(1)
天沢萌は中庭のベンチに腰掛けて、一人、ジャスミンティで喉を潤していた。
夏冬限定で、たまに一人になりたい時に来る場所である。丁度木陰になるその場所は如何に生徒達が嫌煙している真夏の真昼――太陽が頂点に上り詰めた炎天直下な環境にあろうと辛うじて心地よい空間を提供してくれた。恐らくこういった場は校内の方が豊富なのだろうが、萌は室内よりは外を好んだ。
現在は四時限目と五時限目の間の少しだけ長めの中休み。昼休みと呼ばれる時間帯である。
仲の良いクラスメート達は皆それぞれ思い思いの場所で過ごしていた。普段萌と行動を共にしている女生徒二人は未だクラスで弁当をつついている。
尤も、萌は団体行動から外れない範囲で、大概一人で行動する性質だった。人の後を付いていくとか、人と一緒でないと不安になるといった類の人間には属していない。彼女と仲の良い女生徒の一人がそういった性格をしていて、萌は常々、女の子らしいなとほんの少しのコンプレックスを抱くのだった。
そんな天沢萌が常に動向を気にかけている人物といえば、ただ一人。黒髪の一番付き合いの長い――
「萌ちゃん」
と、低めの、どこか色気を含んだ声が自分を呼んだ。
ペットボトルを口につけたまま振り向いて姿を探すと、強い日差しの中を爽やかな笑みを浮かべてこちらに歩み寄る男子生徒の姿がすぐに見つかった。
「探した。こんな所に居たのか」
その人物は大きな身体を窮屈そうに折り曲げて萌の隣に腰掛ける。
そう言う割りにこの人物はこの暑い中、汗一つかいていない。手にしていた牛乳パックにストローを指すと一口飲み込んだ。
「修二君? 一人?」
ペットボトルを離した直後、不可解な物でも見たという表情で萌が声を上げると端整な顔がこちらを向く。
明るい鳶色の瞳が、かけられた言葉の真意を問いたげに萌を見た。
「いつもだったら修二君親衛隊の女の子達が囲んでいるから」
ああ、と目の前の一本の大きな木を見上げる修二。
「リンがお相手を引き受けてくれたよ」
「輪花ちゃんが? それって――」
「喧嘩をふっかけた、と言った方が早いかな」
「やっぱり。……放っておいても大丈夫なの?」
「仲裁に入ろうとしたんだが、リンの方が俺を追い払ってくれたからな」
「あー……」
あまり修二君に見られたくないんだろうな。萌は日頃の輪花の行動から、らしい理由をピックアップして納得する。
萌の考えている事が判ったのか、苦笑を浮かべながら修二は再び木陰を仰いだ。と、僅かな風が、修二の柔らかな毛質の髪を揺らした。
飯沼修二は、それほどに口数の多い男ではない。
数週間前にクラスメートとなった彼の双子の妹である飯沼輪花とは比べるまでもなく愛想は極上、それにどうやら人好きな修二は他人を邪険に扱うといった行動は決してとらない。いつ何時、誰に話しかけられても爽やかな笑顔を返す、根っからの紳士だった。
だから一ヶ月と少し前。そんな男から「付き合ってほしい」と持ちかけられた時は驚いた。一緒に居る時、修二は自分にそんな素振りを見せなかったし、そもそもこの男が特定の相手と男女関係を築こうとする事はないと思っていたから。
勿論、自分も、容姿端麗な修二を「よくできてるなー」と眺めこそすれ、その類の感情を抱いた事は一度だってない。
しかし、突然の言葉に面食らいながらも謝罪の言葉を告げようと口を開いた時、形容しがたいなにかが萌の言葉を寸止めた。なにか――自分の奥深くで、警報が鳴った、とでも言おうか。気が付いたら修二の言葉に頷いていた自分が居た。
そんなこんなで、修二とは現在「彼氏彼女」と呼ばれる間柄である。
が、二人の関係性はそうなる以前と、さほど変わり無い。
