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第2話 「哭哭峡谷の守護者」

ペンダントの光が指し示す方角へ歩き続けて三日。


セレナは驚くほど健脚だった。王女だった頃は馬車しか乗ったことがないと言うので心配したけど、使命【王】から解放された喜びが彼女の足を軽くしているようだった。


「ねえカイ、哭哭峡谷ってどんな場所なの?」


「さあな。俺も村で聞いた噂話くらいだ。入り口に一人の守護者がいて、その試練を越えた者だけが峡谷の祠に辿り着けるらしい」


「守護者……その人もやっぱり、使命に縛られてるのかな」

「多分な」


荒野の風景は少しずつ変わり、やがて地面に深い亀裂が走り始めた。亀裂は大きくなり、やがて両側に切り立った崖がそびえる細い峡谷へと変わる。風が岩の隙間を抜けるたびに、まるで誰かがすすり泣くような音が響く。哭哭峡谷の名の由来だ。


「この先……何かいる」

セレナが足を止めた。峡谷の奥、陽の光が届かない闇の中に、巨大な鉄の門がそびえている。そしてその門の前に、一人の男が立っていた。


年の頃は三十代半ばだろうか。ぼろぼろの外套をまとい、手には身の丈ほどの大盾を持っている。無精ひげに覆われた顔は疲れ切っているのに、目だけが異様な光を放っていた。


「……ここから先は、通さない」


男の声は低く、空洞に響くようだった。そして彼の胸元が光り、文字が浮かび上がる──【門番】。


「あなたが守護者ね。俺たちは星の欠片を探している。ここを通してほしい」


「できない」


男は首を振った。その動作は機械的で、まるで自分の意思ではないかのようだった。

「俺の使命は【門番】。この門を守ること。通そうと思っただけで、体が引き裂かれるように痛む。すまないが、俺はお前たちと戦うしかない」


「待ってくれ! 俺は──」


言い終わる前に、男が大盾を構えて突進してきた。


とっさにセレナを突き飛ばし、俺は横に跳ぶ。さっきまで俺が立っていた場所を、盾の打撃が通り過ぎて岩壁を砕いた。ただの盾じゃない。使命の力で強化された一撃だ。


「カイ!」


「大丈夫だ!」

男の動きは素早い。でも、どこかぎこちない。まるで自分の体を無理やり動かしているような違和感があった。


「お前……本当は戦いたくないんじゃないか?」


「……黙れ」


「戦いたくないのに戦わされてるんだろ! その使命のせいで!」


「黙れと言っている!」


男の叫びと同時に、盾が光を放つ。次の瞬間、無数の光の破片が弾丸のように飛んできた。避けきれない──。

「継承発動!」


俺は叫んだ。胸の【継承者】が輝き、ストックしてある【王】の力を解放する。右手に光の剣が出現し、飛来する光の破片を次々に打ち落とした。


「なんだ、その力は……!」


男が目を見開く。


「俺は無使命者だ。でも、他人の使命を継承して使うことができる」


「無使命者……まさか、伝説の……」


「伝説?」

男は盾を下ろさないまま、苦しげに言葉を絞り出した。


「俺の祖父が言っていた。使命を持たずに生まれた者は、すべての使命の鎖を断ち切ることができる。世界を変えられるのは、無使命者だけだと……」


「だったら──」


「でも俺には関係ない!」


突然、男は自分の胸を掻きむしった。【門番】の文字が不気味に脈打ち、彼の体を無理やり動かそうとしているのが見て取れた。


「俺は……二十年前、ただの農夫だった。静かに畑を耕して、家族と暮らしていた。なのに突然、使命が変わったんだ。【門番】に。それ以来、誰かが俺の使命を書き換えたんだ……俺をここに縛りつけるために……!」

「使命を書き換えただって……?」


そんなことができるのか。いや、できるとしたら──星の図書館か。


「妻も娘も、もう覚えていない。家族の顔も名前も、使命に消された。残っているのは【門番】としての義務だけだ。これが……俺の人生だ。奪われたんだ、すべて……」


男の目から涙がこぼれた。


俺は決意した。


「セレナ」


「何?」


「お前、この人が村にいたらどうしてた? 王として」

セレナは一瞬驚いた顔をした。でもすぐに、穏やかな微笑みを浮かべた。


「……私は命令なんてしない。ただ、休んでくださいって言ってあげたかった」


「十分だ」


俺は剣を消し、両手を広げて男に向かって歩き出した。


「何を……やめろ、俺はお前を殺すことになる!」


「やってみろよ」


「なに……?」

男の盾が震える。使命が彼に攻撃を命じているのに、彼の心が必死に抵抗しているのが伝わってきた。


「俺は無使命者だ。お前の使命がなんだろうと、俺には関係ない。でもな、俺にはお前の痛みがわかる。生まれつき何も持ってなかった俺が言うんだ。人生を奪われる辛さは、誰よりも知ってる」


