(2)
階段の踊り場で、萌はいかにも不機嫌そうな輪花に出くわした。
修二と二卵性の双子であるという彼女は、成る程、はっとするような美人だ。
大きな瞳にすっと通った鼻。形の良い顎。それらがまるで精密に造られた人形のように整っている。そんな小さな顔に、すらっと伸びた白く長い足。スタイルまで極上ときた。
しかし何故か、本来なら修二と同じ、白人のそれに近い色をした長い髪を真っ黒に染め、黒のカラーコンタクトまで装用している。その為容姿のみで修二との関係性に気づく者は少ない。苗字を知って「もしかして」と感づく者がほとんどだ。
背の高い輪花は、背の低い萌の前に立つと見下すように彼女を見下ろして、
「天沢さん、もしかして修ちゃん知らない?」
開口一番。不機嫌要素の一つを口にした。
「修二君なら、中庭に居たよ」
輪花の高圧的な態度に、さして気に留める事もなく萌は中庭のある方向を指差した。
「そう。ありがとう」
優雅にスカートを翻すとすっと流れる長いツインテール。たんたんと響く足音に振り返った萌の目に留まったのは颯爽と歩く後姿だった。彼女の足音を耳に美少女だなぁなどと感心しながら階段を上がりかけて、ふと、萌は先程の修二の言葉を思い出した。
「輪花ちゃん、大丈夫だったの?」
「? なんのことよ?」
手すりまで駆け寄った萌を見上げる強い双黒。辛うじて輪花の姿は萌の位置から見える場所にあった。
「修二君から聞いたの。その、親衛隊のみんなと……」
「ああ。それが?」
「え? えっとだから……大丈夫、だったのかなぁって」
「? 何ド勘違いしているのかしらないけれど、アタシはただ、彼女達にお引取り願ったただけよ? 勘の悪い貴女方には判らないかもしれませんけど修ちゃんはあぁ見えて大変迷惑に思っています。ですので、これ以上イメージダウンしたくないのであれば速やかに退散なさった方が身のためかと思いますが如何でしょう――って」
「………………」
想像通りだった。
「そういえば……今思えば彼女達も何かド勘違いしていた様だったけれど。でもまぁ、二、三言口にしただけでアタシの言い分を理解してくれたみたいであっさり出て行ってくれたし、結果オーライでしょう。どの子もその子も頭の回転が悪そうな印象を受けたからもう少し時間がかかるかと思っていたのだけれど」
修二はああ言っていたが、例え相手の中に上級生が居ようと数が多かろうと、喧嘩に成るはずがないのだ。
輪花の品の良さ。慇懃無礼にも感じられる丁寧口調。圧倒的なまでの容姿。そして、早口で繰り出される言葉の連打に応戦できる者はそういないだろう。付け加えて彼女は自身の攻撃的な口調と威圧感を醸し出す態度にまるで自覚が無く、加えて飯沼修二以外の人物の抱く感情にはまるで興味が無い。
彼女がこの学校――白羽高校に転校してきて早2週間。修二と同等の美を誇りながら、何故彼女の親衛隊が結成されないのか。その理由の一つだった。
ちなみにもう一つの理由は、彼女が超がつく程のお兄ちゃん子だという……恐らく、そちらの方がウェイトを占めているのだろうか。
「輪花ちゃん……もう少しオブラートに包んだ方がいいんじゃないかな……」
「? 理解力の乏しそうな彼女達の頭にもすぐに浸透するように、なるべく言葉を噛み砕いて発言するよう心がけたのだけれど……判りにくかったかしら」
ともすれば四面楚歌な環境を自ら生み出してしまいかねない輪花を影ながらフォローしているのは修二である。
修二の妹である事と、「悪気はないから」という言葉を大半の女子が聞き入れてしまうのだから美男の力は恐ろしい。
まぁ、輪花ちゃんにしてみれば、修二君の事を思っての行動なんだろうけどな……。
苦笑しつつなんでもないよと口にすると、輪花は首を捻ったまま、修二を教室へ迎え入れるべく階下へと降りていった。
