「宿命結社の笑う男」
峡谷の奥へ進むごとに、風の泣き声は大きくなり、やがて人の声にも似た不気味な笑い声に変わっていった。
「この音……気持ち悪い」
セレナが耳をふさぐ。
「気をつけろ。多分、もう近い」
俺は右手に意識を集中させ、【門番】の力を呼び起こした。すると手のひらに光の小さな盾が出現する。まだ完全には使いこなせないが、ガイアがあれだけの大盾を操っていたことを思えば、防御に特化した使命だとわかる。
通路が急に開けた。
そこは巨大な空洞だった。天井には無数の鍾乳石が牙のように垂れ下がり、壁面には古い壁画がびっしりと描かれている。星を手にする人々、巨大な樹、そして何かを継承する儀式のような場面。
空洞の中央に、石造りの祠があった。その頂上で、青白い光が脈打っている。星の欠片だ。
「あった……!」
「でも、誰もいない?」
セレナが一歩踏み出そうとした瞬間、俺は彼女の肩をつかんで後ろに引いた。
「待て」
勘だった。違和感があった。あれだけの守護者を配していたのに、祠が無防備なはずがない。
パチ、パチ、パチ。
頭上から拍手の音が降ってきた。
「ほう。ガイアを破っただけのことはある。なかなか感が鋭いじゃないか」
声の主は、鍾乳石の一本に腰掛けていた。
年の頃は二十代半ば。黒い長髪をオールバックに撫でつけ、白いスーツを着崩した男。口元には常に笑みを貼り付けているのに、目だけは爬虫類のように冷たい。
そして彼の胸に輝く文字を見て、俺は息を呑んだ。
【簒奪者】
「お前がもう一人の守護者か」
「守護者? はは、違うね。俺はただの趣味人だよ。名前はアズール。宿命結社の“笑う男”と呼ばれている。よろしく、無使命者の少年」
アズールと名乗った男は軽やかに鍾乳石から飛び降り、音もなく着地した。
「俺のことを知ってるのか」
「もちろん。君のお母さんには世話になったからね」
「母さんを……知ってるのか?」
「知ってるも何も、君の母親はかつて我々宿命結社の創設メンバーの一人だったんだよ。そして裏切った。星の図書館にたどり着くための鍵を、たった一人で全部集めようとしたんだ。自分の息子に託すためにね」
頭が真っ白になった。
母が宿命結社の創設メンバー? 裏切った?
「嘘だ……」
「嘘だと思うなら、祠まで来るといい。君のお母さんの最後の遺言が、欠片と一緒に封印されている。俺は別に止めやしないよ」
アズールは芝居がかった仕草で祠への道を指し示した。
「どういうつもりだ」
「簡単だよ。君の力を試したい。君が俺たちの敵になる価値があるかどうか、この場で確かめさせてもらおうじゃないか」
アズールが右手をかざす。すると彼の手のひらから黒い光が溢れ出し、それは蛇の形をとって俺たちに襲いかかってきた。
「セレナ、下がってろ!」
俺は【門番】の盾を全面展開した。光の盾が蛇を受け止め、黒い光を弾き散らす。でも、一匹だけじゃない。二匹、三匹と蛇は増え、俺の盾をすり抜けようと地面を這いずり回る。
「いいねえ、ガイアの使命を継承したのか。でもね、防御だけじゃ俺は倒せないよ」
アズールが指を鳴らした瞬間、俺の体に異変が起きた。
胸が焼けるように熱い。【継承者】の文字が激しく明滅し、その下にある【門番】のストック表示がぐにゃりと歪む。光の盾が一瞬で消滅し、蛇たちが俺の手足に絡みついた。
「な……にを……!」
「俺の使命【簒奪者】はね、他人が持つ“継承した使命”を強制的に簒奪する力だ。無使命者といえども、今は継承した使命に依存している。だったら、奪ってしまえばただの無力な少年だ」
アズールが嗤う。
「カイ!」
セレナが駆け寄ろうとするが、黒い蛇が彼女の足を止める。
「心配しなくても、王女さまには手を出さないよ。君は使命を失った今、ただの小娘だからね。興味がない」
くそ……力が抜ける。継承した【王】も【門番】も、感触が完全に消えていた。胸の【継承者】の文字もかすかに点滅しているだけだ。
「君のお母さんもね、こうやって追い詰めたんだよ。でも彼女は最後の最後で、俺たちの予想を超えることをした。自分の使命を、生まれたばかりの息子に託したんだ」
「なに……?」
「君が無使命者なんじゃない。君の本当の使命は【継承者】。それは君が生まれつき持っていたものじゃない。母親が自分を犠牲にして君に与えた、世界でたった一つの人工使命だ」
嘘だ。
俺は生まれつき使命がなかっただけだ。忌み子で、疫病神で、だから村を追われて──。
「違う……俺は使命なんて持ってなかった……持てなかったんだ……!」
「いいや。君の母親は、君を“自由”にするために、あらゆる使命を継承できる【継承者】を君に埋め込んだ。君は世界で唯一、使命に縛られない存在として生まれ変わったんだ。そして母親は、その代償として消滅した」
アズールの言葉が頭の中で反響する。
母さんが俺に使命をくれた? 自由になるために? 自分を犠牲にして?
