アラとイブ
いったい何が起こったのか。
それを解読するには、あまりにも時間が足りない。
こちらが答えを導き出すのを、巨人は待っていてくれはしない。
「aAaaAAAAaaaAaaaAAaaaaaAAAAaaaa!」
地の底から這い出てくるような、おぞましい咆吼が轟く。
周囲、巨人が踏み砕いた道路を挟むようにして列を成す建築物から、音波に耐えきれなかったガラスが散る。
声量だけでモノを破壊する頂上生物。
あれの攻撃を受けて、まだ生きている自分が信じられなかった。
そして、巨人の次なる一撃は振り下ろされる。
それは斧による攻撃。ただし、向けられたのは刃ではなく、それを構成する側面。刃によって打ち砕かれた瓦礫が、側面によって打ち放たれる。
突風を伴い、瓦礫は散弾のごとくはじけ飛んだ。
「――ッ」
だが、これも当たらない。
隙間なく敷き詰められた瓦礫の弾幕をまえに、身体は無意識に駆動した。
思考がはいる余地はない。ただ無意識に腕は動いた。
いつ握ったかも定かではない、どこから取り出したのかもわからない。ただ当たり前のように握っていた不可思議な刀を携え、飛来するすべてに対応する。
描く軌道は、驚くほど迷いがない。
迫りくる対象に応じて、的確に太刀筋を変えて打ち落としている。時間にして秒に足るか否かという短い時間に、刀は幾度も軌道を描いた。
そうして永遠にも思えた一瞬が過ぎ、最後の瓦礫が迫る。
自身の何倍もあるアスファルトの塊を、この身体はたやすく真っ二つに裂いて見せた。
「なんだってんだ、いったい」
左右を斬り裂かれたアスファルトが過ぎていく。
俺はまだ生きているという事実に、実感が湧かずにいた。
「もしかして――」
いまの動きが出来るなら、回避したんじゃあないか?
ほかならぬ自分の足で、大剣から逃れたんじゃあないのか?
だから、こうしてこの場所に立っていて、瓦礫の散弾も捌いて見せた。
そんな技量を、剣技を、身につけた憶えはない。
けれど、動くのなら、戦えるのなら、勝てるかも知れない。
「よし――」
巨人の次なる一撃が繰り出されるまえに動く。
ひび割れたアスファルトを蹴って駆け抜け、一息に巨人の懐にまで潜り込む。
やはり、そうだ。身体はよく動く。驚くほど速く、正確に。
これなら、殺せる。
そう確信して跳躍し、巨人の胴に向けて刀を振るう。
「――あれ?」
俺はどうして真っ先に戦うことを選んだんだ?
速く、正確によく身体が動くなら、迷わず逃げに徹するべきだった。
なのに、逃走という選択肢が、どうしてすこしも候補に挙がらなかったんだ?
