁ、一時的にはなれるだろうな」
「一時的には?」
「でも、たぶん後から悩みまくるぞ。この力はなんだ? どうして自分に宿ったんだ? 仮初めの力で成し遂げたことに価値はあるのか? ってな」
「随分と情感こもってますね」
「……ま、想像だけれどな」
いかん、いかん。
思わず、抱え込んでいたものが顔を見せた。
きつく、口の蛇口を閉めておかないと。
水漏れ注意。言葉漏れ注意だ。
「でも、それでもいいです。いざって時に、身体が上手く動かなくなるよりは、ずっと」
「あの時の話か?」
血まみれの図書室での一件。
傷だらけになり、魔物に追い詰められていた、あのとき。
「はい……私、自分ではもっと出来ると思っていたんです。魔物だって簡単に倒しちゃって、実技の授業のときみたいにいっぱい褒めてもらうんだって。なんとなくそう思っていたんです」
「違ったか? 現実は」
そう聞くと、サンは自分を抱きしめるような仕草を取る。
「怖かったです。とても、とても怖かった。身体が硬くなって、思うように動かなくて、息苦しくて、お腹のところがすっと冷たくなるんです。それでも頑張って……死にたくなくて……でも、もうダメだって……」
「わかった。もういい。辛いこと聞いたな」
異世界人。獣人。そう思って、接していた。
人間とはどこか違う、別の生き物だと、そう思っていた。
けれど、違う。人間と、なにも違わない。
目の前にいて涙を流している獣人は、紛れもなく一人の少女だった。
「先輩。私は突然、強くなったりしなくていいです。それよりも、なによりも私は――」
涙を拭い、サンは言う。
「自信が、ほしいです」
それが本心から紡がれた言葉であることは、疑いようがない。
俺に対する三つの用件。
一つはお礼。一つは互いの自己紹介。そして、もう一つは。
「内緒って言っていた三つ目は、それか?」
「はい。私、先輩に鍛えてもらいたいんです。先輩みたいにとは言いません。でも、せめて、いざという時に動ける自分になりたいんです」
「……鍛えるか」
正直な話、出来る気がしないと言うのが本音だ。
鍛える。教える。学ばせる。
これらはすべて努力と経験に基づいて、その道の先人たちが行うべきことだ。
俺にはその努力も経験もない。
一足飛ばしに過程を省略して、結果だけを手にしたに過ぎない。
そんな俺が、その程度の俺が、誰かに何かを教えることなんて、まず不可能だ。
「――わかった」
けれど、けれどだ。
それでも俺は、サンの思いに答えたいと思った。
涙ながらの心情の吐露を見たのだ。
なんとかしてやりたいと思うのは当然で、幸いにもやりようはある。
鍛えるなんて大言壮語も良いところだけれど。
しかし、それでも出来ることはあるはずだ。
「言っておくが、特別なことは出来ないぞ。ひたすら地味で辛いことばっかりになると思う。それでもいいか?」
「――はい! もちろんです! ありがとう御座います!」
組織の仕事がある以上、毎日とは行かない。
今日の放課後にも、組織の仕事が入っている。
だが、空いた時間はサンに費やすとしよう。
幸いにも俺がこうなってから、あまり物欲が湧かないし、やりたいこともない。
いつかサンが自信を持てるようになる、その日まで。根気よく、付き合っていくとしよう。
「先輩!」