Episode-4-6
教会に地下があると思わなかった。
あるいは、俺の知っている現実こそが違っていたのかもしれない。
上っ面の内装とはかけ離れていて、いかにもという石造りの階段を降りて広間へと出た。
「唯……フランっ……!!」
「おお、やっと来おったか!」
小さな体育館ほどの大きさを持つ広間から、すぐにフランの声が聞こえてきた。殺風景な内観……手のひらの刻印と同じ紋様が魔方陣として地面に描かれている。それ以外には、明かりの為のろうそくが均等に配置されていた。
しかしそれだけだ。案外、これは凌真と小乃実が影や教会の人を操って急ごしらえで仕立てた即席のものなのかもしれない。
魔方陣の中心で横になっている唯は、相変わらず綺麗な銀髪を地面にばらけさせて眠っていた。
見たところ、呪いはほとんど進行していない。余裕のあるフランの表情が何よりの証だろう。
「唯は問題なさそうだな」
「うむ……聖水の効果かフルパワーのようじゃな。もしくは……むっ。お主なんで、ベルトを握っておるのじゃ? それにワイシャツも随分とラフな着こなしで。まぁ、今のユイほどではないか!」
「うるさいなぁ、色々あったんだよっ。唯がこんな格好なのは、間違いなくお前のせいじゃないか」
「ふっふっふ。そう褒めるでない」
達観した気取り方をしているが、褒められたもんじゃない。
ところで、とフランが話題を変えた。
「さてさて……ここまで良くやって来たのう。お主達はこれ以上重くなるの? と思っておるかもしれぬが、物語は山場を越えた。あとはアルプスの山頂をチャリで一気に駆け降りるだけじゃ!」
「誰に向かって言ってるんだよ……」
無人の空間を指差して凛々しさ全開のキメ顔をしている。多分フラン的には、そっちの方面にカメラでもあるのだろう。良く分からないが。
「しかし、ユイは大丈夫じゃったが、こっちの方はギリギリだったのう……」
フランが俺の持ってきた聖剣・魔剣と魔方陣を見比べる。
剣の方……特に聖剣は、もう限界だった。小乃実との対決ではほとんど使わなかったとはいえ、最初の凌真との勝負で予想以上に磨耗していた。いくら小乃実が剣に関して素人だといっても、単純に剣勝負を挑まれていたら、俺は負けていただろう。
魔方陣は、その魔力を発光させて心臓から血液を排出するポンプのように鼓動を刻んでいる。蛍光色に近い雰囲気で幽玄に発光する魔方陣を見るなんてのは、これが終われば一生ないだろう。
邪神アンラ・マンユは、フランの本体ごと聖剣の魔力で封印されている。三百年という長い年月、そして聖剣の力が弱まっている今、放っておいても奴が召喚されるのは自明の理だ。
終わらせなければいけない。
ミルフォードの歴史、過去との因縁を全て。
「コヨミとの決別を終えたのか」
フランが俺に気を遣った面持ちで聞いてくる。
「まぁ、な。でもいいんだ。胸の痛みは残っているけど、最後に話ができて良かった。俺、後悔していないよ。ミルフォード家の運命のこと、みんなのこと……フランと出会えたこともな」
フランはむず痒そうに鼻で笑った。
「ふふっ、それはありがたいのう。もうわしが心配するようなことは何もないかもしれぬな」
俺は唯を壁に横たわらせて退避させた。
魔方陣の手前に聖剣……そして魔剣を突きたてる。魔剣には良くも悪くも世話になった。逆に考えれば、魔剣が小乃実を見初めなかったら、この結末は決して得られなかったはずだ。
だから、俺の歩んだ全てのものが、俺と繋がっている。
魔方陣の輝きが、より一層激しさを増す。逆光に身を任せている間、フランが言った。
「大丈夫。お主は本当に成長した。この戦いはいわば復習じゃ。お主がちゃんと全てのことを理解しているかのな。わしが太鼓判を押そう。今のお主は紛れもなく救世主じゃとな」
光が室内全てを満たし始める。
「はははっ。お前に言われると説得力があるのかないのか分からないな」
