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長生の奏曲  作者: 闕恆遠


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第1章:2.7 殷都の繁栄と血の匂い

大邑商の朝は、重苦しく規則正しい打楽器のような音で目を覚ました。


それは郊外の祭壇の方向から聞こえてくる、大きな石杵いしきねが石臼の中で祭祀用の香草や朱砂をき潰す音だった。朝特有の水気と土臭さを帯びた霧が、大地を包み込むように立ち込めている。


闕恆遠はガバッと目を見開くと、木製の簡易ベッドの上で上体を起こし、反射的に枕元のスマートフォンを探った。画面から漏れる微かな白い光が、彼の少し青ざめた顔を照らし出す。時刻は午前5時42分、バッテリー残量は変わらず100%を維持していた。


空気には押し潰されるようなねっとりとした感覚が漂っている。それはこの古い都市が長年かけて溜め込んできた血の気と湿気であり、まるで無数の亡霊が版築の土壁の隙間で囁き合っているかのようだった。


彼は視線を横にやった。もう一台の木製ベッドで身を縮こまらせている悦清禾が、不安そうに眉をひそめている。長い睫毛が細かく震え、現代の生活をテーマにした切ない夢にでもうなされているようだった。


伊凝雪、千慕羽、そして玥映嵐の三人は、部屋の隅に厚手の獣皮が敷かれたむしろの上に身を寄せ合って眠っている。静まり返った離れ殿に響く四人の穏やかな寝息こそが、いま彼にとって「生きている」ことを実感できる唯一の証だった。


彼は立ち上がり、重々しい木製の窓辺へと歩み寄った。


ざらついた木の質感が指先に触れ、その生々しい手触りが、これが夢ではなく三千年前の荒野であるという現実を改めて突きつける。


窓の外から、足音に続いて絹織物が擦れ合う微かな沙沙さらさらとした音が聞こえてきた。


「神使様、お目覚めですか」


それは上官婉の声だった。昨日の時よりもさらに柔らかく響いたが、どこか聞き流すことのできない芯の強さを感じさせる。


闕恆遠が窓の掛け金を外すと、廊下に立つ上官婉の姿が目に入った。


彼女はより格式の高い深い絳色こうしょくの絹の長衣に身を包み、襟元には真っ白な裏地がのぞいている。それは身分の高い商代の女性にしか許されない「襜褕せんゆ」と呼ばれる装いだった。


髪は完璧なまでに整えられ、精巧に磨き上げられた数本の象牙のかんざしが交叉して挿されている。朝霧に包まれた彼女の切れ長の瞳は澄み渡り、どこか……切実な渇望の色を帯びていた。


「上官領主」


闕恆遠は礼儀正しく軽く頭を下げた。その声のトーンは平坦で、神霊が持つべき特有の距離感をわざと保っている。


上官婉はゆるりと体を屈めて礼を返した。その背後では、二人の口のきけない女中がうつむいたまま、たっぷりと清水を湛えた銅の盆と、洗ったばかりの野果や香ばしく焼かれた干し肉が盛られた美しい陶の皿を捧げ持っていた。


「婉が、朝の祭祀のあとの清め水を用意いたしました」


「使者様に、俗世の塵を洗い流していただければと」


自らを「婉」と呼ぶその変化に、闕恆遠の胸の奥が微かに揺らいだが、彼の顔には一切の動揺の色を浮かべなかった。


彼は女中から差し出された上質な亜麻布を受け取り、冷たい水に浸した。その刺すような冷たさが、彼の意識を瞬時に鋭く研ぎ澄ませる。


「今日、殷都に入るのか?」


顔を拭いながら、彼は何気ない風を装って尋ねた。


上官婉はこくりとうなずいた。彼女の瞳は終始、闕恆遠の所作を追いかけている。整った輪郭を描く彼の顔を亜麻布が滑っていくのを見つめ、彼女は無意識に袖口をギュッと握りしめた。


「はい。大祭司の百里捷バイリー・ジエが昨日、使者を寄こしまして」


「今日の正午、殷都の大殿にて使者様方にお目通りしたいと申しております」


彼女は言葉をいったん切り、その声の調子を少し重くした。


「大邑商の街中は人と馬が入り乱れ、血なまぐさい熱気に満ちております」


「私が責任を持って皆様をお守りいたしますので」


「使者様方におかれましては、どうか私の親衛の輪から離れぬようお願いいたします」


彼女は言葉をいったん切り、そのトーンをわずかに沈めた。


この強大な王都は天下の中心でありながらも、上官婉の目には、交錯する土の路地裏のあちこちに、未開の野性と血に飢えた獣のような視線が潜んでいるのが見えていた。


闕恆遠はその言葉の裏にある警戒心を鋭く察知した。それは大祭司に対するものだけでなく、この都そのものに対する恐れにも似た感情だった。


それから三十分後、準備を整えた五人が出発のときを迎えた。


上官封地の大門を一歩出た瞬間、強烈な朝の陽光が濃い朝霧を鋭く切り裂き、遠方にそびえ立つ殷都の壮大な城壁に金色の縁取りを描き出した。


それは壮大でありながらも、どこか不気味な行列だった。


上官婉は自身の封地から精鋭の親衛隊を動員し、数十人の青銅の鎧をまとい長矛を手にした兵士たちが先頭を切って道を開く。彼らは野蛮なまでの勢いで、群がる平民や奴隷たちを乱暴に押し退けていった。


