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26-3 第四の壁なんて無かった

 陽が落ちた。


(嗚呼……やっとフェイスオンと二人きり……夢みたい……と言いたい所だけど、メープルFがくっついているのよね……)


 喜びかけて、お邪魔虫の存在を思い出し、マミは嘆息した。


「ア・ハイから見る星座とはまるで違う」


 夜空を見上げるフェイスオンが呟く。


「そりゃ、別世界の星座だしね」

「しかし人喰い絵本の中で見える星座は、大体同じだ。人喰い絵本は個別の世界――断片世界という説があるが、図書館亀が言うように、実際は繋がっている証拠かもしれない」

「なるほど、流石の洞察力ね」


 フェイスオンの説に感心するマミ。


「人喰い絵本には多くの叡智が眠っている」


 星座を見上げたままフェイスオンが言う。


(嗚呼……何て理知的で端正な顔立ち……)


 フェイスオンの顔に見とれていたマミの視線が、フェイスオンから外れて夜空に向けられた。流れ星が流れたのだ。


「何か願いを祈った?」

「忘れていた」


 マミが尋ねると、フェイスオンは微笑んで肩をすくめる。


「私は祈ったわ。誰にも負けない強い力が欲しいって」

(この女らしいわね)


 マミの祈りを聞いて、メープルFが苦笑いを浮かべる。


「フェイスオンは何が目的? 何が願い? 人喰い絵本に入るからには、何か目的があるんでしょう?」

「もっと多くの人を救える医者になりたい」

「医者……」


 その単語を聞いて、マミの顔色が変わる。医者という言葉を聞く度に、マミはいつも心を激しく揺さぶられる。師匠の事を思い出してしまう。


「どうしたんだ?」

「私も昔医者の……いや、何でもない。フェイスオンは人を助けるために医者になったのよね? 正直、この世の中、くだらない奴ばかりって気がして……助ける価値なんてあるのって、私……そう思っちゃうんだけど」

「人は世界にただ生きているだけでも――生きて世界を感じられるだけでね、素晴らしいことだと私は考える。そして多くの者、己に与えられた個が愛おしいから、生に執着する。死にたくないし、生きていたんだ。でもその個はふとしたことで失われてしまう。世界のルールは残酷だからね」


 陰にこもった口調のマミとは対照的に、フェイスオンは朗々たる口調で己の考えを述べる。


「だけど、世界の過酷なルールに立ち向かう方法もある。その一つが医療だ」

「師匠と同じこと言ってる……」


 フェイスオンの台詞を聞いて、マミは皮肉げに笑った。


(私はフェイスオンや師匠と真逆の存在になっている。命を刈り取り、弄ぶ者に)


 どうして自分がこうなったのか、マミにはわからない。思い出せない。そして思い出したくもない。


「あ、忘れてた。これこれ」


 ふと思い出し、懐から何かを取り出すマミ。


「はい、これ」


 マミがフェイスオンに、金ぴかの甲虫がとりつけられたペンダントを差し出す。


「マミ、それは?」

「命運がアップする御守りよ。ただし金曜限定でおでこに巻くのね。今日は金曜日だし、丁度いいわ。高かったのよー」

(相変わらず怪しい品が好きなんだな……)


 心底嬉しそうに語るマミを見て、フェイスオンは鼻白んでいた。


「フェイスオン、よかったら貴方が巻いて」

「う、うん……でも私のおでこにはメープルFがいるから……」

「メープルF! あんたさっさとフェイスオンから分離しなさいよっ!」

「できるんなら分離したいわよ」


 声を荒げるマミに、メープルFは半眼で告げる。


「異界の魔道具か? 吾輩は興味津々だ。見せてみるがよかろう」


 祈祷師が覗き込んでくる。


「何その偉そうな口振り」


 フェイスオンとの間に割って入ってきた祈祷師を見て、マミはむっとする。


「魔道具じゃないよ。ただの占いグッズ」


 フェイスオンが言うと、マミは悲しげな顔になった。


「いいえ、フェイスオン。魔道具ではないのに不思議パワーを秘めている可能性があるからこそ、こういうグッズは光るものなのよ。貴方にもこの手の怪しいグッズの素晴らしさをわかってもらいたいわ」

「怪しいって自分で言ってるし」


 マミの言い分を聞いて、メープルFは苦笑した。変な商品に騙されているわけではなく、あえてそういった怪しい商品を買っているようだと、認識を改める。


「で、祈祷師さん。貴方は人喰い絵本を渡り歩いて何をしているの?」


 フェイスオンが尋ねる。


「先程言った通りだ。人助けをして、みその素晴らしさを伝えている」


 鼻息を荒くして、胸を大きくそらして答える祈祷師。


(人助け? 私の大嫌いな人種の気配がしてきたわね。隙見てこっそり殺しておこうかしら?)