「来るぞ……気を引き締めてかかれいっ!」
「ああっ!」
大きな光の奔流が世界を覆った。そして次第に収束する。
俺とフランの目の前に現れたものは。
「……中々、禍々しいな。これがお前の言っていた邪神か」
「正確にはアンラ・マンユなどというものは存在せぬ。人々が創りあげた架空の神。ただ、この世に存在する全ての生命が持つ、嫉妬、悲しみ、怒り、そんな絶望を糧として産み落とされただけじゃ。他の何者でもない、人間自身の描いた邪念の塊じゃ」
べちゃあ……と部屋全体に肉の塊が広がった。
その肉は赤黒く、硫酸のような液体を吐きだし、その原型すらもとどめていない。人間の手のような形、足のような形、それらしいものを全て寄せ集めたような形状をしていた。
そして唯が侵された、あの呪いの大元。邪神そのものが巨大な心臓のように脈打っていた。肉の至る部分から血管を浮き彫りにし、その収縮の音がこちらにまで伝わってくる。
この邪神とやらは、そもそも明確な意思を持っていなかった。ただ、誘蛾灯に集められた虫のように、人々の持つ弱い心に引き寄せられただけ。この存在自体に意味などあるはずもない。
人間が憎しみを重ねれば、こうなるという結果の産物だからだ。
「さて、どう戦えばいいかな……」
醜悪な外見から、べちゃべちゃと肉が削げ落ちている。肉塊からは数十本に及ぶ触手が芽吹いたように顔をもたげた。生まれたての触手は、べたべたとした粘液を身体に張りつかせている。
二本、いや三本の触手が同時に、俺へと襲いかかってきた!
俺は即座に聖剣を引き抜いて触手から距離を取る。ウミヘビの如く突進してくる触手を、俺は叩き斬った。分離した肉片が地面でのたうちまわって、やがて煙を吐いて消滅する。
一本の触手……即転し、袈裟斬り。一、二と来襲、そのままの流れで斬りあげて撃退。
単体の性能は高くなかった。野菜をスライスするように、俺は軽快なフットワークでばったばたと触手をなぎ倒していく。
「いけいけ、そこじゃ、いくのじゃ! よっ、日本一!」
「うっるさいなー! ギャラリーするのはいいけど、遊びでやってるんじゃないんだよーっ!」
体勢を崩したが、捕まる前に退ける。
「はぁ、ふぅー……」
辛いわけじゃないが、こうも数が多いと窮屈だ。
そうかと思いきや、肉塊が触手だけでは勝てないと判断したのか、別のものを産み落とす。
黒い液体が地面を溶かしながら人形をかたどる。どうやら、影の真似事のようだ。ふん、と俺は鼻を鳴らした。肉塊の創造した影は、原型なんてほぼない。自分と同じように肉の塊に手足をくっつけただけのゾンビだ。そして新鮮な培養液から新品のゾンビが出荷された。
下品にも人間様の姿を模したゾンビが、アグレッシブに突撃してくる。俺は何の魂もこもっていないこいつらを聖剣で叩き潰した。最初に戦った影が一番まともだったかな、これじゃあ。
「だあああああっ!!」
俺は聖剣でゾンビをねじ伏せる。
「はぁ……はぁ……」
さすがに触手よりは存外しぶとい。腕がもげた程度では死ねないらしく、執拗にとどめを刺す必要がある。だが、触手とゾンビのコンボは俺から徐々に体力を奪っていく。早々に決着をつけないと、勝ち確定の勝負に負けたら、あの世で凌真に何を言われるか分かったもんじゃない。
「全く……当分、肉料理は食べたくないなっ……!」
グロテスクで触手を生やした見た目は、ヘドロをかぶった悪魔の魚のようだ。海に生息する悪魔といってもリヴァイアサンじゃない。吸盤のついている茹でて美味しい方だ。
食べる気の失せた品目を増やしつつ、触手とゾンビをさばく。
急に触手が矛先を変えた。フランの方に向かって一直線に触手が伸びる。
「ひ、ひえええええっ!!」
バッサリと、フランの前髪を僅かに掠めて触手を斬り伏せた。
間一髪ってところか。
「ばっ、馬鹿者ぉぉぉぉっ、わしの、わしの髪がぁぁぁ……!」
