その後の話。
「……お邪魔しまーす」
「……え?」
東風谷の両親のあまりのフレンドリーさに少々気遅れになりながらも、杏梨は中へ入る。
「…………」
東風谷は案の定黙ったままだった。自分を骨折させた人間の家になんか行きたくないのだろう、と杏梨は推察する。
「東風谷、大丈夫だよ、私がいるでしょ」
「お前がいるから不安なんだよ。お前が一井の家族キレさせたら俺今度こそ殺されるぞ」
「なっ」
(失礼な。私、これでも東風谷のこと心配しているんだけど?)
ムッとしつつ、杏梨は東風谷を睨みつけるのを押さえ、玄関で靴を脱ぐ。
一井家は、ツタの絡まる外観とは違い、綺麗な内装だった。玄関は綺麗に掃除されており、豪邸らしく、階段がそびえ立っている。部屋の隅っこには本が並べられており、一井家の誰かが読書好きだったのが理解できる。吹き抜けになっている天井からは、シャンデリアが吊り下げられており、壁には豪華な絵が飾られていた。
(……チッ。こいつの家、金持ちなのか。……私の大切な人を傷付けたくせして、お金持ちだったなんて、悔しい!)
心の中でそっと舌打ちをする杏梨に構わず、東風谷は、きょろきょろと辺りを見渡していた。
「おやおや、よくいらしましたね。松木さん……でしたっけ」
急に本の山から、一井昭喜の母親が現れた。あの日の病院で、息子を必死に責め立てていた、あの母親、登紀子である。
「あと東風谷さんと岡崎さんがおられますね」
母親が答える。杏梨は「何で私の苗字知ってるんだよ」と不思議に思ったが、言わないでおいた。
「松木祐司と松木真子です」
青年が挨拶をする。
(ゆうじ……? 次男なのかな、この人)
杏梨が下らない想像をしていると、「どうぞ、こちらに」と登紀子が、一階のリビングに杏梨達を誘導してくれた。
「少々お待ちくださいね。今、お茶を淹れますから」
「あ、はい……」
東風谷が頷く。登紀子は目を細めて一瞬東風谷を見た後、キッチンに足を運ぶ。
「……待って、あのおばさん俺見て笑ったんだけど」
「東風谷見て笑ったんじゃなくて、笑いながら東風谷を見たんだよ。自意識過剰はやめなさい」
「自意識過剰じゃねぇから。あと、何で俺がツッコまれなきゃならないんだよ」
杏梨と東風谷がコソコソと話していると、祐司が「すみません、登紀子さん」と登紀子に尋ねた。
「はい、何でしょう」
登紀子が振り返る。手にはカップが握られているままだ。
「……僕の分、コーヒーにしてください」
「分かりましたよ」
祐司がリクエストを頼むと、登紀子は頷き、戸棚からコーヒー豆を取り出した。どうやらコーヒーとは違う物にしていたらしい。
「……あのぅ」
「ん?」
杏梨は、勇気を振り絞って、祐司に尋ねる。祐司は、登紀子に向けていた視線を、杏梨に向ける。
「……これ、どういうことなんですか?」
杏梨が尋ねると、一瞬祐司は目を見開いた。それからすぐ後に、目を細め、口角を上げた。
「あぁ、杏梨ちゃんや風真には、このこと、全然分かんなかったよね」
祐司はそう言いながら、腕を組み、椅子の背もたれに寄りかかった。
そして、話し始める。
「……元々、風真を轢こうと思っていたのは、僕らなんだ」
「え?」
また東風谷が痙攣し始める。杏梨がそれを必死でなだめようと、東風谷の手を握り締める。
(こいつ、驚いたら痙攣するくせでもあんのかよ)
杏梨はため息をつく。だが、東風谷のことは心の奥底ではとても気にかけているため、握りしめる手を離したりはしなかった。
(……まぁ、こいつの気持ちも、分かんなくはないけど……)
親が、自分を殺そうとしていた。そう言われると、杏梨でも、痙攣してしまう自信は……というか、それ以上になる自信はある。
(……東風谷に起こることが、常識ではないからかな。……何だか東風谷に慣れてきたな)
遠まわしに東風谷を傷付けていることを、杏梨はまだ知らない。
「僕らには、家庭がある。二人の息子だっている。……祐真はもう大人だろうけど、まだ精神的に不安定で心の支えがない風真は、母親を探しだそうとすると思ったんだ。しかも、君には杏梨ちゃんという立派な友達がいる。二人で力を合わせたときに、君達は絶対僕らを見付けだす。その前に、怪我をさせて断念させようかな、と思っていたんだ」
「ひど……」
思わず杏梨は呟いた。せっかく東風谷は母親のことを忘れて、友実達と楽しく過ごしていたというのに、祐司達の計画のせいでまた思い出す羽目になったのである。
(酷過ぎるよ、そんなの。精神的に不安定っていうのは、しょうがないのかもしれないけれど……でも、殺そうと思うのは、いくらなんでも許せないよ!)
