↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【Web版】無華の花嫁3~秘めた力を狙われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される~  作者: 木風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/38

第一話 初めて見る白①

 暁臣様のお邸の中でも、数少ない和室に足を踏み入れる。

 畳の青い匂いと、きゅっと張った空気。

 いつ来ても背筋が勝手に伸びてしまう。

 ここは——お着物の仕立てをお願いするときにだけ、開かれるお部屋。


 いつもなら、部屋いっぱいに反物が並ぶ。

 季節をそのまま写し取ったような色が折り重なって、目が追いつかないほど鮮やかで。

 袖をすべらせるたび、絹が小さく鳴る音まで、どこか浮き立つ。


 けれど、この日だけは違った。


 窓から差し込む柔らかな陽光を受けて、白、白、白——。

 あまりに眩い純白の連なりに、一瞬、視界が白く塗り潰されたような錯覚に陥る。

 息を吸ったのに、胸が追いつかない。


「……暁臣様……これは……?」

「すみれが婚儀で着る、白無垢の反物だ」


 声が掠れた。喉が、やけに乾く。

『婚儀』という言葉が耳に触れた瞬間、心臓が跳ねた。

 熱が頬へ、首筋へ、一気に駆け上がる。


『俺たちの、婚儀の日取りが決まった』


 秋に婚儀を執り行うと伺ったのは、新年の祝賀会が終わったつい先日のことだった。

 まだ半年以上も先の出来事のはず。なのに、もう——こんなにも早く、現実が形を持って押し寄せてくる。


 この世界では、人は生まれながらに『華の加護』と『異能』を宿して産声を上げる。

 牡丹や菊は勇猛な武家に多く、桜や藤は芸や学問に秀でた者に好んで現れる。

 中でも薔薇の『華』は希少で、黒を帯びたそれは皇族の血を引く者にしか現れない、至高の証。


 目の前で静かに佇む五条家嫡男、暁臣様。

 この国の頂点に近い『王華』——『黒薔薇』という唯一無二の『異能』を宿す人。

 その強すぎる力ゆえ、かつては誰とも触れ合うことすら叶わなかった。


 そして、私は。

 誰しもが持つはずの華を持たずに生まれた、『無華』。


 その証として、左右で色が違う焦げ茶と紫の瞳を持っている。

 亡き生母は死の間際まで私のこの瞳を『不吉だ』と恐れた。

 のちにやってきた継母と妹は、私を透明な存在として扱い、当たり前のように虐げ続けた。


 あの日まで、蔵の中でひっそりと、泥に埋もれるように消えていくのだと信じて疑わなかった。

 ——私の人生は、そこまでだと。


 それなのに。


 暁臣様の温かさに触れ、その隣に立つことを許された。

 婚約が決まったというだけでも、まだ頬をつねりたくなるような夢心地の中にいるというのに。

 具体的な日取りが決まったことで、いよいよ『結婚』という現実が、重みを持って私へ落ちてくる。


 幸せなはずなのに、私を置き去りにしてすべてが決まっていく感覚に、言いようのない畏怖が混じる。

 この白に、私は染まってもよいのだろうか。

 指先が、袖の中で小さく強張った。


「花菱屋でございます。この度はご婚儀の決定、誠におめでとうございます。一生に一度のめでたき日のご衣裳をお任せいただけますこと、職人一同、心より光栄に存じます」


 暁臣様が御贔屓にされている呉服店の主人が、恭しく頭を下げる。

 その言葉が部屋に落ちて、白の中へ吸い込まれていくみたいだった。


 これまでも暁臣様は、私に分不相応なほど美しい衣を何度も用意してくださった。

 けれど、この白無垢の反物は——それらとは『格』が違う。

 視線だけで、もう息が詰まる。


 ただの純白ではない。

 顔を近づければ、極細の糸で紡がれた鶴の羽ばたきや、咲き誇る花々の刺繍が、生地の凹凸となって浮かび上がっている。

 光の角度で、白の中に白が揺れる。静かなのに、圧倒される。


 美しいという言葉では足りない。

 そこには、職人の執念に近いほどの研鑽と、祈りにも似た真摯な想いが込められているのが分かる。

 ——この白は、祝福そのものだ。


『無華』で、何の色も持たない私なんかが。

 こんなにも神聖な『白』に触れることが許されるのだろうか。

 汚してしまわないか、指を伸ばすことすら躊躇われて、呼吸だけが浅くなる。


「どれもすみれに似合う……たった一日しか着せられないのが、惜しいほどだ」


 暁臣様の声は低く、淡々としているのに。

 その一言だけで、胸の奥がじんと熱くなった。


「……私、」と言いかけて、言葉がほどけた。

 見上げると、暁臣様の視線がまっすぐこちらに落ちている。

 逃げ場がないのに、怖くない。


 …たった一日?

