28-3 師匠は魔王
「伝承にある、姿も伝わっていない魔王という存在。死んだとされる魔王は、実は生きていた。実は魔道的に神聖な生き物である猫だった。大魔法使いミヤであった。それが真実であると見て相違無いな」
ジャン・アンリがミヤを見下ろして、いつもの淡々とした口振りではなく、朗々とした口調で指摘する。これはジャン・アンリなりに昂っているのかと、ミヤは思った。
「ふん。お前はつくづく底が知れない男だね。どうしてそう思った?」
「ふむ。誤魔化すつもりは無い、か」
ミヤが問うと、ジャン・アンリは興味深そうな声を発して眼鏡に手をかけた。
「その質問の答えとしては、むしろ他の者がそう思わない方が、私には理解できない。魔王の置き土産である災厄『破壊神の足』を撃退したのが、大魔法使いミヤ。しかし破壊神の足は、多くの魔法使いと、『八恐』のブラッシーとアルレンティスが立ち向かっても、敵わなかった。では、それを討伐できるほどの力を持つ者は――魔王くらいのものではないかと、誰も考えないのか? 魔王は実は生きていたという発想には至らないのか? 私はむしろそう考えた。そもそもブラム・ブラッシー、アルレンティス、ウィンド・デッド・ルヴァディーグル等、八恐の貴女に対する接し方は、仕える主人のそれであろう。貴女の彼等の扱い方も、自分の部下を扱うかのように感じられた。そして今現在八恐の三人を従えている点も、ミヤの正体が実は魔王であるとすれば、合点がいく」
そこまでまくしたてた所で、ジャン・アンリは一旦言葉を区切り、ミヤの反応を待つ。
ミヤが何も喋ろうとせずに沈黙したままなので、ジャン・アンリは話を続けた。
「そして魔王と縁がありそうな存在が、魔王の残した災厄である人喰い絵本。ここの住人なら何か知っているのではないかと、尋ねてみた。宝石百足とメープルFは、少し間を置いてから否定した。図書館亀はただ沈黙していた。いずれも君に気を遣い、真実を口にしなかったと推測できる。一方で嬲り神は、ダァグ・アァアアのいるあの世界に入った際、ミヤが坩堝の封印を緩め、力を引き出したと告げていた。アザミとの戦いにおけるあれだ。魔王廟の奥から通じる夢の世界とやらではなく、この世界から門を開いて、坩堝に直接干渉するという離れ業をやってのけた。故に確信も出来る。私は確信した。ミヤ、君は魔王だと。理解してもらえたか?」
「お前の発想……思考回路、普通じゃないが故に、真実に行き着いたわけだ。いやはや全く大したもんだよ。感心した。鬼才にして奇才たるジャン・アンリ――お前ならではだ」
ジャン・アンリが語りたいことを全て語ったと見なし、ミヤは神妙な顔つきで称賛を口にした。
「で、ただそれを確認したかっただけかい? 何か目論見があるのかい?」
こころなしか皮肉げな口調で尋ねるミヤ。
「確認したかっただけと言っておこう。しかし、真実を知ることに多大な価値があるとは思わないか?」
ジャン・アンリが答えた直後、ユーリとノアが家の扉を開いた。
ミヤははっとして、ユーリ達の方を見る。
「何と……その表情からして、今の会話が聞かれてしまったと見てよろしいか?」
ジャン・アンリがユーリとノアを見て言う。
「嘘でしょ……師匠。悪い冗談ですよね?」
ユーリは蒼白な顔で声を震わせ、師を見て問いかける。
「いいや、嘘ではない……。本当のことよ。魔王が勇者に討たれただの、勇者が魔王と刺し違えただのという伝説こそが、真実とは異なるのさ。魔王はこうして生きているんだよ。この男の言う通りさ」
ミヤがジャン・アンリを一瞥し、暗い声で告げた。
「師匠が魔物の軍を率いて、多くの人間を殺し、国を滅ぼしたって……。人喰い絵本や……魔物や……様々な災厄をもたらしたって……」
