26-2 図書館亀の要望
「相変わらず暗い話だね。たまには明るい話がないものか」
人喰い絵本に入る際に、脳内に見せられた絵本の内容に、げんなりするフェイスオン。
「絵本の作者がいるとしたら、作者は相当精神がねじくれているようね。感動ポルノのお涙頂戴話は嫌いだけど、人喰い絵本はそういう意図とは違う気がするわ。作者の歪んだ人間性がぶつけられているように感じられる」
マミが言う。
「マミに言われたらおしまいよね」
「違う。精神のねじくれたマミだからこそ理解できるのだとしておく」
「キーッ! あんたらふざけんじゃないわよっ!」
メープルFが呆れ、ジャン・アンリが真面目に考えを述べ、マミは奇声をあげて激昂する。
「その魔光熊人形とやらが、イレギュラーなんじゃないかしら?」
マミが言った。絵本の作中にキーとなるアイテムが出た場合、イレギュラーであるケースが多々ある。
「ふむ。では期待しておくとしよう」
ジャン・アンリが眼鏡を人差し指で押し上げる。
「私は魔光具というもの全て、イレギュラーの可能性を感じたね」
と、フェイスオン。
「フェイスオンが言うならきっとそうね」
マミがフェイスオンの方を向いてにっこりと微笑む。
「フェイスオン、『マミは生まれついてのどうしょうもない馬鹿』って言ってみて」
「メープルF、フェイスオンと感覚まで共有していなかったら、その不細工な顔を酸で焼いて、さらに見られなくしているところよ」
メープルFが冷めた声で言うと、マミはメープルFを睨み、ドスの利いた声で告げた。
「図書館亀の気配がする……」
アルレンティスがぽつりと呟く。
「あっちだ。雲の向こう」
言うなりアルレンティスは飛翔して、空の浮かぶ大きな雲の方へと向かう。ジャン・アンリも後に続く。
「図書館亀……」
「初お目見えだね」
マミとフェイスオンが顔を見合わせ、アルレンティスとジャン・アンリの後を追って飛んだ。二人はこれまで図書館亀と会った事がない。嬲り神とも会った事がない。
雲を抜けた先、巨大な亀の頭が空にぬっと現れた。亀の頭の周囲には、何故か無数の飛竜が舞っているが、飛竜のサイズは、亀の鼻の穴の半分にも及ばない。
「こ、これが……図書館亀」
マミが唸る。フェイスオンも、図書館亀のあまりの巨体に絶句している。頭だけでも、誇張抜きで山ほどもある。そして首の下は霧に隠れて見えない。
空間の歪みが生じる。強制転移の力が働くことを感じ取り、身構えたマミとフェイスオンであったが、空間の歪みは抵抗の暇を許すことなく大きく広がり、マミ達を飲み込んで、別の場所へと転移させた。
「何ここ……?」
「図書館だね」
周囲を見渡すマミとフェイスオン。五人は本棚の合間にいた。
すぐ近くにある巨大な吹き抜けを覗くと、縦にも横にも果ての無い階層が続いている。見渡す全ての階層に。延々と本棚の列が続いている。
「図書館亀の中よ。そしてこっちに来るあれが図書館亀の本体」
メープルFが告げる。
顔にモノクルをつけた、燕尾服姿のゾウガメが現れる。亀は直立しており、片足で滑りながら、五人の方に移動してきた。
(靴に車輪がついてるのね)
ゾウガメが履く靴の底の車輪に気付くマミ。
「お久しぶりですよん。ジャン・アンリ、アルレンティス。おっと、初めましての方もいますねん。小生は図書館亀ですのん。以後お見知りおきを」
四人の前で図書館亀が恭しく頭を垂れる。
「実はお頼みしたいことがありましてん。魔光具とやらを手に入れたら、小生に幾つか提供して欲しいですのん。サンプルは手元に二つほどありますが、もう少し欲しいですのん。沢山でなくてもいいですのん。あと三つか四つもあればいいですよん」
穏やかな口調で図書館亀が要求すると、一同は無言でそれぞれの顔を見やる。
「もし手に入れて頂ければ、小生も出来る限りの御礼をいたしますよん」
「疑問が二つあるが、ぶつけてよいか?」
ジャン・アンリが発言する。
「どうぞですねん」
「一つ、何故それが必要か。一つ、自分で手に入れられない理由は?」
