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20-1 実は前代未聞の逸材でした展開は夢じゃない

「ぎひゃああぁ! うぎぃひぃぃぃ! やめでぐでぇぇぇ!」


 身も世も無い悲鳴が、幾度も室内に谺する。シェードにとっては聞きなれた声だ。


 拷問と言えば地下室が定番だが、その拷問は豪奢な一室で行われていた。

 効果なカーペットに無数の血飛沫が飛んでいるが、家主は気にしない。


「殺してくれ……」


 全身血塗れになり、顔の半分は原型を留めていない男が、何度目かの同じ台詞を口にして哀願する。


(殺してくれ)


 殺し屋シェードはその台詞も何度も耳にしているし、それを聞く度に、心の中で同じ台詞を唱和する。それはシェードにとっても、切なる願いだ。自分を殺してくれる者の出現を願っている


 家主は――初老の肥満体の依頼主は、心地よさそうに目を細め、口元に酷薄な薄笑いを浮かべると、拷問を行っているシェードに視線を向けた。


「もういい」


 依頼主から発せられた一言を聞くなり、シェードは短剣を振るい、拷問されていた男の喉元を切り裂いた。


「御苦労だった。十分に溜飲が下がった。この村で儂に盾突いた罪に相応しい罰だ」


 傲岸で冷酷なこの依頼主は、シェードのお得意先である。村の大地主であり、村を実質上、独裁支配していた。逆らう者はシェードに依頼して捕獲させ、自宅でシェードに拷問させて殺害していた。


(いつかこの男に報いがあらんことを。裁きがあらんことを)


 醜悪な肥満漢の依頼主を、シェードは心の中で呪う。


 シェードは殺し屋である。しかしただの殺し屋ではない。ターゲットを捕獲し、依頼主の前で拷問し続けるという行為がセットでついてくる。そういう殺し屋だ。故にシェードの依頼は、相当な怨恨が伴った復讐か、あるいは今の大地主のようなサディストばかりだ。


 シェードには次の依頼がもう入っていた。ここに来る二日前に依頼主と会っている。

 依頼主はこれまた、土地の顔役だった。依頼主の息子は、勤め先の部下によって惨殺されたという。依頼主の息子を殺した人物がターゲットだ。


 そのターゲットは他にも何人も殺し、指名手配を受けている。自分の親まで殺したという話だ。この凶悪殺人犯の大体の行き先もわかっているのだが、何故か役人達は捜査を打ち切ったという、不可思議な話である。そこでシェードの出番となった。


 歩きながら天を仰ぐシェード。眩しい陽光が目に入る。透き通った青空が広がっている。


「主よ。お許しなさるな。悪である私を責め続けよ」


 空を見上げたまま、シェードは声に出して呟く。


「私は悪を討ち続ける。私は悪を苦しめ続ける。私も悪である。苦しみ続ける」


 瞳を爛々と輝かせて宣言した直後、シェードの瞳が急速に暗く曇っていった。


「だから……殺してくれ。私を殺してくれ」


 切実な口調で訴える。


「誰か私を殺してくれ。悪なる私を殺して裁いてくれ」


 自身が悪である事に苦悩する殺し屋シェードは、自分を殺してくれる者の出現を願っている。


***


 人喰い絵本の対処を終えたミヤ、ユーリ、ノアの三名は、翌日は修行も休みで休暇にしていた。


西方大陸ア・ドウモでは、勇者信仰が凄くて、魔王への怒りも根付いているらしいね。魔物化現象なんていうものがあって、ある日、家族が魔物になって襲いかかってくるとか、そんなことがあるせいで、そのようになっているとか」


 広間にて、新聞に書いている内容を口にするノア。ミヤとユーリもいる。


「ふん……それも魔王の残した災厄だね。死んでもなお人々を苦しめる。全く魔王ってのはどうしょうもない存在さ」


 祭壇に向かっていたミヤが振り返り、忌々しげに言い放つ。


「母さんは、西方大陸ア・ドウモは魔王へのヘイトと勇者信仰を利用して、治世を行っていると言っていた」

「ま、それは確かだけどね。実際、魔王がどれだけこの世に害を成したのかを考えたら、魔王への憎しみも自然と湧くだろうよ」


 ノアが言うと、ミヤは暗い口調で言った。


(師匠は魔王嫌いだから、その話題振らないようにって言ってるのになあ)


 ユーリが困り顔でノアを見る一方、ある疑問が湧いた。


「でも魔王って物凄い力を持っているんですよね? 人類に戦争仕掛けて、魔物を呼び出して、死した後も、多くの災厄を困世に残したくらいですから」


 怒られそうだとわかっていながら、ユーリは生じた疑問を口にする。


「何を考えているんだい? ユーリ」

「魔王の力を手に入れる坩堝なんてものがあれば、その存在を知れば、その力を欲する人も出てくると思います」


 ユーリの台詞を聞いて、どきっとして胸を押さえるノア。


「それはそうだろうね。特にジャン・アンリ達は要注意だ。あいつらが見逃さないはずがないよ」

「魔王の力を手に入れれば、神様も……ダァグ・アァアアも懲らしめてやることが出来るでしょうか?」

「ユーリ。ろくでもないことを言うんじゃないよっ。あんたのお母さんはどうして死んだと思っているんだいっ。魔王の残した人喰い絵本に殺されたんだよっ」


 ユーリの言葉を聞いて、ミヤが叱咤する。


「でも人喰い絵本を作ったのはダァグ・アァアアです。いや……ごめんなさい。師匠。気の迷いです。変なこと言ってごめんなさい」

「ふん。未熟者め」


 ユーリが謝罪すると、ミヤは鼻を鳴らして祭壇の方へと向いた。


(未熟……)


 ミヤが口にしたその単語は何度も聞いているが、かつてミヤがその単語を交えて放った台詞が、ユーリの胸に突き刺さっている。


『お前は悪人の気持ちがわからん。欲の深い者も気持ちもわからん。その時点で浅い。未熟だ』

(悪人になれば気持ちがわかるかな? 魔王になれば悪人かな?)


