後編
今日もミダスは祝福の実験のために、照りつける太陽の下、宮殿の庭へと足を運んでいた。
じりじりと肌を焼く乾いた空気の中、ミダスは使用人たちに命じて、近くのサバリオス川から運ばせ、庭の隅に低く積み上げさせた川砂の山を見つめる。
意を決したように両手をその山へ深く突き入れると、灰色がかったくすんだ砂粒たちが、波紋が広がるようにみるみる色を変えてゆく。
「見よ大臣、石は失敗したが、砂なら問題無かったようだぞ。見事な黄金色だ!」
ミダスは金色の砂だらけの手を天に掲げ、子供のように顔を輝かせた。
傍らに控えていた大臣は、やれやれといった面持ちで砂の山へ近づき、その一部をつまみ上げて慎重に爪先で弄った。
きらきらと光る粒を太陽にかざす大臣の目は、少しも踊っていない。
「これは、軽い…薄く剥がれる。遠い地で猫の金と呼ばれる鉱物、すなわち黄雲母ですな。よく山師が金が出たと持ち込む鉱物のうち少なくない割合で、黄鉄鉱かこの黄雲母が運び込まれますな」
大臣はため息混じりに指先をこすり合わせた。
「ハズレ枠か」
ミダスはがっくりと肩を落とし、せっかく集めた砂の山を力なく蹴りつけた。
大臣は手の中の雲母をパリパリと砕き、風に散らしながら声をかける。
「焼き物の釉薬にでも混ぜさせましょう。キラキラと輝く物ができるやも知れません。試作させてみましょう」
ミダスはふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
この雲母を混ぜた、まるで満天の星空を写し取ったかのような美しい陶器が、後に他国との交易でどれほど高価に取り引きされるかという未来の可能性を、この時の高慢な王はさっぱり考えていなかった。
数日後の午後、宮殿の謁見の間に職人たちが持ち込んだ陶器とさわやかな香油の匂いが満ちていた。
ミダスは豪奢な玉座に腰掛けていたが、その顔には珍しく最初からがっかりした表情が浮かんでおり、片頬を手で支えて退屈そうにため息をついている。
「陶器皿で試したが……金よりずっと軽い。色も薄い。どうせ外れであろう?」
ミダスは手元にあった、金属のきらめきを宿した皿をぞんざいに床へと放り投げた。
皿は冷たい石床の上をけたたましい金属音を立てて転がり、大臣の足元でピタリと止まる。
大臣はそれを素早く拾い上げ、じっくりと光に透かし、指の腹で表面をなぞりながら、次第に額にじっとりと脂汗を流し始めた。
その目が驚愕に大きく見開かれる。
「これは分からない……いや、見た事がありますぞ。はるか南のインダスでは、銅と特別な白き鉱石を壷に込め、高温で焙焼する事でこの薄い金色の金属、真鍮を作るとか。他国の秘伝を引き当てるとは大当たりですな」
大臣は興奮のあまり声を震わせ、皿を握る手にぐっと力を込めた。白き鉱石は後世で亜鉛と呼ばれる金属である。
拗ねたように玉座の背もたれにもたれかかっていたミダスは、その言葉を聞くや否やバネが弾けたように跳ね起きた。
「なんと!さすが余だ。これぞ神の祝福!」
ミダスは満面の笑みを浮かべ、大臣の持つ皿を奪い取ろうと勢いよく駆け寄った。
しかし、歓喜のあまり足元への注意を完全に怠り、自らの華麗な衣装の裾を思いきり踏み付けて、乾いた床の上へ盛大に五体投地する形で転倒した。
鈍い音が響き渡り、ミダスは痛みに顔を歪めてうめき声を上げる。
なお、この奇跡はたまたま偶然が重なって成功しただけで、ミダスが三日三晩いくら他の陶器を触っても真鍮が顕現したのは、後にも先にもその一度切りだったという。
ミダスは数枚の貨幣を手にじゃらじゃらと鳴らしながら、先日ぶつけた膝の痛みもすっかり忘れた様子で、謁見の間を小躍りして回っていた。
その顔には、これまでにない確信に満ちた笑みが浮かんでいる。
「ふふふ、思った通りだ。元から価値のある青銅貨に触れれば、この通り金貨に!」
ミダスが勝ち誇ったように投げ渡した貨幣を、大臣は慌てて両手で受け止めた。
窓から差し込むアナトリアの強い日差しを浴びて、貨幣はわずかに緑がかった黄金色の輝きを放っている。