 祈祷師を見ながら、マミはそんなことを考えていた。


「吾輩、いれぎゅらあと呼ばれているそうであるが、次元を越えられると言っても、嬲り神や図書館亀とは全く異なる存在であるぞ。あ奴等は世界の根幹と繋がれた、この人喰い絵本の歯車と言えよう。いや、神々と言っても過言ではあるまい」

「ええ、そうらしいのよね……。宝石百足もね」


 祈祷師の話を聞き、メープルFが口を開く。


「私もイレギュラーだけど、どちらかというとこの祈祷師さんと同質よ。ずっと人喰い絵本を渡り歩いていたけど、その本質を把握しているわけではないし、わからないから調査を続けていたわけだし、世界の在り方にも関わっていない」

「ほうほう、なるほど」


 自身と同じイレギュラーであるメープルFの話を、祈祷師は興味津々に聞いていた。


「吾輩は人喰い絵本の登場人物の役を担わされた事もあるからな。しかし、元々は吾輩もこの世界で生まれた、人喰い絵本だのと呼ばれている世界の住人であるぞ。第四の壁を突破できるようになったのもまた、みその力のおかげである。みそは偉大也! みそがあれば何でもできる!」

「キモい男……。殺したい……」

「まあまあ、マミ。殺気を出さないで」


 祈祷師がどうにも気に入らないマミが怒りで顔を歪め、フェイスオンがなだめる。


「そちらの女はともかく、お主は信用してもよろしいようだな。この老婆の看護は任せて、吾輩はお暇してもよろしいか?」


 祈祷師がフェイスオンを見て伺う。


「構わないよ」

「あははは、メープルF、言われてるわよ。いつもそんな怖い顔してるから」

「貴女が言われてるのよ……」


 フェイスオンが頷き、マミが笑い、メープルFはマミをジト目で見ていた。


「ではさらばだ。これは選別だ」


 みそをおいて立ち去る祈祷師。


「これもイレギュラーかしら?」


 みそを見てマミが言う。


「ただのみそに見えるね。持ち帰ってみる?」

「私はパス」


 フェイスオンがマミを見て伺うと、マミは肩をすくめた。


(サユリが来ているよ)


 アルレンティスから念話が入る


「またあの豚女と被ったの……。面倒臭っ。機会があったら今度こそ殺しておきましょうよ」


 マミが顔をしかめて言ったその時だった。


「うう~ん……」


 小人の老婆――エマ婆さんが唸り、ゆっくりと目を開く。


***


 物語は数分前に戻る。


「いた」


 アルレンティスとジャン・アンリは、街中で目当てのトロールを見つけた。


「あのやたら脂肪ついている、オークとの混血みたいなトロールだ」


 絵本に出てきたタトゥーまみれの肥満体のトロールは、ガラの悪い仲間のトロール達とたむろっている。他のトロールも、タトゥーと悪趣味なアクセサリーだらけだ。


「では、どうする? と、尋ねておく」

「それはもちろん、やっつけて魔道具を取り返すさ」


 ジャン・アンリの質問に、アルレンティスが答えたその時だった。


「ぶひーっ」


 青と白の全身スーツを着た黒髪の少女が、空からトロール達に襲いかかった。


「うわ……サユリだ……」

「あのスーツは、絵本の中で小人の老人をかばっていた少年が、老人に貰ったスーツということでよろしいか?」


 アルレンティスが顔をしかめ、ジャン・アンリはサユリの着ているスーツを見て言った。


 魔光具スーツを装着したサユリは、トロールの一匹の頭部に頭上からミサイルキックを見舞う。トロールの頭が粉々になって弾け飛ぶ。


「何だこいつ!」

「裁判所で見たぞっ。爺を擁護していた餓鬼だ」

「よくもサンペーを! 野郎共っ、やっちまえ!」

「応!」


 仲間を殺される場面を見て、ガラの悪いトロール達は臆することなく、一気に怒りと闘志のボルテージをあげる。


 トロール達が一斉に魔光具を装着する。


「ぬおおおーっ! 力が漲るーっ!」


 純粋肉体強化されたトロールが跳躍し、空中のサユリめがけて下からアッパーで突き上げる。


「ぶひっ」


 絶世の美少女と呼んでも誇張の無いほどのサユリの美貌が、激しく歪んだ。サユリはかわそうとしたがかわしきれず、トロールの鉄拳がかすめていった。かすめただけで、頬骨が粉砕された。


