Episode-2-5
住宅地の離れに今は寂れた公園があった。時代に取り残された、古い家屋が立ち並んでいる。時間的には少し早いが、既に就寝状態なのかほとんどの家から電気が点いていない。
誰かがアクションを起こすには、絶好の機会だ。
(さて、何が出てくるのか……)
公園の外側に張られたぼろぼろの鉄柵を乗り越えて、砂場へと入る。
フランが様子を確認しようと、高めに浮いた瞬間だった。
「フラン……下がれっ!!!」
金属が、分厚い何かを押し退ける。
俺は月森の腕から布の巻かれたままの聖剣を取って、咄嗟に出現した黒い影を弾いていた。
「誰だ……っ!」
俺は声を荒げ、電灯の明かりを頼りにして公園を見渡す。
しゅるりと布をはずして、反射した光を威勢良く輝かせる聖剣を構えた。
耳に届く空気の中に奇妙な雑音はない。そよ風が吹いて、ブランコがぎこぎこと音を鳴らす。遠くに点在する幾つかのタイヤ、右側に倒れかけているシーソー、至って普通の滑り台。
「ん、フラン。あれは……」
「む……」
今日は晴れだった。雨は降っていなかったはずだ。
少し高めの滑り台の上から、バケツで水を流したように黒い液体が流れている。墨のように黒い何かは、下降に向かって垂れ落ち、そのまま地面へと溜まっていく。
土の上に、小さな湖ができた。
フランと月森を置いて、俺はじりじりと距離を詰めていく。いつでも避けれるような位置を保って黒い液体を眺めた。
「うわっ!!」
突然、黒い液体が塊になって俺の眼前に迫ってきた。さっきと同じように聖剣で弾く。反射神経が向上しているのか、普通の状態なら身体が追いつかなかっただろう。
弾かれた液体は、べちゃりと音をあげて地面に落ちる。そして、その形状を変化させた。
「何だ、こいつ……!」
どろどろと溶けるように、液体が落ちていく。それを何層にも重ねて、液体がモノを完成させる。液体に絵の具を足す如く色が追加される。肌色を練り出し、脚や腕が二本ずつ伸びて、そこから、胴体……頭……目、鼻、口、歯、髪の毛、細かな『人間』の要所が再現されていく。
「ヤァ……ヒカル、クン……!」
「お前……っ!」
黒い液体は、佐伯凌真の肉体を構成していた。だが、凌真とは似ても似つかず、完成した傍から肉体が崩れていく。それを更に液体を塗りつけて、物体の姿形を維持していた。
「サンギュ・イースの影……じゃな」
後方でフランが、そんなことを呟いていた。
「何だそれは?」
「血で生み出された幻影のことじゃ! 三百年前にも、わしは見た……人の血と悪しき精神を吸って創り出される、悪の子供のようなものじゃ。注意せい、力こそ聖剣には及ばないものの、何をして来るか分からぬぞ!」
「ひひゃひゃひゃは……ヒカル君、ヒカル君んんんんん!!!」
魔剣にそっくりな武器を編み出して、凌真の形をした敵が斬りかかってきた。数歩分、後ろへ飛んで、奴の攻撃に対する迎撃準備を行う。
「ぐうっ……!」
金属と金属がぶつかった瞬間に、音波が耳を貫いた。生まれてこの方、一度も訪れたことのない真剣での勝負。まさか、こんな意味不明な敵を刃物で倒すことになるとは……!
剣戟を二度、三度と繰り返すごとに、静寂の公園で殺気が飛び交う。性能差では、圧倒的にこちらの有利。力任せに押し切り、徐々に影の勢いを奪っていく。
「いいぞーヒカル! やってしまうのじゃ!」
「……ヒカル様、ふぁいと」
「頼む、ちょっと静かにしててくれ!」
ギャラリーから声援が送られてくる中、俺は上段から叩きつけられた剣を何とか堪え、そのまま相手の腹に蹴りを入れる。
だが……。
「ヒカル、危ないのじゃ!」
「し、しまった……!」
敵を払おうと蹴りを入れたのが不運にも災いした。
影に人間の持つ物理的な干渉は効かないらしく、水に油を加えるように、影の胴体は四散して液体になり、すぐに元の形状へと戻った。
「ヒカル……ヒカルヒカルヒカル……ヒ、カ、ル君……!! オレハ、凌真ダヨ、ヒカル君……!」
「う、うるさい……お前は、お前は凌真なんかじゃない……!」
俺の右足が、再生した影の肉体に取り込まれて貫通していた。そして、
「うぐ、うがあああああっ……!」
「ヒ、ヒカルっ!!」
フランの叫ぶ声が聞こえる。膝の皿付近を伝わって、じわじわと高熱が発生していた。黒い液体が俺の右足を侵食しようと、溶かしていたのだ。
「……ヒカル様!」
「ぐ、くっそぉ……!!」
俺はがむしゃらに聖剣を振り下ろした。聖剣で斬られることを避けて、影は俺の身体を解放する。だがしかし、俺の右足にも確実に影響が残っていた。
奴に直接触れると溶かされる。俺の緊張は今までにないくらいに引き締まっていた。絶対に負けられない意地と、理解の及ばない相手に対する恐怖が混同し、脳内を穢していく。
右足が痛み支えているのが厳しくなってくる。
