Episode-2-4
「ふぅ~良い湯だった」
時刻は午後九時を回った頃だ。
風呂を借りた俺は、湯気のあがる身体をタオルで拭って居間へ戻った。現在は、事前に用意してくれた月森特製麦茶を椅子に座って堪能している。
家に寄らずに来たので、鞄はあるし着替えの服は無いしで困っていたんだが、月森が男物の服を用意してくれた。最初は困惑したが、着てみるとサイズがぴったりで心地良い。
彼氏のやつ? と月森に聞くと物凄い形相で睨まれた。何故なのか。
今をときめく女子高生なのだから、彼氏が一人くらいいたって不思議でもないんだけど、案外そんなこともないのか。
……見た目は可愛いんだけどな。
月森が湯を沸かしてくれたらしく、風呂を勧められた。
先に入ればと言おうと思ったが、小夜実と一緒に住んでいた時、俺が後に入ろうとすると嫌がられた。色々と気にすることもあるんだろうと納得していたので、俺は月森の誠意を受け入れた。
湯加減は実に最高だった。適温よりもやや熱めだったけど、これがまた疲れた身体に染み渡る。
特にこの、浴槽に溜まった余分なお湯を自らの体積で流し落とす楽しさ。小夜実との制約生活をしていた頃は考えられなかった。
自分は未成年なのでしたことはないが、一度親父の晩酌で、日本酒を限界まで注いだコップから枡に落とすアレを思い出した。機会があれば、そのうち試してみたいもんだ。
清潔に保たれた浴室は、まるで温泉に浸かったような気分で、極楽浄土に登るようだった。溢れる高揚感とぬくもりが俺の汚れを溶かしていく。
本来ならこのまま五分、十分は浸かっているんだけど。
予期せぬアクシデントの襲来。
フランが夜風に当たりに行って戻ったらしく、遠くで何やら会議を行っている声が聞こえてきた。
はっきりと聞き取れたわけじゃなかったが、やけに重々しい口調だったので、大事なことでも話してるんだろうと気にしてなかった。
の、だが……。
失礼します、と急に月森が浴室に入ってきたのだ。
しかもスクール水着で。何でもその姿で男子の背中を洗うのは『お約束?』なので、大人しく従うべき、とか言われた。この家は客に無理強いをさせるのか。
でもまぁ、わざわざ来てくれたのを拒むのも悪いかな、と思って渋々ながら月森に任せることにした。そう思いきやフランまでもが風呂に侵入して来て、てんやわんやな騒ぎになった。
タオルは必要ないとか、大事な部分(自主規制)を洗わせろとか、ぬるぬるプレイは最高とか意味不明なことを月森に指示してくる。
それからは、もう散々だった。
「どうじゃ、楽しかったじゃろ?」
垢が取れて艶々のフランが、随分とはしゃいで俺の周囲を飛んでいる。勿論、幽霊なので実際に浴槽に浸かったわけじゃない。
全く……小バエか、おのれは。
半分くらいまで減った麦茶入りのコップをテーブルに置く。
「お前のおかげで、とても疲れました。ありがとう成仏してください」
「むっふっふ~、そう褒めるでない。照れるではないか! はっはっは!」
褒めてないっつうの。
後に風呂へ入った月森も居間に戻ってきた。
ほこほこと湯気をたたせる姿は、やはり男の同じものと比べて美しさと華やかさがある。
服装としては、黒めのカットソー、さりげなく模様が添えられたフレアスカート、そこにパンダ色の靴下でアクセントがつけられている。
そして、ドライヤーをかけてある程度乾いた髪の毛。
その上にキャスケットがぽふん、と斜めにかぶせられた。
