22-1 ボクチンは何も悪くない
「久しぶり、アベルさん。お父さんの様子はどう?」
「お気遣い感謝します。父は順調に回復しています。まだたまに発作が起きて、蝉の真似をしますけど」
ユーリが声をかけると、アベルは微笑みながら気恥ずかしそうに言った。
「ったく……旅行から帰ってきたばかりなんだよ? 一息つく間もありゃしない」
「かたじけない」
不平を口にするミヤに、ゴートが頭を下げる。
「ゴートはマイナス1。そこは申し訳ないって言う所だよ」
「帰ってきたばかりだし、一日休んで明日からにしようよ。こっちはオフなんだし他所に任せよう」
「お前が決めるんじゃないよ。ノアもポイント1マイナス。決めるのは儂なんだよ。こうしている間にも人喰い絵本の中に吸い込まれた誰かが、殺されているかもしれないんだよ。儂等はそうした犠牲者を出さないようにするのが仕事なんだ。それをちゃんと自覚しな」
ノアが笑いながら提案すると、ミヤが静かに叱責する。
(犠牲者……もう何人も見てきたし、母さんも犠牲になった)
ミヤの言葉を受け、ユーリは微かに胸の痛みを覚えつつ、意識する。
「すまんこ。ここは一応謝っておく」
謝意の欠片も見当たらない謝罪を口にするノア。
「ま、荷物を置いて、茶くらいは飲んでから行こう。儂等も疲れているしの」
「師匠、そんなこと言うならさっきのマイナス取り消し希望」
ミヤの決定を聞いて、ノアが要求したが、撤回することは無かった。
***
・【怒りん坊の優しい鬼】
ある所に、とても優しい性格の鬼がいました。
鬼はとても親切で優しい性格で、人々に好かれていましたが、とても怒りん坊です。
毎日鬼の周りに子供達が集まってきて、鬼と遊んでいます。鬼はいつもにこにこと笑いながら子供達の相手をします。
「いくぜええぇっー! 打点の高いドロップキーック!」
子供の一人が鬼の顔めがけて蹴りを放ち、それがうっかり鬼の鼻の付け根に思いっきり当たりました。
「痛いだろー! ふざけんなーっ!」
鬼はそれでカッとなり、たちまち子供を引き裂きます。
友達が目の前で鬼に引き裂かれて殺される光景を見て、他の子供達が恐怖に顔を引きつらせました。あの優しい鬼が、突然子供を殺すなんて、信じられない光景です。
しかし鬼が子供達を一瞥すると、子供達は一斉にぽかんとした顔になって虚空を見上げます。鬼が妖術を用いたのです。
鬼が殺した子供を大急ぎで食べ尽くすと、血の痕も妖術で消します。そしてぱんと掌を叩くと、子供達は我に返りました。
その後、鬼は何くわぬ顔で子供達と遊びます。子供達も何の疑問も無い様子で、鬼と楽しく遊びます。
夕方になり、鬼は子供達と別れました。しかし鬼はここからまた面倒な作業が待っています。
「ああ……またやっちゃったじょー。でもボクチンは悪くない。悪いのはボクチンを怒らせたあの子なんだ。どうしてボクチンを怒らせるようなことをするんだ。ボクチンだって人を殺したくないし、その後でいちいちこんな面倒なことをしたくないのに。ああ、考えていたらまたムカムカしてきたぞ。あの子は地獄に落ちるべきなんだーい」
鬼はぶつぶつ呟きながら、住んでいる村を周ります。
まず子供の家族の元に行き、妖術をかけて、子供がいたという記憶を失くしました。近所の人達にも同じことをして、他の子供達の親からも、殺した子供の記憶を失くします。
鬼は度々ついカッとなって村人を殺しますが、その度にこうして、村人の頭から殺した相手の記憶を消す作業をして回らなければなりません。
しかし鬼は、全ての村人の記憶を消しきれてはいませんでした。抜けがありました。
何人かの村人は異変に気付きました。村人の中の一人が、突然行方不明になっているのです。さらには、自分以外の誰もそのことを覚えていません。
そして似たような、村人の誰かが消えたと思っているけど他は覚えていないと、そう訴える者の存在を知ります。
やがて、鬼が記憶を消去し忘れた人物が数人集まり、消える村人と、覚えていない現象があると認識し、それは鬼の仕業ではないかと疑い始めたのです。
彼等は鬼を見張る事に決めました。
そしてある日――自称打点の高いドロップキックを鼻に受けて、怒った鬼が子供を引き裂き、他の子供達に術をかけて記憶を消した後で、殺した子供の死体を食べ、血痕を消す場面を目撃したのです。その後彼等は鬼を尾行し、村人達の記憶を消していく行為も目撃しました。
鬼に疑念抱いていた村人達は、確かな証拠をその目で捉えたものの、その後どうするかで迷いました。鬼は一瞬で人を引き裂く怪力があるだけではなく、人の心から記憶を消す術まで備えているのです。自分達の力で退治できるとは思えません。
彼等は鬼を討伐する事に決め、どうやって討伐するかで相談しました。
「寝込みを襲うというのはどうだ?」
「酒に酔わせてからな」
「いや、それは失敗したらどうするという話だ」
「力だけではなく妖の術まで使う。しかも用心深い」
「用心深くても俺達みたいな記憶消去の取りこぼしもいたけどな」
「それだけ多くの村人をもう殺しているってことじゃないか?」
「よし、ここはプロを雇うとしよう」
結局他力本願になりました。
