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告げて、はじまり  作者: 冬野ふゆぎり
おまけ: 傍に、いるから
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夢じゃ、ないから

 何故かは自分でも未だに分からないのだが、こと恋愛に関しては、僕は妙に『夢見がち』なのだと、父や母や従兄弟、そして友達や先輩後輩、果ては元カノに至るまで、誰彼なく異口同音なまでにそう言われることが多かった。

 確かに思い返してみれば、告白するのはやっぱり誰もいない屋上だよね!と意気込んでみたら天文部が実験の真っ最中だったり、学校の行き帰りは手を繋いで帰りたいなあ、と思っていたら、僕は陸上部で練習三昧だし、おまけに彼女は帰宅部でチャリ通、という、どう転んでも重なるところがない行動半径であることに気付いてショックを受けたり、女子の部屋は必ずいい匂いのする綺麗なもの、だという幻想を見事に打ち砕かれたりするたびに、そろそろ現実と折り合いつけようぜ、などと、長い付き合いの幼馴染から、諭されるように肩を叩かれたりしたものだ。

 だから、彼女に一目惚れしてしまったことを周囲に勘付かれた時には(母曰く、乙女か!って感じのぽーっと加減だからすぐ分かる、そうだ)、またこれは難易度の高そうな相手を、と半ば憐れみに満ちた視線が四方から突き刺さってきて、さすがにへこんだりもしたが、数々の失意を乗り越えてきた今、やっと、理想そのもの、と言っても過言ではないひとを見出せたのではないか、などと、日々しみじみと実感したりするわけで。

 「樋口くん、バターって何個だっけ」

 「あ、今日は900gですから、二個で丁度ですね」

 十月、神無月。まだ秋を惜しむほどには寒くもなく、けれど、傾く日の速さに驚いて、追うようにそれを見上げれば、高く清々しいまでの青がどこまでも広がる、そんな季節。

 既に毎月の恒例になってしまった、クッキー作りの買い出しにやってきたスーパーの、見慣れた乳製品売り場の前で、僕は手元のメモを見ながらそう応じていた。

 「分かった。それにしても、先月よりまた値段上がってるなあ……」

 不満げにそう呟きながらも、シルバーの包装に濃いブルーでメーカーのロゴが記されたそれを、ためらいなく二つ掴んでしまうと、僕の手にしている籠の中にそっと入れてくる。業務用だけに、一つが450gもあるから、一気に増す重量とのバランスを取るように並べて置くと、よし、とでもいうように小さく頷く仕草が、ちょっと可愛くて。

 おまけに、間近でさらりと揺れるブラウンの髪からはふんわりと甘い香りが漂ってきて、今はバレッタでハーフアップにしているから、耳を出している姿も、なんだか新鮮で。

 と、ひたすらにじっと見つめているこちらの視線に気付いたのか、軽く眉を寄せた支倉さんは、僕の手にしているメモに向けて、唐突に手を伸ばしてきた。

 「あ、だめですよ!荷物持ちも材料チェックも僕の仕事ですから!」

 「君に任せてたら、始終こうやってぼーっとしてるから時間がもったいないんだけど。それに、子供みたいな真似しないの」

 慌てて高く腕を上げて、奪われないように身を引いた僕に、休日らしく足元はグレーのスニーカーを履いた彼女が、すぐ目の前にまで詰め寄ってきて。

 そのせいか、ちょっと爪先立ちながら、咎めるように目を細めて睨み付けてくるのに、猫みたいだ、と思いながら見惚れていると、ふいに右の肩に手を掛けてこられて、途端に心臓が跳ねる。

