25-1 ソッスカーの平凡な一日
ソッスカー山頂平野、上流階級の住宅街。
隻眼の旧鉱山区下層部区部長は、あまりこの地域を訪れたくはない。しかし教会に住むブラッシーの誘いがあったので、仕方なく足を運んだ次第である。
(あの人の淹れる茶は絶品だしなあ)
知り合いに会いやしないかと人目を気にしながら歩き、やがて教会へと到着するランド。
教会の中では、ブラッシーの淹れた茶を飲むミカゼカの姿があった。
「あ~ら、いらっしゃ~い。ランドちゃん」
ブラッシーが満面に笑みを広げて、ランドを迎える。
どういうわけか、ランドはブラッシーに気に入られてしまい、何度か声をかけられている次第である。
ランドの視線がミカゼカに向く。ミカゼカと目が合う。
ミカゼカはにかっと歯を見せて微笑むが、その笑顔を見て、ランドはミカゼカに強い毒気のようなものを感じた。
(何か、凄く嫌な感じのするガキだな……)
外面は良くても、腹の底ではヘドロを溜め込んでいるタイプではないかと、一目見ただけで直感する。
「魔法使いや八恐だけで突入した人喰い絵本は、被害者全員を無事に救出出来たらしいな。もう黒騎士団や魔術師は人喰い絵本に関わらず、魔法使いだけに任せておけばいいんじゃねーか?」
「そうなると人手が足りなくなるわ~ん。ただでさえ人喰い絵本の発生率は上昇気味なのよー」
「あのディーグルっていう八恐のニューフェイス、見た目は可愛い兄ちゃんだけど、滅法強いって噂だが、あんたらより上か?」
「ディーグルが一番強いんだヨ」
茶を飲みながら、何気ない会話を交わす三人。
ティータイムが終わった後で、ミカゼカの髪をとかしにかかるブラッシー。
「水色の髪、本当に綺麗よ~ん。私、水色が大好きだから憧れちゃーう」
ミカゼカの髪をとかしながら、うっとりとした顔で言うブラッシー
「それよりブラッシー、教えて欲しいことがあるんだヨ」
「な~に~?」
「肉体は失ったけど、まだ冥界に行ってない魂は、厳密には死んでいないよネ? 然るべき処置をして――肉体を与えれば、甦らすことも可能だよネ?」
ミカゼカの質問を受け、ブラッシーは真顔になる。
「その理屈だとゾンビとかゴーストなんかのアンデッドモンスターも、厳密には死んでないってことか? おっと、失礼」
ランドが口を挟む。
「嫌~ねえ、ランドちゃん。私だってアンデッドだけど、モンスター扱いはしないでよ~。本当失礼よー」
「横から口を出してって意味で失礼って言ったんだがな」
ちょっと怒った風なおどけた口調で言うブラッシーに、ランドは肩をすくめる。
「アンデッドは霊魂が冥界に半分以上、もしくは完全に冥界に逝っちゃってる状態だヨ。通常、肉体を失えば、霊魂は自動的に現世を離れて幽世に行くんダ。でも、未練や恨みや術に縛られて、現世に部分的に留まる状態が、ゴーストやファントムやレイスやスペクターなんかの、霊体類アンデッド。完全に冥界には行ってない状態だネ。僕が言いたいのは、肉体は失ったのに、霊魂が完全にこの世界に残っているレアケースだヨ」
「霊体が冥界に一切入っていないなら、それは厳密には死と呼べないわね。肉体との波長があえば、入れ物さえあれば蘇生だと思うわーん」
「その波長を合わせる方法、魂を入れ物に誘導して入れる方法、無いかナ?」
「難題ねー。どうしてそんなこと知りたがっているか知らないけど~」
ミカゼカが随分と熱心で、しかも死と生の狭間にある者を復活させる話などしているので、ブラッシーは何となく嫌な予感がしていた。
「あ、ランドさん、この話は内緒にしてネ」
「お、応……。つか、内緒にしてほしい話を俺がいる前でするなよ」
ミカゼカがにっこりと笑ってお願いすると、ランドは苦笑気味に言った。