 その一日のために、こんな美しい反物を使って、私なんかが着る白無垢を作るだなんて。

 胸の奥がふわりと浮いて、同時に、底へ沈む。

 喜びと怖さが、同じ所で絡まるみたいに。


「殿下の仰る通りです。すみれ様の透き通るような佇まいであれば、白無垢のほうが霞んでしまうのではないかと案じておりますよ」


 花菱屋の主人の言葉に、私は慌てて首を振った。

 否定の動きが大きくなりすぎて、髪が肩に触れてはらりと落ちる。


 そんなはずはない。

 きっと、馬子にも衣裳。白の輝きに、私の存在が飲み込まれてしまうだけだ。

 ——私が白をまとうのではなく、白に呑まれる。

 そんな気がする。


 それでも。

 心の奥底では、暁臣様との婚儀が楽しみで、胸が震えるほど嬉しく思っている自分もいる。

 恐怖よりも、彼の一部になれる喜びが、ほんの少しだけ上回ってしまうのだ。

 ほんの半年前の私なら、ただ恐縮して縮こまっていたはずなのに。


 暁臣様のそばにいるだけで、私は少しずつ、自分の心に素直になることを覚え始めていた。

 ……嬉しいと、言ってもいいのだと。期待しても、罰は当たらないのだと。


「す、すみません……どれも本当に美しすぎて……。私には、とても選べそうにありません……」


 言い終えた途端、息が抜けた。

 みっともないほど弱い声だった気がして、唇を噛む。

 困り果てて絞り出すと、花菱屋の方が少しだけ困ったような微笑みを浮かべた。


「恐れ入ります。ですが、すみれ様。婚儀の白無垢は、お身体に合わせて誂える最高の一着でなければなりませんゆえ……」


 分かっている。分かっているのに。

 どの白を見ても、それが自分を否定しているような、あるいは試しているような気がして、伸ばしかけた指先が止まってしまう。

 選ぶということは、白に触れるということ。

 触れるということは、私がここにいていいと認めること。

 ——そんな資格が、本当に私にあるのだろうか。


「……すみれ」


 暁臣様が、私の名を呼ぶ。

 甘やかすでも、急かすでもない。

 深い森の奥で響く水音のような、どこまでも穏やかで、私を肯定してくれる声。

 その音に引かれるように、固まっていた肩の力が少しだけほどける。


「迷うなら、俺が選んでも構わないか?」

「え……はい、ぜひ、お願いしてもよろしいでしょうか」


 すがるような思いで顔を上げると、暁臣様は反物の列に視線を向けた。

 それは、私を想う熱を帯びた、不思議な視線だった。

 視線が動くたびに、白がわずかに表情を変える。光が、息をするみたいに揺れる。


「花菱屋。すみれの肌に最も映える白は、どれだ」

「はい。僭越ながら——わたくしの見立てでは、こちらでございます」


 主人が恭しく差し出したのは、先ほどまでの雪のような白とはわずかに異なる、柔らかな色味の反物。

 青みのない、温かな真珠の光を内側に閉じ込めたような。

 闇夜を優しく照らす月の光をそのまま布にしたような、静かな白だった。

 目が離せない。怖いのに、見てしまう。


「……これが、私に……?」

「そうだな。きっと似合う」


 喉の奥がきゅっと縮む。

 自分の名前を呼ばれたみたいに、その白がこちらを見返してくる気がした。

 暁臣様は短く応じ、手袋越しにそっと反物へ指を這わせた。

 厚みのある絹の生地は、ひやりとしていながら、暁臣様の視線があるせいか不思議と冷たくは感じなかった。

 むしろ、そこだけ温度がある。

 手袋越しでも伝わるほど、丁寧に扱ってくださっているのが分かる。


「白は、強い色だ。他の何にも染まらず、すべてを撥ね除ける。この白は、お前を消すためのものじゃない。——すみれ、お前を守るための白を選べ」


 守る。

 その言葉が、すとんと胸の空洞に落ちた。

 そうだ。暁臣様はいつだって、私が私であることを守ろうとしてくださる。

 誰かに塗り潰されないように。消えないように。


「暁臣様……」

「俺が見たいのは、衣裳の出来栄えではない……これを纏って俺の前に立つ、花嫁のすみれだ」


 声が震えたのは、怖さじゃない。胸の奥が熱くて、言葉が追いつかない。

 不意に、暁臣様の瞳に宿る熱が色濃くなった気がして、心臓の音が耳元まで届くほどに高鳴った。

 視線を逸らしたいのに、逸らせない。逃げる場所がないのに、嫌じゃない。

 花菱屋の主人が、二人の空気に当てられたのか、ほんの少しだけ目を細めて微笑む。


「承知いたしました。では、こちらの白を基調に。鶴の刺繍はあえて控えめに——けれど、お隣へ近づいた者にだけその精緻さが伝わるよう、気品をもって仕立てさせていただきます」


 その言葉を背中で聞きながら、私はもう、反物から目を離すことができない。

 白が怖い。けれど、暁臣様の言葉が、私の中の怖さを一枚ずつ剥がしていく。


 あんなに怖かったはずの白。

 けれど、暁臣様が『これだ』と指し示してくれた瞬間、その白は、私を温かく包み込んでくれる盾のように見えた。

 盾の向こうに、私は——ようやく、立ってもいい場所を見つけた気がした。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『無華の花嫁』発売中
無華の花嫁
~華の加護なき無能な少女は、黒薔薇の殿下に愛される~
和風シンデレラ/異能恋愛/黒薔薇の殿下/虐げられ令嬢/救済&溺愛
本作品の文章・タイトル・設定等の無断転載、無断複製、生成AIへの入力および学習利用を禁じます。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。