21-2 冬のレジャーに心躍らせる猫
ア・ハイ群島はほぼ全域にわたって温暖な気候であるが、標高2500メートルを超える山々が連なるメンコーイ島は話が別だ。
首都は飛空艇に乗る際、山を下りて港にまで行かなくてならない。海に飛空艇が着水するのだ。しかしメンコーイは違った。ソッスカーのような山頂に平野があり、そこにエアポートがある。
「ここは初めて来るけど……さ、寒いっ」
飛空艇を降りたとたんにノアが震え出し、魔法で自分の周囲の温度を上げて落ち着く。
「こんなに寒いのに何でこんなに人多いの? 皆わざわざ厚着して寒い場所に行くとか、どういう趣味? 雪好き? 寒さフェチ? 俺は冷却系魔法で攻撃するの好きだけど、攻撃されるのが好きな人達? あれは何? 坂を滑ってる」
「儂は若い頃は、どちらかというと寒い方が好きだったよ。今は歳だから暖かくしないと辛いけどね」
矢継ぎ早に質問するノアに、ミヤが言った。
「猫はこたつで丸くなって弱体化する先入観」
「寒いからこそ、ぬくぬくした時気持ちがいいし、温かい食べ物も美味くなるだろう? それにね、昔の儂は夏が逆に苦手だったからさ」
ノアが意外そうに言うと、ミヤが妙に弾んだ声で語る。
「ここに来るのは結構久しぶりです。師匠と一緒にスケートして遊びましたよね」
「スケープゴート?」
ユーリの台詞を聞き、ノアは山羊の角が生えたユーリが首を切り落とされて、皿の上に置かれている姿を想像する。
「ふふ、お前は何度も転んでいたねえ。しまいには泣き出して」
「ちょっとー、それは言わないでくださいよー」
「お、あのロッジは改築したんだねえ」
「本当だ。以前はもっとぼろかったのに」
楽しそうに話しているミヤとユーリを見て、ノアはぶすっとする。
「二人で思い出に浸って俺はのけもの。ひどいよ師匠、先輩。やはりこの世界は滅ぼした方がいい。この世界は腐っている」
「ごめんごめん」
「おや、悪かったね。つい懐かしくてね」
「二人で口を合わせてすまんこって言おう。本当に悪いと思って反省しているなら出来るはず」
謝罪するユーリとノアに向かって、ノアが断固たる口調で促す。
「嫌だよ。それとこれとは別だよ」
「何でお前は他人にそんな気色悪い台詞を言わせたがるんだい?」
ユーリがきっぱりと拒み、ミヤが呆れながら尋ねる。
その後、三人は整備された街道を歩く。
「この道は雪が積もらないし、微妙に濡れているのに凍ってもいない。薄い魔力が道全体を覆っている」
「エニャルギーで道だけ温めているんだろうね。結構予算かかりそうなものだけど、こっちではエニャルギーも余っているのかな?」
「観光地だし、金はあるんだろうさ」
会話を交わしつつ、三人は凍った湖に行く。
氷上では大勢の人間がスケートに興じている。スケートをしていない区画では、氷に穴を開けて釣りをしている者達もいる。
「皆変な靴履いて氷の上を滑ってる」
その様子を不思議そうに見るノア。
「あれがスケートだよ」
ミヤが教える。
「あれは?」
雪の斜面を、足につけた長い板で滑っている者達を指すノア。
「あれはスキーだよ。僕はやらないよ」
「スケート以上に酷い目にあったしねえ。雪だるまの中に……」
「言わないでください。師匠……」
「はい、二人ともマイナス1。そして思い出話禁止ね。俺が仲間外れになる」
また二人で思い出話を始めたので、ノアがぴしゃりと告げた。
「ごめん……」
「お前は案外そういうの気にするんだね」
ユーリが謝り、ミヤは苦笑気味に言った。
「しかし思い出はどうしても浸ってしまうね。ここはユーリと来ただけじゃないんだ。ディーグルや、若い頃のシモンとも来たことがあってね。シモンの馬鹿はここでしつこくナンパして……ああ、この先は言わない方がいいか」
その後シモンは変質者扱いされ、役人に取り囲まれる事態になり、ミヤが何とか説得して無罪放免にしてもらった。
「ここ、見晴らし良い。気に入った。ポイントプラス1」
湖一面を見渡して、上機嫌に言うノア。
「儂の真似するでない。マイナス1ポイント」
「真似しただけでマイナスって酷いよ。理不尽だ。お返しに師匠のポイントマイナス2」