けれど、それを晒してしまえば、相手の思う壺。
「きひひひゃ……ヒカル……楽シイ……楽シイヨォ……!」
ちっ、俺は楽しくないぞ。
身体を捻って影に戦いを挑む。剣と剣が相手の命を奪おうと飛び交い、致命の一撃だけは決して受けないよう、加減を加えつつ確実にいなす。
脚がふらつくこともあってか、力では勝るもののお互いに均等した関係を保っている。
──予想以上に、長い戦闘が続いていた。
時間は刻一刻と過ぎ、決定的な一撃を与えられずに硬直状態になっていく。
俺の中で、焦りが出ていた。
「あああっ!!」
剣を弾き、空いた胴元に思い切って斬りかかる。
「捉えたのじゃ!」
フランが力拳を握って声を張った直後、聖剣の刃が影の身体にめり込む。
──はずだった。
「ぐっ……あが、はっ……」
俺のわき腹を魔剣が斬り抜けていた。痛みから、その場で悶える。影は距離を置いて黒い液体に戻り、そして見せたのは、
「お兄ちゃん……オ兄イ、チャン……!」
俺の妹、小夜実の姿だった。
影は俺を嘲笑い、狂乱している。痛恨の大失敗だ……いつか不意打ちをやって来るだろうと意識はしていたが、いざその時になると、俺は妹を斬ることができなかった。
俺の大切な小夜実の姿だけは……。
「ヒャハハハ……ヒヒヒ……ヒヘハハハハハハッ!!」
小夜実の声色まで似せて高笑いしているこいつが、許せなかった。
「死ネ! ヒカルゥゥゥァァアアア!!」
醜悪な姿を晒して、影が上空から俺に飛びかかってくる。
「……うるさい」
勝負は一瞬で決着がついた。
投擲……投げ飛ばした聖剣が、影の身体を刺し貫いていた。
断末魔の雄たけびをあげて影が崩れ去っていく。まがいものの魔剣が砕け、人間の形をしていたものが、水へと戻る。そして液体は蒸発し、何もない世界へと還っていった。
「大丈夫か!? しっかりするのじゃヒカル!!」
一目散に飛んできたフラン。俺は肩膝をついて、痛みを耐え忍ぶ。
「あ、あぁ……何とかな。痛みの方は聖剣のおかげなのか、はっきり分かるペースで回復しているんだ。わき腹に受けた傷も、どっちかって言えばかすり傷に近い」
「そうか、良かったのじゃ……」
フランが一安心して、大げさなため息を吐き出す。
「全く、余り世話を焼かせるものではないぞ。あれはあくまでも影。偽者じゃ、気持ちは分かるが、いざという時にそんなことではイカンのじゃ!」
膨れっ面のフランに説教をされる。
やれやれ、今回ばかりはフランの言う通りだな。もっとしっかりしないと。
心配のかけ過ぎで、これじゃ月森にも叱られてしまう。
「ああ、悪かったな。次は失敗しない。月森も……」
俺は月森を見た。
──月森は倒れていた。
「お、おい!? 月森、どうしたんだよ!?」
痛みも引かないまま、俺は身体を酷使して月森の元へ駆け寄る。
「ヒカル、さま……」
月森を抱きかかえ、肩を強く握る。
何故か、月森の身体がやけに軽い気がした。
「おい、月森しっかりしろ! さっきの影に傷でも負わされたのか!?」
「だ、大丈夫です。少し貧血気味で、倒れてしまっただけですから……」
「……本当に大丈夫なんだな?」
俺は念を入れて確認をする。守ってやる立場の俺が、月森を守れなかったなんて立つ瀬が無い。
「ユイ……」
フランが影森を見つめる。どこか、憂いのある瞳をしていた。
「大丈夫、私は大丈夫、だから……」
乱れた少女の呼吸が、肺を圧迫させている。
身体から息を吐くごとに、俺の手に月森の生命の息吹が伝わってきていた。
それから少しの間、俺はこうして月森を抱いていた。聖剣の加護があると、ここまで傷が癒えるものだとは知らなかった。最初の頃は痛くてしょうがなかったのに、もうほとんど痛みがない。
月森の方も、大分落ち着いていた。
良かった、どうやら本当に貧血だったらしい。
「ヒカル様……」
「どうした、月森。どこか痛むのか……?」
俺は怪我をした部分がないか、しっかりと月森の身体をチェックする。
当然、押さえる手にも力が入る。
そんな最中、月森は恥ずかしげに唇をすぼめた。
「……胸、ちょっと触ってます」
「えっ!? あっ、わわ、悪いっ!!」
月森がのそっと上体を起こす。俺は慌てて、身体から手を離した。
「ふ~む、中々に積極的じゃのう」
「ち、違う! そんなわけじゃ……!」
誤解を招く前に、月森に必死の説明をする。暗闇の公園、他人には見えない幽霊、男と女が一人ずつ、しかも押し倒してるっぽい構図。
そんなシチュエーションを他人が見たらなんて言うだろうか。
そんな言葉をきっちりと月森が代弁してくれた。
「……変態」
「違ああああああう!! 俺は……俺は変態じゃなああああああああい!!!」
夜中の街中に、俺の叫びが木霊した。
その時、住宅地の電気が一斉に点灯したのだった……。




