ルキアの予言 side ルキア
本編ではあまり登場しなかったルキア視点です。
朝の光が燦々と降り注いでいる廊下を歩く。窓越しに空を見ると、そこには澄み渡った青い空が延々と続いていた。
今日も暑くなるかな……。
ここバスクート国の南に位置するアルヴェーヌ伯爵領は夏は暑く冬は比較的温暖な気候だ。夏は暑いと言ってもカラリとした暑さで、窓を開けてさえいれば入ってくる爽やかな風が暑さを和らげてくれるし、太陽さえ沈めば気温が下がり朝夕は快適な気温になる。
俺はこの朝の静かな雰囲気が好きだ。
伯爵家の敷地はとても広く一角には林が広がっていて、遠くから聞こえてくる鳥のさえずりがこの静かさをより一層感じさせてくれる。
いつだったかセリーが窓の外を眺めながら『前世ではとんでもなくうるさい虫が夏の風物詩だったの。この世界の夏は静かね』と、ほんの少しの寂しさを滲ませながら教えてくれたことを思い出した。
とんでもなくうるさい虫ってどんな鳴き声なんだろう?
かすかに聞こえる鳥の声を聞きながら考えていると、不意に俺の耳に幻聴が響いた。
「セリーが危ない!」
朝の清閑な空気を打ち破って、俺はセリーの元へと急いだ。
俺はルキア・ドール。
アルヴェーヌ伯爵領唯一の魔法使いだ。伯爵家の長女セリーヌとは幼馴染で、伯爵家で働く庭師の一人息子である俺は幼いころからこの屋敷の使用人棟で暮らしていた。魔法使いとなってからは使用人という立場ではなくなったため、この本館で生活している。
時折俺の耳には未来からの音が聞こえてくる。
セリーが言うには音は空気を振動させることで伝わるのだそうだ。きっと未来に起きた空気の振動が、そのまま伝わり続けて過去であるはずの俺の元にまで届くのだろう。
「セリー!」
慌てて駆け込んだ伯爵家の食堂は既に朝食に集まったセリーとその夫のジェラール様、セリーの従兄のアレク様が着席していた。
「ルキア、どうしたの? また何か聞こえてきた?」
セリーの無事な姿を確認して、まずはホッとする。
時として俺の耳に聞こえてくるセリーの叫び声はあまりにもリアルで、俺はいつもとんでもない不安に駆られる。今回も間違いで良かったと俺は胸をなでおろした。
「ルキア君の第六感がセリーの危機を感じたの?」
「はい。セリーの叫び声が聞こえてきたので急いで来ましたが、何事も無くて良かったです」
ジェラール様の方を向きながら、相変わらずキラキラな人だなと思う。2年前にセリーと結婚したこの人は次期領主として精力的に活動していて、いつも領内を飛び回っている。俺も魔法使いとして領内の問題を解決する手助けをしているのだが、この人の問題解決能力の高さにはいつも舌を巻く。
セリーは本当にいい人を捕まえたな。
まあ、セリー自身も唯一無二の得難い存在だからお互い様かな。
いつもラブラブな様子のこの夫婦は、伯爵領を良くするために日夜働いている。領民たちにもそれは伝わっており絶大な人気を博していて、銀髪碧眼のジェラール様と金髪緑眼のセリーの組み合わせは、キラキラカップルと銘打たれているそうだ。容姿だけではなく、活力に満ち溢れている二人は存在自体がキラキラしていると領民たちは口々に言う。
「お前の第六感は大嵐がくるのを当てたし、もう今までのように蔑ろにはできないな。叫び声以外には何か手掛かりはないのか?」
「映像が見えればいいのですが、やはり音だけしか聞こえませんでした。もっと情報がつかめればとは思うのですが……」
アレク様の問いに自分でももどかしい思いで答える。
俺に突如聞こえてくる未来の音のことをみんなは『ルキアの第六感』と呼んでいる。音が聞こえるだけで日時や場所は推測するしかないけれど、居ても立ってもいられなくなる俺はその都度外れることを願いながらも予言としてみんなに知らせている。
そんな俺は昨年大嵐を予言し的中させた。何年も前から年に一度程の間隔で大嵐の音は聞こえてきていて、俺はその度に川岸を魔法で補強したり、土塀を立てたりして対策をしていた。
