19-7 世界を豚で覆い尽くせ
森の中を霊園に向かって歩く、ミヤ、ノア、サユリ、イリス、ダァグ、騎士二名。
「創造主様の力で一気に目的地に連れて行くとか、してくれないの?」
「それじゃ風情無いよ。歩いて行くから思い出も出来る」
ノアが豚に乗ったダァグに声をかけると、ダァグは微笑みながらそんな答えを返した。
「確かに……豚に乗れるのはいいな。豚って間近で見たのは初めてだなあ。しかもこんなに大きな豚」
ノアは豚に興味津々だった。今はサユリとダァグの二人が乗っている。
「どうやらこの男装少女、豚に乗りたくて仕方が無いようですっ。熱い視線を送っていますっ」
豚に乗ったサユリが実況口調で言う。
「そうでしょうね。豚は浪漫です」
サユリが口調を一変させて、しっとりとした解説口調で、しかし語尾に力を込めて言った。
「うん、乗りたい」
目を輝かせて申し出る
「じゃあ僕と交代しようか。いいよね? サユリ」
「問題無くして」
ダァグが伺うと、サユリは豚を止めた。
ノアが豚に乗る。再び歩きだす一行。
「ぶっひんぶっひんと言いながら、平手でぺしぺしと叩くといいのだ。そうすれば喜ぶのである」
「ふーん、わかった。ぶっひーんっ、ぶーっひーんっ」
サユリに促され、ノアは上機嫌で台詞を口ずさみながら豚を叩く。
「違うのだっ。ぶっひんぶっひんなのだっ。それとー、そんなに強く引っぱたいたら駄目なんでしてっ。愛情を込めて優しく叩くのであるっ」
「ぶっひんぶっひん、こう?」
「そうそう、いい筋しているのだ。君は豚の扱いのセンスがあるのだ」
ノアが注意に素直に従うと、サユリはにっこりと笑った。
「さて、これで君も豚に乗ったのだから、サユリさんの下僕になるのだ」
「は? 嫌だよ。何で豚に乗っただけでそんなこと要求されるのさ」
サユリが断ずると、ノアは至極当然な反応を示した。
「ただで乗せるなんて言ってないのでして。豚に乗って楽しかったであるな? ではその代金として、サユリさんに永続的に絶対服従するべしである」
「馬鹿なの?」
ノアの方に振り返り、高圧的な口調で言うサユリであったが、ノアはジト目で冷たく一言言い放った。
「むう……。君も恩知らずであるか。ううう……せっかく豚好き同士としてわかりあえるかと期待したのに、駄目だったのである。運命は期待だけさせておいて、すぐに絶望と落胆の奈落に突き落とすのだ。ぶひ、期待したあたくしが馬鹿だったということでして。まあいいのだ。どうせこの子もいずれ豚になるのだ」
「何言ってるの?」
重い口調でぶつぶつと呟くサユリに、ノアはますます呆れる。他の面々も気持ち悪そうにサユリを見ている。
「ところで君、ミヤの弟子と見たりして」
「そうだよ」
サユリの言葉に、ノアは頷いた。
「ミヤなんかに弟子入りして、大変ではないかと思ったりして? 凄くうるさそうなイメージだったりして」
「凄くってほどでもないけど確かにうるさい。お説教好きだし、婆らしい頑固さだし、神経質な所もあるし」
「サユリ、ノア、二人共マイナス1しとくよ」
サユリとノアの歯に衣着せぬ物言いを間近で聞き、ミヤが告げた。
「ひどいよ師匠。今のでマイナス?」
「ぐうっ、またマイナスが突き刺さるっ」
ノアが不服そうな顔になり、サユリは胸を押さえて苦悶の表情になる。
「ところで俺等、ブラッシーが行方不明で、助けに来たんだ。サユリも協力してよ」
「はあ?」
ノアが要求すると、サユリは露骨に不機嫌そうな声をあげた。
「一緒にブラッシーを助けに? 嫌なのだ。サユリさんは自分以外の誰かのためになることは、一切したくないのだ。人助けや社会貢献など、もっての他なのだ。人喰い絵本の中に入るのだって、お給料とイレギュラー取得のために仕方なくしているだけで、吸い込まれた人の救出なんて心底どうでもいいのでして」
