24-20 憑依祭りだよ~
絵を描き終えて、ファユミとディーグルが生徒達のいる部屋に戻る途中の事だった。
ディーグルは強い霊気を感じて振り返る。ファユミとの距離がいつの間にか離れている。
(しまった……。少し離れた隙に……)
見ている前でファユミの中に霊体が入りこんでいく様が見えた。気付いた時には手遅れだった。
「おおおぉ……あぁあぁ……」
喜悦とも苦悶ともつかぬ声を漏らし、ファユミは頭を抱えて身を震わせる。
次の瞬間、ファユミの背中より純白の翼が生え、大きく広がる。頭には光り輝く輪が出現する。
屋内に嵐が吹き荒れる。ディーグルは様子を伺う。今下手に手出しをすると、ファユミにどのような悪影響が出るかわからないからだ。
「何の騒ぎだ!? 屋敷の中で風だと!?」
使用人数名と亭主が来たが――
彼等の動きが途中で止まった。蹲った亭主と使用人達の体のあちこちが膨らんでいく。
(脂肪が増殖していますね……)
使用人達と亭主の変貌を見て、ディーグルは解析を行う。
やがて彼等は全身を脂肪で覆われた、身長3メートル越えの脂肪怪人となり、窓や壁を突き破り、屋敷の外へと出ていった。
「ファユミさん」
ディーグルがファユミに声をかけると、ファユミは片手で自分の顔を覆い、もう片方の手を突き出して、ディーグルを制した。
「見ない……で……来ないで……ください……」
そう言うと、ファユミは翼をはためかせ、壁を突き破って外へと飛んでいった。
騒ぎを聞きつけたガリリネ、インガ、オットー、ウルスラ、生徒達がやってくる。
「何だ、あのデカいの……」
「見た目も動きもキモい……」
「屋敷壊れまくってるよ。それにファユミさんが天使になってる」
ゆっくりと屋敷を出ていく脂肪怪人達と、破壊の惨状と、屋敷から飛び去るファユミを見て、ざわつく生徒達。
(この人数はとても護りきれません)
ディーグルが生徒達の方を向く。
「来てはいけません! ここからすぐに避難してください! できるだけ遠くへっ!」
「ファユミさんは!? ねえ! ファユミさんが飛んでいっちゃったけど、どうしちゃったの!?」
ディーグルが叫ぶが、インガは従おうとせず、ファユミの身を案じて叫び返した。
脂肪怪人達をさらに解析するディーグル。
(おそらく病原菌ですね。感染した者の脂肪が増殖し、あのようになってしまう。動きを見た限り、理性も無さそうです)
脂肪怪人達は口から脂肪の塊を吐き出しながら歩いている。吐き出された脂肪から、病原菌が大量に撒き散らさられる様を、ディーグルは見て取っていた。
飛び去っていくファユミを追い、ディーグルが駆ける。
「速っ」
ディーグルの俊足を見て、オットーが驚きの声をあげる。
振り返り、全力ダッシュで走って追ってくるディーグルを確認して振り返り、空中停止するファユミ。ディーグルも動きを止めた。
「ディーグルさん……近付かないで……ください……」
ファユミがディーグルを見下ろし、悲しげな顔で告げる。
「私の中に……精霊が宿ってます……。凄い力……流れ込んでいます……。でも……同時……ディーグルさん達に対する殺意が……流れ込んで……体……心……どっちも私で私ではなくなったような……。あああ……私の心……溶けていきそう……」
両手で顔を覆って苦しげに訴えるファユミの前で、ディーグルが呪文を唱える。解析の術をかけ、さらには除霊の術もかけた。しかしどちらも上手くいかない。
(ミヤ様かアルレンティスがいれば、解析魔法をかけられるでしょうけど、私の妖術による解析は、いまいち精度が低い……。しかし、わかりました。本人の言う通り、死霊に憑依されていますね)
あらゆる術で解除しようとするが上手くいかず、途方に暮れるディーグルを後にして、ファユミは今度こそ飛び去った。
「何これ? どうなっちゃったの?」
