第三十七話、優しすぎる"最適解"
第三十七話です。
結衣が差し出したのは、蒼汰の未来を縛らないための別れでした。
負担をかけたくない。
何かを我慢させたくない。
自分の存在によって、彼の選択肢を狭めたくない。
その結論は、痛いほど誠実で、理にも適っています。
だからこそ蒼汰は、簡単に否定することができません。
けれど、その“最適解”には、ひとつだけ欠けているものがありました。
結衣自身が、本当はどうしたいのか。
そして蒼汰は再び、かつて自分が「正しさ」で誰かを傷つけた過去と向き合うことになります。
相手に負担をかけないために。
未来を縛らないために。
自分の存在が、いつか相手の選択肢を狭めてしまわないように。
――だから、自分のほうから身を退いて離れる。
彼女の言っていることは、理解できた。
自分本位の正しさではない。
相手のことを考えたうえで、痛みを引き受けるようにして選び取った結論だった。
優しさから導き出された、ひとつの“最適解”。
だが、その最適解が、彼女自身を追い詰めている。
そのことだけが、どうしても引っかかった。
気がつけば、眉間に寄った皺を隠すように、額に手を当てていた。
――反論はできる。
そんなことは関係ない。
自分は気にしない。
一緒に考えればいい。
これから先のことは、今ここで決めなくてもいい。
言葉はいくつも浮かぶけれど、そのどれもが、今の彼女の覚悟の前に置くにはあまりにも軽すぎた。
彼女の言い分は理解できる。
理には適っている。
筋も通っている。
ここまで言葉にするまでに、どれだけ一人で考えて、どれだけ悩んで、どれだけ自分を責めてきたのかも、なんとなく分かってしまう。
だからこそ、その結論を軽々しく否定することはできなかった。
――けれど。
そのまま受け入れてしまえば、彼女との関係はここで終わる。
彼女が自分のために選んだ別れを、自分が黙って受け取れば、それはきっと綺麗な終わり方になる。
彼女の望む形でもあるのだろう。
――だが、それで本当にいいのか?
彼女が差し出した結論は、確かに優しい。
痛いほど誠実で、こちらを縛らないように作られている。
それでも、その中には、彼女自身の望みだけが入っていない気がした。
負担をかけたくない。
迷惑をかけたくない。
未来を奪いたくない。
そういう言葉は、いくつもあったけれど、彼女が本当はどうしたいのかだけが、そこから抜け落ちている。
それに気づいた瞬間、胸の奥で何かが静かに熱を持った。
ふたたび過去の感触が、よぎる。
世間や誰かが決めた“正しさ”を疑わず、それを振りかざすことが、相手のためになると信じていた頃の自分。
あのときも、同じだった。
ルール違反が増えていた相手に対して、他の人間は守っている。
だから、守るべきだとそう説明した。
正しいことを、正しい順番で並べただけだった。
相手は何度か何かを言いかけて結局、何も言わなかった。
ただ一度だけ、「……そうだね」と頷いた。
その声が妙に軽かったのを覚えている。
そして、翌日から連絡がとれなくなった。理由は知らない、聞く機会もなかった。
正しさを振りかざして踏み込んではいけない距離に踏み込み、手を伸ばすべきではない場所に迷いなく触れて、結果として相手を壊した。
あのときの沈黙と言葉を失った顔だけが、今でも残っている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、結衣が選んだ別れを受け止めながら、蒼汰がその結論に潜む矛盾へ気づく場面でした。
結衣の言葉には、筋が通っています。
相手に負担をかけたくない。
未来を縛りたくない。
自分のために、何かを諦めてほしくない。
それは身勝手な別れではなく、蒼汰を思う気持ちから導き出された、ひとつの“最適解”です。
だから蒼汰は、すぐに「そんなことは関係ない」とは言えません。
彼女がどれだけ一人で悩み、その結論へ辿り着いたのかを理解できてしまうからです。
けれど、その答えの中には、結衣自身の願いだけがありませんでした。
迷惑をかけたくない。
未来を奪いたくない。
彼には幸せになってほしい。
それらはすべて蒼汰のための言葉です。
しかし、「私はどうしたいのか」という結衣自身の気持ちは、最初から答えの外へ追いやられていました。
優しさから生まれた答えが、必ずしも人を救うとは限らない。
正しく整えられた結論であっても、その人自身を置き去りにしているのなら、本当にそれを正解と呼べるのか。
そして蒼汰は、かつて自分が正しさを振りかざし、誰かの言葉を失わせてしまった過去を思い出します。
過去のように、自分の答えを押しつけてはいけない。
けれど、相手の答えを黙って受け取るだけでも、結衣の本心は救われない。
今回は、蒼汰がその二つの間で、初めて自分自身の言葉を探し始める回でした。
次回、蒼汰は「正しい答え」ではなく、自分で選び取った答えを結衣へ伝えます。