しかし鬼は、そうなる展開も予期していました。尾行されていることにも気付いていて、わざとつけさせていたのです。そのうえで彼等の動向を知るつもりだったのです。彼等が、自分を討伐する作戦を立てている事も知り、妖術を用いて彼等の会話を遠方から聞いていたのです。
「ボクチン……取りこぼしが出ている事もわかっていたじょー。殺した相手を知る人全員なんて知りようがないし、知っていても見過ごす事もある」
鬼はそう考え、いずれ自分を怪しむ者達が自分を嗅ぎまわる事も、予期していました。
「あいつらは悪い奴だ。何も悪くないボクチンを怪物呼ばわりして、殺そうと企んでいる。しかも自分達は危険を冒さず、他人にやらせようとしている、どうしょうもなく卑怯な悪党だ。ボクチン絶対許さないもんねー。ボクチンを退治しようとしてくる奴も返り討ちにしたうえで、あいつらにはたっぷり恐怖を味わせてから殺しちゃうぞー」
鬼は怒りに燃えながら、決意しました。
***
人喰い絵本に入ると、絵本のエピソードの一部分頭の中で読むことになる。
絵本を見終わったユーリ、ノア、アベル、他騎士一名は、絵本に出てきた村の近くにいた。村からは少し離れた場所の丘の上だ。村が一望できる。近くには小屋が一件建っている。ミヤとゴートの姿は無い。
「あの鬼はキモかったね。私は悪くない症候群とか凄くキモい。受け付けない。あいつは絶対に悪なのにさ。俺と正反対だ」
ノアが不機嫌そうに述べる。
「正反対ということは、ノアさんは善人なのに自分を善人と認めないという事ですか」
「その場合、ノアは善人であり善人だと自分を認めているという事が正反対じゃない?」
アベルが冗談めかし、ユーリも微笑みながら言った。
「どっちも違う。俺は悪だ。そして自分が悪だと認めている。その部分があの鬼と俺と正反対」
腕組みして、大真面目に言い切るノア。
「何か来る」
気配を察知したノアが警戒を促した。アベルと他騎士一名が身構える。しかしユーリは全く無警戒だ。
ユーリは何が出現しようとしているのか、わかっていた。
「宝石百足殿でしたか」
何も無い空間に突如現れた宝石百足の姿を確認して、アベルと他騎士一名は警戒を解いた。
「ユーリ、御所望の品を持ってきたわ」
宝石百足が言うと、ユーリの前に青い液体が入った小さな瓶が現れ、宙に浮かぶ。
「ナイトエリクサーよ」
「ありがとう、セ……宝石百足」
表情を輝かせ、瓶を受け止るユーリ。
「残念だけど、もう手遅れよ。貴方達の脱出だけ考えて」
宝石百足が告げた。つまりはもう、殺されたということだ。最初に吸い込まれた者も、救助の先発隊も。
「脱出だけを考えてってことは、宝石百足の力で僕達を外に出すことが出来ないってことだよね? この世界も嬲り神の干渉がある?」
ユーリが尋ねる。宝石百足は人喰い絵本に吸い込まれた者を、問答無用で元の世界に送還する力が有り、人喰い絵本を渡り歩き、吸い込まれた人を救出し続けている。ただし、嬲り神の干渉がある等、特殊な条件が絡むと、この強制送還が出来ない。
「ダァグ・アァアアの決定よ。もう私は、吸い込まれた人間を送還して助けることが出来ないわ」
「何それ?」
宝石百足の報告を聞いて、ユーリは激しい怒りを覚えた。
「何様なんだよ。神様だろうけど。あいつはそんなにこっちの人間を死なせたいの? 人の命を弄ぶのがそんなに楽しいの? 宝石百足が人助けをするのが気に食わなくて、そんな意地悪したのか」
「ユーリ殿?」
何時になく怒気に満ちた声を発するユーリに、アベルは驚いていた。
「先輩、何をそんなに怒ってるの?」
ノアが案ずる。ユーリは普段柔和だが、突然怒りのスイッチが入る時がある。そういう時には制御するようにとミヤに言いつけられているし、ノアもそれが自身の役目として受け入れている。
「人喰い絵本なんてものを生み出した張本人が、未だに悲劇の世界を創り続けている事を意識して、怒りが湧いてくるんだ」
「そっか。先輩は母さんを人喰い絵本に奪われたから……」
「それもあるけど、それだけじゃない」
ノアの言葉に、ユーリは小さくかぶりを振った。
「絵本の世界の住人にも心がある。魂がある。苦しみも喜びも悲しみもある。そんな人々の命を、魂を、運命を、あいつは弄んでいる。それが僕には許せない」
おかっぱの少年のあどけない顔を思い出し、怒りを募らせるユーリ。
「正直さ、母さんの記憶はわりと曖昧というか……死に別れたのは五歳の頃だしね。その後はずっと師匠が親代わりだったから、母さんには悪いけれど、母さんとの思い出、そんなに沢山は覚えていないんだ。だから母さんを殺された恨みとか悲しみとか怒りは、全然無いことはないけど、あまり強くはない」
「そっか」
ユーリがそこまで喋った所で、近くにある小屋の扉が開いた。
小屋から出てきたのは、その場にいる全員が見覚えのある人物だった。
「ぶひっ」
小屋の中から現れた黒髪の美少女が、その凛とした美貌に似つかわしくない、おかしな声をあげる。
「サユリさん」
「それ挨拶のつもり?」
現れたサユリ・ブバイガにノアが問いかける。
「そうなのであるが? 何か問題でして?」
無表情に答えるサユリ。
「サユリ、服が違う。魔法使いじゃなくて、微妙に魔術師っぽい?」
「東洋の術師っぽいね」
サユリの服装を見て、ノアとユーリが言う。
「あ、本当なのでして。あたくし、物語の登場人物となったみたいなのだ」
二人に指摘され、サユリは自身の変化に気付いた。