いつもは予言が外れてホッとしていたのだが昨年は本当に大嵐が来てしまった。事前に対策をしていたことで川が溢れることも無く特にこれといった被害は出なかったけれど、このことでえらく領民たちに感謝されてしまった俺はなんだか誇らしいような気恥ずかしいような、何とも言えない感情を味わうことになった。
せっせと対策を施す俺に、この伯爵領には大嵐なんて来ないよと苦笑していた人たちだったけれど、いつも俺の気が済むようにさせてくれていた。日常生活が不便になってしまう大嵐対策の土塀を仕方ないなと受け入れてくれた優しさに、感謝したいのは俺の方だった。そんな人たちを守れたことが嬉しい。
「とにかくセリーにはしばらく屋敷に籠ってもらって様子を見るしかないな」
「そうだね。アレクさんの言う通り、セリーは屋敷で過ごしてほしいな。すぐに危険に対応できるようにできるだけ人がいるところにいるんだよ」
「ジェル……わかった。屋敷に籠るわ。でも5日間だけね。今までもルキアの予言対策は5日間だけに期限を区切っていたでしょう? それでいいわよね」
「うん、いつもそうだったもんね。その5日間はずっと俺がセリーの側にいるから安心して」
未来からの音が聞こえても日時や場所が分からない予言は期間を区切らないと守る側も守られる側も疲弊してしまう。その為いつも5日間と期限が決められていた。ほとんど当たらない予言だが、実際に的中したときは音が聞こえてきてから5日以内で起こっているから大丈夫な筈だ。
「ルキア君がずっとセリーと一緒にいるってこと? それは心強いけどずっと一緒っていうのは……」
ジェラール様は少し戸惑う表情をした。それを見てそれはそうかと思い至る。セリーは20歳で俺は19歳。既婚者であるとはいえ次期伯爵夫人が夫ではない男と始終一緒にいるなんてよろしくない事態だ。ではどうするかと考えを巡らせているとセリーが余計なことを言い出した。
「大丈夫よ。ずっと一緒って言ってもさすがに今までの予言のときみたいにピッタリくっついて離れないなんてことにはならないわ。ルキアはもう大人なんだし、夜に同じ部屋で眠るなんてことも絶対にできないもの」
「……へー、そんなことをしていたんだね」
そう言って口角を上げるジェラール様を見て冷や汗が出る。細めた目の奥が全く笑っていない。いつもは煌めいている瞳が光を失っているその様子にどうすればと更に考えを巡らせていると、今度はアレク様が余計なことを言い出した。
「確かセリーが学園に入学する直前にも予言してたよな。あのときもべったり張り付いてて、夜も同じ部屋だったはずだ」
「……セリーが入学する直前ならルキア君は14歳だよね」
ジッと俺をみるジェラール様にいたたまれなくなり視線を彷徨わせる。すると、面白そうにこちらを見るアレク様と視線がぶつかった。
この人は絶対わざと余計なことを言ったんだ!
火に油を注ぐような発言をするアレク様にイラつく。
思えばこの人は俺に意地悪なことが多い。
魔法使いといっても平民の俺が伯爵令嬢とどうこうなるなんていう希望を持つことすらできないと、悩んだ末にスッパリとセリーへの恋心を断ち切ったのだけれど、その後15歳の成人を迎えた俺に侯爵令嬢との婚約話が舞い込んだときには衝撃を受けた。侯爵家に鞍替えしないかという勧誘の手紙が届いたのだが、そこにご令嬢の婿として迎えたいと書いてあったことに俺は首を捻った。
「なんだ知らなかったのか? 魔法使いは貴重な存在だからな。貴族と同じ扱いだぞ」
特にお前は若くて才能溢れるから引く手数多だぞと事も無げに言うアレク様を本気で殴ってやろうかと思った。この人はどうせ俺がこの領から出て行くわけがないと高を括って、セリーと結婚できる立場になっていることを気付かせないようにしていたんだ。だけどそれじゃ、自分は平民だからと伝えることすらできずに諦めた俺の恋心が可哀そうすぎるだろう。たとえセリーに弟扱いしかされていないとしても!
今だって、俺を窮地に立たせる必要なんてないじゃないか!