「ゆ、油断したのである……。痛たたた……」


 殴られた箇所を手で押さえて、再生させるサユリ。


「おおお、今なら不思議な力が使えるー!」


 別のトロールが叫び、上空のサユリめがけて目から光線を放つ。


「ブヒビーム!」


 サユリも負けじと、天使の輪と羽根の生えた豚の鼻からビームを放ち、トロールの光線に当てて、相殺させる。


「またサユリとかちあっちゃったね」

「しかも絵本の役を担っているというわけだ。役になるとしたら、小人の夫婦のどちらかと思いきや、あの少年の役とは意外であったと捉えてもよいか?」

「脇役になることもわりとあるみたいだよ」

「すでにサユリは魔光具を手に入れていると、受け取ってもよいのだろうか?」

「見たまんまだよ。スーツ着ているし」


 トロール達と戦うサユリを見ながら、アルレンティスとジャン・アンリが喋っている。


「取り敢えずフェイスオン達に連絡しておくね」


 アルレンティスが言い、念話を入れた。


 サユリは魔法だけでなく、魔光具スーツの力も利用して戦っていた。魔光具スーツに頼る分、自身の魔力の消耗は抑えられる。


 トロール達は魔光具でパワーアップしているとはいえ、個々の力はそれほどでもない。しかし数が多く、絶え間なく攻撃してくるのが厄介だった。サユリは防戦になりがちで、トロールの数を中々減らせない。

 中でも厄介なのは、一匹の一際巨大なトロールだった。他のトロールの1.5倍ほどのサイズがあるうえに、筋骨隆々だ。他のトロール達に比べて非常に端麗な顔つきであり、つぶらな瞳をしていた。


 巨大トロールは最も積極果敢に、サユリに近接戦を挑んでいる。魔光具の力で、美形巨大トロールも短い時間ではあるが、飛ぶことが出来た。正確には、数秒だけ浮遊し、空中で自身の宇小関もコントロールできる。その数秒の間に、猛然とサユリに襲いかかり、サユリに確実なダメージを与えていた。


「こ、こいつ……強くして……」


 サユリが巨大イケメントロールを見て唸る。


「流石ローズだ」

「あいつがいなければもう少し苦戦していたかも」


 トロール達が、巨大マッチョトロール――ローズを頼もしげに見やる。


「魔光具のパワーアップ効果もあるだろうが、あのトロール自体も並外れた力の持ち主ということでよろしいか」

「そういうことだね。人間の中にも、魔族の中にも、種族を超越した凄い奴がいるように、トロールの中にもいるってわけだ」


 ジャン・アンリとアルレンティスが、ローズを見て言った。


 ローズが着地し、大きく息を吐く。


「すみません。とばしすぎて、魔光具がクールタイムに入りました。一分ほど待機します」


 そのムキムキの外見とは裏腹に、よく通る涼やかな美声が、ローズから発せられる。


「凄いギャップを感じる」


 ローズの声と丁寧な喋り方を聞いて、アルレンティスがおかしそうに微笑んだ。


 他のトロール達がサユリを攻撃しはじめる。


「ぐっ……消耗が激しいのだ」


 ローズが休んでいる間に、トロール達の数を減らしておきたいと思ったサユリだが、そう上手くもいかなかった。トロール達は巧みにサユリの攻撃をかわしていく。

 そうこうしている間にローズが復活し、サユリの上空まで飛ぶと、サユリに踵落としを見舞った。


 頭部を破壊されたサユリが地面に落下する。


「ははっ、見たか! ローズはトロールの現王の長男だぞ! トロールの王は最も力が強い者がなれる! そしてローズは王の四十七人の子息の中でも最強! 百年に二人くらいは出るかもしれない逸材と言われてる!」