「悪いっ! もう生えないんだったなっ!」
俺は片手を顔に合わせて、かる~く謝った。どうでもいいが、俺は手を正面にかざしてすいませんすいませんと口にして人垣を抜けていく人間があまり好きじゃない。同属嫌悪だからだ。
触手の狙う標的が増えたところで、俺の作業量も倍になる。
向かってくるゾンビを倒し、フランを狙う触手を潰す。手詰まりになる前に行動を起こしたかったが、その望みはフランの捕獲に成功した触手に阻害されてしまった。
「にゅわああああああっん!」
「フラン!」
俺は空高く引っ張られていくフランを見て油断していた。両足に一本ずつ触手が絡みつく。
「くそっ!」
撃退して触手の連結が解除される。だが、一番最悪な展開が起きる。
びゅるるるるんっ!
触手が傍らで寝ている唯めがけて、急加速をつけて伸びていた。何も知らない唯の足首に触手がびゅるんと、とぐろを巻く。二本、三本、四本、唯の胴体にまとわりついた触手が、メインディッシュを待ち侘びる領主の下へ帰還を果たす。
「唯~~~~~っ!!」
俺の叫びにも反応せず、眠ったままの唯がフランとは別の場所に運ばれる。フランはただ、触手に捕まれて遊ばれているだけだ。しかし、唯は肉塊の正面へと丁重に連れて行かれる。
白地のワイシャツとショーツだけを身にまとった少女。そこに触手が群がる。足の爪先からじっくりと進んで、足首、膝、内股へと触手が螺旋状に絡まっていく。
腕も同じように触手の愛玩品としてもてなされている。小さめの触手が先端からおちょぼ口を開いて、吟味するようにちゅうちゅうと唯の銀髪を吸っていた。
「おいこのっ、変態触手っ! 唯を、放しやがれっ!」
俺はまとわりついてくる触手を必死になぎ払う。くそっ、こいつら男だって構わず食っちまう大胆触手なのかよっ! 凌真みたいなやつだなっ!
唯が某ひめねーさまみたいな状態で触手に奉られている。現時点では大丈夫だが、このままだと唯がどんな悲劇的な目に遭ってしまうか想像に難くない。生憎と、こちら様はアールで十五推奨くらいついてもエックス指定には届きません。届かせません。だめ、絶対に!
触手も学習能力がついてきたのか、俺の剣先を回避してくるようになる。
「うぐっ、しまった……!」
俺の左腕に触手が絡みついた。聖剣で落とそうとすると、今度は右腕に持っていた聖剣が弾かれてしまった。からんからんと音を響かせて地面を転がる。
さすがの俺も、聖剣がないと異形相手は厳しい。無理矢理触手に抵抗しながら、聖剣の落ちている場所へ気合で向かう。だが、それは儚くも足に絡んだ触手によって頭部以外の行動不能を余儀なくされて失敗に終わる。
しゅるるる、と触手が魔剣に向かっていた。
これも学習の賜物なのか、聖剣がなくても危険だと判断した触手が、魔剣を握ってこちらに戻ってくる。間違いなくそれで俺を殺そうという算段。
触手は可愛らしく、ぶんぶんっ、と素振りをしている。魔剣の使い勝手の良さを理解し、その剣先が俺を捕捉した。まじかっ……身動きの取れない俺は覚悟して目を瞑った。
「………………けっ、剣が……!?」
聖剣が単独で空中闊歩していた。魔剣を掴んでいた触手が、聖剣にあっけなく敗れ去る。
ばさりと四方に絡んだ触手を斬って、聖剣は俺の手元に戻ってきた。真っ白で一切の穢れをまとわない美しい刀身が、粒子を放散して光っていた。
フランの時と同じような、拳サイズの白い光玉。それが『二つ』俺の前でふわりと浮いて、天へと高く舞いあがっていった。
俺はすぐに理解した。手に乗せられた聖剣が、軽くなったからだ。体感してみればほんの僅かな誤差だろう。二つ分だから四十グラム程度……。
「凌真…………小乃実…………」
それは二人の魂だった。
聖剣という依り代に身を隠して、最後の最後まで俺を守ってくれていたのだ。
壁を突き抜けて白い粒子が消えていく。
ありがとう。凌真、小乃実……!