冷たい口調で主張するサユリ。
「私だってサユリと同行は嫌ーよ。こいつと何度か人喰い絵本に戻ったけど、毎回毎回、勝手やらかして、真面目に救出活動しなくて散々だったし」
イリスが忌々しげに言った。
「あたくしもイリスはうるさすぎて嫌なので、イリスとの同行は拒否したのだ」
「ふん。拒否してくれてありがとうございまーす。おかげでもう、あんたみたいな問題児の面倒みなくて済んだからね~」
サユリが言い返すと、イリスが心底せいせいしたといった口調でさらに言い返す。
「こぉれは痛手だーっ。サユリに面と向かって罵倒の限りを尽くし、禁治産者扱いまでするイリスに、サユリの精神は崩壊寸前っ。さあ、どうするサユリーっ」
「禁治産者扱いまではしてないでしょーっ」
勢いのついた実況口調で喋り出すサユリに、イリスが声を荒げる。
「いや、これくらいじゃサユリはへこたれませんよ。ダメージは受けているようですが」
冷静な解説口調で言うサユリ。
「ぶひっ、いいのである。あたくしは悪なのだ。社会から見て悪なのだ。社会はサユリさんを認めないから、サユリさんから見ても社会は敵で悪なのである」
元のサユリの口調に戻り、いじけだす。
「師匠、俺少しこの女にシンパシー感じた」
「向こうの弟子になるかい? きっとろくでもない人間に育つだろうよ。儂はお前を厳しく躾けて真人間に更生するつもりでいるけどね」
ノアがミヤを見下ろして言うと、ミヤは冷めた口調で告げる。
「そしてこの社会にいつまでも踏みつけられて、さめざめと泣いてばかりいるサユリさんでもないのだ。あたくしには大いなる夢があるのでして」
「絶対ろくでもない夢と見た」
唐突に語りだすサユリに、ノアがにやにや笑いながら言った。
「世界の全ての人間を豚に変えるのである。そうすればもうあたくしをいじめる者は一人もいなくなるからして。あたくしをいじめた連中に復讐も果たせて、完璧に平等かつ平和な世界が到来して、一石二鳥なのだ。ここにいる君達も、いずれ皆豚になって、年中ぶひぶひ言って、サユリさんにずっとずっと可愛がられる運命なのだーっ」
サユリが壮大な野心を語る。他の面々は一切無反応でただ歩いている。
「そのためにも、サユリさんは人喰い絵本の中でイレギュラーをいっぱい手に入れて、力をつけまくる必要があるのでして。そんなわけでダァグ、サユリさんの夢を叶えるための力をちょーだいなのだ」
「嫌だよ……。そんなおかしな夢を叶える手助けなんて」
サユリが要求するも、ダァグは顔をしかめて拒む。
「ぶひーっ、嬉しそうに豚に乗っていたくせに、おかしな夢とは酷い言い草であるなーっ」
「豚が可愛くても、世界中豚にする夢と直結しないし、おかしい夢なのは事実」
ぷんぷん怒るサユリに、ノアが正論で突っ込んだ。
***
「ダァグ・アァアアの側近が襲ってくるってことは、ダァグ・アァアアは僕達を敵視しているってことだよね?」
「いえ、そうではないわ」
ユーリの言葉を宝石百足は否定した。
「ダァグ・アァアアの兵士達は、この世界の侵入者を発見するなり、機械的に襲っているみたいよ。特にこの霊園には大事なものがあかるからね」
そう言って宝石百足は、念動力でティーカップを空中に浮かせて、口元へと運ぶ。
「侵入者が来ることを想定しているの?」
宝石百足が茶を飲む光景を何となくおかしく思いながら、ユーリは尋ねる。
「そうね。貴方達の世界と繋がったことで、ダァグ・アァアアは警戒している。どこかの世界と繋がってしまい、その者達が霊園にあるものに、おかしな干渉をしないようにね」