ん、帽子? っていうか、寝巻きじゃないのか。
「……買い物に行く」
月森は帽子を押さえながら、そんなことを言っている。
だから私服なのか。キャスケットは髪型が崩れないようにする為か? 彼女は几帳面なのか雑なのか、たまに分からないところがある。
月森が、テーブルに置いてあった太巻きみたいに畳まれたエコバッグを手に取る。
ポシェットにエコバッグを詰め込むと、月森の首から下へと紐が通される。身体の中心を斜めのラインが通り、低脂肪よりは身の詰まった両胸が自己主張を始めた。
「うむ、入浴後の散歩は良いのお。わしも星空を眺めるのは今でも好きじゃ」
ふわふわと居間で浮いているフランを見つめる。
彼女には、現世との繋がりなんてほとんどないんだよな。
唯一残される手段が、眺める……か。
こんな日常でも、フランにはきっと羨ましい世界なんだろうなぁ。
さて、一人じゃ何があるか分からないし俺も行くか。
椅子に寄りかかった聖剣に手を伸ばす。
「ちょっと待つのじゃ」
「ん?」
フランが俺を止めた。
「とりあえず、その聖剣はユイに預けておかぬか? ほら、いつも枕の代用にしておったし、何かと落ち着かないこともあるじゃろう」
「そうだな。ほら、月森」
「……うん」
聖剣を月森に手渡す。必要になったら借りれば良いだろう。
「ところで、どうじゃユイの私服は?」
ヒッチハイク少年を捕まえたおっさんのような感じで、乗ってけと言わんばかりに月森へ親指を向けるフラン。
……どう、と言われましても、ねぇ。
視線を横に流して、清廉の乙女をつぶさに観察する。
つい視線が絡み合ってしまい、月森は恥ずかしそうに俯いた。
彼女の上から下までを、じっくりと美術品を鑑定するように目を凝らす。あの時(黒歴史)もそうだったが、スカートの裾を押さえるのは癖なのか、妙に色っぽく風流的なものがある。
卵に目鼻をつけたような顔立ち、夏の夜に咲く白百合かと思わせるほどの肌、花びらみたいに身を包む服装。どれをとっても清純無垢で、美しさと可愛らしさがまさに同居している。
可愛い……いや。
「綺麗、だと思うよ」
俺は無意識の内に、そんな言葉を口にしていた。
間違っていない。俺は月森の容姿に、どことなく女性としての芸術さを見出していた。これを可愛い、と箱入り娘のようにしまっておくのは勿体ない気がする。
「くぃ、くうぃるぇぃ……」
ろれつの回っていない月森が、そんなことを何度か口ずさむ。
俺ははっきり聞こえなかっただろう月森の為に、
「綺麗だよ」
もう一度言ってあげた。
「んぎゃひぃはぁふぅうぇえあぁおおぅぃぃぁあああああ……!!」
穴の開いた風船よろしく、空気の抜けた月森がぶっ飛んだ。一瞬だけ特急列車と同じ速度になった月森は、タンスと本棚の隙間に挟まって、聖剣でバリケードを作り始めた。
「お、おい月森、大丈夫か……?」
心配する俺が手を差し伸べようとすると、目尻に涙を溜めた月森に、警戒する小動物のように激しく睨みつけられた。
「ハァ~~~~~………………」
「な、何だよ」
フランが大きく肩を下げて、俺に哀れみの目を送ってくる。
「いいや、お主の行動が、決して正しくないわけではなかった。ただ一つ、お主とユイの間に違いがあっただけじゃ。プロテスタントでは十字を切らんのじゃが、こればっかりはわしもアーメンと呟きたくなる気分じゃよ……」
フランが神に祈りを捧げ始める。
だから、俺が何したって言うんだよ!