俺は立ちあがった。みんなと出会えたことも、楽しかった過去の思い出も、全てが自分の望んだ運命だと胸を張って言えるように!
聖剣を握り締める。が、聖剣はもう限界を迎えていた。そんな最中、俺の様子に気づいたフランが大きな声で叫んだ。
「魔剣を使うのじゃぁ~! 今のお主なら、闇の魔力に惑わされずに使えるはずじゃ!」
「…………分かった!」
俺は魔剣を拾って強く握り締めた。不快感はない。ただ、聖剣よりも暴力的な力の波動を感じる。
強さそのものは聖剣よりも圧倒的な力だ。けれど、一歩間違えれば諸刃の剣になる。使い手の精神が強くないと、これは扱えない。
ゾンビが襲ってきた。
俺は魔剣そのものが吸いつくようなストレートな流れに身を任せる。ゾンビが見事な一刀両断で消滅した。
「……よし!」
俺は攻勢に転じた。触手を相手にしていては終わらない。
肉塊の懐に近づいて、唯の下へ駆けつける。
「ん、んん…………」
「唯っ!!」
触手に拘束された唯が、目を覚ましていた。理解力に優れる唯は、すぐに状況を理解して表情をこわばらせた。だが、俺が助けてやらないと身動きはできない。
「ひ、光……っ!」
「待ってろ。すぐに助けるっ!!」
「……うんっ」
飛びあがって、俺は唯に絡む触手を一気に斬り落とした。
「あっ…………!」
「唯!!!」
俺は落下する唯を空中でキャッチした。そのまま地面へ着地する。
「良かった……無事、みたいだな……!」
唯の全身を眺める。ところどころ粘液で湿っているが別状はない。
「光のおかげです。やっぱり、貴方は私の思っていた救世主でした……!」
やっと取り戻した銀髪少女の優しき笑顔。俺は熱いまなざしで彼女を──。
「ほれえええっ! 感動の再会に浸っておる場合ではないぞおおおおおおお!!!」
未だに触手に弄ばれているフランが激怒する。
「ほんと、元気な奴だなぁ……」
俺は唯を降ろして、キッと邪神を見据えた。
せっかく手に入れた獲物を奪われて、触手達が暴れ狂っていた。数は十本、二十本ほど……一斉に俺を目がけて大群進行してきた。
魔剣を力のままに振るって触手を葬る。
「おいフラン! このデカブツはどうすりゃ倒せるんだ!?」
叫びつつ、俺は肉塊の本体へと攻撃を試みる。だが、魔剣の攻撃を受けた瞬間に、空いた傷口を自己修復してしまう。このままでは倒せそうにない。
「分からぬ!!」
「まじ、ですかっ……!」
俺は触手の対応に迫られながらも、後ろにいる唯を守る。時間稼ぎをするのはいいが、別にアレを倒してしまっても構わんのだろう? と、粋な弓兵のようにはいかない。かといって死の線が視えそうな魔眼もありはしない。
その間に気を利かせた唯は、近くにあった聖剣を持ってきていた。聖剣を抱きしめる姿がいつも月森と呼んでいた頃の唯にぴったりで、俺は嬉しい気分になった。
ただ彼女は現在……裸ワイシャツに、おぱんつ一枚。そのうえ裸足。抱かれた聖剣が妙にエロティックな雰囲気を醸しだしていて、戦いに集中しづらい。
「光、これっ…………!」
唯が俺の前に聖剣を差しだす。
なんと、聖剣が発光していた。更にそれと共鳴するかのように魔剣も光を帯びている。ひょっとしたら、そうなのかもしれない。何故か不思議な説得力がそこにはあった。
「…………唯っ」
俺と唯は目を合わせて同時に頷いた。
同じように魔剣を両手に乗せると、架け橋のように繋がった指先の中央へと、二つの剣が重なり始めた。聖剣と魔剣……二つの物体がぴったりとくっついた瞬間、一振りの剣が誕生する。
