観察眼
人気のない工業区域。
その中でも廃工場が密集する寂れた一角に、記憶の売人はいた。
「あんたが売人って奴か?」
声をかけたその男は、異世界人だった。
人型ではあるが、人間ではない。肌の色が独特な赤褐色で、目が紅く、頭髪も朱い。衣服も例外なく同色で、赤色に取り憑かれているかのようだった。
とても奇妙な格好に映るが、それはこの街以外での価値観だ。
これくらいの人物なら、この街にはいくらでもいる。掃いて捨てるほどだ。
「――客か。どんな記憶がほしい」
売人はもたれ掛かっていた壁から背を離す。
こちらに身体の正面を向けた際、じゃらりと軽くて硬い何かの音がなった。
硬貨の音というよりは、むしろプラスチックのような音の質感だった。
奴の衣服にそれらしい装飾は見えない。
恐らく、腰の後ろにあるケースに入っているモノだろう。
中身に見当はつくけれど、それは一先ず置いておいて、俺は作戦通りの言葉を売人に言った。
「この手でどうしても殴りたい奴がいる」
「なるほど。把握した。すこしまて」
そう言って売人は、後ろ手に何かを探るような仕草を取る。
ここまでは順調だ。うまく客だと偽れている。
だが、いまの売人に隙はない。
いつでも迎撃態勢に移れるようにしている。
客が相手でも油断をしないあたり用心深い。
ここで仕掛けるのは早計だ。機が熟すのを待つとしよう。
しばらくすればミズキも動き出すはずだ。
「こいつを使え。それなりに強い格闘家の記憶だ。ガキの喧嘩ならこれで十分だろう」
そう言って取り出されたのは、一枚のカードだった。
メモリーカード。随分と懐かしい響きだ。
「まずは金が先だ。金額は二万」
「二万か。高いんだか、安いんだか」
「格安だ。たった二万で努力もなく強くなれるんだからな。さぁ、はやく出せ」
たしかに、そう考えると破格な値段と言える。
気に入らない奴を殴るためだと思うと高く感じるけれど。無償で強くなれると考えると破格だ。
用途によって記憶の価値も大幅に上下してしまうと言うのは、世の中の道理と一緒だな。
試験の解答も、誰かの惚れた腫れたも、これくらいの値段がするのだろうか。
「ほら、二万」
財布から紙幣を二枚取り出して、売人に渡した。
あとで組織に請求しよう。
「よし、たしかに。カードだ、受け取れ」
投げ渡されたそれを、空中で掴みとる。
薄くて軽い小型の四角形。赤の単色であり、飾り気のないデザインをしている。
触った質感は、プラスチックに似ている。
奴から発せられた謎の音の正体は、大量のこれか。
しかし、これの中身に他人の記憶が詰まっているとは、とてもじゃあないけれど思えないな。
「用が済んだなら、とっとと帰れ」
「いや、待ってくれ。これ、どう使うんだ?」
本当は知っているけれど、作戦のために知らないふりをした。
ミズキが売人に気取られないよう配置につくまで、まだすこしかかる。
「……知らずに来たのか。日付を誰かから聞いただろう、そいつに聞け」
「噂を聞いただけで、誰かに教えてもらった訳じゃない。それに……そんな友達はいない」
「……まったく」
悪態をつくように呟いて、気怠げに売人は口を開く。
「いいか? そいつは――」
「見つけたぞ!」
それを遮るようにして、予定通りミズキが現れる。
予定通りのタイミング。流石といったところだった。
「チッ、気取られたか。お前らッ」
ミズキという適正存在の出現により、売人は迎撃に入る。
その具体的な内容は、十数人の用心棒と思しき者たちだ。
奴らは速やかにミズキの前に立ちはだかった。
「時間を稼げッ。ガキ、お前はオレと来い」
「え? ちょっ、なんでッ」
腕を掴まれて、引きずられるように、その場をあとにする。
けれど、これも計画通りだ。
「なんで俺まで逃げなくちゃならないんだよッ」
