彩子は好かれるのか?
遅れたのに文字はいつもと変わらず。
まぁ、連載当初に不定期更新って言ったから、多少はね(許してもらえる訳がない)?
時刻は、午前六時。
十月の第四土曜日、その日、杏梨達は、一日中、彩子の尾行をすることになった。
理由は明白。先日、といっても随分前だが、その先日、彩子の話を聞いた東風谷が、「いつそのオジサンが彩子に手を出すか分からない」という理由で、尾行をすることになったのだ。
彩子を好きだからストーカーするというわけではなく、彩子をオジサンから守るため、しょうがなくストーカーみたいなことをするのだ、と杏梨は自分に必死に呼びかける。自分が犯罪を犯しているかもしれないという罪悪感が、杏梨の心を支配しているのだ。
といっても彩子が、「オジサンは良い人だけど、守ってくれるのはとても有り難いです。是非後をつけるのを頼みたいと思います」と了承したのだから、あながち犯罪ではない。
(なーんか、ドキュメンタリー番組に出てきそうな人達だな、私達)
杏梨は、土曜日の朝、フローリングの上でそんなことを考えながら、「兄ちゃん、早く洗面所空けて」と海翔に文句を言うのであった。
彩子を追跡する日の、ドキュメンタリー番組気分の杏梨の朝は早い。
まず普段はベッドでゴロゴロしているはずの七時半、ゆうゆう起床。これで部活に行く朝練の海翔をびっくりさせたが、しょうがない。
次に手を洗って歯を磨き、うがいをする。ここで髪を結ぶ。ちなみにゴムは百均のゴムである。
母親が用意してくれたご飯を、背筋を伸ばして食べる。
パジャマから洋服に着替え、もう一度歯磨きをし、念入りに持ち物のチェックをした後、外に出る。
ここまでの時間、わずか一時間三十分。
九時十五分に東雲公園集合。集合するのは東風谷、透、そして何故かの杏梨。「杏梨ちゃんが唯一の女子だから、オジサンも話しやすいと思う」と彩子が言ったのだ。杏梨の隣で「私達も女子だよ!?」と嘆いている友実達の顔が、彩子には見えなかったのだろうか。
「おー、来てたの」
九時十分だというのに、東雲公園には既に東風谷と透が来ていた。東風谷と透は何やら深刻そうな表情で何かを話していたが、杏梨が来るとその深刻な表情を一瞬で引っ込めた。
「おー……。じゃ、行こうか、透」
「そうですね」
何だか元気がなさそうな二人を気にして、杏梨は首を捻る。
「……元気なさそうですね。どうしたんですか?」
杏梨は二人の顔を見つめる。そして、一つの考えを見付けた。
(あっ、何だ、彩子さんと仲良くしているオジサンに、嫉妬? 嫉妬? うえーい、年の差嫉妬?)
「もしかして、悔しいの? 東風谷」
「は? 何がだよ。悔しくねぇよ、別に」
調子乗った発言をしたから、罰が当たった。
好きな人に辛辣に接された杏梨は、しぼむしかなかった。
(彩子さん、いいなぁ。……東風谷に、あんなに優しくしてもらって。初恋の人だもん、しょうがないよねって思っても……何だろう、この微妙な気持ちは……。今は、好きじゃないかもしれないのに)
歩くたびに先ほどの東風谷の声がずしりと重くなっていく気がして、杏梨は自分の胸に手を当てる。
(こんなにドキドキしてるの、久しぶりかもしれない……)
「……ねぇ東風谷」
「篠塚は、確か、隣町の中学だよな、透」
「……そうですけど?」
思い切りガン無視された。
杏梨はまたもや傷付き、足元を見て、トボトボ歩きだす。
(何だろう……、彩子さんに会ってから、いっつもこんな気持ちばかり……。嫌になるよ、こんなの)
嫉妬という感情が渦巻いていたことなど、杏梨はとっくに知っていた。でも、別の感情が、嫌で嫌でしょうがなかったのだ。
(……嫉妬はしょうがないことなんだって、自分でも思う。……でも、もしも、彩子さん自身が憎らしくなって、彩子さんの短所ばっかり見付けて、悪口を言うようになっちゃったら……)
杏梨は、誰にも気付かれないように、ため息をつく。冬に入ったような冷たい風が、杏梨の頬に当たる。
(そしたら、私、本当に東風谷から嫌われちゃうよ……)
嫉妬が、こんな感情を呼び起こすなんて、杏梨は知らなかったのだ。
隣町の中学校に着いた杏梨達三人は、まず、裏門から足を踏み入れた。
小学校とは違う広大な敷地に、土曜日の朝の時間帯にも、地元の少年サッカーチームの声ではなく、部活動の声が響くというのは、小学校とは大きく違う所だ。
「マジか、中学って、めっちゃくちゃ広いんだね……」
「おぅ。俺達の中学もこんな感じだぜ?」
(そっか! 東風谷も中学生だってこと、忘れてた!)