白と黒が半分ずつ合わさり、陰陽の模様を彷彿とさせる。刀身の全長は変わっていないが、握りの部分が延長し、レイピアのような湾曲した金属板が柄を包むように添えられてある。
「これは……新しい剣なのか」
ブブブン……ブブブン……と消えかけの電灯のような鈍い音と衰えない発光を続ける剣。聖剣とも魔剣とも違う。不思議なぬくもりのようなものを感じる。
そうして伝わってくる絶対的な安心感。この剣が訴えていた。これこそが希望、この一太刀で全ての運命を貫き、絶望の歴史を断ち切ることができると。
「危ない────な、なんとっ!」
触手の接近にフランが叫ぶ。
俺と唯の周囲を包み込んだ淡い膜は、飛んできた触手をいともあっさりと消滅させた。
とても雄々しい光の逆巻き。だが、この武器はとても不安定だった。俺が手を放そうとしても、唯が手を放そうとしても、同じように輝きが消え入りそうになる。聖火リレーの炎でもこんな簡単に消えはしない。
「光……」
彼女が俺の名を呼ぶ。俺はその声に感応した。
昨日まで歩いていた普通の日常は、運命の出会いにより脆く崩れ去った。しかし、その中で育まれた……いや、俺が今まで置き去りにしていた色んなものと対峙する道程。それこそが、まさに俺にとって必要な運命だったんだろう。
フランも唯も、この日を待ち望んでいた。個人では抗えない闇に対して反旗を翻し、救世への到達を待ち侘びていた。若くして道を閉ざした凌真も小乃実も、きっと同じだったはずだ。
それはミルフォードの刻印とは関係なく、ただひとつの可能性……希望という一筋の光明の為に礎となった、全ての人間が守りたいと思った未来があるからだ。
たとえ人が再び闇の歴史を歩くことになったとしても、分かることがある。
いつの時代、いつの世でも弱き心が救いの道を望む限り、それに見合った『救世主』が巣立ち、世に現れるのだと。少なくとも俺はそう信じている。
「終わらせよう。俺やみんなに、もう暗く湿った人生は必要ないんだからさ」
「……はい、終わらせましょう。新しき時代の為に」
偽りの神が地響きのような咆哮をあげた。
肉塊の底から大量の愚者と触手が、恒星の如く唸る生粋の輝きにおびえたかのように、二人で握る剣へと執念の大攻勢で押し寄せてきた。轟いた黒き海の津波が、俺と唯の肉体を飲み干す。
だが、墨汁のような黒に染められた膜は、一瞬にしてその神々しい光で全てを蹴散らした。
剣から発される白い粒子に、雨上がりの虹みたいな極光が描かれる。太陽と同じ、いや、太陽とひとつになった剣を、二人で天高くそびえさせた。
「フランっ……! 全部、終わらせるからな!」
触手に縛られていたはずのフランは、いつしか解放されていた。触手の力が弱まったのか。
フランはニヤリと笑って叫んだ。
「ははははっ! 最後は二人で行う、少し早めのケーキ入刀というわけじゃな!!」
「えっ、な、なんだって!? ケーキ入刀!? どういうことだよそれはっ!」
ケーキをナイフで切る……俺の記憶する限りでは、それは結婚式を挙げた男女が行う……。
「……光、行きましょう!!!!!」
「えっ!? つ、月森さんっ? どうしてそんなに気合が入っているのですかっ!?」
唯の勢いに圧倒されて、握っている剣を引っ張られる。太陽剣さんがどういうことか空気を読んだっぽくて、鍔と柄の上辺を中心にして色とりどりの装花が飾られた。薔薇、白百合……カサブランカかな……これはライラック、アネモネ、チューリップ……このティッシュ箱とかに描いてありそうな花は……ラナンキュラスだそうだ。
二人の想いが無意識に疎通したのか太陽剣のいたずらか……はたまた魂が祝福していたのか。
