ヒロイン、あなたって人は
放課後、私は一人で女子寮への道を歩いていた。
学園では三年生になると、大部分の生徒が婚活で忙しくなる。
将来のパートナーを得ることもこの学園での優先事項なのだ。
今日も一人……寂しい。
最近ジェルは忙しいし、お友達も恋人を優先するから私に構ってくれないし、お昼を一人で食べることが増えたわ。
そう、最近ジェルは忙しい。
ジェルがアレクと会ったのは数日前。魔道農具についてアレクから教えを受け、ジェルはとても興味深そうに質問を繰り返していた。
3人で近くの食堂でお昼を食べたあと、アレクとジェルはモーターの販路について話をするからと、アレクの宿に帰って行ってしまった。アレクとはゲームのことを秘密にする約束をしているので、その点は心配していないが、一人先に帰されたことに不信感を抱いた。
それからジェルは一度だけ私に会いに来て、これから忙しくなるから会う時間が無くなると言った。
アレクに何か無理難題を頼まれたのかと不安になったけれど、自分の将来の為にやらなければいけないことができたから頑張りたいと、決意に満ちた眼差しで私を見つめた。
私は何も言えなかった。ジェルの将来。私のいない将来。ヒロインと共に歩むだろう将来のために今ジェルがやらなければいけないことができたというのなら、私に何が言えるだろう。
そうして、私はただ頷いた。分かったと了承した。身体に気を付けてと、そう言って踵を返した。早くその場を去らないと縋ってしまいそうだったから、ただまっすぐ前を見て歩いた。だからそのとき、ジェルがどんな表情をして私を見送ったかなんて、私は知らなかった。
そうして、ジェルと顔を合わせなくなって数日が過ぎた。
寂しいな……ジェルと会わないのがこんなに寂しいなんて思わなかった。
これじゃあ別れた後、私はどうなってしまうか分からないわ。
悲しみは動いてご飯を食べていれば無くなるとマルチーヌさんは言ったけれど、寂しさはどうすれば無くなるのかしら。
気晴らしに買い物に出掛けてもジェルと一緒に歩いたことを思い出すし、ご飯を食べてもジェルと一緒にサンドイッチを分け合ったことを思い出した。
このまま別れてしまったら、私はいつも寂しい思いを抱えながら生きていくのかしら……。
ジェルは私を甘やかし過ぎたわ……。
途方に暮れながら歩いていると、女子寮の玄関に立っている人がいるのに気が付いた。
あれは……ヒロインだわ……。
私はヒロインとは関わりたくなくて極力会わないようにしていた。
寮では食堂で食事をするか部屋に運んでもらうかを選べるため、ゲームを思い出してからは部屋に配膳してもらっている。
一年生と三年生では部屋の階数が違うこともあって、ほとんど彼女とは会わない生活を送っていた。
今こんな気持ちでいるときにヒロインに会うなんて運が悪い。
そう思いながら横を通り過ぎようとした時、声を掛けられた。
「セリーヌさん、あなた転生者ね」
私は驚愕に目を見開いて彼女を見てしまった。
「やっぱりそうなのね! どうしてゲーム通りに物語が進まないのか不思議だったのよ。あなたが転生者だったんだ」
彼女はようやく見つけたといいながら私が逃げられないように立ちはだかった。
この子も転生者なの?
改めてヒロインを見る。
目の前の彼女はゲーム同様に小柄で少し癖のある黒髪を背中に下ろし、大きな紫色の瞳を少し細めて私を睨みつけている。
ヒロインは天真爛漫ではあるけれど心優しく思いやりがあり、こんな風に人を睨みつけるような性格ではなかったはずだ。
ゲームでは見なかったその表情に彼女も転生者であることが納得できた。ただここで疑問が浮かんだ。
どうして私が転生者だと分かったのかしら?