馴染みやすい存在ゆえに、忘れていたことが杏梨もあった。
「俺、彩子と打ち合わせしておいたから、今の時間帯、どこで何しているのか、分かる」
「おぉ」
透が目を輝かせる。姉の制服姿を見てみたいのだろう。
「……ここの制服、メッチャ可愛いですね」
杏梨が思わず呟く。窓から見える美術部の様子。制服が、茶色のブレザーに紺と白のチェックスカートなのである。杏梨も、東風谷を殴ったり東風谷に突き指をさせたりしているが、一応は女子なので、このような可愛らしい制服に憧れを抱く年頃なのだ。
「だよな、俺達の学校なんて、学生服だぜ」
「げっ、私達もそれ着るの? もしかしてその調子だと、女子セーラー服?」
「ピンポンピンポン! ……あ、待って杏梨! 倒れないで! ここ一応公共施設だから! 廊下に寝ないで!? 吐こうとしないで!?」
杏梨は、自分のセーラー服姿を想像して吐きそうになる。美術室の中にいた女子生徒数人が、廊下にいる杏梨達を見て笑う。
「あぁ、ははは……」と愛想笑いを浮かべて杏梨を引っ張っていく東風谷。恐らく他校の見ず知らずの女子生徒に笑われたのが恥ずかしかったのだろう、と杏梨は推測する。もっとも、笑われているのは杏梨だが。
「杏梨、急ごう。篠塚は確か、吹奏楽部だったよな」
東風谷は透に聞き、透は頷く。
「姉ちゃん、小学校の頃の合奏で、フルート吹いてたもんな」
透はどこか寂しそうにしながら言う。
(……彩子さん、東風谷や透君から大切に想われてるんだな……)
杏梨の心の中に、悔しさが渦巻く。
(私にも、こんな風に大切にしてくれるような人なんて現れるのかな?)
ちょっとだけ想像してみて、杏梨は苦笑いする。
(って、いるわけないか……)
苦笑しながら、杏梨は東風谷を見やる。
いてくれたらいいな、と思いながら。
「音楽室」と書かれた扉の目の前に立つと、吹奏楽部の演奏がこれでもか! というほどに聞こえてくる。今の演奏は、杏梨にも聞いたことがある。バブル時代の鎮魂歌、と言われ、吹奏楽でよく使われる音楽だった。
「すごいね、吹奏楽って……」
杏梨は思わず呟く。東風谷も頷き、透は、小さく開いた扉の隙間から、姉を必死に探しているようだった。
「あ、いた!」
透は早速彩子を見付けたらしく、杏梨が「どこ!?」と言う前に彩子のいる方向を指す。
杏梨も透が指差す方向を見る。
そこに、ユーフォニアムを吹く彩子を見付ける。小柄で華奢な彩子と大きなユーフォニアムが対照的で、何故だか妙にバランス良く、綺麗に映る。
杏梨は東風谷を見やった。もしかしたら東風谷は、黄金比の彩子に見惚れているかもしれない。心配してもしょうがないことなのに、心配せざるを得なかった。
だが、東風谷は彩子から視線を外し、「俺の同級生、いるかな~」とニヤけながら辺りを見渡していた。
「いないでしょ。隣町なんだから。転校生ぐらいしかいないでしょうに」
杏梨は、見惚れていない東風谷にホッとしながらも、憎まれ口を叩くことしか出来なかった。
「それもそうだよなぁ。……あ、もう練習終わるみたいだぞ」
「えっ早」
杏梨は目を丸くする。朝の時間帯に終わるのか。小学校の吹奏楽も十一時ぐらいまで粘ると友達から聞いたことがあるのに、いくらなんでも早すぎはしないだろうか。
「では、再確認です。今日の一時に午後練を始めるので、十二時半にここに音楽室集合です。では、さようなら」
(あ、なぁんだ、午前練と午後練だったんだぁ……)
今は十時なのに何故練習を終えるのだ、と心底不思議がっていた杏梨だが、理由を知ると安堵でため息をついた。
「さようなら」
部員全員が挨拶をすると、すぐさま楽器の音で音楽室は煩くなる。
彩子は音楽準備室にすぐさまユーフォニアムを担いでいく。ゴムで結んだポニーテールが、動くたびにサラサラなびく。
彩子がしばらくして戻ってくると、吹奏楽部の男子が二、三人ほど、彩子に話しかけていくのを見かける。
何を話しているのかは分からないが、彩子は笑顔で頷き、可愛らしい笑みを男子達に向ける。男子達は何やら笑顔で仲間内で頷き合っている。
彩子はそんなことお構いなしに手を振り、音楽室から颯爽と出て行こうとする。
そんな彼女に、今度は女子が数人、後ろから彩子を呼びかけようとしている。
(彩子さん、男子だけじゃなくて、女子にも人気なんだ。羨ましいなぁ)
杏梨は、同性からしか好かれることがない。生まれて一度も異性からの好意を感じ取ったことがないし、告白なんてされたことがない。杏梨はいつも男子を張り飛ばしているだけあって、威勢だけは良いのだが。
……いや、違う。
彩子は、呼びかけられたのではない。
突き飛ばされたのだ。
幸い彩子はすぐさま扉に手をついたので、前に倒れることはなかったものの、その勢いで扉が開かれ、杏梨達の存在が吹奏楽部にもバレてしまった。
「……きゃっ」
彩子は扉から手を離そうとしたが、そうはいかなかった。
杏梨が「彩子さん、大丈夫ですか!?」と呼びかける前に、突き飛ばした女子生徒の軍団の一人が、ニヤッと意地悪い笑みを浮かべながら言ったのだ。
「篠塚さん、邪魔、どいて?」
その意地悪い声に、彩子は俯いたまま、何も言うことはなかった。
ただここに留まっている沈黙は、吹奏楽部の音でかき消されたが、杏梨達三人は、気まずい空気をどうしようか、三人それぞれ脳内会議をしていたのだが。




