第46話 漢詩の準備
部屋に戻ると、安良子さんが授業の準備を終えていた。
しばらく、待っていたのだろう。
安良子さんの膝には桜晴が乗っていた。
桜晴は舞子より、安良子さんの方によく懐いている気がする。
「じゃあ、始めますね」
座った舞子が膝に一子を乗せた。
それは微笑ましいのだが、舞子はずっと不安そうな顔をしている。
目線も、紙ではなく桜晴に行っている気がする。
「あら——」
近くを通った上級女房が、液状の墨を入れていた入れ物を倒して、安良子さんの書いていた紙が汚れてしまっていた。
「ごめんなさいねぇ」
それだけしか言わなかった。
「安良子、書物で良いわよ。それを教えてくれたら分かるから」
舞子はその上級女房を見た後、安良子さんがもう一度書こうとするのを制止した。
「しょ、承知致しました…………」
◇ ◇ ◇ ◇
それからというもの、安良子さんと清見女房に何度か不運に見舞われた。
ただ、安良子さんや清見女房の髪や十二単の襟を踏まれるのがほとんどだった。
「……安良子、ありがとう。皆、戻っていいわよ」
舞子は依然として不安そうな顔のままだ。
「……安良子、清見女房は残りなさい」
「「は、はい…………」」
片付けをしていた安良子さんと、帰ろうとした清見女房を舞子は呼び止めた。
「…………これを持って行きなさい」
二人に中ぐらいの大きさの箱を差し出した。
香合わせの時より少し大きい。
「こ、これは…………?」
「いいから、持っていきなさい。それを置いて、戻ってきてちょうだい」
「「承知致しました…………」」
内容物を言わずに持たすなんて、舞子らしくない。
舞子なら、内容物を言うはずだ。
「ま、舞子様、先ほどの中身は…………?」
「……秘密よ」
中身については誰にも言う気はないらしい。
そんな大事なものなのだろうか…………?
「も、申し訳ありません…………」
「……雅道、桜晴は私に懐いてくれるのかしらね」
やっぱり、気にしているようだった。
然子に返せと言われた以上、気にするに決まっている。
少なくとも、安良子さんには懐いている。
しかし、それだけでは理由としては、不十分だ。
安良子さんに懐いているのなら、安良子さんを然子側に鞍替えさせればいいだけ。
安良子さんは鞍替えなんてしないだろうが、然子はあの感じだ。
どんな手を使ってくるか、分からない。
「……いずれ懐きますよ。舞子様のお優しさは、いずれ桜晴様も理解されると思います」
「…………そう。ありがとう」
舞子の表情がちょっと戻ったような気がした。