と、宝石百足。
「騎士や術師、それに獣の体に食い込んでる輪は何なのかしら?」
ブラッシーが質問する。
「『命の輪』――イレギュラーよ。それが力の源であり、命の源であり、人の命を加工して装置化したもの――人の命を魔道具にしたと言えばいいかしら? そしてこの世界を破滅に追いやったものでもあるわ。ここ以外の世界にも、これは出回っている」
霊園の中に生えた木にも食い込んでいる輪――それら全てが元は人だったという話を聞いて、ユーリはぞっとする。人の命を加工して道具にするという話もかなりぞっとしたが。
「ブラッシーさん、ここを離れた方がいいんじゃないですか?」
「ユーリ君、私ついさっき離れられないって言ったばかりよね~ん。もう忘れたのん?」
ユーリが提案すると、ブラッシーは微苦笑を零した。
「離れられない理由は何です?」
「んー……この霊廟に懐かしい気配が漂っていてね。正直驚いたわん。それを探しているのん」
ユーリの問いに、ブラッシーがはぐらかしているかのような答えを口にする。
「魔王廟があるからね」
宝石百足が指摘すると、ブラッシーの顔つきが変わった。
「吸血鬼ブラム・ブラッシー。貴方はかつて魔王の手下で、魔王を裏切ったと聞いたわ。魔王の気配をこの霊園に感じ、調べたいと思うのはわかるけれど、この場所こそが今この世界のキーと言える。これは私の推測だけど、嬲り神はどうやら創造主ダァグ・アァアアと取引をしたんじゃないかしら」
宝石百足が己の考えを述べると、ブラッシーはいつもの明るい笑顔に戻る。
「その取引が、魔王様に由来する、ここにある何かっていうわけねん?」
「貴方は魔王を裏切った身でありながら、魔王を様付けで呼んでいるのね」
ブラッシーの問いに答えず、宝石百足は言及する。
「で、魔王廟とやらはどこなの? いえ、その前に――それは何なのかしら? 魔王様の骸が埋められ、祀られているお墓? 確信を持って言えるわ。絶対違うわよね?」
さらに質問するブラッシー。
「ええ、指摘通り、魔王を祀る墓という名目だけど、実際には違う。魔王を生み出す力の源『坩堝』が封じられているの」
「魔王を生み出す……」
宝石百足の言葉を聞き、ユーリはぞっとした。今なお世界に大きな傷跡を残し、新たな悲劇を生み続けるほどの力を持つ邪悪である魔王が、新たに生まれてくるなど、とんでもない話だと感じる。
しかしその一方でユーリは、ある可能性を思いついてもいた。それだけの力があれば――
「ブラッシーさん。どうします?」
「ちょっとちょっとユーリ君、何心配してるのよーん。私がその力を得ようとか、利用しようとか、そんなこと考えていると思っているの~ん? そんなんじゃないから。ただ純然と興味はあるわん。好奇心よん」
ユーリが鋭い視線をブラッシーに向けると、ブラッシーは誤解されたと受け取り、慌てて否定した。
(それこそ誤解だよ)
ブラッシーの反応を見て、ユーリは思う。別にユーリは、ブラッシーが魔王を生み出す力とやらを、悪い形で利用するかもしれないという危惧など、一切抱いていなかった。
「嬲り神は魔王廟の封印を緩めるつもりみたいよ。彼は次の魔王を作りたいのよ」
宝石百足が断言する。
「何でそんなことわかるの~ん?」
「彼のことはよく知っているから。嬲り神は混沌の中、人々が苦しむ様を見るのが好きな神だからね」
ブラッシーが問うと、宝石百足はさらに確信を込めて言い切った。
(まさに僕の嫌いな神様像そのものじゃないか。でも僕はどうしても嬲り神を嫌いになれない。僕を助けてくれて、僕の心も見抜いて……。何なんだ?)