「手に入れたい理由は、好奇心ですねん。研究のためとも言えますねん。あの小人夫婦が作る魔光具には、全て命の輪が組み込まれていますのん」
ジャン・アンリの問いに、図書館亀が答える。
「新たな疑問だ。命の輪とは?」
さらに問うジャン・アンリ。
「これですのん」
両手に金属と思われる赤い輪と灰色の輪をアポートしてみせる図書館亀。
「人の命を加工して魔道具化したもの――とでも言いましょうかねん。人喰い絵本の中でも、文明が進んだ世界――もしくは文明が終わった世界で、見受けられますのん。幾つかの世界を滅亡に導きもしましたねん。力の源――永久機関と呼んでも差し支えありませんよん」
「ねえ……人喰い世界はそれぞれ独立した断片世界って、前に言ってなかった?」
今度はアルレンティスが尋ねた。彼とジャン・アンリは、図書館亀と面識がある。図書館亀と会った際に、人喰い絵本にまつわる様々な知識を聞いている。
「人喰い絵本は独立した断片世界であり、同時に繋がりもありますのん。だからこそ小生達イレギュラーは、複数の絵本世界を移動できますし、それぞれの世界に共通する物も存在しますのん。例えば建物にしてみても、多くの世界の建物が同じ建築様式ですよん」
図書館亀が解説する。
「小生が直接出向いてそれらを手に入れられない理由は、人喰い絵本を跨ぐ者のお約束があると言っておきますよん」
「色々あるわね。人喰い絵本を跨ぐイレギュラーのルール。私は全てを知るわけじゃないけど」
図書館亀の台詞を受け、メープルFが言った。
「そもそも魔光具って何なの?」
マミが質問する。
「一口に言えば、様々な効果を持つ魔道具ですのん。魔光というものを原動力にしていますのん。あの小人の老夫婦の作る魔光具は特別製ですねん。命の輪をどこからか調達して組み込んでいますのん」
「もう一つ質問。月のエニャルギーについて知っていることを教えて欲しい。私はあの力が欲しいのよ」
マミの二つ目の質問を聞いて、図書館亀はモノクルに手をかけ、興味深そうに笑った。
(亀のくせに笑うなんて)
図書館亀が笑った事が、腹立たしく感じられるマミ。生理的嫌悪感があった。
「月のエニャルギーが人喰い絵本から持ち出されたことで、月から強い魔力が放たれ、全ての魔術師、魔法使い、一部の魔物、エニャルギーの性質までもが、月齢によって変化するようになったという説ですよん。そちらの世界のことですから、小生も話に聞いただけで、確認はしきれていませんのん」
「どうやったら手に入れられるかわかる?」
「人喰い絵本の中に現れるみたいですよん。ですが、出現する世界に貴女が自由に出入りすることは不可能ですねん。運良く当たりを引けるまで、何度も人喰い絵本に入らないといけませんねん」
期待外れな答えが返ってきて、マミは肩を落とした。
***
図書館亀とは、余るほど魔光具を手に入れられた場合に、そのうちの少量を渡すという約束を交わした。
図書館亀から出て、五人は今後どうするかを相談する。
「図書館亀に踊らされている感あるけどさ、小人夫婦の作る魔光具がイレギュラーとして持ち帰れれば大きいよね」
「魔光熊人形とやらが特にそうね」
アルレンティスとマミが言う。
「小人の老婆の身が心配だ」
「もう死んでいるんじゃない?」
案じるフェイスオンに、マミがどうでもよさそうに告げる。
「少し変な気がする。死んでもおかしくないようなひどい目にあわされて、まだ生きていた」
「物語の演出上の問題じゃないの?」
訝るフェイスオンに、マミが思いついたことを口にする。
「そうかもしれないけど、違う気がする。いずれにせよ、医師としてあんな場面を見せられて、放ってはおけない。私はエマ婆さんの所に行ってみたい」
フェイスオンが主張する。反対する者はいなかった。活動の趣旨から大きく外れるが、フェイスオンの気持ちを全員が汲んだ。
「私はあのガラの悪いトロールを追う方が良いとしておく。小人夫婦の家から魔光具を奪ったのは彼なのだろう?」
