事件は起きる……?
何か少なくてすみません。
寒寒しい空気が、杏梨の頬を撫でる。隣では、東風谷が涙目でしゃがみ込んでいる。
「ねえ杏梨。ここって、どこ……?」
「はぁ? 何で私に尋ねるの。知ってるわけないじゃん。ここがどこなのか分からない。それは私もおんなじじゃん」
杏梨は、しゃがみ込む東風谷の視線に合わせるようにしゃがみ込む。
「じゃあさ、俺を気絶させた人の顔は見た?」
「一井昭喜っぽかったって、さっきから言ってるじゃん!」
何で同じ質問ばっかりするのさ……と杏梨は不貞腐れる。
「何で一井昭喜が俺じゃなくて杏梨を最初に殴ったんだって、聞きたいんだけど」
「はいあるある。分かるわけないこと聞く馬鹿男子。……アニメじゃあるあるだよね」
「いやこれ現実なんですけど? アニメとかふざけないでくれる?」
杏梨が目を閉じてニヤッと微笑む。東風谷が眉をひそめたのが杏梨にはよく分かったが、気付かないふりをした。
「ふざけてるわけじゃないけど。……大体さ、私もこんな超訳が分からない所に連れてこられて、困ってるんだよね」
杏梨はため息をついて立ちあがる。
杏梨達は、気がつくと、木に囲まれた森の中にいた。
東風谷も混乱しているらしく、「えっここどこ? 杏梨知ってる?」と先ほどから杏梨に話しかけるばかりである。
「超困ってるのは俺だって一緒。俺入院してるんだよ? 歩くと結構痛いし、あと杏梨助けるときも、結構頑張ったからね?」
「あぁ、あのときはありがとうございます。……実はお見舞いをしようと思っていたんだけどね。途中で一井昭喜っぽい男に殴られて、ここに連れてこられて。マジ怖かった」
杏梨は、ふっと笑顔になり、そう言った。
実は杏梨は、再度病院を訪れようとしていたのだ。面会時間が過ぎているというのに、無理難題を言って東風谷の病室まで行こうとしていた杏梨の愛は深い。
(一井とか一井とか一井とかに折角のお見舞いを邪魔されたんだもの。好きな人の為に、果敢ない壁にぶつかっても、ぶっちぎって行くって決めたのに、一井昭喜っぽい男に殴られて東風谷と共にここまで連れてこられるとか、最悪すぎでしょ)
はぁ、と聞こえないようにため息をつく杏梨。東風谷は杏梨のため息に気付かず、「ねぇ、ちょっと探索してみようよ」と提案を出した。
「いいけど……。単独行動は禁物だよ。ここヤバイ動物とか出たら大変だからね? 東風谷一応病人様なんだし、怪我したら熊に会って食い殺されるよ」
「食い殺されるって……何じゃそりゃ。杏梨じゃないんだから、食い殺されないよ」
プッと東風谷は噴き出し、失礼な言葉を口走る。「何だとーっ?」と杏梨は食ってかかる。
「杏梨じゃないんだからって、何よー私がそんなにドジだって言うの?」
「あぁ。正義感強めででしゃばりで、おまけに鈍足ときた。そっちが逆に食い殺されるでしょ」
「足折るよ東風谷。それ全部一井昭喜のせいにして更に罪を重くする」
「サイコパスっぽいこと口走ることが最近多くなったね杏梨」
「東京湾に埋まって死ね」
「あんたさっき病人様とか言ってただろうが。病人様に向かって死ねって何だよ」
「前言撤回。この森で足折って死ね」
「結局死ねは変わらないじゃん!」
(……でもよかった。東風谷が元気そうで。あのショックで死んでたらマジ最低な死に方だもんなー)
心の中で密かに安心しながら、杏梨は東風谷に言い返していた。
◆◇
「でも、本当にここどこなんだろうね」
「歩き疲れて約三十分。どこなのか全然分かんないよ。ねぇ杏梨」
何故か時間を説明してくれた東風谷に、杏梨は少しだけ感謝しながら森の中を歩いていた。
どこの森かも分からない。杏梨達の住んでいる街からどれほど離れているのかも分からないし、そもそもここは杏梨達の住んでいる街の中なのか、それとも別の所なのかも分からない。
杏梨が病院に行ったのはもう既に夜と言っていいほどの時間帯だったため、空はもう真っ暗闇で、あれから何時間経ったのかも分からない。もし時刻が分かるのなら、森がどこにあるのかの目安はつくのだけれど。
ここがどこなのか、見当もつかない。それが一番、杏梨達にとってはマズイ状況だった。何しろ翌日は日曜日。家族が朝、普通にいる。そんなときに一人だけいないとなったら……大惨事だ。
両親は泣きわめき、兄は必死で探しだそうとするだろう。そうであってほしい。
同時に東風谷の両親も、杏梨の両親にいずれは連絡するはずだ。そうなれば、「もしかして駆け落ちしたのではないか」とクソみたいな噂が流れて学校で笑い物にされる可能性もある。
確かに杏梨は東風谷に告白した。それを、一部の人達は知っている。その一部の人達が「この際だから」と話してしまったら、大変なことになるのは間違いない。そんな中、杏梨達が「タクシー乗って帰りました」なんて意気揚々と帰ってきたら冷やかし以前の問題だ。
「あーあ。何でこんなことになるんだろう」
東風谷は、こっそり、という様子で呟いた。
とにかく、早く帰らないと。
杏梨はそう思いながら、歩いて行った。