「ああ、その通りだよ。ユーリ、お前の母親も、儂が殺したようなものさ」
愕然とした表情で喋るユーリを見据え、ミヤははっきりと言った。
「マジで……?」
「本当のことよ」
ノアが臆した顔つきで、ユーリとミヤを交互に見やって呻くと、ミヤがはっきりと告げる。
「何か事情があったんですよね……?」
「何も……無いわい。本当にあの時の儂は、悪そのものであったよ。世界の全てが呪わしく、全てを恨み、怒り、憎かった。そして儂は、祟り、呪い、壊し、奪い、殺して殺して殺し尽くしたんだよ」
震え声で問うユーリに、ミヤは淀みない口調で言った。
「どうしてそんな……」
「いずれ気が向いたら話してやろうぞ。今は……言いたくない。できればずっと言いたくないがな。もう一度言う。この三百年間、魔物達に殺されている者達も、人喰い絵本に吸い込まれた死んだ者達も、その全てが儂のせいだよ」
信じられないし信じたくない話を口にするミヤに、ユーリはすっかり混乱していた。
「師匠が魔王なんて……信じられない」
「こんな嘘をついてどうする。残念だがね、儂が魔王なのは事実だ。儂こそが、この世で最も忌むべき悪なんだよ。儂こそが人喰い絵本をこの世界に呼び込んだ、史上、最も罪深い存在なのさ」
指先まで震わせて口元を押さえるユーリに向かって、ミヤが厳粛な口調で言ってのける。
「ユーリや。以前、儂はお前に魔王を憎めと言うたな? 覚えておるか? しかしお前は、死んだ人を憎んでも仕方ないと言うたな? しかしこの通り生きておるぞ。ふん……これで好きなだけ憎めるというものさ」
たっぷりと皮肉と自虐を込めて言い放つミヤに、ユーリはうなだれて沈黙してしまう。
「師匠が魔王……」
ノアもユーリ同様に震えていた。
『多くの血を流すとわかっていた。儂はもう、それが嫌だったんだよ』
数日前、K&Mアゲインとの決着がついた日の夜、ミヤが口にした台詞を思い出すノア。あの時の『もう』という台詞は、過去にミヤが多くの血を流す行いをしたということを示唆していた。その意味が、今明らかになった。
(ユーリ、シモン両先輩は、婆のことを師匠呼びする。一方、同じ弟子である八恐は、師匠とは呼ばずにミヤ様と呼ぶ。つまり八恐の師匠というのは嘘で、婆が魔王だったからか)
それは以前にノアが感じた疑問であったが、この時点で氷解した。
(婆が魔王だったなんて格好いい。ジャン・アンリの言う通り、これは得心がいく。もしかして俺が魔王になれるチャンス、また来ちゃった? 近づいちゃった? フラグ立った? いや、それよりも今は、先輩が心配だ。先輩の母さんは人喰い絵本に殺されて、その人喰い絵本を招いたのが婆だったなんて。しかも婆の口から、先輩の母さん殺したとか言っちゃうし、流石の先輩も混乱して……)
ノアが隣にいるユーリを見る。
うなだれていたユーリが、いつの間にか顔を上げていた。震えも止まっている。蒼白だった表情も、いつもの穏やかなユーリのそれに戻っていた。
(あ、先輩の混乱、もう収まった。というか収めた。相変わらず切り替え早い)
平静を取り戻したユーリを見て、ノアは胸を撫で下ろした。
「申し訳ないミヤ。私のせいでこのようなことになってしまい――」
「気にしなくていいよ。二人の存在に気付かなかったのが悪い。儂もお前の話に気を取られすぎていたね」
謝罪するジャン・アンリに、ミヤが自嘲交じりに言う。
「ここでお暇した方がよさそうだ。失礼する」
ジャン・アンリが一礼し、ユーリとノアの横を通り抜け、家を出ていく。
「先輩……師匠を――」
「大丈夫だよ、ノア。僕は師匠を恨むなんてこと有り得ない。怒りもしない。ショックではあったけどね」
気遣うノアに、ユーリが微笑んだ。