修二の態度は変化せず、加えて自分の心境が変わったかと言えばそうでもなく。
公表していない為、親衛隊の女生徒達は変わらず修二に付き纏っているし。状況を把握している輪花は、そうなる以前から常時ツンケンしている。
恋人が出来るってこんな感じなんだろうか。いつも一緒に居る女生徒達が持ってくる雑誌に書いてあるような日常の変化は少しも感じられなかった。
冷めてるのかなぁ。わたし。
そこまで考えてから、あぁ、それでもやはり、と萌は思い直した。
確かに、変化はある。
修二と付き合う事になってから、ある人物と過ごす時間が極端に減った。
「修二君、屋上には顔出さないの?」
声をかけると、鳶色の瞳は風に揺れる葉を眺めたままどこか寂しげな表情を見せる。
「最近さらに輪をかけて愛想なしでね。リンに追い払われてから足を運んだんだが――」
「やっぱり。様子見に行ってたんだ」
「あぁ。だけど哀しいかな、そこでも追い払われてしまった」
溜息混じりに言うと修二は大袈裟に肩を落としてみせた。
飯沼修二は彼を溺愛している。
確かに、修二はみんなに愛想がいい。だが、彼に対する修二の態度は誰の目から見ても格別だった。
必要以上に構いたがるというか。面倒を見たがるというか。一緒に居たがる――というよりかは、気にかけているというか。
時には悪質な冗談まで口にして彼をからかっている。
それまで穏やかで大人っぽいイメージしか持たなかった修二の奇行には、親衛隊のみなさんは愚か、一緒にいる時間の多い萌ですら目を剥く程の意外性があった。
夜。彼と顔を合わせた時に疑問を口にしてみると、なんでも、そうなる直前に屋上で一悶着あったとかなかったとか。
「んもー。人のいい修二君を哀しませるなんて、何考えてるのあいつ」
萌は彼らの関係を『おじいちゃんと孫』と称している。
妙な解釈を抱く者も少なくは無いのだが、萌の目からすれば修二の様子は「初孫相手にデレデレになっているおじいちゃん」のソレだ。
立ち上がり怒りに拳を振るわせると、突発的に吹いた風で木々がざわめく中、修二が一言口にした。
「萌ちゃんの事を気にかけているんだよ」
「え?」
「いや」
振り返ると、いつの間にか修二は極上の笑みを浮かべて萌を見ていた。
そんな顔するから親衛隊のみんなが気に病むんだよー。
思わず警告したくなったが、思い止まった。
ただそこに立っているだけで、これだけ女の子達――だけでは決してない、彼女達をひっくるめた周囲を騒がせておきながら修二には、容姿端麗であるという自覚は驚く程に薄い。
公表していないにも関わらず最近は比較的一緒に居る時間が長い事から、親縁隊の目はどこか萌に冷たかった。
それは構わないのだが、彼女達が少し可哀想な気がして、萌は学校に居る時、修二と二人きりになる事を極力避けていた。
それでなくても萌は、お兄ちゃん子な輪花を必要以上に哀しませたくないと思っている。
それが、彼女達の関係がいまいち進展しない理由の一つでもあった。
「とにかく、わたし、一言物申してくる」
「あまり強く言わないでやってくれ。あぁ見えても、結構ナイーブな奴だから」
「ないーぶ?」
修二の一言に萌の笑いのツボが刺激される。
あいつがナイーブ?
あまりにも似合わない単語に萌は声をあげて笑った。
あぁ、でも言われてみれば確かに。
人の言動に対して、必要以上に一人で考え込む所があるかもしれないな。
幼馴染みで付き合いの長い自分ですら気づかないような所を見抜く修二を萌は密かに尊敬していた。
うん。ナイーブかも。
「修二君は?」
「もう少しここに居るよ」
「そう、じゃあ、後で教室でね。改心させて、引きずってくるから」
「楽しみにしてるよ」
修二は萌の小さな後姿にひらひらと手を振った。




