コミュ障
話すの苦手だよね
がつーん、と殴られたのかと思うくらいの精神的な衝撃を食らう。
木箱の中にいた時、私は男に見られていたということは分かっていたが、その顔や声は距離もあったので分からなかった。というかそんなことを気にしていられるような状態ではなかったという方が正しい。
とにかく完全に痴女と化していた私を目撃したのは若い男という記憶とハリルから教えてもらったバークという名前の情報だけだ。
しかし、いま、私は目の前、性格には右斜め横に人生最大の黒歴史と言って間違いない事件の唯一の当事者がいるということである。
先ほどまで男のうっとうしさにイラつきを覚えていたのが、今ではどうだろう。手には汗とコップを握りしめ、男から顔が見られないように首が折れるくらい全力で下を向いているのだ。
(こいつだぁぁぁぁ‼)
まさか現在一番会いたくない存在として真っ先に頭に浮かぶ木箱の上の顔の持ち主が、いきなり私に会いに来ていたとは。でもよくよく考えれば、ここへ運んでくれたのがこの男なのだから顔を見に来るのは必然ではあるのだが、出来ればあと三年くらいのんびりしていて欲しかったところである。
「・・・?何で下向いてるんだ?」
とか言っているがこっちの気持ちも考えろ。
(恥ずかしいからに決まってんだろ!)
顔が思いっきり熱い。というかもはや全身熱い。
そうこうしている間に汗が体中に滲んでいるのが分かり、女の子なのにこんな汗ばんでいることが尚のこと余裕をなくしていく。
(やばい・・・。)
誰かに助けてほしい気分だった。けれどここは家などではなく、更にこの世界にはそもそも実家など存在すらしていないだろう。
私は一人で、助けてくれる人もいない、無力で、臆病な、ちっぽけな人間なんだ。
「あっち行ってください・・・」
・・・・・・あ・・・。
まただ。
私は、こうやって感情がぐちゃぐちゃになりすぎると、思ったことを口ずさんでしまうのだ。凛奈と服屋に行ったときのように。
(どうしよう⁉)
でも今回は本当にやばい。なにせ相手は知りあいでもない赤の他人だ。しかも一応ここまで連れてきてくれている恩もある。にも関わらずこの態度はなんだ。ただでさえ顔を合わせないで失礼極まりないというのに。
いやでも恥ずかしいを通り越して気まずいし。
とにかく失礼すぎてさすがにこれは救いようがない。
とは言っても本気で顔を見られたくない。
ではどうするべきか。
どうしたものか。
そこでようやく、今までしゃべり続けていた男が黙ってしまっていることに気づく。
ああ・・・。私はこうやって人を不快にさせていくんだ。
私は下を向いたまま更に顔が下に落ちていくのを感じる。
(ほんと・・・いっつも最低・・・)
結局、恥ずかしいからとか、気まずいとか、全部自分のことしか考えていないのだ。なのにそれをあたかも人のせいにして。それでしまいには文句をこぼしだす。なんて最低なのだろう。どうして私は、こんなにも人のことを気遣ってあげられないのだろうか。
こうやっていっつも後悔する癖に結局いつも同じことをしている気がすることが余計に腹立たしかった。
ああ。この人もきっと気まずそうな顔をしているのだろうな。
凛奈の彼氏が私に向けていた、憐れむような、悲しむような、どうしようもなさそうな顔を思い出しながら、私はこっそりと男の方を見た。
できる限り気づかれないように、本当にこっそりと。
うつむいたまま目だけを動かして男を見たのだ。なので絶対に気づかれないと思っていたのだが、
「やっと見たね!」
「・・・・・・!」
あっさりばれてしまった。
なんで?
どんだけ私のこと注意深く観察してたんだろう。普通こんな些細な変化何て気づけるものだろうか?
「なんで・・・」
と声にならないような声で言ったのだが、
「何で分かったかというと、人の視線を感じるのは俺の特技だからさ。」
それはなんとも疲れそうな特技だな、と思いながらも私は恐る恐る顔を上げてみた。
もう視線を向けていたことも、そしておそらく私が「あっちに行って」と言ってしまったことも聞こえていたのだろうし、今更うつむいていることなどできなかった。
「その、すみません。」
まだ顔を見ることはできないが、とりあえずといった感じに謝っておく。
「なんだ。話せるじゃないか。」
話したいわけではなかったんですけどね。
さすがにこれ以上黙っている方が恥ずかしくなったから、とりあえず謝ってみただけなのだが。
「あんまり無口なもんだからてっきり怒っているのかと思ったよ。」
いや、それに関しては大正解である。実際私はそのしつこさになかなか苛ついていたし。
「え?もしかして本当に怒ってた?」
私は急いでブンブンと顔を振った。
やばい。ばれる。
無口には自信があるが、ポーカーフェイスには全く持って自信がない。不甲斐ないことだが、人間関係を良好にする「愛想笑い」という技術を私はまだ体得していないのだ。
「ならいいけど。」
あ、満足してくれた?
失礼この上ないことだが、私の態度からもう話したいとは思っていないことを理解してくれたのだろうか?そうであったなら本当に助かるのだが。
「なんでなんだ?」
まだだったようである。男は興味深いものでも見るみたいに考えるようなしぐさをする。
男の思考回路の中には「相手はしゃべりたいと思っていない」という発想を持ち合わせていないのだろうか?
