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ミダスの偽金  作者: 大臣
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前編

紀元前8世紀末、プリュギア。

アナトリア高原の乾いた風が宮殿の天蓋を揺らし、遠くからは家畜の鳴き声と、新興国家としての活気に満ちた市場の喧騒が聞こえてくる。

ディオニュソスの養父シーレーノスを助けたミダスは、礼をしたいから何でも申せというディオニュソスを前に、その顔を強欲に歪めた。

口元はだらしなく緩み、目はきらきらと輝いている。


「さすがは名高い豊穣とブドウ酒の神、その寛大さには驚きを禁じえません。さあさあ、もう一杯ワインをどうぞ」


ミダスは青銅製の豪奢な杯に、なみなみと甘い極上のブドウ酒を注ぎ足した。


「そうであろう!お主、人間にしてはなかなかわかっているではないか。私はあのケチくさいゼウスとは違うのだ」


ディオニュソスはろれつの回らない声で笑い、髭にワインを滴らせながら杯を煽った。


「例えばですよ、余が触れたものを黄金に変えることができれば、ディオニュソス様の神殿を金色に飾り立て、その威光をあまねく知らしめることができましょう」


ミダスは揉み手をしながら、神の顔色を窺うように身を乗り出した。


「ふははは、わかっているではないか。良かろう、ミダス王よ、其方の触れるもの全てをゴールデンにしてやろう!」


ディオニュソスは赤ら顔でふらふらしながらミダスの手を取ると祝福を与え、シーレーノスを連れて足元をふらつかせながらどこかへと去って行った。


ミダスは神の背中を見送ると、すぐさま顎をしゃくり、控えていた大臣を呼びつけて祝福を試すことにした。

広間の冷たい石床をそわそわと歩き回り、腰の鞘に手をかける。


「早速この鉄剣を黄金に変えてみよう。どうせ儀礼用で戦場で使うわけではないのだ。派手な方が良かろう」


ミダスは腰に下げた宝剣をすらりと抜き去る。

かつてこの地を支配したヒッタイトが滅亡して何世代かが経ち、東方のアッシリアや近隣の諸国へ鉄の製法は拡散されていたが、高度な鍛造技術による鉄はまだまだ貴重品で、王家の威信を示すために作らせた鉄剣だった。