漆黒の千枚葉に見たてられた邪神が、谷間の姫百合をデコレーションされて可愛げな色香を漂わせている。肉塊にしては、何とも不釣合いな格好だ。
触手が迫ってくる。唯が太陽剣を強く引いた。剣もそれに応えて輝く。やれやれ……どうやら、世界は何が何でも、幸せなラストで締め括りたいらしい。
俺は気合を入れて、ぎゅっと柄を握りなおす。
その時、女子の三高よりも多く花を盛られて埋まっている俺の手が、唯の指先にそっと触れた。唯を押し倒してしまった時、遊園地で手を繋いだ時、夜の風呂場でぬくもりを確かめた……あの瞬間に感じた彼女の少し冷たさのある指先。しかし、確実に脈打っている。
俺と唯はここで紛れもなく生きている。
あるべきところ……帰る場所が見つかったから。
「行くぞ唯っ!」
「……はいっ!」
飛んでくる触手。邪神の本体に向かって、俺と唯は大きく希望の剣を振り下ろした!
「「いっけえええええええええええええっ!!!」」
一閃が肉塊を貫いた。
肉の頂点から軌跡が生まれ一直線に切り裂かれる。ざざざざと肉の地平線に亀裂が走り、斬り抜けた地面の先が割れた。一度、光は収束し触手の動き、そして邪神の動きがぴたりと活動を停止する。
室内にある全ての音が鳴り止んだ。
息を切らす俺と唯。敵の様子を固唾を呑んで見守るフラン。
長い沈黙の時間……じっとその光景を見つめる。
──ゆっくりと、身震いするような振動が伝わってきた。
球形のランプから光が漏れるように、明るみのある色がさした。そうして突如、肉塊の内部で発生した閃光が暴れ、肉の隙間から大量の光が降り注いだ。室内をまばゆく照らす。黒い液体が光に混じって漏れだし、光によって消滅する。
全ての光と闇を吐きだした肉塊は、完全にその機能を停止させた。
「あっ……あれは……」
最後に、肉塊は身体のやや下方から何かの上半身を露出させた。
鮮やかな衣を身にまとった女性の姿。金じきの髪質が風にあおられ、その綺麗な相貌は深く閉じたまつげとともに、彼女を深い眠りにつかせていた。
それを確認した瞬間、手元にあった剣が砂塵となって消滅した。ぼしゅうという音と煙をだして、あるべきところへ戻っていく。俺と唯の手のひらに刻まれていた紋様もなくなっていた。
「光、フランが……!」
唯が、慌てた表情でこちらを覗いていた。室内を四方八方見渡す。しかし、どこを眺めても彼女の姿は存在しなかった。代わりに封印されていた乙女から、幼女の声とはまた趣の違う、麗しげな声が響いてきた。
「フラン……!?」
「ふふ、どこを見ておる……わしはこっちじゃ」
動かなくなった肉塊に留められた上半身。フラン・ミルフォードの唇から言葉が。
「それが、お前の本当の姿なんだな」
「うむ……三百年ぶりで、自分でもはっきりと覚えてないくらいじゃがの……」
俺はフランに手を差し伸べようと、近づく。
しかし……。
肉塊が、少しずつその色を変えた。いや、材質を変化させたのだ。隅のほうから徐々に灰色がやってくる。その創造物が風土として大地に還り……石化した。その直後、フランと石塊が細やかな粒になって、ゆっくりと薄らいでいく。
石塊の真上……室内の天井にひびが入り瓦礫となって落ちた。
気がつけば、もう夜明けが迫っていたらしい。まだ柔らかい朝日が採光となって、恐らくステンドグラスを貫通して降りてきているのだろう。スポットライトのように石塊を照らしていた。
そして、少女の笑顔さえも。
「むう……そういえば、今日は日曜日じゃったかのう……この教会では、十時から礼拝の時間じゃ」
