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金色の湖風の行き先に  作者: 永井 華子
本編

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14/21

14.オットー・ロタール・バレンシュテット

 ユリウスと顔をあわせることなく数日が過ぎた。クリスティーナは、あらめてユリウスに寄せる想いを自覚していた。


 会いたい気持ちがつのるが、ユリウスがなぜクリスティーナを避けているのかはわかっていた。


 会うことすらなかったはずの人、仮初の婚約者であった人、こうなることは最初から決まっていたはずだ。予定通り、もとの生活に戻ればいい。


 わかっていても、思い通りにならない心を持て余し、クリスティーナも客室に閉じこもった。


 王都へ帰る前日、お茶の時間にオットーの誘いを受けた。邸の主人の呼び出しを断ることはできない。


 滞在のお礼と退去の挨拶もするべきだろう。クリスティーナは身なりを整え、いくらか気を張って部屋を出た。


 辺境伯家の本邸の庭は、当然のことながら王都の別邸のそれよりも広い。

 自然の森のようにととのえられた中には、コテージがあり、客人が滞在することもできるようになっている。そのコテージの傍の石畳のテラスに、お茶の席が設けられた。


「少しは落ち着いたかな。迷惑をかけたね」


 オットーの表情は気遣い、心配するものであり、クリスティーナも素直にうなずく。もしこれが演技であるなら、人を見る目がないということだろう。クリスティーナは諦めたような心持ちであった。


「いえ、わたくしのほうこそ、お騒がせいたしまして申し訳ありませんでした」


 オットーは苦笑しながら、クリスティーナに問いかける。

「ユリウスがなにをどこまで話したのか、教えてもらえるかな。あれからも聞いてはいるが、確認しておきたいのでね」


 クリスティーナはすっと息を飲んだ。望んだことではないが、バレンシュテット辺境伯家の重大な秘密を知ってしまったのである。


 クリスティーナが考えていたのとは異なった意味で、今までの生活には戻れないのかもしれない。


 クリスティーナの心配を察したオットーは、軽く手を振る仕草で彼女の緊張をさえぎった。


「私はクリスティーナ嬢のことは信用しているよ。ユリウスの加護について、男爵にも話していないだろう」

「そういうお約束でしたから」


 うなずいて微笑むオットーの目もとは、やはりユリウスに似ている。優しい表情がよく似ているのだ。

 クリスティーナは瞳が潤むのを我慢して、少しだけ上を向いた。


「そうだな、だが若いお嬢さんにとっては難しいことだろう。貴女は私たちの期待以上の女性だった、ということだ。ユリウスが貴女と結婚したいと言い出したときは、困ったなと思ったが、驚きはしなかった」


 クリスティーナはオットーの清澄な緑の瞳から、目が離せなくなった。あまりにも正直に語る姿はユリウスに重なる。


 オットーの思惑は当主としての選択であったが、本意ではなかったのかもしれない。

 ユリウスと同じゆるやかな弧を描く瞳を、クリスティーナが信じたいだけなのかもしれないが。


「ユリウスが、母親のことをどれほど覚えているかはわからないが、貴女はジークリンデに、亡くなった妻に少し似ているようだ」


 オットーの思いがけない言葉を、クリスティーナは急いで否定する。

「とんでもないことですわ。肖像画を拝見しました。とてもお美しくて、ユリウス様にそっくりで……」


 クリスティーナの反応を半ば予想していたオットーは、機嫌よく笑った。

「見目のことではない。いや、私はクリスティーナ嬢も充分に可愛らしいと思うがね。妻も貴女も、歳の割にとてもしっかりしていて、物事をよく見ている。そういうところが似ていると思ったのだよ」