 そんな考えが、ユーリの中に生じる。


(先輩まで魔王になりたがってる? とんだところから競争相手が生まれた予感。先日の話を聞いた限り、神様嫌いの先輩なら、そういう考えに至っても不思議じゃないね)


 一方でノアは、新聞を広げたまま、ユーリのことを見ていた。


(魔王になれる手段なんてものが、いきなり俺の前に湧いて出たようで、これは俺が魔王になるための運命の導きだと、そんな風に喜んでいたけど……ここからどうすればいいかわからない。おまけに競争相手もいそうだし。うーん……他の人には絶対渡したくない。先輩だろうと嫌だ。俺のものにしたい。俺が魔王になって。この世の中滅茶苦茶にしてやるんだ。俺より幸せな奴は皆殺しだ)


 そこまで考えて、ノアはふと思った。


(でも……俺、今は不幸じゃない。毎日楽しいし、辛いことはほとんど無い。母さんと一緒に居た時と全然違う。これって、幸せ……なのかな?)


***


 新生魔術学院の開校から一週間が経った。


 元々魔術を学んでいた身であり、特定の魔術に才があったチャバックであるが、魔術の論理的な学習に関しては、思うように進まずにいる。逆に、感覚的な実技においては、伸びを見せている。


「ようするにオイラ、頭が悪いから……」


 昼休み。教室内で、トホホ顔でそう結論づけるチャバック。


「私なんかどっちも駄目だし……」


 机に突っ伏したウルスラが、暗く重い声を発する。


「実技で上手くいってるのは、元々魔術を習得していたチャバックだけだから、それは気にしなくていいと思うヨ」


 アルレンティス=ミカゼカが口を出したうえで、ちらりとオットーを見る。


「でも、オットーは実技の方で何か掴んだ感があるよネ」

「ああ……何か鍵穴に鍵が上手く入りそうな、そんな感覚がある」


 オットーが清々しい表情で言った。実技とは、精神を集中させて、呪文を唱えて魔術を発動させるトレーニングだ。まだ一週間しか経っていなので、これはチャバック以外、誰も上手くいっていない。


 個人差もあるが、魔術の習得には途方も無い時間と労力が必要で、呪文一つ扱えるようになるまで、年単位を要する事もザラだ。故に、魔術師を目指す者は脱落者が多く、だからこそ魔術師は数が少ない。


「魔力を頭の中でイメージして自由に扱う魔法よりは、決まった呪文、触媒や印の動作で、決まった効果をあげる魔術の方が、難易度はかなり低いんだけどネ」


 と、ミカゼカ。


「ところで今日も、ノアもユーリも来てないよね。昨日も来てなかったけど」


 ガリリネがチャバックに尋ねる。


「うん。人喰い絵本をやっつけるお仕事だってさー。昨日済ませたけど、今日は疲れたからお休みするって」

「人喰い絵本をやっつけるというのも、おかしな言い方だ」


 チャバックの言い方がおしかくて、オットーが小さく微笑む。


 やがて午後の授業に入る。チャバックやオットー達がいる組は、魔術の実技の時間だった。


 全員がここ数日で、何百回と呪文を唱え、魔術を発動させようとしている。そして何も起こらないという繰り返しだ。それが延々と続く。年単位で続く。理論上では魔術は万民が扱えるが、多くの人間が途中で投げ出す。心が折れる。


「え? 出来た?」


 オットーが目を丸くして、怪訝な声を発する。


 初歩的なエニャルギー精製の呪文を唱えた直後、胸の前にかざした両掌の間に、小さなエニャルギー結晶が完成していた。

 エニャルギー精製魔法を成功させたオットーに、視線が集中し、教室内がどよめく。


「ま、まだ入学一週間でしょ? その前に魔術の手解きを受けていたとか、そういうことはありませんか?」


 オットー達の教室の担当する、エルフの少年教師がやってきて、驚愕の表情で尋ねる。


「いや……ここに入ってから習い始めた……」


 オットーが言った。


 その後、別の魔術師達も次々とやってきた。院長のロドリゲスもいる。


「もう一度やってみてくれないか」

「お、応……」


 ロドリゲスに促され、オットーが同じ呪文を唱えると、今度はもう少し大きめのエニャルギー結晶が精製された。


「そんな馬鹿な……」

「一週間で魔術の習得など、これまであったか?」

「前代未聞ですわ」

「ア・ハイの歴史で魔術習得最短記録は、ジャン・アンリの二ヶ月です」

「て、天才だ……」

「これは素晴らしい逸材が現れたっ。流石アルレンティス様のお墨付きだ」

「他の生徒達にもいい影響を及ぼすわね」


 今度は教師達がどよめく。


「すごーい、オットーさん」

「いいなあ……オットーさん」


 チャバックが称賛する一方、ウルスラは不機嫌そうに頬を膨らませている。


(人並のことを何一つ出来なくて、誰からも罵られ、蔑まれ、見下された俺が、持ち上げられている。これ……何だ? 夢か?)


 注目され、称賛され、驚愕され、期待され、羨望の視線も向けられている自分。そんな今の在り方が、オットーには信じられない。


「ネ? 僕の言った通りだったロ? 僕は人の眠れる才能を見抜けるからネ。僕からすれば、不思議なことじゃないヨ」


 オットーの横にやってきたミカゼカが、笑顔で囁いた。

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