第六話 漂着
冷たい。
身体を動かせない。
視界が、ぼやけている。
……まだ、眠っていたい。
意識が、ゆっくりと沈んでいく。
そのまま、暗闇に落ちる。
*
目を開ける。
火の音が、聞こえた。
ぱち、と小さく何かが弾ける。
ゆっくりと、顔を動かす。
夜だった。
焚き火が、すぐそばで燃えている。
その向こうに、人影があった。
火に照らされて、静かに座っている。
こちらに気づいているのか、
動く様子はない。
私は身体を起こす。
——見覚えのあるローブを着ている。
懐かしい気がした。
「……目が覚めたかい?」
火の向こうにいる男がそう聞いてきた。
「川で倒れていてね」
火に目をやる。
「服も一緒に流れ着いていたから……とりあえず着させたよ」
こちらを見る。
「勝手なことをした。すまないね」
「……なにか覚えていることはあるかい?」
私は、答えなかった。
言葉が浮かばない。
ただ、火を見ていた。
しばらくの沈黙のあと——
「そうか」
姿勢を崩す。
「まあ、いい」
火に薪をくべる。
ぱち、と音が弾けた。
「中央からの依頼でね」
薪をいじりながら、ぽつりと続ける。
「この辺りを見回っていたんだ」
「最近どうにも、きな臭くてね」
少しだけ、間を置く。
「魔女だの、悪魔憑きだの——」
そこで、言葉が止まる。
「あぁ、いや」
軽く頭をかく。
「君には分からない話だったね」
苦笑する。
「すまない、ハハ」
すると、男はこちらに向き直る。
「大丈夫」
男は、軽く笑う。
「君は、責任を持って中央まで送り届けるさ」
胸を、バシッと叩く。
「大船に乗ったつもりでいるといい」
その言葉を、ただ聞いていた。
なんだか、懐かしく感じた。
——アン。
きっと無事でいるよね。
「中央に戻ったら、治療院で診てもらうといい」
火を見つめたまま、続ける。
「覚えていないようだが……状況から見て、賊に襲われたんだろう」
薪が、ぱち、と弾ける。
「打ち捨てられていたんだ」
少しだけ、目線がこちらに向く。
「……本当に、生きていてよかった」
生きていた……?
あの炎に、焼かれたはずだ。
焦げた匂いも、焼ける痛みも——覚えている。
なのに。
——辻褄が、合わない。
今は、考えても仕方がない。
ふと、男の手元に目がいった。
何かを、いじっている。
「……何をしているの?」
「あぁ、これか」
男は、手を止める。
革に包まれていたものを、差し出す。
「君が大事そうに握っていたんだ」
「けれど、ずいぶん鋭くてね。手が血に滲んでいたんだ」
「だから、怪我をしないように細工してみた」
男は、にこっと笑う。
「大事なものなんだろう?」
革袋を、開く。
そこにあったのは——
あの矢尻だった。
右手に刺さっていた、熱を帯びた矢尻。
「うん、大事なもの……だと思う」
これは、初めて目が覚めた時から握っていたもの。
それをみて——
あの炎に包まれた記憶が、
夢ではなかったと、はっきりした。
私は。
きっと、死ねない。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
私は——なんなんだ。
頭を抱える。
苦しい。
「よっぽど酷い扱いをされたんだな」
「早く中央に戻れるよう、私も努力する」
「それまで、辛抱できるかい?」
違う。
私は、襲われてなんかいない。
けれど。
本当のことは、言えなかった。
言ってはいけないと——思った。
「そう言えば」
男が、少しだけ明るい声を出す。
「名乗っていなかったね」
「私はノア」
「ノア・フェルナンデス」
「中央都市で騎士をやっている」
「よろしく」
騎士だという男は、手を差し出してきた。
握り返せなかった。
「……君の名前も、聞いていいかな?」
……名前。
サラは、だめだ。
きっとこの騎士も、不幸になる。
少しだけ、息を吸う。
「……エマ」
その名前は、もう呼ばれることはない。
初めて、温かさをくれた人。
「エマ、か」
騎士は、穏やかに頷いた。
「いい名前だ」
「よろしく、エマ」
そう言って騎士は立ち上がる。
「さあ、もう休みなさい」
「中央までは、まだかかる」
そっと、ブランケットを掛けてくれた。
この人は、きっと——
大丈夫だ。
「見張りは私の仕事だからね」
「気にせず、しっかり休むといい」
「明日に備えよう」
あの炎への恐怖が、
嘘のように鎮まっていく。
*
光が、瞼を差した。
ゆっくりと、目を開ける。
朝だった。
焚き火は、すでに消えている。
——あの時を思い出す。
ひたすら歩いていた、あの孤独で苦しかった日々。
けれど、今は違う。
少し離れた場所に、ノアの姿があった。
出発の準備をしている。
「やあ」
「いい朝だね」
こちらに気づいて、笑顔を向ける。
今は、一人じゃない。