手のひらに乗るその手触りも重みも、確かに本物の金のそれであった。
「おお、ついに!やりましたな。...…おや?少々お待ちください」
歓喜に沸きかけた大臣だったが、指先で貨幣の縁をなぞるうちにわずかな違和感を覚え、眉をひそめた。
そして何を思ったか、貨幣を口元へ運び、奥歯で思いきり噛みしめた。
カチリと硬い音が響き、大臣が離した貨幣の表面には、ほんの少しだけ凹みができている。
だが、その傷ついた部分からも、変わらず金色がかった素地が見えていた。
「なぜ金貨を噛む?」
わけがわからないというように首を傾げ、目を丸くするミダスに対し、大臣は噛みしめた奥歯をさすりながら、深いため息と共に答えた。
「これは、鍍金ですな。表面に薄い金箔をニカワで貼り付けただけのものです。一瞬本物かと騙されましたが、中まで金というわけではありません。表面だけ本物で中身がほとんど伴わない、まるで王の黄金能力のようです」
大臣の冷ややかな視線が突き刺さり、ミダスの誇らしげだった胸はみるみるうちにしぼんでいった。
「そう責めてくれるな。余も頑張ってはいるのだ」
ミダスは力なく呟き、きらびやかで中身の伴わない貨幣を見つめながら、大臣と共に深く項垂れた。
その後何度試しても、変わるのは金色をした価値のあやしいものばかり。度重なる失敗とあまりにもうまくいかない現実への苛立ちを抱え、ミダスはついに我慢の限界を迎えて宮殿を飛び出した。
乾いた風が吹きすさぶ平原へと遮二無二走る王の背中を、大臣が息を切らせて追いかける。
「お待ちください陛下、護衛もつけずに危ないですぞ!近隣のキメリア人がいつ現れるかも分かりませぬ!」
「うるさい、このように無能な王など、いずれ民からも見放され、追放されるのが関の山だ!」
ミダスは叫び、嘆きのあまり乾燥してひび割れた大地に膝を折った。
悔しさと情けなさに突き動かされるまま、両の拳で大地を激しく叩きつける。
その振動で乾燥し灰がかった土が、黄土となってふわりと舞い散り、王の拳が触れた場所から、瑞々しかった草原が波打つように金色へと染まってゆく。
ミダスはただその光景を、ぽろぽろと涙を流しながら見つめていた。
「草原が一面金色に染まったところで、家畜も食えん。何ら意味はなかろうよ...…」
途方に暮れ、涙で視界を滲ませるミダスのもとへ、ようやく大臣が激しく肩を上下させながら追いついた。
だが、大臣は泣き崩れるミダスを無視してそのまま通り過ぎると、黄金色に染まった草の前に身をかがめ、激しく震える手でその一本に触れた。
「ついにお前まで慰める気すら無くし、余を見捨てたか...…」
ミダスが孤独に打ちひしがれ、さらに涙をこぼした瞬間、その涙が吸い込まれた黄色の大地と金色の草原が、にわかにざわめきを増した。
「これは!やりましたな、最大の当たりですぞ!王、近くでご覧なさい!」
大臣の裏返った声に弾かれ、ミダスはよろよろと立ち上がった。
まだ涙の残るぼやけた目をこすりながら、促されるままに地を這う草のひとふさを力強く掴み取る。
その手に残る感触は、硬い金属の冷たさではなく、確かな生命の重みだった。
「これは…たわわに実った麦の穂か!食こそ国の宝にして命、これこそ食えもせん黄金に勝る本物の価値よ」
ミダスの指先から次々と、乾いた平原が黄金色の豊かな麦畑へと変貌していく。
一粒一粒が丸々と太った麦の穂が、西風に吹かれて本物の黄金の海のように美しく揺れていた。
「ええ、そうですとも。そういえば、我らに祝福をくださったディオニュソス神は、ブドウ酒だけでなく豊穣をも司る神でもありましたな。さて陛下、この祝福が続く限り各地を巡り、飢えの無い喜び溢れる黄金の国を作りましょうぞ」
大臣の言葉に、ミダスの胸の奥から熱い塊が突き上げてきた。
宮殿に戻ったミダスは、薄暗い宝物庫に飾られた冷たい財宝などには目もくれず、これから始まる新たな遠征に胸をわくわくさせながら、自らの手で旅支度を始めるのだった。
ミダス要望:Gold(黄金)
ディオニュソス納品:Golden(金色)