「おそれ多いことです」

「今回のことも、よく対処してくれた。ありがとう、あのような場で事に及ぶとは。もう分別などないとわかっていたはずなのに、私も甘かったようだ」


 鋭い視線に戻ったオットーが、クリスティーナに軽く頭を下げた。クリスティーナはさらに緊張するが、オットーが話を本筋に返そうとしているのだ、と気がついた。


「ユリウス様が助けてくださいましたから、わたくしはなにも。……ユリウス様には、お母様がお亡くなりになったときのお話をお聞きしました。それがどのような事情で起こったのかも、説明してくださいました。もちろん、わたくしの胸の内に収めて、誰にも話しません。お約束いたします」


 オットーが鷹揚にうなずく。クリスティーナが、具体的なことを口にせず、知り得た話を余さず伝えたことに、驚いてもいた。


「先ほども言ったが、信用している。私が決めたことではあるが、貴女には酷なお願いをしてしまったな。申し訳ない。それで、今後の貴女の身の振りようについてだが、私の心あたりの縁談を紹介しようと思っている。もちろんユリウスとの婚約を解消するまでは、待ってもらうことになるが」


 クリスティーナは予想していた申し出に、用意しておいた返答をする。

「いえ、それはご遠慮させてくださいませ。もともとわたくしは、今回のお話について閣下もユリウス様も本気で考えておられる、とは思っておりませんでした。ですから正直に申し上げますと、いずれ解消されるものと、はじめから覚悟していたのです。その際に、どちらか奉公先をご紹介いただけないかと考えて、お受けしたのです。父ともそのように話しておりました」


 クリスティーナの言葉にオットーは、よほど驚いたようすで沈黙したが、すぐに目じりを下げた。

「本当に、惜しいことをした。いや、わかった。貴女なら王宮の女官に推薦してもよい。充分に務まるだろう」


「王宮の女官など! いいえ、あの、そのように仰ってくださることは、とても光栄に思いますけれど。わがままを申し上げますが、地方に所領をおもちのお家柄で、本邸のメイドを探されているお方をご存じないでしょうか」


 クリスティーナとて、王宮務めに憧れがないわけではない。だが、王太子の覚えもめでたいユリウスが、王宮にあがる機会は多いだろう。

 バレンシュテット辺境伯家の秘密とともに、ユリウスの姿もクリスティーナの胸に大切に閉じ込めて、できれば王都から離れて過ごしていきたい。


 クリスティーナの気持ちを察したのか、オットーは女官の話はそれ以上勧めなかった。

「わかった、考えておこう。どちらにせよ今しばらくは、ユリウスの婚約者でいてもらわねばならないしな」


 ユリウスの婚約者でいられるのは、あと少しのことだろう。いずれ、そのような過去はなかったことになり、ユリウスの隣には相応しい貴族令嬢が立つことになるのだから。


 自分だけが一生の思い出としておければいい、夢を見られたのだ。これからどうするべきかは知っている。クリスティーナは握りしめた手に視線を落とした。


「明日のことだが、馬車を二台用意する。ユリウスは、()()()()()()()に、先の馬車に同乗する。そして貴女自身は遅れて出発する荷運びの馬車に乗ってもらう」


 はっと顔をあげたクリスティーナに、オットーは冷たく思えるほどに真剣な視線を注いだ。

「馬車が襲われるということですか?」


「貴女が領内にいるうちに仕掛けてくるだろう。申し訳ないが、安全のために荷馬車のほうに乗ってもらう。荷馬車といっても、使用人用のものだが、客人を送るためには不足だろう。最後まで迷惑をかけてすまないが、これで片をつける。どうか協力してほしい」


 オットーは今度こそ、はっきりと頭を下げてクリスティーナを慌てさせた。

「そのようなことをなさらないでくださいませ。わたくしにできることでしたら、なんなりと仰ってください。ですが、ユリウス様が危険ではありませんか?」


「ユリウスが自ら言い出したことだ。もう、二度と貴女を危険にさらすわけにはいかないと。まあ、私が言うことではないが、あれの技量は国内の騎士でも指折りだ。己の言の責任は取るだろう」