と、ジャン・アンリ。
「私はフェイスオンと一緒に行くわ」
と、マミ。
(ジャン・アンリに同感なんだけど、フェイスオンは婆さんを助けたがっているし、そのうえでジャン・アンリの発言に同意するのは癪だし、これでフェイスオンと一緒にいれて、ジャン・アンリと離れられるという、良い組み合わせになるわ)
マミとしてはそのような計算があった。
「ま、四人いるんだし、二手に分かれるのも有りだよね」
「一応五人よ。私もいるから」
「トロールの家も隣だから、二手に分けなくてもいいような?」
アルレンティス、メープルF、ジャン・アンリがそれぞれ言う。
町の人間に小人夫婦の家の場所を聞くと、五人でその場所に向かう。
小人夫婦の隣にあるトロールの家を覗くが、誰もいない。
「あのバーベキューばかりやって、ガラの悪い仲間呼ぶ迷惑なトロールなら昨日引っ越したよ」
通りがかった近所の老人が声をかけてきた。
「昨日……」
「婆さん生きてるのかな?」
フェイスオンが眉間にしわを寄せ、アルレンティスが疑問を口にする。
小人の家に入る。
老婆は寝たままで血を吐いた痕跡があったが、生きていた。確かに呼吸をしている。そして老婆が微かに魔力の残滓を帯びている事に、五人は気が付いた。
フェイスオンが真っ先に家の中に入り、老婆に近寄り、状態を見る。マミ達も家の中へとあがる。
「傷が無い。回復されているというか……。体力は落ちているようだけど。乱暴に踏まれた痕は無いね。誰かが治癒の術を使ったのかな?」
老婆の状態を確かめて説明するフェイスオン。
「お主等っ、何者だっ! その老婆に手出しをしようというなら、吾輩が黙っていないぞ!」
家の玄関に東方衣装の男が現れて叫び、全員が振り返った。
「私は医者だよ。状態を診ただけだ」
「貴方がこの人を助けたの?」
フェイスオンが述べ、アルレンティスが尋ねる。
「うむ! 致命傷であったが、偶然通りかかった吾輩のみそ妖術によって救出した。みそは偉大なり!」
東方風の男が得意満面で胸をそらす。
「吾輩はみその素晴らしさを伝えるために諸国を放浪する祈祷師である! たまに次元の壁も超えて、異なる世界へ……おっと、これは秘密であった」
祈祷師と名乗るその男の発言に、一同は驚いた。
「今の……妄言だと思う?」
「いや、この人はイレギュラーだよ」
マミが伺い、アルレンティスが断じた。
「私達はこのお婆さんに危害を及ぼす者ではない。むしろ逆だ。トロールに殺されかけたことを知り、助けにきた」
「ふむ。どうやらお主等――外の世界の住人か。今、吾輩のことを指していれぎゅらあとも口にしていたしな」
フェイスオンが告げると、祈祷師がにやりと笑った。
「油断のならない男のようであるが、老婆を助けた時点で、毒のある者でもないと判断してよろしいか?」
「うん……僕もジャン・アンリと同意見かなあ」
ジャン・アンリが言うと、アルレンティスが頷く。
その後、改めて二手に分かれることになった。フェイスオンとマミとメープルFは老婆が目覚めるのを待ち、アルレンティスとジャン・アンリはトロールを探しに外に出る。
「老婆のチェックも必要だが、このイレギュラーも監視しておいた方がよい。それと、マミと一緒にならなくてよかったと言っておく」
「それはこっちの台詞よっ。私が先に言おうと思っていたこと先に言わないで」
ジャン・アンリを睨みつけ、険のある声を発するマミ。
「私はマミと一緒になってしまったわ……」
嘆くメープルF。
「あんたなんてただのオプションなんだから、いちいちそんな主張する必要ないわ」
「そうした言動が嫌われる原因だと、いい加減悟ったらどうだろうか?」
メープルFを睨むマミに、ジャン・アンリが言う。
「先に喧嘩を売ったのはメープルFよ! キーツ!」
「これ、喧嘩するではない。みそを舐めて落ち着くがよい」
カッとなって、マミが金切り声をあげると、祈祷師がみその塊を掌に乗せ、マミに向けて差し出した。