ギロリとアレク様を睨むが彼は全く意に介していないようにニヤリと笑った。
「ルキアは小柄だったから14歳でもとても可愛かったわ。それなのにこんなに大きくなるなんて、分からないものね」
そう言ってセリーはため息をついた。
こんなに大きくと言われても、ここにいる男の中では一番小さいけどな……。
セリーにとって俺はいつまで経っても可愛い弟分だ。それを知っているジェラール様は俺の立ち位置を思い出したらしく、こちらを見る目の鋭さが少しだけ和らいだ。
「僕もしばらく屋敷にいることにしようかな。最近は出かけることが多くて日中はあまりセリーといられなかったからね」
「本当に!? ジェルが屋敷にいてくれるなら嬉しいわ。お庭でお茶を飲んだりもできるわよね」
そうしてジェラール様も一緒にしばらくの間過ごすことになった。
「今日はとてもいいお天気ね。風が心地いいわ」
「そうだね。ルキア君のお陰で冷たいお茶も飲めるし、木陰だと丁度いい気温だね」
ジェラール様はそう言ってお茶を一口飲んだ。
「しかし、これがルキア君の防御魔法なんだね。初めて見たよ」
「ふふふっ。ルキアは何でもできるすごい魔法使いだものね」
今は屋敷の庭でお茶を飲んでいるところだ。
俺が聞こえたセリーの叫び声は『痛い!』とか『助けて!』とか泣き叫んでいるものだったため、俺たち3人の回りには防御魔法が施してある。細い網をイメージしたもので球状に囲っており、少し視界は悪いがどこから攻撃が来ても防げるようになっている。
「なるほどね。ルキア君の回りにしか防御を張れないから予言のときはセリーとべったりだったんだね」
「あまり離れると防御魔法の範囲が広がり魔力を使ってしまうので、近づいた方が効率がいいんです」
セリーをスッパリ諦めるまでの俺に邪な気持ちが全く無かったかと問われれば嘘になるが、ここは無難な解答をする。
「転移魔法まで使えるほど膨大な魔力を持っているルキア君がこの防御魔法にどれほどの魔力を割いているんだろうね」
そう言ってニコリと笑いながら僕を見るジェラール様の目が笑っていない……。俺に邪な気持ちが有ったことを見透かされているに違いないが、ジェラール様と関わりのない過去のことを謝るのもおかしな話だ。
セリーを守りたい気持ちは本物だったし、少し距離が近かったのは認めるけど思春期の男なんてそんなもんだろ? 過去のことをとやかく言われてもどうしろっていうんだよ。
俺の不貞腐れた様子に気づいたのだろう。ジェラール様は慌てて謝ってきた。
「ルキア君ごめん。僕の奥さんがあんまりにも無防備だったことに苛立ってしまったんだ」
「ジェル? いきなり謝ってどうしたの? しかも私が無防備で苛立つってどうして? 私が弱いのは分かっていたはずよ」
だからこうして守ってもらってるんでしょうと、俺とジェラール様のやりとりをまるでわかってないセリーがキョトンとした様子で聞いてきた。前世の記憶を持っていることで子供の頃の彼女はかなり大人びて見えたが、最近は俺の方が年上なんじゃないかと思うことが増えた。
「僕が伯爵を継いだら社交界にも頻繁に顔を出さなきゃいけなくなるのに、この状態では心配だよ」
そう言って苦笑するジェラール様に俺は同情を寄せる。
「心配って私のこと? もっと鍛えなきゃだめ? 強くないと社交界に行けないの?」
「そうじゃないよ。セリーが人を惹きつける女性だってことをセリー自身がどれほど分かっているのかという話をしているんだよ」
「へっ!? 私が?」
「僕がセリーのことを愛しているのは良く分かっているよね?」
「ええ、もちろんよ。ジェルは私以外の女性が目に入らないくらい私に夢中なのよね。私がいれば他に何もいらないって思えるほど私のことを愛してくれているのもちゃんと分かっているわ」
俺はこの夫婦の会話は聞き慣れているので、このくらいで動揺することはない。
「うん、そうだね。僕はいつもセリーにストレートに愛情表現しているからしっかり伝わっているよね。じゃあ、今まで僕以外の男の人に好意を持たれていると感じたことはある?」
「ジェル以外に!? そんな人、今までひとりもいないわよ? 学生のときはジェルが私を好きになってくれたことを奇跡だって思ったわ」
セリーの回答に頭を抱えたくなる。平民だからとセリーへの想いを抑えようとはしていたが駄々洩れだっただろう昔の俺は、セリーが俺の好意を知った上で弟扱いをしていると思っていた。けれど今の彼女の様子を見るとまるで伝わっていなかったのだろう。しかも俺だけではなくアレク様も同様のようだ。
「セリーはそう思っているんだね。これはなかなか難しい事案だな。社交界はお義父さんたちにしばらく任せて、その間にセリーにはもう少し自分の魅力を自覚してもらわないとね」
「私の魅力? ふふふっ、ジェルが私を魅力的だと思ってくれていることはちゃんと分かってるわよ」
何も分かっていないセリーは少し照れたように微笑んだ。