「なんで……そんなことを……!」
「知りたいなら、欠片に触れろ。そこに全て記録されている。ただし、それを持ち帰れるかどうかは、君次第だ」
アズールが構えた。彼の周囲に黒い光が渦を巻き、無数の蛇が形をとる。今度は防御の盾もない。
「カイ、逃げて!」
セレナが叫ぶ。でも俺は足を動かせなかった。違う。動かないんじゃない。動かないんじゃなくて、まだ終わってない。
(俺は……無使命者なんかじゃなかった)
(母さんがくれた使命だっていうなら)
(だったら、これは俺のものだ。誰にも奪わせない)
「継承……発動……!」
叫んだ瞬間、ペンダントが爆発的な光を放った。胸の【継承者】の文字が完全に復活し、それどころか今まで見えなかった文字が新たに浮かび上がる。
【継承者(真性覚醒)】
同時に、アズールが簒奪したはずの【王】と【門番】の力が、光の粒子となって彼の手から溢れ出し、俺の胸に戻っていく。
「なに!? 簒奪した使命が……戻るだと!?」
「悪いな。俺の使命は奪えない。俺自身が、“継承”そのものだからだ」
母さんがくれた使命。それは使命を奪われるためのものじゃない。使命を解放し、次へ継いでいくためのものだ。
俺は立ち上がる。右手に【王】の剣、左手に【門番】の盾。二つの使命が同時に輝き、共鳴する。
「今まで一人一つの使命って思い込んでたけど、そんなルールはないんだな。俺が継承した分だけ、全部使える」
「ありえない……そんなの、使命制度の根幹を揺るがす力じゃないか!」
「ああ。だからこそ、お前たち宿命結社は俺を狙うんだろ?」
俺はアズールに向かって駆け出した。黒い蛇が群れをなして襲いかかってくるが、【門番】の盾がそれらをまとめて弾き飛ばす。そして、【王】の剣が真っすぐにアズールの胸を狙う。
「舐めるなよ小僧!」
アズールが両手を交差させ、黒い光の壁を作る。でも、それで止まる俺じゃない。
「セレナ!」
「え?」
「お前はもう王女じゃない。でも、誰かのために何かをしたいって思った時、それがお前自身の力だ。今、俺に力を貸してくれ。命令じゃない、頼みだ」
セレナは一瞬驚いた顔をして、それから力強くうなずいた。
「……うん! 私、カイの力になりたい!」
彼女が両手を胸の前で組む。使命はもうない。でも、彼女の意志が光となり、俺の【王】の剣に吸い込まれていく。剣が一回り大きく輝きを増した。
「これが……仲間の力か!」
「ふざけるなああああ!」
アズールの黒い壁を、【王】の剣が粉砕した。衝撃波が空洞全体を揺らし、鍾乳石が次々に落下する。
アズールは吹き飛ばされ、壁に激突した。白いスーツはボロボロに裂け、彼の胸の【簒奪者】の文字が不安定に明滅している。
「……ありえない……俺が……負けるだと……?」
「悪く思うな。俺はお前みたいに使命を奪うための力なんて持ってない。ただ、誰かの使命を継いで、一緒に戦うだけだ」
アズールはなおも何かを言おうとして、結局笑った。
「は……はは……君は面白いよ、無使命者改め継承者くん。今日のところは退くけど、覚えておけ。宿命結社は君を絶対に放置しない。君のその力こそ、我々が最も恐れ、最も欲しているものだからね」
そう言い残し、彼の体は黒い光に包まれて消えていった。
静寂が戻る。
「……行ったみたいだな」
「カイ、大丈夫?」