「家が滅茶苦茶だよう」
アリシアとチャバックもやってくる。
「ほへほへほへほへほへほへえぇぇ~?」
突然、虚ろな目つきになって、口を半開きにしたインガが、頭部を縦に高速で振り続け、おかしな声をあげ続ける。
「インガさんっ!?」
「インガさんっ、どうしたの!?」
誰がどう見ても異常な状態になったインガを見て、ガリリネとアリシアが顔色を変えて叫ぶ。
インガが手にしていた人形が急速に巨大化していく。そしてインガを内部へと取り込む。
「え……? 何これ……」
「逃げろ!」
呆気に取られているアリシアの手を引いて、ガリリネがその場から離れる。その場にいたチャバックも大急ぎで逃げた。
「な……何だこりゃあ……」
「おっきい……」
オットーとウルスラが、天井を突き破るほどに巨大化した人形を見て驚愕する。人形には見覚えがあった。いつもインガが抱いていた人形だ。
「ガリリネ君……チャバック君……。逃げて……インガちゃんに近付かないで……」
インガの弱々しい声が、しかしかなりの音量で響いたかと思うと、人形は天井を突き破ったまま駆け出し、屋敷を破壊しながら、あっという間に屋敷の外へと去っていった。
「何が起こっているるるるるるるる!?」
そこにやってきたジヘパパが、問いかけ途中に苦悶の表情になっておかしな声を出しはじめて、全身を小刻みに震わせる。ジヘパパの体色が赤銅色に変わり、全身が膨らんで、別の生物へと変わっていく。巨大化して、屋敷の壁と天井を破壊する。
(父さん!?)
チャバックの中でジヘが悲鳴をあげる。
「ドラゴンだ……」
赤銅色の竜に姿を変えたジヘパパを見て、生徒の一人が呻く。
(あれは……父さんの憧れの……)
チャバックの中でジヘが唸る。
ドラゴンになったジヘババは、大きく翼を広げると、空へと飛び去っていった。
「どういう事態なんだよ……」
呆然とした顔で呟くオットー
「皆さん、無事でしたか?」
ディーグルが戻ってきて声をかける。
「無事じゃない。インガさんとジヘパパが変身してどっか行った」
憮然とした顔で言うガリリネ。
「アリシアさんはまだ無事なようですね」
「精霊の信奉者だけがおかしくなったが、アリシアは……」
ディーグルとオットーが恐々とアリシアを見た。
「私には見えた……見ちゃった……」
「何を?」
アリシアがうつむきながら蒼白な顔で呟き、チャバックがそのアリシアを覗き込む。
「ジヘ君のお父さんの体に、精霊さんが入っていくのを。あ、あの男の子の精霊さんじゃなくて、そのお仲間の精霊さんね」
アリシアが言った。
「精霊が体の中に入ると化け物になるのか?」
「無理矢理化け物になるというか、本人の望みを投影している姿になるのかもしれません」
生徒の一人が疑問を口にした後、ディーグルが推測を口にする。
(冒険者だった父さんは……ドラゴンに憧れていた。そのせいかも……)
チャバックの中でジヘが言った。
「用心を。大きな気配が接近しています」
ディーグルが警戒を促した直後、空中に精霊さんが現れた。アリシアが顔を上げ、目を見開く。
「アリシア、俺は君がいい。君のおかげで俺は力を引き出された。君の歌に、俺の心は救われていた。だから君を選ぶ」
アリシアの前に現れた精霊さんは、優しい声で告げる。
「選ぶ? 私の中に……精霊さんが入るってこと?」
「そうだ。拒否はさせない。拒否しても無理矢理入る。君と俺、一つになる」
「う、うん……わかった……」
有無を言わせぬ精霊さんの言葉を、アリシアは躊躇いがちに受け入れた。
「そんな……アリシアもお化けになっちゃうの? 駄目だよう……」
「違うよ。これは……素晴らしいことだよ。だって精霊さんと一つになれるんだよ? 多分……悪いことじゃないよ」