「正直言ってしまうと、他人の子だからね。……殺そうとすることに、何のためらいもなかったよ。……風真が死ななくて、「殺人犯にならなくて、よかった」って気持ちだけがあるよ」
杏梨は、目を見開いた。
(ヤバイ……サイコパスだよ、この人達。東風谷が苦しんでいるって言うのに、自分の心配ばっかりで!)
杏梨は、東風谷の手を握り締めながら、精一杯、祐司を睨む。最早視界に「最低母親、松木真子」は映っていなかった。ただ真実を話す祐司だけにしか、視線が行かなかった。
「……あぁ、そういえば、君達、何故か林の中にいたけど、あれ、何でか分かる?」
「は? 分かりませんよ」
祐司が突然話題を変え、テーブルから身を乗り出し、杏梨だけに視線を向けた。
「そっか。……分からないか。頭の良さそうな杏梨ちゃんなら、分かると思ったんだけど」
「なっ」
(頭が良さそうって……。こんな状況で褒められても、全然嬉しくないんだけど! 貶された方がマシだよ!)
杏梨は一度、祐司の脳内を覗いてみたいと思った。人を傷付け、自分だけの心配をし、挙句の果てにはその状況で他人を褒める。祐司は風邪を引いたことがないのだろう。杏梨は確信した。
「……君達を、今度こそ殺そうって思ったんだよ」
「!?」
杏梨と東風谷は、同時に目を見開く。東風谷が更に痙攣する。杏梨もぶるっと身震いした。
(……嘘。そんな、一井がまさかまた?)
祐司は、そんな杏梨の心境などお構いなしに、ニタリと笑った。
「僕達から逃げられると思うなよ?」
がたっ、だんっ。
杏梨は、東風谷の手を引いて、走り出した。
「あっおい!」
祐司が、そんな風に叫ぶ声が、聞こえたような気がする。
一井家の玄関先に置いてあった観葉植物をなぎ倒す。土がばら撒かれ、走ろうとした祐司が、一瞬怯んだ。
その隙を、杏梨は逃さなかった。
一井家の玄関をバァン! と開け放ち、東風谷の手だけを絶対に離さないと心に誓い、走る。一井家からぐんぐん遠ざかって行き、杏梨が苦しさを覚えても、ただひたすらにあの最悪の状況から遠ざかるため、走っていた。
やがて市街地に出て、人通りが多い所で、スピードダウンしていき、休憩をすることにした。
校庭百周よりもキツイ種目に出たかのような感覚の杏梨。東風谷を見やると、既に気絶しかけていた。
「ぎゃ、ぎゃあああぁああああっ!? 東風谷、大丈夫?」
「……だいじょう、……ぶ……」
東風谷がうな垂れた。
「うぉい、東風谷ーーーーっ!」
杏梨は、うな垂れた東風谷を見て、ただそう叫ぶしかなかった。杏梨は自分の意志で走っていたけれど、東風谷は完全に杏梨に連れていかれた側なのである。つまりは唐突に走ることになったのだ。これほど辛いことはない。
「……君達? どうしたの?」
優しい声が頭上から降り注いでくる。
「ふぇ?」
杏梨は上を見上げる。今の杏梨にとって、まるで天使のような、そんな感じの声の持ち主は、まさに神様に等しい存在だった。男子達はこういう、「呼吸困難な人に声をかけるような人」を神と崇めるべきである、と杏梨は思った。
「……け、警察の方!?」
杏梨の前にいたのは、紛れもしない、警察官だった。今は巡回中なのだろう、早朝の住宅地にいることがまさに奇跡だ。
「そうだよ。……二人とも死にそうな顔をしているから、どうしたのかな? もしかして、迷子?」
(警察官さんよ、迷子って言う時に一瞬見下したような顔するのやめろよ。マジで迷子なんですけど、大規模な)
杏梨は内心で怒りながら、「……はい」と小さく頷く。
「……えっ、家は、どこ?」
