Episode-3-1
8/10 一部文章を修正しました。
ちゅんちゅん……。
小鳥のさえずりが聞こえる。
カーテンの隙間から差し込む陽光。布地全体がぶわっと広がる光彩を包み込んで、明るく滲んでいた。
(うう……!)
俺は、微弱な頭痛を感じて髪の毛をぐわしと掻き毟った。瞼が重い、身体が気だるげな主張を続けている。鼻から吸って口から抜ける息。いつになく時間をかけた深呼吸。
部屋の縁には、戸があった。リビングと違う空間で、広さは余り感じられない。
書棚、小さなタンス、化粧台、クローゼット、その他色々。
……そして自分の横たわっているふかふかの寝台。
輝きを拭うように、俺は両目の上に手の甲をあてがった。
眩しい、ついでに重い……自分の身体が、悪霊に取り憑かれたように動かない。
自由に動かせる首を使ってベッドの下を眺める。
靴下、寝る時に脱いだものだ。俺の上着、これも暑いから脱いだ。ベルトと一体化したズボン……あれ、俺いつ脱いだっけか。
ご丁寧にシャツまで脱いである。よっぽど暑かったのか、昨日の夜の記憶が曖昧になっている。
近くにパンツが落ちてないところを見れば、どうやら全裸ではないらしい。
その近くに無造作に転がっている、俺のじゃない誰かの服がワンセット分ある。
男物……じゃないな、小夜実……小夜実のか?
俺の脳みそは、窯で小一時間じっくり焼かれて、綺麗な焼き色のついたグラタンのようだ。
ぼやける視界には、確かに女性の着ていた服が散乱している。俺に女装趣味があれば話は別だが、悪いがそんなものは毛頭ない。
ということはやはり、これは女性の誰かが脱いだ服だ。
良かった……俺に変な趣味はなかった。これでようやく安心して寝れ…………。
……る、わけがない。いや、おかしいぞ。冷静になって考えろ。どうして、こんなところに女性物の衣服があるんだ?
汗粒が額に滲んでくる。
床にだらしなく脱ぎ捨ててあるのは、カットソーにフレアスカート、しわしわになって折れ曲がっている縞々のソックス。ついでに白地に白地を置いたような純白色の薄着まで置いてある。
ちょっと変だなと思ったのは、その服を小夜実が着た記憶がないこと。
更に、脱いだというよりも強引に引っぺがされた印象が、諸説しっくりとする佇まい。
この部屋で、間違いなく女性が服を脱いだ事実。そんなアカツキに朝の挨拶。
英語でいうリアル。リアリティ。リアルモーニング。
「ん……むにゃ…………」
そんな中、ぽっと横からアサガオの開花したような声がつぼみを広げた。俺の隣には、パールかダイヤモンドかといった風貌のクォーツ系美少女が眠っていた。
もぞもぞと少女の身体が半身ほど動いて、ベッドのスプリングが僅かに軋んだ。
俺の首元を撫でる、卸したての冷麺みたいなつるっとした銀髪がふぁさと崩れた。
肩らへんに暖気のこもった風が一定の間隔でぶつかってくる。
よくよく見れば、俺の首上を細長い腕が通過していた。産毛を探すのも難しいほど綺麗な肌。
足が、足で拘束されていた。
寝技のような状態。男の太い足に比べるまでもなく、しなやかさグンバツのおみ足。
「んん……」
と、時折切ないようなそうでないような、甘ったるい寝息が首筋を小槍のように突いてくる。
彼女が寝相を悪くする度に、俺の身体に重みが増していく。
小夜実……じゃない。俺の思考回路に、ようやく前日の記憶が追いついてくる。
俺を抱き枕然として安息の代用にしてくる少女は、小筆で描いたような美しい眉、丸く緩く、けれどもすらっとした角をたたせる一面も捨てがたい鼻筋、苺を入れるのも苦労しそうなおちょぼ口。
そんな西洋人形をも彷彿とさせる姿をして、こともあろうか俺の身体を抱きしめている。
ようやく分離した脳と現実が合体すると、途端に身体機能が反乱を起こした。
エマージェンシー、エマージェンシー。
俺の心臓が血液を押し流して一斉に第一種警戒態勢に入る。
どっと汗が噴きだし、心臓の鼓動が加速する。
「ん……はぁ……」
こつん、と少女の鼻先が肩に衝突した。
緊急配備、緊急配備。総員は直ちに、第一種警戒態勢に……。
いや、そんな悠長な場合じゃない……すぐさま第二種警戒態勢が敷かれる。既に敵を遠方にて確認済み。大人しく配置についていたら、たちまち侵略されてしまう。
ブリーフィングルームで胡坐を掻いている脳足りんの血液どもを一斉に追いだし、俺の全身は蒸気のように汗を放散し始めた。
「ヒカル……様ぁん…………」
突然、俺の名前を呼ぶ声が響いた。
残念なことに、俺の身体はもう手遅れだった。
隣で寝ている少女……月森ユイ総司令の的確な判断で、俺はまんまと奇襲されていたんだ。名うての君主でも、頬にご飯粒をつけたまま連行されたのでは笑い種にしかならない。
既にその身は少女の手の上。
ただ幸いなのは、ここが拘置所ではなく留置所ということだ。この柔らかで繊細な錠をはずして、脱走しなければ、命と下半身が幾つあっても足りない。
うわごとの様に俺の名前を口ずさむ女帝学生。
拘束を脱するため俺は身体を捩る。知恵の輪を習熟してはいないが、彼女の築いた腕のロジックをゆっくりと解き明かしていく。
左から右へ、激流を制するような身のこなしで、徐々に腕を振りほどいていく。
「んう…………っ!」
(う、うわっ!?)
玩具を取りあげられた幼子のように、眠り姫は疎外感に困惑していた。大事な宝物を離すまいと、夢のまどろみの中で少女は訴える。
元の位置に戻された俺は、あえなく脱出に失敗。むしろ、さきほどよりも強い力で押さえられ逃げ場を失う。どこにも行かないで、と彼女の腕が悲涙の名女優になった錯覚に陥る。
より伝わってくる刺激的な官能に、素直で正直な肉体が反応してしまう。
脱いだ服、抱き枕、月森の状態と符号させると、俺がどんなにピンチか分かってもらえると思う。
彼女の柔肌が、俺の身体に吸いついた。
ざらつく下着の感触と、ふわっふわとした二つの柔餅が俺の腕にぽよんと馴染んでくる。俗に言うまんじゅう怖い状態。何か根本的におかしいと思うが……。
(うっ……こ、これ以上は絶対にヤバイ……!)
絵面的にも、健康的にも非常によろしくない。
俺は抗う。
が、身動き一つできない。
月森は相変わらず、小憎らしいキュートな寝顔で眠っている。
ちゅんちゅんちゅんちゅん……。
ちゅんちゅんちゅん……。
ちゅんちゅんちゅんちゅんちゅん……。
小鳥のさえずりが煩わしい、まるで笑われている気分だ。
きっと彼女は、もうしばらく起きないだろう。
月森が目覚めたとき、どんな顔をするか分からないが、もう少しそっとしておこう。
「んぅ……ヒカル様……ヒカル様……」
まぁ、こうしていると本当にカワイイよなっ。
俺は心の中で銀髪の少女を愛でた。
そうして、ほっと息を抜いた時だった。
ちゅっ。
音色をつけて、俺の肩に月森の下唇が──触れた。
「う、うわあああああああああああああああああ!?」
俺はアパート全体を揺らすような悲鳴をあげた。