「ああ、なんとか」
俺はへたり込んだ。さすがに二つの使命の同時使用は疲労が大きい。セレナが慌てて駆け寄り、俺の肩を支えてくれた。
「立てる?」
「少し休ませてくれ。それより、あいつの言ってたこと……」
「お母さんのこと?」
「ああ。確かめないと」
俺はよろよろと立ち上がり、祠へ歩み寄った。頂上で青白く輝く星の欠片。手を伸ばすと、それはするりと俺の手のひらに収まった。あたたかい。
【星の欠片:1/7を取得しました】
すると、欠片の中から光が溢れ出し、空洞の壁に巨大な映像を映し出した。
そこに映っていたのは、若い女性。俺と同じ黒髪で、優しい目をしていた。
『カイ。あなたがこれを見ているということは、私はもういないのでしょう』
「母さん……!」
映像の中の母は、少し悲しそうに微笑んだ。
『あなたに【継承者】の使命を託したのは、私のわがままです。本当は使命なんてないまま、自由に生きてほしかった。でも、この世界では無使命のままでは、いつか必ず宿命結社に使命を埋め込まれてしまう。だから私は、あえて“すべてを継承できる使命”をあなたに与えました』
「なんで……そんなことを……」
『宿命結社はね、使命制度を利用して世界を支配しようとしているの。彼らは星の図書館にある“世界の使命台帳”を手に入れて、全ての人間の使命を自由に書き換えようとしている。そんなことが起これば、人々は永遠に彼らの奴隷になる』
母はまっすぐにこちらを見つめた。まるで時を超えて、今ここにいる俺の目を見ているかのように。
『カイ。あなたは私の息子だからという理由だけで、この戦いに巻き込んでしまってごめんなさい。でもお願い。星の図書館にたどり着いて。そして、使命台帳を破壊するか、それとも──全ての人を使命から解放してほしい』
映像が揺らぎ、最後の言葉が響く。
『あなたならできる。だってあなたは、私の自慢の息子だから』
光が消えた。祠はただの石造りの台座に戻り、欠片だけが俺の手の中で静かに輝いている。
涙がこぼれた。自分でも理由がわからない。悲しいのか嬉しいのか、それとも怒っているのか。
「カイ……」
セレナがそっと俺の背中に手を置いてくれた。
「……俺さ。ずっと思ってたんだ。自分は何の価値もない、ただの忌み子だって。でも違ったんだな。母さんが、命をかけて俺に使命をくれたんだ」
「うん」
「そして、俺だけの使命じゃない。今はセレナの【王】も、ガイアの【門番】も俺の中にある。全部、意味があるんだ。この使命を集めて、いつか星の図書館で全部を解放するために」
俺は涙をぬぐい、欠片をペンダントにはめ込んだ。青白い光がペンダント全体を満たし、新たな方角を示す。南東。次の欠片の場所だ。
「行こう、セレナ」
「うん。どこまでも一緒だよ」
「次の欠片は海の街にあるらしい。それから、新たな仲間もきっと見つかる」
俺は祠を背に、空洞の出口へ向かう。背後の壁画には、星を手にした人々が何かを継承し合う姿が永遠に刻まれている。それはまるで、今の俺たちを見守っているかのようだった。
【継承使命ストック:王(2/3)/門番(2/3)】
【次の欠片の反応:南東、距離約200km】
【新たな仲間の気配:検出中……】
世界を変える旅は、まだ始まったばかりだ。
【第3話 了】