私は彼女とほとんど接触していない。なるべく避けていたはずだ。私の何が彼女に転生者だと悟らせてしまったのだろうか。
「どうして私が転生者だと……?」
「マルチーヌさんから水筒を渡されたのよ。あなたからもらったと聞いたわ」
私は女子寮で使ってほしいとマルチーヌさんに渡した真空ボトルを思い出した。
そうか……まだ市場で流通していないものだし、あれを見たら前世の真空ボトルと同じだと分かってしまうわね。
マルチーヌさんはいつまでも冷めないのが有り難いと言っていた。
この世界では熱いものはすぐに冷めるのが普通なのだ。
その後、私は面接室に連れてこられた。
ヒロインは鍵が開いている部屋を見つけ、ドアを開け私に先に入るように促した。
「そこに座って。あなたにはいろいろと聞きたいことがあるのよ」
そう言いながら彼女は私の向かいのソファに座る。
私はなんとなく彼女から何を言われるのかが分かっていた。
彼女は玄関で『ゲーム通りに物語が進まない』と言っていた。
私が先日ゲームのストーリーに介入してしまったことによって、何か変化を与えてしまったのだろう。
「あなた、ユミレア様にルカリオ様がベイクドチーズケーキが好きだって教えたわね?」
「……ええ、教えたわ」
ヒロインは紫の大きな目をつり上げて私を睨み付けた。
「やっぱりあなたなのね! まだゲームの序盤で、これからみんなが私の存在に救われていく予定だったのに、ルカリオ様やトゥーリ様は悪役令嬢にコロッと懐柔されてしまっているのよ! 何が『私の婚約者は私のことが好きすぎて困るな~』よ! 何が『姉上にとって弟の僕が一番心を許せる存在ですからね~』よ。お互い牽制しあってるんじゃないわよ!」
一方的に捲し立てる彼女に唖然としてしまう。
そうか……ユミレア様は自分の気持ちをしっかりと伝えることができて、ルカリオ様だけではなく、トゥーリ様ともいい関係を築いているのね。ゲームでは一方的に弟を溺愛していたユミレア様だったけれど、今はトゥーリ様がシスコンになっているのかしら。
「とにかく! これからは余計なことはしないでよね! まあ、どうせあなたはフラれる予定のモブだから足掻いたところで何もできないとは思うけど、ジェラール様と私はいい関係を築きつつあるんだから! 邪魔をしたらあなたを悪役令嬢にするわよ!」
「ミリティアさん、悪役令嬢にするとはどういう……」
「私はヒロインなのよ。私があなたに嫌がらせを受けていると周りに言ったら、それが真実になるの。ジェラール様は私の一番の推しなのよ。絶対に結ばれてみせるわ! ああ、早くあの綺麗な瞳で見つめられながら好きだって言われたいわ」
私はあまりのことに二の句が継げなかった。
悪役令嬢にする?
この人は何を言っているのだろう。
やってもいない罪を人に被せようと本気で思っているの?
そして、私に大好きだと告げるジェルの顔を思い浮かべた。
ジェルの瞳は青色に少しだけ黄色が入った不思議な色。その瞳を少し細めて、はにかんだように笑うその表情がとても優しくて、とても綺麗で、いつも私は泣きたくなるような気持になる。
ジェルのあの顔をこの人に見せることになるの?
そんなのは、そんなのは、嫌だ!!!
私は激情のままに大声で怒鳴った。
「ミリティアさん! 人をなんだと思っているんですか? 悪役令嬢にするですって? そんなことをしていいと本当に思っているんですか?」
「な、何よ……! 私はヒロインなのよ! 私の思い通りにするのよ!」
「ヒロインだからなんだっていうんですか! あなた元日本人なんでしょう! それなら秩序っていうものの大切さがわかるでしょうに! この世界にだってちゃんとモラルはあるわよ! 人を犯罪者に仕立てようなんて最低だわ! あなたはヒロインじゃなくて悪役よ! あなたはジェルに釣り合わないわ!!!」
「な、なによなによ! なんで私が悪役なのよ! モブのくせにヒロインに文句なんて言っていいと思っているの? あなたなんて悪役令嬢確定よ! 国外追放されないように精々頑張るのね!」
そう言ってヒロインは面会室を出て行った。
「あんな子とジェルが恋に落ちるなんて……絶対に嫌だ…………」
けれど私はそのために何をすれば良いのか分からなかった。