 そのまま、子猫がよじ登ってくるような動きで身を寄せてくるのに、焦って後ろに一歩下がりながら、僕は買い物かごもろともに両手を挙げて、必死で降参の意を示してみせた。

 「わ、分かりました、ちゃんとナビしますから!次はそこの通路でアーモンドプードル120gですからー!!」

 「よろしい。とっくにレイアウトも把握してるんだから、無駄な寄り道させないでよ」

 「きちんと最短距離で設定してますよ!それに見惚れちゃうのは最早仕様なんですから、いわゆる不可抗力なんですー!!」

 「その変なフィルター、さっさと外してくれれば色々とはかどるんだけど。だいたい、ほぼ毎日顔見てるんだから、大して変わるもんじゃないでしょ」

 僕の心からの叫びを、いとも簡単に斬り捨ててしまうと、するりと滑らかな動きで踵を返して、彼女は先に示した次の通路へと、後も見ずに入っていってしまった。


 ……あれだけ無造作に触れてくるってことは、意識されてないんだろうなあ、やっぱり。


 きびきびとした歩みにつれて背中で跳ねる、柔らかく巻いた毛先を追うようにその後についていきながら、僕は小さくため息を吐いた。

 こうして、傍にいることを許されるようになってから気付いたことのひとつに、彼女が全くと言っていいほど、異性との距離感を気に掛けない、ということがある。

 職場ではさすがにそんな機会はないから、むしろこちらから積極的に接近を試みていたくらいなのだが、顧みれば最初の頃でさえ嫌そうに眉を顰められはしたものの、後ずさるようなこともなかったし、慣れてからは気に留めた様子すら見えなくなってきた。

 さらにこれが彼女の自宅となるともっと酷くなって、キッチンでの接近遭遇は頻繁、というレベルではないし、ふらふらと刺激されて背後ににじり寄っても、気配すらも感じていないように平然と作業を続けられて、たびたび頭を抱える羽目になっていて。

 「徳用200gか……余るけど、使えるし安いしまあいいかな。粉砂糖は?」

 「480gです。この500gのでいいですか?」

 「入れといて。あ、ちょっとごめん、ついでにドレンチェリー買っとくから」

 そう言うと、さほど大きくはないアーモンドプードルの袋を買い物かごに放り込みざま、僕の鼻先をかすめるほどに近くに、つっと踏み込んできて。

 さっき見ていた棚とは反対側に並ぶ、キラキラとして派手な赤の砂糖漬けを手に取ると、確かめるように包装を一瞬じっと眺めてから、ん、とまた頷いて。

 「後はラム酒だけか。そうだ、平岩課長の分はアルコール厳禁だから、目印用になんか用意しとかないと……」

 「……ラッピング関係なら、レジ傍の左から二番目の通路、です」

 「分かった、有難う。じゃあ、シール辺りでいいかな」

 僕の言葉に、ごく短く、あっさりとした返事をくれた支倉さんは、少し離れた製菓用のリキュールが所狭しと並んだ棚へと、脇目も振らずに、向かって。


 ああ、もう、なんか、ぎゅって、したい。


 場所をわきまえない煩悩が脳裏に炸裂しても、今更振り払う気になれずに、一瞬きつく瞼を閉じて、三秒こらえる。とはいえ、目を開けてしまえば、もうおしまいなのだが。

 ほんのりと鼻をくすぐるような残り香と、メーカーごとに容量も形も違うリキュールの瓶を、真剣な面持ちで検分している横顔に、どうしようもなく抑えがたい衝動が走るのに、現実に出来たことはといえば、勢い余って告白した一月からこの方、ただの一度もない。

 二月にバレンタインの手伝いに押しかけて以降は、何故か家にもすんなり入れてくれるようになったし、大量制作を終えた後は『労働力の対価』にと手料理を作ってくれるしで、二人きりの時間もぐっと増えたというのに、手を出すどころか指先さえも、触れずにいて。

 堪えきれずに森谷さんに辛さを零すと、『……僕以上によく耐えてるな。同情するよ』と言って貰えたものの、やはり恋人関係になるまでは控えるものだという意見は、お互いに変わらない。だから、日々好きだと伝えることは怠っていないつもりなのだが、どうにも反応が淡泊で、いささか気力が削げてしまっていることも、事実で。

 やっぱりまだまだ本気にされてないのかなあ、と、迷いのない足取りで前をゆく彼女を見やりながら、一向に実を結ばないアプローチの方向性をぶつぶつと考え直していると、

 「そちらのお客様、宜しければ新しいブレンドを試していかれませんか?」

 横合いから飛んできた穏やかに引き止めるような声に、僕は弾かれたように顔を上げた。

 すぐに目に入ってきたのは、スタンドカラーの白のブラウスに、ブラウンの短いカフェエプロンを身に付けた女性だった。食品を扱う店舗だけに、首元できっちりと結んだ髪に、さらに丸い帽子をかぶっているその人は、手にした木製のトレイから、ほんの小さな紙のカップを取り上げると、どうぞ、とにこやかな笑みとともに差し出してきて。