ユーリが思い悩んでいると――
「逃げてっ!」
突然宝石百足が叫び、ユーリはぎょっとした。
次の瞬間、宝石百足が衝撃波を放ち、ユーリの体を吹き飛ばした。近くにいたブラッシーは宝石百足の衝撃波に当たる前に転移していた。
(僕をかばって? ということは……)
倒れたユーリが嫌な予感を覚えて顔を上げる。
淡い光の直方体の中に閉じ込められた宝石百足の姿がそこにあった。殺されているという最悪の展開も思い浮かべていたユーリだが、取り敢えず無事だったのでほっとする。
「ずーるいんだ~ずるいんだ~♪ 宝石百足の助力を受け続けるなんて、いけないんだ~♪」
聞き覚えのある耳障りな歌声が響く。
墓標の裏から、ゴミを大量にくくりつけて引きずる嬲り神が、這い出てきた。
「嬲り神、貴方の今回の所業は度が過ぎています。私もそれに合わせて干渉の度合いを強めているだけです」
「ははは、お前は世界の意思を散々無視して、助けを乞う世界の叫びを潰して回っているくせに、何をぬかしやがるんだぁ~? てめーの価値観だけ振りかざすその独善には、本当呆れて楽しくなっちまうよォ。物凄い馬鹿な奴見ると、楽しくならないかァ? 俺から見たお前がそれに相当するんだよな~」
宝石百足に非難されるも、嬲り神は嘲りたっぷりに言い返した。
「それで嬲り神さん、何の御用なのかしら~ん?」
ブラッシーが優雅に微笑みながら問う。
「見ての通りだぜ? 宝石百足の余計な干渉を封じた。こいつはお前達にしてみれば救世主様なんだろうが、こっち側から見れば最悪の死神だ。伸ばした救いの手をぶった切って回る、無情で非情な鬼だ。できるもんならぶっ殺した方がいい奴だ」
「嬲り神……。勝手な理屈だよ。そっちが伸ばした救いを欲する手とやらで、僕の母さんは死んだし、その後も大勢の人が死んでいる。人喰い絵本に吸い込まれた人は、絵本の悲劇のストーリーに殺されている。宝石百足のおかげで助かっている。そもそも……何でこんなシステムになっているのさ」
ユーリはイメージする。水の中に落ちて人間が助けを求めて必死に手を伸ばし、水の中に人を引きずり込んでさらに犠牲者を増やすイメージを。人喰い絵本はそういう構図だ。
「宝石百足を解放してよ。さもなければ……」
「命の恩人である俺とやろうってのか? 面白ぇなぁ。すげえ面白い。んじゃ、いっちょ揉んでやるよ。ほーら、かかってこーい」
挑発する嬲り神に対し、ユーリは無言で仕掛けた。最早躊躇は無かった。
魔力を長い糸状にして何本も展開し、波打つような動きで、嬲り神を全方向から攻撃する。
不可視の魔力の糸が嬲り神に届いた――はずであったが、まるで空気を攻撃したかのように、糸は嬲り神をすり抜ける。
続けて、魔力を凝縮した針を飛ばす。針は刺さった瞬間に、凝縮していた魔力を爆発させる仕掛けだ。
しかし爆破式魔力凝縮針も嬲り神には当たらなかった。ただすり抜けていき、後方の墓標に刺さって爆発する。
(ノアから聞いた通りだ)
ユーリはノアから聞いていた。ノアは嬲り神に攻撃をしたが、全く手応え無く、通じなかったと。
(どうすればいい? どうやって攻撃を避けている? 防いでいる? 幻影というわけでもないし……)
ユーリが頭を巡らしていると、ブラッシーが嬲り神を攻撃した。太く長い血塗られた触手が嬲り神の横の地面から伸びたかと思うと、鞭のような動きで嬲り神を打ち据える。
(えっ?)
血の触手で打たれた嬲り神が吹き飛んで倒れる様を見て、ユーリは呆気に取られた。