「お前は、まだ顔を見られていない。いまお前からオレの記憶を抜けば足は付かない。せっかく仕込んだ日付の記憶も無駄にならない。だから、大人しく従え」
「あぁ、くそッ。なんでこんなことに」
こうなることは、予想できていた。
売人の手法は狡猾で、ことが露見しにくいものだ。けれど、その反面、一度でも尻尾を掴めば芋づる式に情報が出てくる。
俺をこのまま帰せば、俺の周囲にいる人間を調べ上げられる。
そうすれば利用者に仕込んでおいた出現位置の日付がすべて筒抜けとなる。
それでは、もうこの区域での商売は成り立たない。
また一からのまったく別の場所から出直しになる。
それは売人とて避けたいはず。
だから、こうなることは予想できていた。
ミズキの出現によって焦った売人が、俺の記憶を――あるは存在自体を抹消しようとすることを。
「ここに入れッ」
振り回され、投げ飛ばされるように、俺はある廃工場に連れ込まれた。
ようやく掴まれていた腕を解放され、広く寂れた空間の中心にまで躍り出る。
「記憶を抜くって言ってたけど、どうやるんだ? やるなら、さっさとやってくれ」
廃工場の入り口を閉めた売人に、そう声をかける。
本当に記憶を抜かれる訳にはいかないので、近づいてきたところを拘束しよう。
そう思っていたのだけれど。売人は、なぜかこちらに近づいてこない。
「下手な演技はもう止めにしろ」
「……なんの話だ?」
「惚けるな。危うく騙されるところだったが、ここにくる途中で気がついた。お前、ただのガキじゃあないな。身のこなしが、所作が、ほかとは一線を画している」
身のこなし、所作。
判断材料が、組織のボスと類似する。
目の前にいるこの売人が、ボスと同じだけの時を生きているとは思えない。
だとすれば、考えられるのは一つ。
奴は自身に達人の記憶を入れている。それも複数だ。
他人の記憶を奪い、経験を水増ししている。
その結果、エルフであるボスの観察眼には及ばないが、実質的に肉薄することができ、俺の正体を見破るまでにいたった。
相当な手練れと思って対処したほうがいい。
「わかっていて、ここに誘い込んだってことは」
「あぁ、そうだ。お前は危険だ。今まで見てきた――記憶に出てきた何よりもな。俺じゃない俺たちが、頭の中でがんがん警鐘を鳴らして、うるせぇんだよ。お前を殺せって、わめき散らしてんだよォッ!」
他人の記憶を入れすぎて自我が崩壊しかかっているのか?
先ほどまで、そんな素振りは一度も見せなかった。だが、危機に晒されて、危ういバランスで成り立っていた心の均衡が崩れたのだろう。
危険の原因を取り除くまで、恐らくはもとに戻らない。
このまま逃げるという選択肢も、もはや奴の中にはないのだろう。
「野郎ども! こいつを叩き潰せ!」
ここに誘い込んだのは奴だ。
なら、この場所にも何らかの迎撃手段があって当然の道理。わらわらと用心棒たちが現れる。
ざっと数えても五十人はいそうだ。
これをすべて相手にしつつ、あの売人と戦わなくてはならない。
これはすこし、骨が折れるな。
「――起源武装」
魔術を発動し、刀を握る。
知性のある異世界人を斬るのは、気が引けるけれど。けれど、そんな綺麗ごとを言っていられる状況じゃあない。
なるべく加減はするが、それで命を失っても文句は受け付けない。
正当防衛だ。過剰防衛とは、言わせない。
「ぶっ殺せッ!」
四方八方から用心棒が波のように押し寄せてくる。
それに対して、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせ、それから刀の柄を握り直した。
準備は万端。いつでも反撃できる。
自分を一番いい状態にし、目前に迫った用心棒に刀を振るう。
第一刀は鮮やかな曲線を描き、先鋒たる異世界人を斬り伏せた。