チャバックが制するが、アリシアは明らかに動揺気味に主張する。精霊さんを信じたい所ではあるが、ジヘパパやインガが化け物になった場面を見せられた後であるし、自分もそのようになってしまうと意識すると、流石に抵抗はあった。
「いいえ、絶対に悪いことです」
言うなりディーグルが、精霊さんに緑の炎を浴びせる。
緑の炎が消える。精霊さんの姿はどこにもない。霊を浄化する特殊な炎を呼ぶ術であるが、浄化したわけではない。
(かわされました……。直前にアリシアさんの体内に入り込み、結び付いてしまった。私としたことが、とんだ失態です)
様子を伺ってないで、もっと早くに仕掛けるべきだったと、悔やむディーグル。
アリシアがどんな姿になってしまうのかと、震えながら見守っていたチャバックであったが、アリシアの見た目の姿は特に変わらない。しかし顔つきがアリシアのそれではない。
「精霊さん……?」
「ああ。そして――」
問いかけるチャバックに、いつもと異なる口調で頷くアリシア。
「アリシアでもある。二人の意識はほぼ統合している。しかし異なる心が完全に一つになるってのは、無理みたいだな。俺に抵抗している。アリシアと仲良くなった君達を俺が排除しようとすることに、アリシアは抗っている」
精霊さんがアリシアの声で、現在の状態を解説する。
「でも、その意識もやがて飲み込む。その時は――皆逃げて! 精霊さんは、私の体を使って皆を殺す気なの!」
途中から口調がアリシアのそれに変わり、これまで聞いたことのないような大声で叫んだ。
「一つ教えてください。どうして私達を目の仇にしだしたのですか? 理由がわかりません」
「危険だからだ。君達は世界の外からやってきて、俺達に関与する存在だ。きっと俺達の害になる。そういう運命の動きを感じる」
ディーグルの問いに、精霊さんが答えた。
「そんな理由で?」
「ふわっとしているというか短絡的というか抽象的というか……」
呆れるウルスラとガリリネ。
「私達が封印を解いてあげたというのに、私達を殺しにくるというのですか。殺す相手を間違えていませんか? あのケロンという老人こそが元凶でしょう?」
「もちろんあいつも放ってはおかない」
ディーグルが指摘すると、精霊さんはあっさりと答えた。
「アリシア達に取り憑いて、僕達を殺して、それでどうしようっていうの?」
「この子達は、俺達の依代として選ばれた。俺達はより大きな力を手に入れた。新たなステージに進む。その先に何が待っているかはわからないが、素晴らしい未来を目指す。誰かが誰かにいじめられなくて済む世界を創る」
チャバックの問いに対し、精霊さんは熱を帯びた口調で語る。
「精霊になって、力を持ったその時点で、もういじめられないだろし、これ以上何かする必要は無くない?」
「俺達はな。俺達以外にも、そんなことが起きない世界を創るっ」
ガリリネが指摘すると、精霊さんは宣言と共に、殺意を膨らませた。
攻撃を仕掛けようとした精霊さんだが、途中で止める。
「駄目か……。アリシアの抵抗が激しい」
精霊さんが溜息と共に呟き、アリシアの体が浮かび上がる。
ガリリネが輪を二本放つ。輪が巨大化してアリシアの胴体に入り、アリシアを拘束しようとしたが、輪はあっという間に砕かれた。
ディーグルが刀の柄に手をかけ、間合いを詰める。
アリシアの腹部に、素早く柄を当てるディーグル。アリシアは体をくの字にして、一瞬意識を失ったかのように見えたが、すぐに大きく目を見開き、身を起こした。
精霊さんが、至近距離からディーグルに衝撃波を見舞う。
すんでの所でかわすディーグル。
その隙をついて、精霊さんは飛翔し、一目散に飛び去った。
「皆行っちゃった……」
飛び去るアリシアの体を見送り、ウルスラがぽつりと呟く。
(アリシア……オイラはどうすれば……)
(父さん……どうすれば……)
チャバックとジヘが、同じ体と心の中で同時に嘆いていた。