 バレンシュテット卿が決めたことに、クリスティーナはしたがうしかない。ユリウスの技量をクリスティーナは知らないが、彼の器が尋常のものではないことはよく承知している。


 それでも不安気にうなずく彼女の表情を、オットーは見ないふりをした。


「ほかに、なにか貴女から言いたいことはあるかな? 迷惑をかけたのだ、できることなら希望に沿うようにしよう」


 オットーの柔らかい口調に、クリスティーナはつい気にしていたことを口にしてしまった。

「わたくし、ユリウス様に、失礼なことを申し上げてしまったかもしれません」


 オットーの視線が続きを促す。クリスティーナが、話す相手を間違えた、と思ったときにはもう遅かった。

 緊張すると余計なことを口走ってしまう癖は、どうにかならないものか。クリスティーナはごまかす言葉を探したが、あきらめて正直に話すことにした。


「お母様が亡くなられた事情をうかがう以前に、閣下が再婚なさらなかったのは、お心にお母様が留まっておられるからでは、と幼稚なことを口にしました。笑ってくださいましたけれど、もしかしたら不愉快に思ってらしたのかも。閣下にも失礼ですわね。重ねてのご無礼申し訳ありません」


 クリスティーナは、ユリウスにもオットーにも敬意を抱いて接してきたつもりであった。ヨハンに釘を刺されたことも、決して忘れてはいない。

 その一方で、どこかふたりに気を許してしまう。もしかするとそれが、この親子の本質なのかもしれない。


 ひたすら焦って小さくなっているクリスティーナに、オットーは笑いを噛み殺してこたえた。

「ユリウスが笑ったのは本心からだろう。気にしなくてよい。私にしても、昔のことだ。だがそのように言われたのは、はじめてだな。ユリウスはなんと言っていたかね?」


 オットーに気やすい者ほど、ジークリンデの話題を持ち出さない。妻の話をできる人物は数えるほどしかいない。


「もしそうであれば、互いを想いあった両親のもとに生まれた幸福な幼少期だったのかもしれない、と仰って笑っておられました」


 あたたかな風が吹いて樹々を揺らし、目の前が明るくなった。

「それは、よいことを聞かせてもらったな」


 ユリウスとオットーが、ジークリンデについて語りあうこともない。それがふたりにとって簡単には触れられない場所に、仕舞われているかのように。


 だが、一見大切にしているようで、実は記憶を閉じて薄れるに任せていたのかもしれない。

 クリスティーナが、それを取り出して優しく埃を払う。

 誰もが遠ざけていたものをいとも容易く、しかし丁寧に手繰り寄せて、オットーとユリウスの目の前に再び広げてみせた。


 恐縮するクリスティーナを、オットーはまぶしいものを見るように目を細めた。


「そう、よくある家同士が決めた婚姻だった。ジークリンデは私より十も歳下で、彼女にはかわいそうなことだと思っていた。だが、貴女と同じように、期待以上によくやってくれた。互いに想いあって一緒になったわけではないが、私は彼女でよかったと思った」


 クリスティーナは、オットーが話し出したことに驚きを隠せない。ユリウスも聞いたことがないと言っていた。どうしてクリスティーナに話す気になったのだろうか。

 不思議に思ったが、オットーのおだやかな表情に任せて耳をかたむける。


「側にいるときに、もっと感謝の気持ちを伝えておけばよかった。亡くしてから得難い女性だったのだ、と気がついた。後妻をという話はいくつかあったがね、ジークリンデのような女性には出会えないだろうし、彼女と比べてしまうなら相手にも不誠実だ。なにより、彼女が遺してくれたユリウスがいる。だから断った。貴女の言う通り、私の中にはまだジークリンデへの想いがある、ということかもしれない」


 詫びのひとつになるかな、と笑うオットーにクリスティーナは、涙をこらえながら「充分です」とこたえた。

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