警察官は、一瞬嫌そうな顔をして、事情を聞いてきた。
「……東雲町……です」
「東雲町……? えっ!?」
警察官が大声を出して、周りの人達の注目を集める。
「……あの、ここどこですか?」
「マジで大規模な迷子だね」
「そうなんですよ、で、ここどこですか?」
ほぼ死んでいる東風谷の代わりに、杏梨が受け答えをする。警察官が滅茶苦茶面倒くさそうにしている。
「……大阪府貝塚市」
「……えっ」
◆◇
それから約数分後。
警察官が電話をし、四人乗りの車がどこからか現れた。
そこに警察官の人と、杏梨と東風谷が乗り込む。最初から乗っていた初老の男性は、事情を説明されると、非常に驚いていた。
東雲町に到着して、杏梨が警察官に土下座して、二人とも、交番で待機。
寒々しい季節が迫っており、早朝は寒い。そこで、東雲町の交番勤務の警察官が、ホットミルクを杏梨達に出してくれた。
「……杏梨ぃ」
「何? 東風谷」
大阪府貝塚市の警察官と、東雲町の交番の警察官が、奥の部屋で話をしているときに、東風谷は杏梨に話しかけた。ホットミルクのコップで暖を取っていた杏梨が、答える。
「……あのときさ、俺のこと、何回も守ってくれて、ありがとう」
「……あぁ」
(あれマジで痛かったんだよ、ナイフ突き刺さったときとか)
杏梨は「ケッ。関係ねぇよ」とやたら格好付けて言う。これが俗に言う謙遜とやらなのかと、杏梨は少々勘違いしていた。
「俺が暴走したときとか、杏梨、いっつも助けてくれたじゃん。初めに助けてくれたのはいつだっけ、海藤と俺が揉めた時だっけ。あの時も、海藤を傷付けそうになったのに、杏梨、海藤の盾になってた。それでいて、責め立てるようなこと、何も言わなかった」
「うん」
「銀座に行った時も、俺がお母さん見付けて暴走して、皆とはぐれそうになったとき、杏梨だけが本気で俺を追いかけてくれた。あの時、地味に嬉しかった」
「うん」
杏梨は段々自分の頬が赤くなっていくのを感じていた。が、東風谷に悟られそうになるたび、杏梨の顔より何倍も小さいコップに顔を隠す。もしくは暖房に顔を向けて「頬が赤いのは温かいせい」と誤魔化す。
「昨日だってお見舞いに二回も来てくれたし、俺が車の中で壊れそうになったときも引きとめてくれたし、俺の手を押さえてくれたし、さっきだってこうやって逃げ出してくれたし」
「うん」
(これ完全に赤くなってるよ。うわマジヤバイ)
杏梨は何のためらいもなく言う天然東風谷に照れまくりである。もう頬が赤いのを悟られたくなくて、ホットミルクを一気に飲み干す挙行に出た。
「俺、お前がマジで好き」
「ぶぉっ」
杏梨はホットミルクを噴き出した。口の周りがホットミルクだらけである。
(ヤバイ、汚すぎる! ハンカチハンカチ……)
それもこれも全て核爆弾発言をした東風谷の責任である。責任とれよ、と杏梨は恨んだ。
「……あっ、これはもちろん、友達でって意味だよ~?」
杏梨がハンカチで自分の口を拭いていると、東風谷が急にそんなことを言い出した。
「あと、マジで言っちゃうと、今の、半分嘘、半分ホント。友達という意味で好きなのはホントだし、恋愛面で好きって言うのは、ない」
「…………」
杏梨は、自分の中でふつふつと怒りがわき上がってくるのを感じた。
「東風谷ぁぁあぁぁぁあぁっっっっ!」
「ぎゃぁっ、ちょっと待って、手ねじんないで! ぎゃああああぁあぁぁぁぁああっっっっ」
その日、東風谷は骨折に加えて突き指をした。それもこれも杏梨のせいである。
前半が完全に適当です、ごめんなさい。