***
『刀傷の安らぎ』はソッスカー山頂平野にある、ユーリのお気に入りの飲食店だ。
ユーリは店内に入り、一瞬固まってしまった。
サユリが二人いた。服装まで同じだ。
「サユリさん……? 今日は。双子さんですか?」
「違うのだ。私の偽物がいるのだ」
「今喋った方が偽物である。私は本物でして」
ユーリが問いかけると、二人のサユリが口を開く。
『どっちが本物か当てるのだ』
「わからないですよ……。もう少しヒントをください」
「これでどうでして」
ユーリがヒントを求めると、右のサユリが掌サイズの超ミニサイズの子豚を呼び出し、掌に乗せて差し出した。
「じゃあこっち……」
子豚を出した右のサユリを指すユーリ。
「魔法を使って証明はずるいですね」
涼やかな声と共に、左のサユリが一瞬で変化し、黒服のエルフへと変化した。八恐が一人、ウィンド・デッド・ルヴァディーグルだ。
「ユーリ君もこちらの席に一緒にどうです?」
「はい、師匠ももうすぐ来ます」
ディーグルに促され、同じテーブルの席につくユーリ。
「そう言えばサユリさんと人喰い絵本の外で会うのは、久しぶりですね」
「あたくしは初めてである」
「サユリさんとは一年前に会っています。確か三年前にも。忘れちゃったんですね」
「全然覚えていないし、サユリさんに記憶を求めることは間違いである。サユリさんは他人に興味が持てない人種なのだ」
「ははは……」
偉そうな口調で言い切るサユリに、ユーリは苦笑いを浮かべる。
「ユーリ君……その本は?」
ユーリが持つ本を見て、ディーグルは眉をひそめた。
「どうかしましたか?」
ユーリが持つ本は、スィーニーに勧められて読み始めた、『奇跡の絵描き屋さん』というタイトルの小説だ。
「いえ……そのタイトルを見て……強烈な言霊を感じたというか……」
本のタイトルをじっと見つめるディーグル。
「おや、サユリ。こんな店に来るんだね」
ミヤが店に入ってきて、サユリを見て意外そうに言う。
「ディーグルに誘われまして」
「お前、こんなのが好みなのかい?」
サユリの言葉を聞き、ミヤが嫌そうな顔をしてディーグルを見やる。
「そういう意図で誘ったわけではありません。たまたま会いまして。人喰い絵本に関して、色々と伺いたいことがありましたので。サユリさんは快く引き受けてくれましたよ」
「ふーん、意外だね。サユリは脊髄反射で嫌がらなかったのかい?」
「あたくしを何だと思っているのだ。丁寧な態度でお願いされたし、奢ってくれるというから断らなかったのだ」
ミヤが言うと、サユリが胸を張って自慢げに答えた。
その後、ユーリとミヤは食事を済ませ、店を出る。
「猫婆とユーリだー。ノアはいないのー?」
店を出てすぐの所で、チャバックと出会う。
「あいつは最近単独行動が多くてね」
「そうなんだー、って、ノアあそこにいるよー」
チャバックが指差した先には、繁華街の坂を下った先に、ノアの姿があった。
チャバックがノアのいる方へと早歩きで向かう。自然、ミヤとユーリもその後を追った。
***
チャバックがノアを発見する一分程前。
「ノア君、ミヤ様の家の柱時計の調子はどうだね?」
ノアに話しかけたのは、ミヤの知己であるスミスミス爺さんだった。
「相変わらず俺と先輩で掃除させられているし、普通だよ」
気色悪い笑顔の老人の彫像がついた古い柱時計を思い浮かべ、ノアが答える。あの時計には何か謎があるらしいが、ユーリも知らないというし、ミヤは教えてくれない。そしてスミスミス爺さんが気にかける理由もわからないし、こちらも、訊いても答えてくれない。
(いつも同じこと尋ねてくる。やっぱりもうボケてるのかなあ)
去っていくスミスミス爺さんの後姿を見やりつつ、ノアが思ったその時だった。