「そうそう、お父様とお母様は明日の昼には屋敷に帰って来るのよね? 久しぶりに王都の話が聞けるわね。ルカリオ様とユミレア様の間にお生まれになったジラルド様のお話も聞けるかしら。楽しみだわ」
「そうだね。明日はみんな揃ってお出迎えしよう」
「お父様のことだもの、きっとまたお土産をたくさん買ってくるに違いないわ。前は馬車一台にぎゅうぎゅうに詰め込まれていたわよね。今年はどうなのかしら」
そう言ってセリーは屈託なく笑う。
セリーは自分にどれほど魅力があるのか分からないんだろうな……。
俺が魔力暴走を起こしてひとりで農村の小屋に隔離されていたあのとき、ひょっこり現われて『農地改革するからルキアも手伝って』とにっこり笑いながら手を差し出したセリーに、俺がどれほど救われたかなんて彼女はきっと知らない。
前世のライトノベルとかいうものに魔法はイメージを正確にすることで使いこなすことができると書いてあったわと、胸を張って教えてくれたセリーはいつも俺のすぐ側にいてくれた。
正確にイメージできるようにと前世の知識を図解しながら惜しみなく俺に教えてくれたセリーは俺の魔法の師匠だ。ルキアのためになったのなら良かったとただ笑ってくれたセリーだから、俺は何があっても守りたいと、そう思うんだ。
---------------------
「お義父さん、お義母さん、長旅お疲れだったでしょう」
「お父様、お母様、お帰りなさい」
王都からのお土産を馬車二台に詰めて伯爵夫妻が帰って来た。
「ただいま。みんな元気そうで何よりだよ」
「アレクさんが作った扇風機が馬車の中でとっても快適だったわ。この時期に王都から帰るのはいつも暑くて憂鬱だったけれど、これからは大丈夫ね」
「伯母上のお役に立てたのなら良かったです」
「私のお友達もみんな扇風機が欲しいって言っていたから、今度注文が入ると思うわ」
「ジェラール君も領地の管理ありがとう。君がいるから安心して王都に行っていられるんだよ」
「お義父さん、そう言っていただけて嬉しいです」
久しぶりに伯爵領に帰ってきた旦那様や奥様は相変わらず元気そうな笑顔を見せた。
「ルキア、昨年の大嵐の件でたくさんの感謝をいただいたよ。大嵐の被害にあった他の領に支援できたのは、君のおかげで我が領が無事だったからだ。改めて礼を言うよ」
「いえ、他領を支援するために力を尽くされたのは旦那様とジェラール様です。俺は予言をしただけですから」
昨年の大嵐では特に隣接する領が大きな被害を受けた。予言をする魔法使いは他にはいないし、俺の予言は的中率があまりにも低いため他領に注意を促すことなどできなかった。セリーやアレク様が農作物の生産量を年々増やしていたことで食糧支援を行うことができたし、旦那様やジェラール様が支援の方法や量を的確に調整したため、速やかに支援を行うことができた。そんな中で俺の力は微々たるものだ。
「予言と言えば、昨日ルキアの第六感で私の叫び声が聞こえたみたいなの。今までのように何事も無いといいのだけれど」
「まあ! ルキアが何年も前から予言していたセリーヌの危機ね。そういえばジェラールさんが我が領に結婚の申し込みに来ていたときにもルキアは予言していたわよね?」
「確かその予言を聞いてジェラール君がルキアの転移で学園に向かったんだったな」
「そうなの。3年前の予言でジェルが学園まで駆けつけてくれたから、あのときはとても助かったのだけれど予言としては外れているのよね。私が『痛い!』とか『助けて!』とか泣き叫んでいるのが聞こえるらしいもの。今まで聞いたことが無いような変な息づかいも聞こえるそうよ。ルキア、そうよね?」
セリーの問い掛けに俺は頷く。痛いとか助けてはまだ分かるとしても、その変な息づかいが聞こえることが最大の謎だ。前にセリーにもアレク様にも伝えたが、やはり二人とも今まで聞いたことがないようだった。
「セリーの切迫した叫び声の他に『ヒッヒッフー』という息づかいが何回も聞こえてくるんです」
「あら!? それって……」
奥様は瞠目してセリーの方を見た。
セリーは一瞬呆けた顔をして『ラマーズ法?』と呟いた。
このときセリーは前世の記憶が蘇っていたのだそうだ。
「「……うふふふふふっ」」
急に笑い出した奥様とセリーに、俺は訳も分からずポカンとするしかなかった。他の男性陣も同様にただ二人を見つめている。
この後、この『ヒッヒッフー』という息づかいは赤ちゃんを産むときの呼吸方法なのよと嬉しそうに言う奥様と、前世の姉がこの呼吸法で出産していたと興奮したように話し出すセリーと、それを聞いて破顔するジェラール様を見ることになる。旦那様やアレク様はその様子を相好を崩して見守っていた。俺も顔をほころばせながら、希望にあふれた未来を思った。
この8か月後に伯爵家に待望の赤ん坊が生まれ伯爵領全体が歓喜に包まれるのだが、それはまだ先の話だ。牛の出産日をよく的中させていた俺がセリーの出産日をピタリと言い当てることも、まだまだ先の話になる。
これで本当の最後になります。
お読みいただきありがとうございました。