 「あ、有難うございます。うわ、なんか、目が覚めるって感じ」

 白いカップの八分目ほどにまで注がれたそれは、コーヒーだった。少し濃い目に淹れてあるのか、吸い込むだけで気分がすっとしそうな、芳しい香りに満たされる。

 口に含むと、思ったよりはさっぱりとした苦みで、後口も悪くない。今日の味見の時にこれを一緒に飲むのもいいかな、と、買って帰る方向に気持ちが傾きかけた時、

 「今朝、焙煎したばかりの豆を使っているんですよ。朝の目覚ましにもいいですけれど、甘いものと合わせても申し分ない味わいですし……ですので、奥様もいかがですか?」

 穏やかな声で淀みなく続けられた台詞にさりげなく含まれていた単語に、一拍置いて気付いた僕は、さっと女性の視線の先に顔を向けた。

 そこには、当然ながら彼女が立っていた。多分、僕が引き止められているのに気付いてわざわざ戻って来てくれたのだろうが、投げられた言葉にも、相変わらずの平静な表情で。

 甚だ勝手ながら、やはりがっかりした気分に陥りかけたその時、同じように勧められたカップを受け取った支倉さんは、唇に小さく苦笑を刻んで、

 「どうも。けど、夫婦ではないんです」

 さらりと否定で返しつつ、口元にカップを寄せて香りを楽しんでいる様子に、ずきりと胸が痛む。それはもちろん、恋人ですらないのだから、正しくはあるわけだけれど。

 そんな乱れる内心を知るはずもなく、あら、と微笑んだ女性は、僕と彼女を見比べると、

 「それでは、先々が楽しみ、ですね。仲がおよろしくていらっしゃるようですし」


 悪気なく掛けられた柔らかな言葉が、意外なほどに心臓に響く。

 心から欲しいひとは、まだ幾層もの薄い幕の向こうなのだと、思い知った気がして。


 「はい。近い将来、そうなれればいいなって、思ってます」

 気付けば、やけにきっぱりとした自分の声が、そんな言葉を紡いでいて。

 たった一ミリだとしても、その心に切り込んだつもりで、唇をきつく引き結んでいると、すぐ隣から、微かなため息が耳に届いて。


 「……そういう台詞は、ぽんぽん吐くくせにね。肝心なことは口にしないんだから」


 呟くように、しかしはっきりと告げられたその台詞の意味を脳が咀嚼し始めるより先に、支倉さんは、綺麗に空にしたカップを、傍に用意されたダストボックスに放り込んで。

 「気に入ったから、これ買います。樋口くん、一袋入れてもらってきて」

 「えっ!?あ、待って、僕が買いたいんですってだからちょっと待ってくださいー!!」

 てきぱきとそう言いつけるなり、次の目的の場所へと邁進していく後ろ姿が、見る間に遠ざかるのに焦りながらも、僕は脳裏を巡る彼女の言葉を、ひたすらに反芻していた。



 それから、微笑ましいものを見るかのような女性の視線に耐えながら、言われた通りにコーヒー豆を二袋(ついでに僕の家用も)、用意して貰って。

 これだけは絶対に僕が、と問答無用で会計を済ませてから、数々の材料で満杯になった大と中のエコバックを二人で振り分けて、なんとなく無言のままにスーパーを出て。

 「……あの、支倉さん」

 「なに?」

 裏道に入り、人気の途絶えたタイミングでおずおずと呼び掛けた声を、弾き返すような速度で返された返事に、ややひるみそうになったものの、僕は気力を奮って言葉を続けた。

 「さっき言われたことなんですけど、僕、あなたにずっと心の内は伝えてきたつもりでいたんです」

 消せない過去に、悩み惑わされたあの時も、ようやく吹っ切れた春の終わりを経ても、変わらずに募りゆく想いをぶつけていくことだけは、やはり止めることなど出来なくて。

 「だから、さんざん考えてみたんですけど、単純に言葉足らずなだけなのか、それとも、好きだっていうことを信じて貰えないくらい軽く聞こえちゃってるのか、って思って……」

 思い悩んだ末の推論をそう口にしながら、引きずられるように語尾が弱まっていくのに、我ながら情けないなあ、とうなだれていると、すぐ脇を歩いていた彼女の足が、ぴたりと止まって。