「キャンキャンキャンキャーン!」
スミスミス爺さんの家の小さな犬が、耳をつんざくような甲高いで吠えてくる。
「またお前か。懲りないね」
犬に向かって魔法を使うノア。犬の顔が地面に押し付けられて、さらには地面に激しくこすりつけられる。
「ふん、脆弱な勇者よ、いい加減思い知るがよい。魔王に盾突くからこうなるのだ。学習して、我にひれ伏せ。お前を殺さない魔王の慈悲に感謝しろ」
魔法で犬に顔面地べたウォッシュを行いながら、ノアはおどろおどろしい低い声を発してみせる。
(本当は飼い主を調教してやりたいた所だけど、スミスミス爺さんは良い人だし、ボケかけてるし、いくら魔王でもそんなことできないなあ)
と、ノアが思ったその時――
「見ちゃったあーっ」
「え?」
聞き覚えのある声がして、ノアは驚いて振り返る。
「ノアが一人で魔王ごっこしてるーっ。おっかし~っ」
「なあああっ!?」
けらけらと笑うチャバックの言葉を聞き、ノアは絶叫した。
「い、今のは見なかったことにして! 社長命令! 絶対秘密!」
狼狽しまくって喚くノア。
「うん。わかったあ。じゃあ口止め料に特別ボーナスちょーだい」
「はあ? 冗談じゃない。社員のくせに社長を脅す気?」
にやにや笑いながら要求するチャバックに、ノアは少しだけ冷静になった。
「あ、猫婆とユーリも来たー。ねえねえ、今ねー、ノアが一人で魔王ごっこしてたよーっ」
「ちょっとおぉぉ!」
遅れてきたミヤとユーリに、チャバックがあっさりとばらす。ノアは必死の形相になって叫ぶ。
「お前はいい歳して何やってるんだい」
「いい歳じゃない。まだ十三歳だからギリギリセーフっ」
ジト目で言うミヤに、ノアが反論する。
「十三歳で一人で魔王ごっこはアウトじゃないかなあ」
「もうすぐ十四だけど、十四になる前だからまだセーフっ」
ユーリが突っ込むが、ノアは意地でも認めない。
「公の場であまりみっともないことをするんじゃないよ。そんな馬鹿なことをする弟子がいるなんて、儂の沽券に関わるからね」
「そこまで言う? ひどいよ師匠」
ミヤの容赦無い物言いに、ノアは憮然とする一方で、安堵もしていた。
(はあ……俺が魔王になりたがっていること、バレなくてよかった。一刻も早く魔王にならないと)
そう思ったノアであるが、自分の考えがおかしいことに気付く。
(いやいや、今のでバレるわけないだろ。俺、慌てすぎだ)
ただ恥ずかしがっていたわけではない。魔王になりきって魔王らしい台詞を口にしただけで、自分が本気で魔王になりたがっている事がバレるのではないかと、そんな危惧を抱き、慌てふためいてしまったノアである。
(俺は魔王になるための手がかりを知った。それを知ることが出来ただけでとんでもない僥倖だし、俺は導かれている)
坩堝の存在を意識するノア。
「ノアは格好も喋り方も男の子みたいだけど、遊びも男の子みたいなんだねえ」
チャバックがなおもからかう。
「仕方ない。俺は男の子として育てられたし、女の子みたいな遊びは許して貰えなかった。そしてその話はやめるように。俺はあまりいい気しない」
「ご、ごめんよう」
ノアに真面目な口調で言われ、チャバックは笑みを消して、申し訳無さそうな顔になって謝罪した。
「すまんこって言おう」
「すまんこっ」
ノアが要求すると、チャバックは素直に従った。
「お前の好きにすればいいけど、そのうちお前に好きな男が出来たりした時、色々と大変なんじゃないかね?」
「それは有り得ない。俺は一生色恋沙汰とは無縁に生きる。俺が男と寝るとか、そんなこと考えただけでぞっとする。一生処女のままでいる。母さんみたいな淫らな女になりたくない」
ミヤの言葉を受け、ノアは断固たる口調で言い切った。