何気ないフランの言葉。丘を越えたような、一面に咲き誇る美しい桜笑顔。
三百年という歴史が、現実にあってはならないものを埋葬していく。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……七つの色を足して、粒子が天へと昇る。さらさらの砂みたいにまっさらで綺麗な粒は魂のあげる飛沫のようで、心をどこか穏やかにさせる。
俺は感じていた。唯も想っているだろう。
このままずっと、こんな優しい時間が続けばいいのにと。
レクイエムのような少女に捧げられた愛おしき時間が、フランとの別れを告げているのだということを、理解しているからだ。
頬を熱いものが流れる。
本来なら、それが当然のはずだろう。
なのに、それなのに……この馬鹿は、いつにも増して俺の心を不愉快にさせる。
フランは笑った。
「お主は思ったよりも、泣きやすい性格なんじゃのう。ほれ、ポン! チー! カン!」
「……る、せえなっ……泣いちゃ、悪いのかよ……」
袖で水っぽい俺の肌を拭う。隣から鼻をすする音と唯の声が聞こえてくる。
「フラン……」
唯がワイシャツの袖で目元を覆いながら、かすれた声をあげる。
「ユイには、わしのせいで随分と世話をかけてしまったのう。んまぁでも、わしを聖剣でぶっ叩いた回数を引いて、何とか帳消しにしてはもらえんかな……?」
「…………ばか」
唯は顔を伏せた。これ以上、言葉にならないのだろう。
「ううっ……んはぁっ……!」
「ヒカル」
「何だよ……お前、もう俺の名前は呼ばないって、決めてたんじゃないのかよ……」
「……何じゃ、気づいておったのか。本当に聡い性格になったのぉ」
「幼女みたいな見た目の癖したわりに捻くれてて、じじい言葉を使うおっさんみたいな下心の……頼りになる……馬鹿がいたせいでなっ……」
「……そう、か」
石塊の外側は、もうほとんど消滅していた。
段々と粒子が少女の身体へ近づいてくる。砂時計は正位置に戻り、鮮やかな砂塵が運ばれる。
刻一刻と終わりのときを迎えていた。
「俺さっ……お前に、謝らないと、いけないことがあるんだ……」
目に入ってくる変な水を、がむしゃらにはらいのける。
「話してみい。今ならじぇーけーの下着一枚で聞き入れてやるぞ」
充血した目のまま、フランを真っ直ぐと見つめた。
「夜にお前と話した時、俺はフランが望む望まないに関わらず、成仏させてやるって……そう思ってたんだ。それが決意の表れだって……でも、違うんだよ、そうじゃないんだよ……俺はただ、忘れてただけかもしれない。誰かが死ぬと、ものすごく悲しいんだってこと……もう、嫌なんだよ……俺はお前みたいな馬鹿でも、自分の大事な誰かが死ぬのは、もう……」
それを聞いた少女は大口を開けて笑い飛ばした。
「お主は、本当に成長したのう。若さとは、そういうものなのかのう……知らない内に成長して、どんどんと翼を空にはためかせる。それが生きている人間の強さなんじゃろうな。きっと、わしは逃げておった。だからこそ魂は少女の姿へと退行し、時代を待ったのかもしれん」
「でも、だとしてもっ……本当に……ごめんっ……!」
俺は深く頭をさげた。
しかし、そんな俺を彼女は叱った。
「馬鹿者っ! 頭をあげい。わしはお主によって救われた。守られた、の方がお主の好みか。お主は人に感謝の気持ちを伝えるのに『ありがとう』ではなく『すいません』を使うのかっ? わしは日本に移住して短いが、日本の文化はわりと嫌いではないのじゃぞ?」
「フラン…………」