鈍い銀色に光る刃にミダスが指先を触れると、じわじわと根元から怪しい金色に変わってゆく。

ミダスは鼻の穴を膨らませ、満足げな笑みを浮かべた。


しかし、剣が完全に金色に染まり切った後、大臣が首を傾げながら歩み寄ってきた。

その顔には驚きよりも、どこか冷ややかな疑惑の色が浮かんでいる。


「王よ、そちらの剣をお見せください。ああ、うっかり私に触れないよう。金色の像にはなりたくないですからな。後で王専用の手袋でも作らせましょう」


大臣は用心深く剣の柄を布越しにつまみ、受け取った。

そのまま腕を上下させて重さを確かめ、爪先で軽く叩き音を聞くと、鼻先に近づけてくんくんと香りを嗅ぐ。

次の瞬間、大臣の顔がひきつった。


「これは…黄鉄鉱、すなわち愚者の金ですな。硫黄が大量に含まれているため、大変脆い。ほらこの通り…」


大臣が呆れたように肩をすくめ、剣で軽く石床を叩く。

びきりという軽い音と共に石床に小さく火花を散らして、剣は実にあっけなくぱっきり折れ、さらに折れた破片が床でガラスのように粉々に割れた。

静かな広間に脆いガラスが割れたような音が響く。


「ぬおおお!我が剣が砕けた!」


ミダスは頭を抱え、ひっくり返った声を上げてその場にへたり込んだ。

その目は信じられないものを見たかのように見開かれている。


「全く使い物になりませんな。神の祝福というよりは、質の悪い悪戯です」


がっくりと膝をつくミダスを見下ろし、大臣は額を押さえて深くため息をついた。

これでは宮殿の家具を輝かせるどころか、貴重な鉄の全てが使い物にならないゴミに変わってしまう。

窓の外からは、乾いた風がただ虚しく吹き込んできた。



しかし、ミダスは諦めが悪かった。

夕暮れ時の赤茶けた光が宮殿の庭を染める中、ミダスは這いつくばるようにして足元の拳大の石を拾い上げた。

執念深く何度も何度もその石を撫でくりまわすと、ごつごつとした岩肌がじわじわと不気味な輝きを帯び、金色へと変化していく。


「失敗しても良い庭の石で試すぞ。……今度こそ黄金だろう?」


ミダスは引きつった笑みを浮かべながら、上ずった声で言った。

流石に貴重な、そして最先端の技術の象徴であった鉄剣を駄目にしてしまった件は、ミダスを少しだけ慎重にさせていた。

じっと見守っていた大臣は、眉間に深い皺を刻みながらその石を受け取る。

手のひらで何度も上下させて重さを確かめ、西日のかすかな光にかざし、最後には懐から取り出した青銅貨の縁でガリガリと表面を引っ掻いた。


「黄銅鉱。先程よりはマシですが、精錬には大量の薪が必要です。我が国のエルガニ鉱山で採れる銅の方がマシですな」


大臣は吐き捨てるように言い、石を庭の隅へと放り投げた。

プリュギアは古来から豊かな銅の一大産地として近隣諸国にその名を知られている。

わざわざ貴重な木々を切り倒して大量の薪を消費し、精錬の難しい不純物だらけの黄銅鉱から銅を取り出すなど、国家の財政にとってはむしろ大赤字であった。


「またしてもハズレか。余が庭石全てを黄銅鉱にしたところで、鉱山からもたらされる安い銅に及びもせん」


ミダスはがっくりと肩を落とし、乾いた土の上にしょんぼりと項垂れた。

夕風が宮殿のオリーブの葉を揺らし、その虚しい擦れ合いの音だけが庭に響いていた。



夕食時、食堂には香ばしい羊肉のローストとスパイスの香りが漂っていた。

だが、昼間の失態が頭から離れないミダスは心ここにあらずで、召使いが差し出した手袋をつけ忘れ、うっかり卓上の木の杯に指を触れてしまった。

指先が触れた瞬間、温かみのある木肌が生き物のように蠢き、みるみるうちに鈍い金色へと変わってゆく。


「これならどうだ、木の杯が黄金色に輝いたぞ」


ミダスは座席から跳び起き、目を血走らせて杯を突き出した。

近くに控えていた大臣は、すぐにその杯をひったくるように受け取ると、質感を入念に確かめ、呆れたような、しかし少しだけ感心したような複雑な顔でミダスへと杯を返した。


「この重さ、色、これは青銅ですな。我が国はタウロス山脈のケステル鉱山が枯渇してからというもの、青銅に不可欠な錫は東方からの輸入に頼り切っていましたが…小当たりです。この杯も、時間が経てば青銅特有の青緑色になることでしょうな」


喜び勇んだミダスは、大臣の後半の不吉な言葉など耳に入らない様子で、杯を高らかに掲げた。

ただの木切れが青銅になるのであれば、他国へ支払う高価な錫の輸入を劇的に減らすことができ、プリュギアの軍備はさらに強固なものとなる。

これこそ王の力だと確信した。


「よし、やったぞ。ようやく使える物が出た。早速この杯のブドウ酒を祝杯に……ゲフッゲフッ、土の味がする!」


ミダスは勢いよく杯に口をつけ、中身を喉に流し込んだ瞬間、猛烈にむせ返った。

顔を真っ赤にして床にブドウ酒をぶちまけ、舌を何度も袖で拭う。


「黄土ですな。黄金に似た泥水に変化したようです」


贅沢な絨毯の上でのたうち回り、泥を吐き出しながら涙目になっているミダスを見下ろし、大臣は至極冷淡にそう告げた。

王の触れた器は青銅になったが、その中身の極上のワインまでもが、ただの黄色い泥水へと成り果てていた。



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