「その歳でそんなこと早々と決めた所でねえ……」
「俺には母さんの血が流れている。大嫌いな母さんみたいになる可能性もある。それが怖いんだ。おかしなぜんまいが巻かれてしまうのが怖い」
呆れるミヤに、ノアは曇り顏で心情を吐露する。
「そんなにお母さんを嫌っているんだあ……」
チャバックが悲しそうな顔になる。実はチャバックも母親に良い思い出が無い。両親からあっさりと見捨てられたからだ。しかしノアほど徹底的に忌避しているわけでもない。
「うん、母さんには嫌悪と憎悪しかない。母さんがいなくなって、ちょっとは寂しいって感情湧くかなって思ったけど……不思議なことに、全然湧かないよ。ずっと一緒にいたのに、いなくなって、不安になるかなって思ったけど、そんな気持ちも無い。それどころか、心底すっきりしてる」
本当に清々しい表情になって言うノアだった。
「自分の親に恨みを抱き続けるのは、辛いんではないかい? しかも死んだ後まで」
ミヤが指摘すると、ノアは再び表情を曇らせた。
「そう……だね。母さんに怒りを抱いて、恨みを持って、軽蔑の念が湧くのは、しんどいよ……」
「そうだろうよ。そしてノア、しんどいと感じているのは、お前に母親に対する愛情もあるからじゃないかね?」
さらなるミヤの指摘に、ノアは一瞬目を丸くしたが、そこで脊髄反射で否定することは無かった。
「そう……かもね。母さん、俺に優しくしていた事もあった。小さい頃は――あの時は嬉しいと感じていたんだ。ただの飴と鞭の飴だったと認識するまではね」
照れ笑いを浮かべて語るノア。
「それと――母さんは本気で怒った時、怒り方が普段と違ったんだ。暴力も振るわず、罵倒もせず、静かに、徹底的に諭してくるんだよ。その時の方が俺は怖かった。あの怒り方は怖かったけど……何ていうか……普段の母さんとは違う何かがあって、従わなくちゃいけないって気持ちにされて……」
「お前が心底ねじくれずに済んだのは、その多少の愛情もあったからじゃないのかね」
優しい声で、ミヤがさらに指摘する。
ノアは黙ってうつむく。ミヤの口にしたことは、否定したような、受け入れたいような、おかしな気分だった。
(そして気まぐれの愛情を感じ、愛情に餓えていたからこそ、完全に心を潰されなかったからこそ、この子は余計に苦しかったのかもしれないね)
ノアを見て、ミヤは思う。
「ねえねえ、今思い出したんだあ」
重い空気を何とかしようとして、チャバックが明るい声で話題を変える。
「魔術学院で新しい杖を貰っんだよう。ほらほらー」
杖を振り回して自慢するチャバック。
「そういえば、ユーリもノアも猫婆も杖持っていないのはどーしてえ?」
「魔法使いは魔力を意思で直接操るからね。触媒は必要無いんだよ」
チャバックの疑問に、ユーリが答えた。
「魔術師は呪文、印、儀式、触媒といった手段で仲介することで、定められた魔力の操作を行う。それらが無ければ、魔力を扱えんのだ。あるいは魔術の精度や力が落ちてしまう。む……ちょっと野暮用だ」
ミヤが解説の補足をしている最中に、急にどこかに移動しだした。
「猫婆? どうしたのー? こっそりついてくー?」
チャバックがミヤの後姿を見て言う。
「ついていっちゃ駄目だよ。こっそりついていっても絶対ばれる」
何度か試して、叱られた経験もあるユーリであった。
「俺も一人で行動したい時とかあるし、そういう時は放っておくべき」
ノアが言った。
ミヤはユーリ達が見えなくなる場所まで移動した。裏路地に入り、曲がり角を何度か曲がった所で、自分を呼び出した人物と出会い、足を止める。
「よっ、にゃんこ師匠」
壁に寄りかかったスィーニーが、ミヤの姿を見てにやりと笑ってみせた。