 バーベキュー好き肥満トロールが勝ち誇る。


「そんな凄い奴がどうして、こんなチンピラみたいなトロールの一団に混ざっているのであるか?」


 即座に再生したサユリが、疑問を口にする。


「チンピラとは何だ!」

「色々あったんです。兄貴のおかげで僕は人生を取り戻せたんです」


 肥満トロールが怒鳴り、ローズは真面目な口調で言った。


「ブヒビーム!」


 サユリが叫び、天使豚の鼻からビームが放たれる。


 ビームが直撃し、上半身を吹き飛ばされるローズ。


「あれは……」


 その時、アルレンティスは見た。ローズのズボンのポケットに入っている人形の存在を。ズボンが光、魔力を放っている。


「あれが魔光熊人形?」


 アルレンティスが呟いた瞬間、ローズの吹き飛んだ上半身が一瞬にして元に戻った。


「これが魔光具の力と見てよいのか?」

「癒しの力によって、元々あるトロールの再生能力を極限まで強めたみたいだね」


 ローズの様子を見て、ジャン・アンリとアルレンティスが言った。


「とおっ」


 凛々しいかけ声と共にローズが跳躍し、サユリの腹部に頭突きを食らわせる。


「ぐふっ……」


 攻撃を食らってから転移で逃れ、腹を押さえて呻くサユリ。転移で逃げようとして、一瞬遅れ、避けられなかった。


 さらに他のトロール達も、魔光具を用いて遠距離攻撃を行ってくる。


「と、トロール如きにこのサユリさんが退くはめになるなんて、認めたくないのでしてっ。でも一旦退きまして」


 必死な形相で喚きたてると、サユリは高速飛翔して逃げて言った。


「やるね、あのトロール。あのサユリを撃退しちゃったよ」


 ローズを見て称賛するアルレンティス。


「では、トロールと魔光具の相乗効果とはいえ、それにしても強いと言おう」


 ジャン・アンリもローズが持つ、魔光熊人形の存在に気付いていた。


「しかし今あのトロール達、サユリとの戦闘で消耗しているよ」

「ふむ。つまりここでトロール達を攻撃して、魔光具を奪いとることを提案していると、受け取ってもよろしいか?」

「そう受け取って欲しい」


 ジャン・アンリの確認に頷くと、アルレンティスは巨大な蠍を呼び出す。王冠を被り、全身の甲殻が金で、目はダイヤモンドいう蠍――アルレンティスが使役するイレギュラー『王蠍』だ。


 トロール達の体に異変が起こった。


「ぶぎゃああぁぁっ!」

「何だこの痛みはっ!? ぐあああっ!」

「痛い痛い痛い! 体中痛い!」


 王蠍が撒き散らす激痛の毒が、トロールがいる場所に蔓延し、トロール達は絶叫しながら七転八倒する。


「古竜や上位巨人族をも屠った王蠍が相手では、魔光具で力を得ようと、トロール如きでは相手にならぬと断じてしまってよいのか?」


 その光景を見て、まるでアルレンティスに代わってうそぶくかのような台詞を口にする。


「皆っ、しっかりしてっ」


 ローズの透き通るような声が響く。その声に呼応するかのように、トロール達の全身に生気が漲る。


「凄い。あの大きなトロールの魔光具が、他のトロールの魔光具にリンクして、トロールの再生力を極限まで引き出し、毒への耐性も上げているよ」


 解析したアルレンティスが感心する。


「魔光具を取り込んだ影響もあるけど、あの大きいのは格別だね」

「つまり、奴を崩せば形勢は一気にこちらに傾くと理解した」


 ジャン・アンリもローズに視線を向ける。相変わらず無表情ではあるが、確かに闘気が放たれている。


「ジャン・アンリは変な言葉遣い多いけど、今のは特におかしいね」

「そうであろうか? 意味が伝わることが重要であり、文法が狂っていても、ニュアンスが正しく伝わっていれば、問題無いと受け取った」


 ジャン・アンリが呪文を唱えて巨大カブトムシ、巨大芋虫、巨大スズメバチを呼び出す。三匹の巨大昆虫は全てローズに向かっていく。


 突進してきた巨大カブトムシを真っ向から受け止めるローズ。巨大カブト虫の動きがぴたりと止まる。


「どっせーい!」


 ローズが全身をそらし、巨大カブト虫を抱え上げてブレーンバスターを見舞う。


 腹部が露わになった巨大カブト虫が足掻いているうちに、ローズが先に立ち上がる。そして巨大カブト虫の腹部に手刀を突き入れ、腹に大穴を開ける。


「虫はしぶといから、この程度では死なないでしょう」


 ローズが微笑みながら呟くと、腹に突き入れた手刀で、頭部まで切り裂いた。巨大カブト虫の動きが止まる。


 巨大芋虫が糸を吐き、ローズを絡めようとする。


 ローズは素早く巨大カブト虫の亡骸を盾にして、糸を防ぐと、巨大カブト虫で糸を防ぎながら、巨大芋虫のいる方へとダッシュした。


 巨大スズメバチが空中からローズに襲いかかったが、ローズは身をかがめて毒針を避け、巨大芋虫との間合いを詰めると、巨大芋虫の頭部を蹴り上げた。巨大芋虫の頭部が吹き飛ばされて宙を舞う。


 後方からさらにアタックをかけてきた巨大スズメバチに対し、ローズは振り向きざまに裏拳を見舞い、巨大スズメバチの体をばらばらに粉砕する。

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