「……!」


「だから、お前の使命を俺に渡せ。継承する。全部引き受けてやる」


「できるのか……そんなことが……」


「できるかどうかじゃない。やるんだ」


俺は男の胸に手をかざした。ペンダントが激しく輝き、頭の中に声が響く。


【継承可能な使命を検出しました:『門番』(変異型/強制書換痕あり)】

【警告:変異型使命には未知の干渉が含まれています。継承しますか?】

「するに決まってる」


瞬間、男の胸の【門番】の文字が弾けるように消えた。光の粒子が俺の胸に吸い込まれ、そして文字が浮かび上がる──【継承者】。その下に、新たな輝きが加わった。【門番(継承済/変異解除)】。


男はその場に崩れ落ちた。肩で荒い息をしながら、呆然と自分の両手を見つめている。


「痛みが……消えた……?」


「ああ。お前の使命は俺が継承した。もう【門番】じゃない」


「俺は……」


男は声を詰まらせ、それから子どものように泣き出した。二十年ぶりに自由になった男の慟哭が、哭哭峡谷にこだまする。

しばらくして、男──ガイアと名乗った彼は、静かに立ち上がった。


「ありがとう。何と言っていいか……言葉が見つからない」


「気にしなくていい。それより、聞きたいことがある。誰がお前の使命を書き換えたか、心当たりは?」


ガイアの顔に影が差す。


「……『宿命結社』だ。使命を自在に書き換える力を持つ組織。奴らは星の図書館の鍵である欠片を独占しようとしている。俺は奴らに使われて、この門を守らされていただけだ」


「やっぱりな」

「気をつけろ。この峡谷の奥、祠に欠片はある。でも、もう一人、別の守護者がいる。奴は──自らの意思で宿命結社に従っている。使命に縛られているんじゃない。自ら望んで、使命の鎖を他人にかけることを楽しんでいるような男だ」


「そいつが、欠片を守ってるのか」


「ああ。俺は奴に負けて、門番に変えられた。次はお前たちが狙われるかもしれない」


セレナが不安げに俺の袖をつかんだ。


「カイ……どうする?」


「決まってる。行くぞ」

「でも、危険なんじゃ……」


「セレナ。俺たちは星の図書館を目指してるんだ。ここで立ち止まるわけにはいかない。それに」


俺は拳を握る。新しい力【門番】の感覚が体の中に渦巻いている。


「誰かの使命を奪って笑ってる奴がいるなら、そいつは俺が許さない」


ガイアがゆっくりと立ち上がり、俺たちに背を向けて峡谷の入り口へ歩き出した。


「どこへ行くんだ?」


「村へ……いや、わからない。でも、まずは自分が誰だったか思い出す旅をしようと思う。妻の名前、娘の顔……少しでも欠片が残っているなら、探したい」


それがいい、と俺は思った。

「ガイア、いつかまた会おう」


「ああ。お前が世界を変えた時、その世界でまた会おう」


彼は振り返らずに手を振り、哭哭峡谷の闇の向こうへ消えていった。


「いい人だったね」


「ああ。こんな人を道具みたいに使う連中がいるんだ。絶対に許せない」


ペンダントの光がさらに強くなり、峡谷の奥を指し示している。


「行こう、セレナ。祠はもう近い」


「うん」

俺たちは鉄の門をくぐり、峡谷のさらに深くへと足を進めた。風の泣き声がますます大きくなる。その向こうで、何かが俺たちを待っている気配がした。


そして俺の胸の中では、【門番】の新たな力が静かに輝いている。


【継承使命ストック:王(1/3)/門番(1/3)】

【次の欠片の反応:距離約500m】


試練はまだ始まったばかりだ。宿命結社、使命を書き換える力、そして僕の母親が残した真実。


すべての答えは、この峡谷の先にある。


【第2話 了】

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