「神使様のおなりだ!」


「退け! 全員退がれ!」


兵士たちの怒号が空気を震わせ、重々しい足音が地響きのように重なって、侵すことのできない神聖な威圧感を漂わせる。


悦清禾は闕恆遠のロングコートの袖をぎゅっと掴み、その瞳には恐怖の色が色濃く浮かんでいた。


この都市は、彼女が歴史の教科書で目にしたものとは完全に異なっていた。


そこにあるのは整然とした美しさなどではなく、ただ混沌と野蛮、そして生々しい残虐さが織りなす圧倒的な生気だけだった。


不揃いな幅の土の路面には深い車輪のわだちが幾重にも刻まれ、家畜の糞尿や名もなき腐肉の放つ耐え難い悪臭が鼻をつく。


道端にはボロをまとった無数の平民がうずくまっていた。彼らは日に焼けた肌を露わにし、その目は一様に虚ろで生気を失っている。だが、五人の異様な身なりを視界に入れた瞬間、その乾いた瞳の奥に狂気に満ちた病的な熱が灯った。


「見ろよ……」


「あれが天火で織り上げたという衣か?」


「麻でもないのに、絹よりも光り輝いているぞ……」


ざわめくようなヒソヒソ声が群衆の間を這い回り、それはまるで草むらを滑る毒蛇のように人々の間を伝っていった。


闕恆遠は、路傍のあちこちに不気味にそびえ立つ巨大な木製の架台にふと目を留めた。


そこには、すっかり風化した人間の残骸や、歪んだ四肢のなれの果てが吊るされており、中にはまだ生々しい血の滲んだものすら混じっているのだった。


それは祭祀の果ての残骸であり、この都市が血と肉を注ぎ込んで築き上げたグロテスクな繁栄の姿だった。


千慕羽はその光景から目を背け、思わず込み上げる吐き気を堪えながら、慌てて手元のスマホの画面に視線を落とした。


その小さく光る長方形の画面の中にだけ、辛うじて文明世界の影が残されており、それが彼女の精神が完全に崩壊するのを辛うじて繋ぎ止めていた。


「あっちを見るな。俺について来い」


闕恆遠の低く安定した声が響く。背後を歩く伊凝雪と玥映嵐が微かに震えているのを感じながらも、彼女たちは気丈に顔を上げ、最後のプライドを保とうと必死に歩みを進めていた。


隊列が殷都の本城門をくぐり抜けた瞬間、周囲の空気が一気に張りつめた。


数十メートルもの高さを誇る巨大な版築の城壁は、無数の奴隷の命を犠牲にして積み上げられた防壁であり、その表面には暗紅色の朱砂が塗りたくられ、日光を浴びて妖しい血の光を放っている。


城門を守る衛兵たちは一様に重厚な青銅の鎧をまとい、頭の兜には鮮やかな鳥の羽が挿され、磨き上げられた鋭い光を放つ長鉞ちょうえつを握りしめていた。


その時、前方の群衆が突然ざわめき立った。


純白の麻衣をまとい、腰に骨製の装飾を下げた祭司の親衛隊が、進路を塞ぐように立ちはだかった。


先頭に立つ老人の顔には黒い呪術の文様が塗りたくられ、その瞳には生も死も超越したかのような冷酷な光が宿っている。


「上官領主、大祭司様の思し召しだ」


「神使様たちは身分が尊い。まずは大神殿におもむき、身を清め香を焚くべきである」


「俗世のガラクタを持ち込んではならぬ」


老人の視線が、闕恆遠が握りしめるスマートフォンを掠め、その奥底に隠しきれない貪欲な光をちらつかせた。


上官婉は冷たく鼻を鳴らした。彼女は牛車を進めて老人に直接詰め寄り、その切れ長の瞳に一歩も引かない野心を燃え上がらせる。


「大祭司様のお心遣いはありがたく頂戴いたします」


「だが、神使様たちが手にする神の道具こそが、天と直接対話するためのものです」


「この天火の道程を遮る者あらば、それは上官家の命を賭した敵とみなします」


彼女は腰に差していた青銅の短剣を引き抜き、車体に激しく叩きつけた。キィィンと鋭い金属音が鳴り響く。


兵士たちが一斉に長矛を突き出し、空気に漂う緊張感は一気に最高潮へと達した。


大邑商の最も賑やかな目抜き通りで繰り広げられた、「神権」と「地元の豪族権力」による真っ向からの権力闘争だった。


老人の顔色がわずかに険しく変わる。彼は上官婉の背後で殺気を放つ精鋭たちをひとにらみすると、最後には渋々ながらも体を横に引き、道を譲らざるを得なかった。


「領主様、お見知りおきを」


「大祭司様が大殿にてお待ちでございます」


上官婉は老人に一瞥もくれず、闕恆遠の方を振り返った。その冷徹だった瞳は、一瞬にして柔らかい光を帯びる。


「使者様、ご安心ください」


「この婉に一息の命ある限り、」


「誰一人として、あなた方の指一本触れさせることはありません」


その瞬間、闕恆遠は上官婉の瞳の奥に、畏敬の念さえも超越した強い執念を見た。


それは、神そのものを我が物にしたい、神と共に生き、その力を支配したいという狂気にも似た渇望だった。


彼は悟った。この華麗さと血の匂いが渦巻く残酷な都において、上官婉こそが、彼らがこの長い年月を生き抜くために握りしめることのできる唯一の刃なのだと。

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