ノアが頬を膨らませる。
「儂のポイント付けはやめろと言っておろうが。弟子が師匠に対してやっていいことじゃないよ。ああ、そうだ。この辺でシモンに質問したんだよ」
「質問?」
「うん、口で説明するより、実際に見てみるといいよ。ほれ」
ミヤが魔法で記憶を掘り起こして映像化する。
タトゥーだらけ、ピアスだらけ、三色パンクヘアー、舌にもピアスをつけて、とんでもなくガラの悪い、十代後半と思われる南方人少年が現れる。そして傍らにはミヤもいる。
『シモンよ。お前は将来どんな魔法使いになりたいね?』
映像のミヤが、少年時代のシモンに尋ねる。
『応っ、よくぞ聞いてくれましたお師匠様よォ。俺はなあ、ぶっとくてごっつくてでっけえ魔法使いになりてえんだ。カーッカッカッカッカッ!』
高笑いをあげるシモン。そして映像は消えた。
「どうだい?」
ミヤが弟子二人に伺う。
「ツッコミどころ満載」
「その答えって、魔法使いどうこう関係無い気がします。どんな大人になりたいとか、どんな男になりたいかなら、まあそんな答えでもいいと思いますが……」
ノアが一言で切って捨て、ユーリは真面目に答えた。
「うむ。ユーリの言う通りだね。儂もシモンには、どのようなスタイルの魔法使いになりたいのか聞きたかった。そのうえで、魔法使いとなってからどうするつもりかも聞こうかと思ったが、この答えを聞いて、もう面倒臭くなって聞く気が無くなったよ。一事が万事この調子で、中々面倒な奴だったさ」
苦笑して小さくかぶりを振るミヤ。
「シモン先輩の若い頃って、色々とワイルドだったんですねー」
と、ユーリ。
「今見たシモンは十七歳の頃のだね」
「何がどうなって、あれが坊主なんかに成れ果てたんだろ」
「さあね。免許皆伝出すまであんな調子だったけど、しばらく会わなかったら仏門に入ってたから、儂も驚いたもんさね」
それから三人はスケート靴を借りて、氷上へと移動する。
「ノア、魔法は禁止だよ」
ノアが滑る前に、ミヤが釘を刺す。
「えー……遊びなのに、師匠にそんな命令されるなんて」
「遊びだからさ。魔法を使って滑っても楽しくないさ。何でもかんでも魔法に頼っていると、人生の面白みを失くしちまう。ま、今は言ってもわかんないかもしれないけどね」
「わからないかもしれないと見くびられると、わかりたくなる。それが俺」
ミヤの持論が気に入ったノアであるが、今はわからないと言われてちょっとむっとした。
「はっ、見くびったつもりはないけどね」
ミヤが笑う。
「転びそうになったらすぐ支えてあげるから、心配しなくていいよ」
ユーリがノアの傍らへと進み、サポートを申し出る。
「わかった。先輩を信じる」
ユーリに向かって微笑むノア。
ノアがゆっくりと滑り出す。最初はゆっくりであったが、すぐにコツを掴み、ノアはスムーズに氷上を滑っていった。
「おお……上手い。初めてとは思えない。僕なんか立つことさえ、中々出来なかったのに」
「運動神経には自信あっ……るっ!?」
ユーリが感心し、ノアが得意満面でユーリの方を振り返った矢先、ノアは体勢を崩して盛大に尻もちをついた。
「先輩……信じてたのに……」
「いや、調子に乗って僕から離れすぎてたから……」
憮然とするノアに、ユーリが頭を掻く。
その二人の間を巧みに滑り抜けていくミヤ。かなりの速度だ。
「師匠流石だなあ」
ミヤが高速ですいすいと滑っていき、あっという間に小さくなっていく様を見て、ユーリが感心する。
「婆、俺に見せつけて悔しがらせるつもりで、ああやって格好つけてるんだ。ムカつく」
「それは被害妄想だよ。師匠はそんなことしないよ……」
ノアの台詞を聞いて、ユーリが言った。
「きゃー、猫ちゃんがスケートしてるー」
「ふぇーっ、しかも凄く上手いし速ーい」
「ていうか、大魔法使いミヤ様のコスプレしてるの可愛いー」
ミヤに向かって黄色い歓声が飛ぶ。
「コスプレじゃないわい。本人だよ」
ミヤが女性客達の前に停まって言った。
「ええっ! 本物のミヤ様っ!?」
「やっばーっ、道理でスケートも上手いわけね」
