病院で起きた事件。
「いやー、あれはマジナイスだよ友実ちゃん」
「そう?」
杏梨は親指を突き立てる。友実は、照れくさそうに答える。
ここは病院の庭。花壇の前にあるベンチに、杏梨、香帆、友実は座っていた。
「いや、本当だよ。あの時私、一井にボロクソ言われて、めっちゃ悔しかったもん。殴ろうとした矢先に友実ちゃんがやってくれるもんだからさ、スカッとしたよ~」
「えへへ、そう?」
「うん、そうだよ」
杏梨は、つい先ほど起きた出来事に、驚きを隠せずにいた。
あれからすぐに、東風谷の病室から二人分の号泣が轟いた。友実と杏梨のものである。杏梨も、眠っている東風谷を見て、更に泣きそうになったのだ。
そこから、看護師や医師が来て、一井は取り押さえられ、杏梨と友実も慰められた。当の東風谷は、ぐっすりと眠っていたのだが。
「……っていうか、友実ちゃん、東風谷のことあんなに馬鹿にしてたのに、何で一井を殴ったの?」
香帆が尋ねると、友実の動きがピタッと止まった。
「そ……れは……」
何故か急に友実は動揺し始めた。首を捻る杏梨。だが、香帆は「はっ」と声を発したかと思うと、ニヤリと口角を吊り上げた。
だが、二人とも香帆の行動に、全然気がつかない。
顔がかぁっと赤くなる友実。なのに杏梨は全然察しはしない。しばしの間、沈黙が続いたが、友実は気を取り直して、「あははっ」と微笑んだ。
「何かさ~、いくらからかってても、やっぱ友達じゃん? 何か気に食わないって顔してたように思えてたからさ、杏梨が。スカッとする展開を出してやったのよ」
「やった、スカッとしたよ、ありがとう!」
全く察せず、しかも口から出まかせを信じ込む杏梨。流石の馬鹿らしさに、香帆も友実も、呆れてしまう。
「はぁ、……杏梨らしいね~」
「同志ですね香帆さん」
呆れた、と言う顔をした二人に、杏梨はまた首を捻る。
(何? 何でそんな二人とも、私のことを「残念だけど明日には死ぬのね、杏梨は」って顔して見つめてるの? え? 鈍感なだけ? 血行が良かったんじゃないの? 友実ちゃん)
てっきり頬が赤いのは、血行が良いからだと思った。そんな馬鹿らしい考えをしていた杏梨には、友実の中に密かに眠る恋心に気付いてはいなかった。
◆◇
「ねぇ、さっきのあれ何だったの?」
「あれって?」
杏梨は電車の中で、香帆に尋ねた。吊り革を掴みながらスマホを操作していた香帆は、眉をひそめる。
「あれって、ほら、友実ちゃんが来たときに、杏梨らしいねって言ってたじゃん」
「あぁ、あれね……」
香帆は一瞬戸惑い、「うーん」と首を捻り、それからスマホ画面をじっと見つめ、髪をわしわしと掻いた。
その動作に、杏梨はムッとした。
(何それ。焦らしてる?)
「な、何してんの? そんなに隠したいことなの? それとも私が馬鹿なだけ?」
「うん、多分杏梨が馬鹿なだけだよ。普通の人は気付くよ、大体」
香帆はその動作をやめ、けろっとした雰囲気で言い放つ。
「え? マジ? ちょっと、教えてよ、教えてよ」
「あーうるさいうるさい。分かったから、教えるから」
杏梨の攻撃に、香帆は耳を塞いで頷いた。
「うん、じゃあ、聞くけどさ」
「うん」
香帆は気を取り直したかのように言う。
「杏梨、友実ちゃんが東風谷を友達以上に感じているって、気付いてる?」
「……はっ?」
杏梨は叫んだ。途端に、電車にいた何人かの乗客が振り返る。
杏梨は、「すいません」と丁寧にお辞儀をした後、香帆に向き直って尚も尋ねる。
「マジで? え、え、え? 友実ちゃんが? 東風谷を?」
「そう、そう。もう、そうだって言ってるじゃん」
「え、でもだって、友実ちゃん、東風谷のこと散々いじっているのに……」
「そういうもんでしょ。男子は好きな女子にちょっかい掛けるじゃん? それと殆ど同じ状況なんだと思うよ」
杏梨の質問攻めに、香帆は冷静に答えていく。
「本当に、友実ちゃんは、東風谷が……?」
「好きなんじゃないの? だってそうじゃん。あんなに顔を赤くして、東風谷が馬鹿にされてたのずっと聞いてて、それで殴りこみに行ったんでしょ? 絶対そうじゃん」
(ってことは、香帆ちゃんも本人から直接聞いたわけじゃないんだ……)