疑問は、されど解けることはない。
そんな暇もなく、振るった太刀筋が巨人を真っ二つに裂いたからだ。刀身を振り抜いて着地するとともに、巨人の半身がずるりと地に落ちた。
周囲には夥しい量の血液が広がり、血河を築く。
「なんなんだよ……いったい」
刀身にべったりとついた、艶めかしい血色。
それから目を逸らすように、虚空を斬って血を払った。
「……異世界人じゃあないよな。このサイズは。知性もなかったし」
この街においても異世界人の殺害は犯罪だ。
まぁ、仮にこの巨人が異世界人だったとしても、正当防衛が成り立つだろう。
危うく挽肉より酷い有様になるところだった。
そして、そうなったのは俺のほうではなく、巨人のほうだった。
握った憶えのない刀を握り、習得した憶えのない剣技を振るっている。
俺はいったい、どうなってしまったんだ。
この胸に穴が空いたような感覚と――この大切なことを忘れてしまったような感覚と、なにか関係があるのだろうか。
「……とりあえず、ここから離れよう」
とにかく、この場にいることが嫌だった。
気味の悪い巨人の死体、それも自分が殺したものだ。
いつもは死んでいるものをただ喰うだけだった。けれど、紛れもなくいま俺は巨人を殺した。生物を、ただの肉塊にした。その事実をまだ受け入れられない。というか、たったいま起こった出来事のほとんどを正しく理解仕切れていない。
誰に急かされた訳でもないけれど。一刻も早くここから離れようと、巨人の死体に背中を向けた。そして、だがその思惑は早くも頓挫したことを知る。
「なんだ? ありゃ。うすい……結界か?」
道路は途中で途切れていた。塞がれていた。
半透明の薄い膜のようなものが、壁のように行き先を阻んでいる。
見上げてみると、同様のものが空を覆い隠していた。
どうやら半球状に展開されていて、俺はその内部にいるらしい。
誰がこんな大規模な結界を。
「――ん?」
いま、結界膜の天井部分に波紋が走ったように見えた。
それは見間違いではないようで、そこから何かが落ちてくる。
比較的ちいさなそれは、隕石のように落下して、近くの地面に衝突した。
「次から次へと……えぇい、今度はなんだ」
乱暴な音をたてて形成されたクレーター。
それに近づいてみると、その中心に落下物と思しきものを確認できた。
「……たまご?」
白い楕円形の物体。
見た目は完全になにかの卵で、その推測を証明するように、それにひびが走る。
内側から破られ、外界を遮断していた殻は崩壊する。
そして、それは孵った。
「――よし、なんとか潜入できた」
雛である。
人語を話す、少女声の雛が孵った。
「誰かの使い魔ってところか」
使い魔を結界に進入させて、外から中の様子を探っているのか。
どうもきな臭くなってきた。そう思っていると、雛の視線がこちらを向く。
「よかった。まだ結界の中に人がいたのか。あいつは! アライブはいまどうしている!?」
「ま、まてまて。いきなり詰め寄るな」
まだ幼い翼で羽ばたき、ものすごい勢いで飛びついてきた。
随分と成長がはやい。
まだ孵ったばかりの雛なのに、もう飛べるのか。
「まず、アライブってのはなんだ」
「淡い緑色の巨人のことだよ。この結界を張ったのも奴の仕業なんだ」
あの巨人の名前はアライブと言うのか。
知能があるようには見えなかったから、個人名という訳ではなさそうだな。
「結界のせいで外から中に干渉できない。通せたのは、この使い魔だけだ」
彼女は、使い魔ごしに話をしているこの少女は、アライブを追っていたらしい。
この結界は、そんな彼女から逃れるためのものだった? 彼女を恐れ、結界を張り、一息を付いたところで俺を見つけた。
なにかに追われている状況なら、いろんな生物が敵に見えたことだろう。
俺を驚異的な存在と認識したのかも知れない。
だから、襲ってきたのかも知れないな。
「はやくアライブを倒さないと被害が広がるばかりだ。だから、情報がほしい。協力してくれ」
「あぁ、そいつは良いけれど。たぶん、もう大丈夫なんじゃないかな」
「どういう意味だ?」
「巨人……アライブだっけ? そいつは俺が斬った。いまじゃアラとイブに別れてるよ」
いや、だが、疑問が残る。
先ほどから疑問だらけだけれど。
アライブが結界を作り出したと言うのなら、奴が死したというのに、なぜ未だに存在できている? 術者が死ねば結界は解かれるはずだ。
脳裏に過ぎる疑問。
それに答えたのは、他ならない雛の使い魔だった。
「まて、いま何て言った? 斬ったのか? 二つに」
「あ、あぁ」
「それだけか?」
「それだけって……」
「二つに斬っただけなら、今すぐ身を隠すんだ」
身を隠せ。
それが意味するのは。
「奴の能力は復元再生。二つに斬ったくらいで――」
その時、視界の明度が一段階さがる。
暗くなる。
まるで太陽が雲に隠れたように。
「死んじゃくれない」
大剣は再び振り下ろされた。
再生し、もとのアライブに戻った巨人によって。