もう私に話しかけるのは止めてくれ、と思いながらこっそりとため息をつく。
しかし、男は唐突に、思いもよらない疑問を吹っかけてきた。
「なんでそんなにしゃべらない?」
「は?」
私はどきりとする。
私がしゃべろうとしない理由?
よくよく考えたらなんでだろう。
ふと凛奈との買い物の時の自分が思い浮かぶ。あの時、いろんな感情が渦巻いていた。けれどそのどれもが言葉を成さず、ひたすら体の中に渦巻いているただただ息苦しい感覚だった。
あの時、私はなんで何も言わなかったんだろう?言えなかったんだろう?
自分の弱さが透けてしまうのが怖い?
私の発言で誰かから評価されるのが嫌?
下手な関係を作って拒絶されたくない?
(どうなんだろう?)
結局私ってなんでこんなに話すことが嫌なんだろう?
それは今もそうだ。
私は男と話すことを何故か拒んでいる。彼がどんな人なのかもわからないというのに。
というか、分からないから嫌なのか?
それとも、分かられるのが嫌なのか?
私は思わず男の顔をまじまじと見た。
「うわ・・・」
人の顔を見て、うかつにも驚いてしまった。
そう思ってしまうほど、その顔は印象的だった。
めちゃくちゃ不細工だったとか、頭の形が変だったとかそういうことではない。
なんというのだろう。この男の雰囲気が、私の頭にいままで感じたことのないような存在感を与えたのだ。
顔は端整なつくりをしていると思うし、普通に美形と言っても差し支えないだろう。そして髪型は一点の曇りもないような白髪で、部屋の明かりが反射して少し煌めいているようにも見えるくらいだ。服装なんかも私の着ているのと同様に民俗衣装感のするけれど布地に厚みがあり、多分高級なものなんだろうなと少し予想がつくくらいだった。
ではこの存在感は何なのだろう?
いったい何が私にこれほどまでの衝撃を与えているというのか。
(綺麗な瞳・・・)
瞳は光を反射して金色に輝いている。そこはかとなく美しいという感想を抱くが、その瞳だけではない気がする。
「なんだ?どうした?」
はっと我に返る。
なんとも不思議な顔だったものでとは絶対に言えない。そして私が誰かの顔に見とれましたというのも、なんだか俗っぽくてとても嫌だ。
さっと顔を背けてから、誤解のないようにちゃんと言っておく。
「ち、違います。なんと言いますか。顔が。」
「顔が?」
男はなんだか楽しそうに聞き返してくる。
やめろ!
何て言ったら良いのか分からなくなるじゃないか!
「顔が・・・」
「顔が?」
男はにやにやしながら私を見下していた。
なんだろう。
すごく話しにくい
もとから話せない人間ですけどね。
「顔が、変だったので。」
「えええ~⁉」
うっかりまたも本音が漏れる。というか今はそんなことはどうでもいいのだ。
とにかく、なぜ私はこの男とうまく話せないのだろうか。
それが分からない。
私は無口だと思う。けれど、姉とはちゃんと話せていた。ハリルとだって話せていた。けれどこの男とは、なんだか話せる気がしない。
本当はどんな理由があったのだろうか・・・。
「あの、」
「うん。」
男はすぐに相ずちをしてくれるが私のような会話力弱者にはむしろびっくりさせられる。
ああ、なんと私のなさけないことか。
「えっと、ハリルさんには、まだ、その、話せるんですけど。」
ハリルには口が開いたのだ。それほどしっかりとした会話はしていなかったけど多少はできた。
「つまり、ハリルとは話ができるけど、俺に対してはなんだか話がしにくい、みたいな?」
私はうんうんと頷く。
そう。この男とは言葉を紡ぎにくいのだ。言いたいことは確実にあるはずなのにそれが前に出てこない。というか形をなさないのだ。
裸を見られたから?
それで恥ずかしくなったから?
それが理由ではない気がする。
私が彼に対して無口であることの理由はもっと複雑な、心の奥底にあるようなものな気がする。
「自分では、その、分からないです。」
本当に分からない。なぜ言葉が途切れ途切れになるのかも、なんでこんなに体が震えてくるのかも。
分かることがあるとすれば、これは恐怖に近いということ。そして、その恐怖から逃げたいから動かないでいるということだ。でも、なにに恐怖しているのかが分からないからどうしていいのかも当然分からないという感じである。
男はふうっとため息をついた。
「こちらとしては、いろいろと話していただかないと今後のこともあるし困るんだけど。」
「す、すみません。」
改めて、私は自分のことが全然分かっていないのだと思い知らされた。きっといつも自分に失望してしまうのはこの自分に対する無知が原因だったのかもしれない。
男は少し考えるしぐさをすると、
「最終手段だな・・・」
と言った。
最終手段・・・。何か酷いことをされるのだろうか。
(私、また疑ってる。)
普通の人だったら私のような状況になった時、きっともっとこの男と建設的な会話をして、お互いの人となりをある程度理解して、だからこそ信頼できるかどうかも分かるようになり、つまりは自身の安心へとつながっていくのだろう。
でも私にはそれが出来ない。
つまりは安心できない。
だからいつだって私は他人を疑うことしかできないのだ。
こんな異世界に来てまで、なんとも悲しい生き方だ。
けれど男は私に先ほどから近づいてくることもなければ、手を伸ばすとか、ものをこちらに向けるとかもせず、それどころか指一つ動かしはしなかった。
最終手段って、物理的に何かをするってことではないということか?
すると男はただ、口を動かした。
『俺には、思ったことを全て言ってくれ。』
私の代わりに誰かしゃべってくれないかねぇ~