「そうなんだね……まさか、友実ちゃんもなんだ……」
突然のライバル登場疑惑に、杏梨は動揺を隠しきれない。
空は、夕闇に染まろうとしていた。
そして杏梨は、一つの決心をした。
◆◇
「まさか、杏梨達が来るとは思わなかったわ~」
東風谷は、夜の病室でゆっくりと起き上がった。
窓から見えるのは、沢山の星と三日月。それと、沢山のビル群。それに囲まれて、ちょうど三日月が見える。
木々がそよそよと揺れる。今は秋、もうすぐ冬だというのに、風という風が吹かないのだ。なのに外は寒く、杏梨達は長袖だったのを覚えている。
「っていうか、来てくれたことに感謝だな……」
三日月を見ながら東風谷は微笑む。
綺麗な三日月だ。青白い月は、東風谷の病室を明るく照らしてくれる。
「……一井も来たんだよな、そう言えば」
東風谷は途端に目を曇らせる。自分を轢いて尚、堂々とした態度の一井昭喜が、なんとも気に食わなかったのだ。
実は杏梨と一井昭喜が言い合っていた時、既に東風谷は起きていた。ただひたすら眠り続け、耳とうっすら開けた目で状況を確認していたのだ。
一井昭喜は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、杏梨はうずくまり泣きだそうとしていた。そして友実が病室の扉を開け、一井を殴り……後は良く覚えていない。二人が泣き、一井は警察に連れて行かれた。
そこで初めて東風谷が起きていたことがナースだけに伝わり、今の出来ごとにショックを受けていないかなどを事情聴取された。
「杏梨だけにしてほしかったな」
欠伸をすると、東風谷は毛布をかぶり、眠りについた。
だが、次の瞬間、眠りに就こうと言う浅はかな考えを覆すような出来事が起きた。
「きゃあああっ!?」
ごんっという音と共に、女性の叫び声がする。
(今の声って、どっかで……)
東風谷は飛び起きて、病室のドアを開ける。今の叫び声は、どこかで聞いたことがある。明るくて優しげで、でもどこか切ない、そんな声。その声の主に、思い当たる節があった。
「杏梨……!」
東風谷は声に出して、廊下を駆ける。ナースが、「どうしたの風真君?」と驚いたような声で東風谷を呼んだが、東風谷は決して振り返ることはなかった。
他のナースも、「今の叫び声、何?」と密かに驚いていたが、東風谷はそれも気にしなかった。
本当は、一刻も早く走るのをやめたかった。多分どこかの骨が折れている。それに、車に轢かれて充分に走ることも出来ないはずだ。体中が今までにないぐらいの悲鳴を上げる。でも東風谷は、走るのをやめなかった。
ただ、友達の安否を知りたい。その一心で、東風谷は病院を走った。
曲がり角を曲がったとき。東風谷はお目当ての人物を見付けた。
「杏梨っ!」
杏梨が、倒れていた。
先ほどと同じ服装。だが、髪型が妙に違う。先ほどまではなかった編みこみが、杏梨の髪にある。おまけに手には、コンビニの袋が握られている。
杏梨の服は、ところどころが汚れている。白いセーターに、黒の点がいくつもついていた。
「杏梨っ、何がどうしたんだよ?」
東風谷が尋ねると杏梨は、微かに唇を動かした。
「……ぃ……東風谷……?」
「あぁ、東風谷だ、どうしたんだよ? 何で倒れて……っていうか、何でこんな時間に? もう夜だぞ?」
本当はまだ言いたいことが沢山あった。けれども今はそれが最重要の問題だった。
「今の叫び声は何だよ? 俺、超心配してたんだけど? めっちゃ痛いけどさ、でも頑張ったんだけど!?」
杏梨を見つめて叫ぶと、杏梨は「しろ……」と呟いた。
「は? しろ……? っ!?」
急に誰かが東風谷の病院服の襟を掴んだ。呼吸が苦しくなり思わずせき込むと、「静かにしやがれ!」と男性の声が聞こえた。誰かと聞く前に、東風谷は口をハンカチで塞がれた。
「杏梨っ」
東風谷が精一杯叫ぶと、杏梨も「東風谷っ」と叫び返した。やっと声が出たのか。そう尋ねる間もなく、東風谷は意識を失った。
甘い香りに何も言えず、ただ倒れこむ東風谷を、男は不敵な笑みで見下ろしていた。
その男の名を、一井昭喜という。