「ずっと秘密にしていたこと辛かったでしょう?」
ユーリが微笑をたたえたまま、ミヤの方を向いて優しい声をかける。
「ふんっ。儂はこの世で最も呪われし者よ。誰よりも多くの罪を犯し、誰よりも多く命を奪い、何よりも多くの苦しみを生み出してきた。死した後、地獄があるのであれば、儂は地獄で永遠に罰せられても、仕方がないと思うておる。それは受け入れる」
ダークな口調で語りながら、ミヤはユーリを真っすぐ見る。
「だが……正直、儂はお前にだけは知られとう無かった。お前にだけは軽蔑されたくなかったからね。まあ、知られてしまったのも運命か。ジャン・アンリの言う通りだ。バレる要因は幾つもあった。しかし魔王は死んだものと信じられているから、儂が魔王であると結び付ける者は現れんかった」
「俺には知られてもいいの?」
「よくないが、ユーリは十年も儂が育ててきたし、この子の母親のこともあるから、尚更だよ」
突っ込むノアに、ミヤが答えた。
「ジャン・アンリ、凄いよね。言われてみれば納得できるけど、その事実に辿り着いたのは凄い。師匠の言う通り、魔王は勇者に討たれているという前提が、事実への到達を拒む」
感心するノア。
「ユーリ、これだけは確認しておきたい」
ミヤが静かな口調で問いかける。
「お前の母親を殺したのは儂のようなものなのだ。それを知ったうえで、そんな儂と、これからも一緒にいられるのかい?」
「その僕を親代わりになって育ててくれたのは師匠です」
ユーリはミヤから視線を外す事無く、穏やかな表情のまま、力強く言い切った。
「そう言われると救われる気持ちもあるが、余計に痛みも感じてしまうよ」
ミヤがユーリから視線を外し、うつむき加減になる。
「償いのはずだったのに。その償いを楽しんじまったんだ……。儂は……」
そこまで喋った所で、ミヤは既視感を覚えた。
(この台詞、儂は前にも言っていたね。はて、いつだったか……。嗚呼、そうだ。言ってはいない。あの白猫の爺さん……シロの前で思っただけで、口にしたわけじゃない)
そう思いつつ、ミヤは顔を上げる。
「儂は罪深い。お前の母を死においやったうえで、お前と幸福な時間を過ごしてしまった」
「僕の母さんなら、そんなことで師匠を責めないと思います。母さんのこと、よく覚えてないけど、僕の母さんですし」
「そうだね……」
ユーリの言葉を聞き、ミヤは目を閉じ、自身に魔法を使った。涙を隠して見えなくする魔法を。
「人喰い絵本をもたらして、僕の母親を死に追いやった負い目を、ずっと引きずっていたのですか?」
「ああ……意識しとったよ。すまなかったと思っておる。なじるならなじればよいし、殴りたいなら殴ってもいいし、殺したければ殺してもよいぞ」
ユーリに問われ、ミヤは申し訳なさそうに言う。
「じゃあ、これは……?」
ミヤの髭をつまんで抜こうとするノア。
「やめんかーっ!」
ミヤは血相を変えて念動力猫パンチを放つ。ノアがよろけて倒れそうになったが、ユーリがその体を支えた。
「師匠」
ユーリがミヤに向かって微笑みかけ、言った。
「謝りましょう」
ユーリの言葉を聞いて、ミヤは目を大きく見開き、ぽかんと口を開く。フレーメン反応のような顔になる。
「誰にも届かなくていいんです。届かなくてもいいから、心の底から、師匠が犯した罪を謝りましょう。声に出さなくてもいいんです。その気持ちがあれば、心の中で一言ごめんなさいと言いましょう」
「お前……はあ……お前って奴は……。育ての親で学びの師である儂をつかまえて、何たる不遜な台詞をぬかしよるか……。儂はもう毎日謝っておるわい……何度謝ったかわからんわい」
大きく溜息をつくミヤ。
「じゃあ祭壇の前でいつも祈ってるのは……」