背中から粒子を零す金髪少女は、にっこりと微笑んだ。
光の粒は僅かに加速していた。ゆっくりと炎にあぶられた紙のように消え入っていく。
泣いていられない。きっと俺がしっかりしてないと、フランが困るんだ。
涙を振り払って、俺は最後に伝えた。
「あの世に逝ったら……凌真と小乃実を頼む」
唇を丸くすぼめてフランは答えた。
「ふぅむ、おかしいのう。お主の言い分を聞けば、わしは八熱の地獄巡りをせねばならぬが。それだと何兆何億年後に戻ってこられるか分からぬぞ?」
俺はおどけて言った。
「……それが、終わってからでいい」
「はははははっ! それは手厳しいのう。なら、それ相応のお礼をもらわなければ割に合わんのう」
フランは首で俺を招いていた。
俺の身長より少し高めの位置にいるフランが、まだじゃ、と催促をする。何だよ、と口にしたところで、頬に何かが当たった。フランの唇だった。
「……よし、十分じゃ。これ以上欲をかくと、お主の後ろにいるわしの娘に嫌われてしまうからの」
「おい、フラン……フラン、フランっ!!!」
もう少女の姿はほとんどなかった。
粒子が風に運ばれる綿毛のように、最後の一粒までもを連れていく。
「ありがとう……ヒカル、ユイ………………元気でな」
最後の粒子が降り注ぐ光の柱に吸収された。
「あぁ、ありがとう……フラン」
俺は虚空の中に言葉を贈った。
──終わった。全てが終わった。
思えばこの二日間。いや、もう日を跨いでいるから三日になるか。とにかく、短いようで中々に濃厚な日々だった。俺はこの数日に起きた出来事を一生忘れないだろう。
そして──。
俺は後ろに振り返った。
「光……」
幽霊少女の残した最後の希望が、淑やかに頬を緩めていた。
「……帰るか! 俺達のいるべき場所に!」
「……はいっ!」
──と、そこで俺と唯の動きが止まった。
俺は目を見開いて彼女を凝視する。彼女は思いだしたように、はっとなって顔を赤らめた。俺にとって、これはバッドニュースかそうでないのか悩むところ。
現在の月森唯さんの服装は、その、あれだ……とてもじゃないが、人前で歩ける格好じゃない。
とはいえ、用意してきた彼女のポシェットも服も、今頃は海上でカモメと一緒に絶賛バカンス中だろう。あいつがいれば今頃、どの辺がイヤンでバカンなんじゃ? と突っ込みを入れてたかも。
「…………」
「…………っ」
つい、視線が合ってしまった。
いやーだって、あれですよ。
唯さんはいつ見たって肌が綺麗で、思わず見てしまいます。その、ワイシャツの裾を掴んでパンツを隠している仕草も……ゴホン。ももも、申し訳ないと思う反面、男性としては当然のように、興味をそそられるわけで。
こういう場面でも殴ってこない唯の性格が、ちょっとだけ心苦しい。
「ん、あー……ごほん、ごほんっ!」
俺は嘘っぽく咳払いをした。
手汗を服で落として、ポケットの携帯電話をチラ見する。時間は午前四時半くらい……せめて今日は、新聞配達や早朝ランニングの方が寝坊してくれていると助かるが。
「すー……はー……すーはー……」
俺はラジオ体操と同じ動きをして深呼吸する。吸って、手を伸ばして、降ろして、吐いて……。
無理……最後に大きなため息で締め括る。
「…………どきどきわくわく(小声)」
「うっ…………」
どうしてかな。何故か唯は期待感に満ちた表情をしていた。
「あ、あー…………その……前と後ろ、どちらがお好みで……?」
「………………………………………………前で」
俺は真っ赤になった顔と暴れる心臓を無視して、彼女の身体を抱きあげた。




