目に見えないもの
自分の目で見たものしか信じない、と。
幼い頃に誰かが言っていたような気がします。
一体、誰であったのか。
すっかり記憶が抜け落ちてしまったのですが。
この世の全てを見抜いてしまいそうな、大きくて真っ直ぐな瞳だけ。
今も、心のなかに強く残っています。
わりと何でも信じるタイプの野田。
「すごいなぁ」と遠くから眺めておりました。
思考を止めるな。
思考を止めたら人間である意味がない、と。
子どもから大人へ近づき始めた頃。
誰かが言っていたような気がします。
一体、誰であったのか。
曖昧模糊としているのですが。
きっと、頭の良い人でした。
わりと何でも鵜呑みにするタイプの野田。
「すごいなぁ」と遠くから眺めておりましたよ。
記憶のなかの野田の反応に、まったく変化が見られないのですが。
今も、本質的な部分では変化がないのかもしれません。
周りの方を「すごいなぁ」と遠くから眺めてばかりの人がいたら、それは野田です……。
でも、本当にすごいのですよ。
「自分の目で見たものしか信じない」「思考を止めるな」などの台詞って、絶対に野田の口からは出てきませんからね。
個性のこもった印象的な台詞。
あるのとないのとでは、大違いです。
小説にしたら、主人公とモブくらいの差が出ますよ!
主人公A「自分の目で見たものしか信じない」
モブ「すごいなぁ」
主人公B「思考を止めるな。思考を止めたら、人間である意味がない」
モブ「すごいなぁ」
しっかり自分を持っているのは、本当に素晴らしいことだと思うのです。
そして。
わりと何でも信じて、わりと何でも鵜呑みにするタイプの野田。
いろいろな人の言葉を自分のなかへ取り込んでいくうちに、少しずつ自分が作られていくような感じがするのですよ。
ありがたいことです。
『自分の目で見たものしか信じない。
噂に惑わされてはならない。
しかしながら。
昼間の空に星を見ることができないのと同じで。
自分の目には見えないものがある。
どうしたら、昼間の空に浮かぶ星を認識することができるだろうか。
想像することだ。
思考を止めないことだ。
見えないものを想像力で矯正して、見えるものに変えられるのは人間だけかもしれない』
などと、自分なりに繋げて考えることがあります。
自分を構成する方法とは、いろいろな意見や考えに触れることなのかもしれません。
影響を受けてきた言葉も、目には見えないものです。
もともと強烈な自分を持っている人もいるので、よくわからないのですけどね。




