表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

第六話、もう少しだけ話がしたい


騒がしい飲み会の中で、言葉よりも沈黙の方が近く感じられる二人。

蒼汰にとっても結衣にとっても、ここから少しずつ「一度きりだった時間」が続き始めます。

「今は、物流なんですね」 

 沈黙を引き受けるように、彼女が口を開く。 

「ええ。異動になりまして」 

 それだけの会話なのに、なぜかあのときより少しだけ距離が近い。

「今井さん。休憩時間中は、いつも本を読んでましたよね……」  

「……ひとりで静かに過ごすほうが性に合ってるんで、癖みたいなものです」

「ああいう時間のほうが、落ち着くんで……」

 一瞬、言葉の意味を測りかねて曖昧に返す。 

 

「やっぱり」 

 彼女は小さく納得するように頷いた。 

「バスの中でも、そんな感じでしたから」 

 その言葉で、夕暮れの車内が一瞬だけ蘇る。

「……そんなに分かりますか」 

「なんとなく、ですけど」 

 彼女は笑う。あのときと同じ、けれど少しだけ距離の近い笑い方だった。

 

「私は、あんまり本は読まないんですけど」 

 そう言って、彼女はグラスを軽く回す。 

「でも、ああいう静かな時間は、私も嫌いじゃないですよ」

 無理に合わせたような言い方ではなく、自分の中にも同じ温度があったことに、後から気づいたような言い方だった。

 言葉を選んでいるのに飾っている感じがしない。 

 気がつけばグラスを揺らす彼女の指先をぼんやりと眺めていた。


 人と話をする際には、いつも細心の注意を払って『安全な空気』を整えている。

 けれど彼女は、そういうものを意識している様子もなく、そこにいるだけで場の角が取れていく。


 上司たちの言葉に晒されて、どこか引っかかっていたものが静かに落ちていく。

 理由は分からない。

 ――ただ、

 余計な力が抜けていた。

 

――

 何を言っても、彼は驚かない気がした。

 うまく整っていない言葉も、形になっていない感情も、そのまま置いておける。


 前に進められることもなく、引き出されることもない。

 それでも、途切れている感じがしない。

 呼吸だけが同じ速さで続いていて、その状態が当たり前みたいに保たれている。

 合わせようとしているわけでもなく、合わせられているわけでもない。

 その状態が当たり前みたいに保たれている。


 ――こんな時間は、

 たぶん、ほとんどなかった。

 何かを話せば、どこかで整えられてしまう。

 黙っていれば何かを求められてしまう。

 そういうものだと思っていた。


 だから、言葉にしないまま置いておけることに少しだけ戸惑う。

 戸惑うのに離れようとは思わなかった。

 むしろ、

 このまま崩さずにいられるなら――

 もう少しだけ、ここにいてもいい気がした。


 ――

 あのときと同じ温度の沈黙が落ちる。 

「……あのときのこと、覚えてるんですね」 

 気づけば、そう言っていた。 

「覚えてますよ」 

「なんだか、不思議だったので」 

 理由としては曖昧すぎる。

 けれど、それ以上を説明しないことが、かえって正確だった。

 無理に言葉にして崩すよりそのまま残している。

 

 店のざわめきが戻ってくる。 

 誰かが笑い、誰かが呼ぶ。

 アルコールと誰かの香水が混ざった空気がわずかに揺れる。

 

 けれど、その中で。

 あの夕暮れだけが少しだけ現実に繋がった気がした。

 余計な説明もなければ押しつけもない。

 それでも会話は途切れなかった。


 理由は分からない。うまく説明もできない。

 ただ—— 

 もう少しだけ、彼女と話をしたいと思った。

 

「……朝比奈さん」

「はい」

「次の休みの日に映画を観に行く予定にしてるのですが、もしよろしければ、一緒に観に行きませんか?」

 場の流れでもない酒の勢いでもない。ましてや計算もしていない。

 ただ、理由も分からないまま気がつけば口が先に動いていた。

「……えっ?」 

 彼女は、パチリと目をまばたかせる。 

 その反応が当然すぎて、遅れて自分の言葉の形を理解する。

 

 ――いくら何でも急すぎる。 

 さっきまでとは違う沈黙。あのバスの中のものとは違う、 “選ばなければならない側”の気まずい沈黙。 

「いや、その……すみません。唐突すぎました」

 視線を泳がせながら、無様に付け足す。

 一線を引くことで、場の雰囲気を壊さないようにしてきたはずなのに、自分からその線を踏み越えて勝手に足元を滑らせている。

 

 言い直そうとしても、言葉が見つからない。

 いや、言い直す話じゃない。

 もう言葉として出ている以上、引き戻す方が不自然だ。 

 彼女は視線を落として、グラスの縁を指でなぞっていた。その動きに心拍だけがわずかに乱れる。



ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、再会から映画に誘うまでの回でした。

言葉が多いわけではないのに、なぜか一緒にいられる。

そんな二人の距離感を大事にしています。


よければ、感想や評価で応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