天沢萌は飯沼修二の彼女である。
飯沼輪花にとっては天敵と呼ぶに相応しい立場に居た。
修二の彼女――決して許していい存在ではない。
転校してすぐに、彼女は天沢萌に詰め寄った。
が、彼女は輪花の理解を超える程あっけらかんとした人物で、
「これからはクラスメートだね、よろしく!」
憎悪、嫉妬、羨望、それら負の感情を弾き飛ばしてしまう程の満面の笑顔で自分を見上げて握手を求めてきた。
それから早、数週間。
結局、輪花には、修二と萌の関係を破局へ追い込む事が出来ないでいた。
しかも、心のどこかで萌の存在を認めつつある自分もいる。
「………………変な人よね」
どうにも彼女は調子が狂う。
幾らこちらが攻撃的に出ようと嫌味を口にしようと全く効果が無い。どころか、輪花がどんなに嫌な人間であろうしてもそれを嘲笑うように――とは言い過ぎか。それを上回る程の笑顔と好意で接してこようとする。いっそあっちも嫌ってくれた方がやりやすいのに、なんて輪花は思ってしまう。
短く切った栗色の髪。寝癖なのか時々毛先が跳ねてしまっているのもご愛嬌。大きな瞳と小さな身体は忙しなく動いてどこか小動物を思わせる。
成績も優秀。運動神経も良い。加えて生徒会に所属している彼女に悪い噂はほとんど存在しない。修二の彼女であるという事実を踏まえてもだ。
公表していなくても、親衛隊もそう馬鹿ではない。輪花曰く、頭の巡りの悪そうな彼女達を敵に廻しているはずの天沢萌は、しかしどういう訳かその存在を暗黙されているようだった。
ただ単純に、本当に非の打ち所がないのかもしれない。
調べれば調べる程、知れば知る程に天沢萌は、清く正しく明るく可愛らしい。それこそ少女漫画の主人公のような――絵に描いたような『良い子』だった。
当初輪花の頭の中には、天沢萌という存在は『胡散臭い人物』とインプットされていた。マイナスイメージがまるで無い彼女に、隙の無い人物という印象を抱いたからだ。
が、くるくるとよく動く表情。決して嫌味なく控えめに元気な彼女は確かに、集団の中にいて良きムードメーカーだった。それは悪意を持って接している自分の傍に居ても決して揺るがなかった。
ムードメーカーとは、単に雰囲気を盛り上げるだけでは決してなく、場に居る人の感情をも和ませてしまう力を持つ。誰にでも勤まる訳ではない事は輪花にだって解っている。
その点で言えば彼女は最強だった。自覚も無く、排除しようと意気込んでいた輪花の高ぶる負のオーラをも浄化してしまうのである。なんでもないことのように。
自分には敵わないなと、思ってしまった。
「そういうところが。修ちゃんも気に入ったのかしら……」
修二の事は好きだ。
好きというか……この感情はそれ以上のものだった。気がついたら、決して大袈裟ではなく実の兄は自分の総てとなっていた。
理由なんて、もう彼女には判らないし、どうでもいい事。この事実と現状だけが彼女を突き動かしている。
だから、小学校も途中から、いきなり自分だけ全寮制の学園に入れられた時は途方にくれた。
その時に思い知った。修二を取上げられたら、自分はもう機能しないかもしれない。
そんな修二が好きになった相手というのであれば、……自分が自分として生きていく為には許容するしかないのだろうか。
――いや。
例え、天沢萌が居ても居なくても、関係ない。
だって、何も変わらないじゃないか。
「修ちゃん!」
変えようがない。
自分が、修二を好きだという事実は。
中庭の木陰のベンチで、目の前の大木を見上げている修二の姿を捉えた、ただそれだけで輪花の心臓は高鳴った。修二と目が合うと訳もなく気分が高揚した。修二が笑いかけると、隠すことなく歓喜の意を顔中に示したまま、軽い足取りで輪花は修二に駆け寄る。
最近の輪花は、そんな風に考えるようになっていた。