※
夜中の住宅街を照らす電灯に、数匹の虫が集まっている。
月森の住むアパートから、歩いて五分ほどの場所にコンビニがあるらしい。何でも、ヒカル様がいつ冷蔵庫を開けても良いように、飲み物やつまみなどをストックしておくそうだ。
そこまでしなくてもと思っていたが、今は月森との会話を絶たれていて返事もできない。
俺は、数メートル後方から覗いてくる月森に話題を飛ばした。
「なぁ、コンビニで──」
「…………ッ!」
俺が言い切る前に、月森は電柱の後ろにひょいと身を隠す。
のれんに腕押しと言うか、今日のスーパーでのようなやり取りに逆戻りしてしまった。
あ~あ……こりゃ参ったな。
「なぁフラン。月森は一体どうしたんだよ?」
俺の側を漂う幽霊に、身の振り方を聞いてみる。
「ふっふっふ。いやのう、わしのことを嫌っておるヒカル君には、アドバイスなどと言うものは必要ないのではないかのう。ユイをあんな風にしたのは、間違いなくお主の発言じゃぞ」
「むう……」
俺は暗闇の空を仰いでみる。
確かに、初対面の記憶も消えないくらいの関係で口にする内容としては、ちょっと大仰だったかもしれない。もっとライトでソフトなことを伝えれば良かったのか。
ちらっと見る。
う……やっぱり逃げられた……。
キャスケットを深く被り、聖剣で顔を伏せている。
やっぱり、俺が気の利かないことを言ったのが悪かったのか。
関係を修復するのには時間がかかりそうなので、俺はそっとしておくことにした。
「いやー、お主といると楽しいのう!」
「何でだよ……」
フランはやけに楽しそうだ。こいつは人の不幸をバケツで一気飲みするほど大好物だからな、俺が月森に嫌われたのが嬉しいに違いない。
「近くで見れんくなったのはちと残念じゃが、ユイのスカートは良いじゃろ?」
「またかよ……本当、好きだよなそういうの」
「何を言うておる。好きな癖に。あの『ゼッタイリョーイキ』が大好きなんじゃよな」
「ゴホン。まぁ、ききき、嫌いではないけどな……」
自分で口にすると、妙に気恥ずかしくなる。
「ふふん。さすがに太ももフェチのヒカルは言うことが違うの。もっと近くで──」
「……お前何で俺が太ももフェチだって知ってるんだ?」
「あっ」
フランの笑顔が凍った。こいつ、墓穴掘りやがったな。
単刀直入に聞く。
「お前さ、俺と小夜実の会話覗いただろ」
「う、うむ……」
後ろめたさ全開なのか、こいつにしては珍しく正直な回答。
「どこから見てた?」
「え、いやぁ、その、じゃから、下駄箱で手紙を見つけた頃から……」
「ずっとかよ!」
つまりフランは、一部始終を見尽くしてたことになるのか。俺は呆れた。こいつは正真正銘の出刃亀だったのか。少しはまともなやつだと期待していたが、全く……。
ごますりをして機嫌を伺うフラン。
「じゃあ何か? 俺が小夜実と弁当を食べてた時も全部……」
「いやー、あの時のマヨネーズプレイはさすがじゃったのう。思わずわしはお主のことを尊敬したものじゃ! 作り物の芝居より、やはりノンフィクションの方が生々しくて良いのう!」
「プレイって何だよ……」
今、月森に聖剣を持たせているのが悔やまれてならない。
その後、俺達は妙に不自然な関係を保ったまま道を歩く。ここは道幅の広い国道とは違って、住宅地の密集した狭い場所で、迷うほどではないが夜中だと多少怖いものがある。
静まり返った世界で、虫の羽音だけが唯一、今の環境を告げている。
近くに通っている車も、人の影もない。
もし何かがあったとしたら──。
「……ヒカル」
「んだよ」
「何者かの気配がするぞ」
フランが人目をはばかる様子で俺に語りかけてくる。
その声に、冗談めいたものはなかった。
月森に目配せをして呼び寄せる。彼女もそれを理解したようで、三人固まって足を運ぶ。
(……一体、どんなやつだ?)
俺は小声で尋ねつつ、近辺を目で探っていく。
(分からん。ただ、魔剣のような強烈な波動は感じぬ。じゃが、どこかひっそりとした殺意は伝わってくるの。間違いなく、わしらを狙っておる)
(……そうか)
月森が俺の隣に寄ってくる。
(なるべく気づかれない様にしたい。聖剣は敵の姿が明確になってからだ)
(……分かりました)
月森と合図を交わして、会話を終える。
俺達は、何者かの影に引き込まれるように、目的地とは別の方角へと歩いていった。