 視界の中のグレーの爪先が、つとこちらを向いたのを認めて、はっとして顔を上げると、一目惚れした最たる要因の、涼やかな一重の瞳が、瞬きもせずに見据えてきて。

 「それ。前者」

 「……え?」

 「言葉足らずだって言ったけど、その通りでしょ。惚れた腫れたはうんざりするくらい聞いたから、今更疑ったりなんかしてないけど」

 そうはっきりと言い切ると、支倉さんは、空いた右の腕をすっと上げて。

 とん、と、人差し指の先で、僕の胸元を強く突いてくると、淡い色の唇を開いた。

 「君は、私と、どうしたいの?」


 短い問いに、瞬時に今までに告げてきた言葉の渦が、次々に閃いては、消えて。

 何度も繰り返してきたはずのそれに、決定的に欠落していたものが、やっと姿を見せて。


 「……言ってません、でしたか、僕」

 あまりにもうかつ過ぎる自身の仕業に頭を抱えたい心地になりながら、絞り出すようにそう言うと、彼女は、呆れたように片眉を上げてみせて、

 「記憶の限りでは。それなのにこっちが呼んだらほいほい来るし、ほとんど無償労働でこき使ってるのに、クッキーと食事くらいでやたら喜んでるし、どう扱われたいのかすら分かんないなこいつは、って思ってたんだけど」

 言葉を切って、しばし小首を傾げていたかと思うと、何か検分でもするように僕の顔にじっと視線を這わせてくるのに、今、言わなきゃ、と口を開きかける。と、

 「付き合う?」

 先んじて放たれた、たった四音の言葉が、耳に沁み通るまで酷く、時間が掛かって。

 ようやく、真顔で見つめている彼女の唇から出たのだと認識してからは、ほんの一瞬で、頬に、耳に熱が上っていって。

 「えっ、あっ、は、支倉さんと、ですか!?」

 「他に誰がいるの」

 「いやあの、それはもちろんそうなんですけど!じゃあ、支倉さんも僕のことを好きになってくれた、ってことでいいんですか!?」

 申し出は倒れてしまいそうなくらい嬉しいけれど、その点を確認せずにはいられなくて、うろたえつつも尋ねてみると、彼女はさらに、首を傾げて。

 「ところどころめんどくさいけど、別に嫌いじゃないし。ただ、こっちが性格的にアレだから、実夏や早瀬さんや平岩係長みたいな可愛い反応は出来ないと思うけど、それでもいいんなら」

 実に正直な、そしてややがっくりする部分も含みつつも十分に嬉しい条件を提示されて、緩む口元を必死で引き締めながら、僕はその瞳をひたと見据えると、

 「そのままのあなたを好きになったんですから、僕としてはそう言ってもらえるだけで……けど、あの、その」

 「何?言いたいことがあるんなら、今のうちだけど」

 「え、言いたいっていうか、やりたいことが、あるんですが」

 自分でも歯切れが悪いなあ、と思うように語尾を濁すと、支倉さんは、ただ静かに僕を見つめて、待っていてくれていて。


 「……手を繋いでも、いいですか」

 「……別に、いいけど」


 拍子抜け、といった風情の苦笑を零して、それでも、望んだ通りに差し出してくれた、白くほっそりとした指を、手を、全てをなぞるように、触れて。

 すんなりと包み込めてしまった、想像していたよりも少しだけひんやりとした体温に、込み上げる熱を移すように、しっかりと握り込んで。


 ずっと夢見ていたことが、こうしてひとつ、叶えられたけれど。

 このひとの傍にいる限り、星の数ほどの新たな望みが、生まれてくるはずで。


 「支倉さん、今日作り終わったら、ガレットと一緒にコーヒー飲みましょう!それから、晩御飯は僕もお手伝いしますから、お泊りさせてもらってもいいですか?」

 「調子に乗らない。だいたい、対価とのバランスが取れてなさすぎでしょ」

 「だって、地味に僕の家からは離れてるから終電厳しいんですよ!明日もお休みだし、リビングの隅で転がってるだけでいいですからー!」

 得も言われぬ嬉しさと、それを遥かに上回るくすぐったさをどうにか誤魔化すために、僕としては精一杯の軽口を、叩いてみせて。

 気付いているのかいないのか、微かに口の端を上げて、馬鹿、と囁いた声が、愛しくて。


 きっと、これからは何もかもが、夢じゃ、ないから。


 いつもよりゆっくりとした歩調で進む、彼女のスピードに合わせながら、僕は手の中の大事なぬくもりを確かめるように、そっと指を絡め直してみせた。

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