「失敬な小娘だね。儂は魔法で滑っているわけじゃないからね。ちゃんと自分の技だ。ほれっ」
ミヤがスピンしたうえに跳び上がり、トリプルアクセルまで決めてみせる。
「おおーっ、決めたー」
ユーリがミヤの技を見て、拳を握って声をあげる。
「凄いけど、猫の身体能力だからこそって気もする」
「いやいや、普通の猫はあんな風に空中で直立して回転しないから」
ノアが言ったが、ユーリが否定した。
「お前があの大魔法使いミヤか……」
突然、幽鬼のような風貌の蓬髪の男が現れ、ミヤの前に立つ。
「ほう……出来そうだね」
ただならぬ雰囲気の蓬髪男を見上げ、ミヤが不敵に笑う。
「あ、あの男は……」
ミヤの前に立ちはだかった男を見て、ユーリが慄く。
「知ってるの? 先輩」
「いや、知らないけど、出来そうだよ……」
「何が?」
何故か慄然としているユーリを、不思議そうに見るノア。
「私の名はキャットマスター・クズキ七代目」
蓬髪の男が禍々しい気を放ちながら名乗る。
「へえ、あの……。名は聞いているよ」
「我が挑戦、受けてもらおうか」
「はっ、面白いじゃないか。儂が精査してやるよ。儂が合格点を出したら、魔法使いミヤを屈服させたと吹聴して構わないよ」
「いざ、参るっ」
クズキがミヤの前でかがむと、ミヤの頭、喉、尻尾の付け根など、各所を撫で始める。
「あの婆……何てはしたないんだ……。行きずりの男に体を弄ばせるなんて。まるで俺の母さんだ。いや、天下の往来でやってる分、母さんよりひどい」
「いや、そういうのとは違うから……」
クズキに撫でられているミヤを見て、ノアが顏を引きつらせ、ユーリが否定した。
やがてひとしきり愛撫を終え、クズキが立ち上がる。
「ふむ。中々の技巧。そして猫に対する純粋なる愛情。合格と言ってやりたい所だが……お預けにしておくよ」
「何故? 私に足らないものがあるというのか?」
ミヤの判定を聞き、意外そうな顔になるクズキ。
「いいや。お前にはまだ伸びしろがある。ここで合格を出してしちまうのは、勿体無いよ。他の奴なら合格をやってもいいが、お前がその高みに至った時、猫を愛撫する道を究めたその時、合格を出してやろうじゃないか」
「流石は大魔法使いミヤ……。感服した。精進するとしよう」
ミヤの批評を聞き、クズキは納得して背を向け、立ち去った。
「魔法使い関係無いよね?」
ノアがぽつりと呟く。
その後一時間ほどスケートを楽しむ三人。
「さて、次はスキー行こうか」
ミヤが移動を促す。
「いつになく婆がノリノリだ」
「うん。雪国来ると元気良くなるんだよね」
「本人も言ってたけど本当みたいだ」
ノアとユーリがミヤの背を見て囁き合う。
スキーの準備をしている最中、三人は奇妙な一団を見た。
十人ばかりの男女。深緑のマントを羽織って、フードを目深にかぶっている。マントには閉じた目が縫い付けられているという奇怪な刺繍が施されている。
「あの人達は何だろう?」
ユーリが呟く。
「ああ……関わらない方がいいですよ。最近ここいらの筋者を追い出して、新しく幅を利かせている連中ですが、筋者じゃなくて、邪神信仰をしている教団の者だという噂です」
スキー板の貸し出し店員が解説した。
「この土地の若者も勧誘しているようで、皆頭を悩ませている。ただ、それ以前の筋者達の方が、やってることは悪どかったからね。不気味ではあるが、何とも言えんよ」
近くに通りがかった、この土地の人間も口を出す、
「一利一害……と言っていいのかな」
「一得一失、一長一短」
「利害失得と言うのがあっているんじゃないか?」
ユーリ、ノア、ミヤがそれぞれ言う。
「よしっ、では行くぞっ」
スキーでいの一番に飛び出すミヤ。
「あの婆、またしても弟子さしおいて、一人で楽しんじゃってる」
颯爽と滑るミヤの後姿を見て、ノアが言った。
「ノア、師匠が一番楽しんでいるかもしれないけどさ、でも一人で楽しんでいるじゃないよ。僕とノアと一緒だからこそ凄く楽しめていると思うんだ」
「そっか。うん。言われてみるとそう見える。いいことだ」
ユーリの言葉を聞き、ノアは小さくなっていくミヤを見ながら微笑んだ。