「それ以上言ったら破門で勘当だよ」
ユーリが何か言いかけたが、ミヤが硬質な声で遮った。
「儂は……何度勘当だ破門だと言ったかわからんが……本当にお前を破門にも勘当にもせんでよかったよ……」
ミヤがユーリを見上げて微笑む。
「儂は悪の限りを尽くした魔王だが……この世で最も悪の限りを尽くした呪われし存在だが……晩節で……ようやくいい事が出来た。お前をいい子に育てることができた。今は誇りを持って言える。儂のこれまでの悪事の数々を帳消しに出来るほどの偉業――」
「あううう……ううう……」
ミヤが喋っている最中に、突然泣きだすノア。
「よかったあ……。先輩が師匠に対して怒るとか、悲しんで泣き喚くとか、師匠が落ち込んで家出するとか、そんな展開にならなくてよかったあ……うううう……」
「何でお前が泣きだすのかねえ」
むせび泣くノアを見て、ミヤが苦笑する。
「ノアは思いやりある子なんですよ」
「違う。俺にそんな思いやりは少しも無い。俺は悪の中の悪だ」
ユーリの言葉を、涙声のまま即座に否定するノア。
「一つ質問。師匠が魔王だった頃、猫だったの? 魔王が猫だったなんて話はないし。そもそも魔王の姿自体、伝わっていないけど」
ノアが涙をぬぐいながら、涙声のまま尋ねる。
「それが儂に残っていた良心だったのかもしれんの。儂は姿を隠し、八恐以外の配下の前には出なかったからの。魔王が猫だと知られれば、同じ猫達の扱いも変わってしまうかもしれんと思うてな」
「なるほど」
「ふむむー」
ミヤの話を聞き、ユーリとノアは納得した。
「さて……その話はこれくらいにしておくかね。あ奴の持ってきた土産を見てみよう」
ミヤが布袋に包まれた二枚の絵を見やり、一枚目の袋を魔法でほどき、絵を念動力でたてかける。
袋の中から現れた絵を見て、ミヤはまたフレーメン反応のような顔になった。ユーリも絶句して、絵を凝視していた。
「すごい絵だ。ジャン・アンリ、凄い……」
ノアもその絵を見て感動する。
それは椅子に座ったユーリが微笑み、ミヤを膝の上に抱き、その頭を撫でて慈しむ絵だった。ミヤは心地好そうな顔をしている。
「これは……やってくれるねえ……。ジャン・アンリ……。思わぬ形で報復されちまった気分だよ」
しみじみと話すミヤ。
「報復なの?」
ノアが不思議そうに尋ねる。
「うむ。何故かそんな気がしたわ。そして恨みや憎しみで傷つけられるより、こっちの方がインパクトがある」
(師匠が魔王云々の話をした後で、こんな絵を見ることになるなんて……)
ミヤもユーリも、目が絵に釘付けになったままだ。
「俺がいないんだけど」
「きっともう一枚目にいるよ」
頬を膨らませるノアに、ユーリが言う。
ミヤがもう一枚の絵の袋を開き、立てかける。
二枚目の絵を見て、今度はノアが言葉を失う番だった。
「ほう……これはまた……」
ミヤが二枚目の絵を見て感心する。
二枚目は、マミが幼いノアと手を繋ぎ、マミが愛おしげにノアを見ている絵だった。
「母さんが俺にこんな表情向けたことは……ほとんど無い」
しばらく時間を置いてから、ノアが絵を見据えたまま呻く。
「ほとんどってことはたまにあったんだよね。何よりこんな絵を描くってことはつまり、ジャン・アンリはノアのお母さんの、こんな顔を見ていたってことじゃないかな」
ユーリがノアの方を見て、微笑みながら告げる。ノアはただじっと絵を見つめ続けている。
「ジャン・アンリめ、全くもってあ奴は、人の心を突き刺すことに長けている男だよ」
自分が魔王であると指摘した事も含め、ジャン・アンリに散々仕返しをされてしまったと、改めて思うミヤであった。もちろんジャン・アンリにそんなつもりはないことは、わかっている。




