第一話 夏の花
何十年と綾音様こと今瀬綾音、私の恩師であり命の恩人、そして恋人として暮らして生きてきた。
先生、恋人になりませんか?!なんて言い放ったあの日が懐かしい。本当に自分がすごい。なかなか言えることではない。
そんな私は今や病に倒れて教職から退いた。
入院も経て家に戻り、最期の時を迎える準備をしている。
綾音様は毎日のように泣いてくれる。隠れて泣いてもバレているのに。そんなに声を震わせては、そんなに目を赤く泣き腫らしては。
私の愛しい人はどこまでも優しい人だ。出会ったあの日から、ずっと。
「おはよう、叶」
「おはようございます」
目が覚めると必ず隣で微笑んでくれる。それがなによりうれしい。生きる活力になる。
声を出すことも言葉を考えることもすっかり時間がかかるようになってしまった。
元気な頃に戻れたら、とも思う。それでも今が結局一番いい。いくら全身が痛もうと、苦しかろうと。
四六時中のように綾音様と居られるようになるとは思っていなかった。
病気になったおかげと言うのはあれだが、ありがたくもある。
「食べられるだけ食べて。無理はしなくていいから」
「ありがとう。いただきます」
ベッドから動くことも少なくなった。ほぼ布団の上だ。
学生の頃であればずっと布団に居たかった。何なら布団になりたかった。今は外に行きたくて仕方がない。
失って分かるものの大切さを痛感する毎日。
料理なんて、家事なんて、と言い訳を繰り広げていた綾音様も家事ができるようになった。実際はできるのだ。
やらないだけで本当はできる状態にもっていったのは綾音様のご両親のおかげでもある。
たまにお邪魔するたびに台所から悲鳴が聞こえてくるのがいつものことだった。本当に感謝しなければいけない。
私とずっと一緒のままだったらたまに教えてもつい甘やかしてしまって話にならなくなる。
ただ、綾音様の負担が増えてしまって申し訳ない。この体さえなければ。もっと体調がよくなってくれたら、どれほどいいか。
初めは悪戦苦闘しながら料理を作ってくれた大切な人。
最近は食べられるものも随分と減った。こうなってくると限界もすぐそこだと嫌でも認識しなければならない。
食べられるうちに色々作ってもらったけど、どれも美味しかった。私が作るよりも美味しい。
それは絶対にありえないとすごい剣幕で云われたけれど。もっと自分に自信を持てばいいものを。謙遜しすぎだ。
完全お手製のレシピを何十年も書き足してきてよかった。そうだ、こうなると困るから書き留めておいたんだ。
綾音様が一人になっても大丈夫なように。
実際は大丈夫のだの字もない。後追いされたら困る。というより間接的に私が殺したようなものになってしまう。それでは困るを通り越して大困惑だ。
そうならないためにも綾音様の元同僚、私も教えを乞うていた人である雪里凪に何百回とお願いをしてきた。
絶対に生かせ、と。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「お、完食か。今日はまだ元気そうだね」
頷いて、窓の向こうを見る。
本日も晴天なりと言わんばかりの青空が広がっていた。
「ほら、薬飲むんだよ」
手のひらに次々と薬が載せられていく。
こんなに飲みたくない。美味しいどころでもないものを。
昔はよく隠れて薬を買っては飲んではバレてはの繰り返しだった。今は飲みたくなくても飲まないといけない。
一日でも長く生きたい。そう思えるようになったのも親愛なる人のおかげ。
「外行きたいです」
食器を下げようとする背中に言葉を浴びせる。
振り向いた綾音様の表情には無理矢理つくった笑顔があった。
「いいよ、行こう。ただ無理はしないこと。分かってる?」
もちろんだと答え、ベッドから床へと足を下ろす。
夏の終わりはまだ当分先になりそうな外の世界。
来年も綾音様の好きな夏を生きたい。でもどうだろう。思っていたより余生は短いらしい。
一枚で着られるワンピースは楽だ。薄手のカーディガンを羽織り、背伸びをする。
傷だらけの身体は今も健在。病気になったおかげでまた傷が増えた。これも仕方のないことか。
「まだ暑いですね。セミは元気だな」
「流石に身にこたえるな。しんどくなる前に言ってね、後が大変になるんだから」
自力で歩けるうちは歩いておきたい。日傘を差してできるだけ日影を歩く。
要らないと言い張っても車椅子は同伴されてしまうのがデフォルト。
歩くスピードも随分と落ちた。本当に階段をダッシュして教室を移動していたのかと自分でも疑問に思う。
春の初めから今に至るまでの間に起こったことは流石の私もしんどかった。考えさせられた。これからの綾音様が心配で仕方がなかった。
親代わりになってくれた先生は、叱るところはちゃんと叱ってくれて。褒めるところは不器用ながらに褒めて伸ばしてくれた。
家事は……やっぱりもうちょっとやってもらうべきだったか。私が伸ばさないといけないものがあったらしい。
恋人になってくれた綾音様。私が養いたいくらいなのにそれはないと拒まれた。折半することで決着がついたのもいつのことやら。
教職に就いたのも今瀬先生の影響だ。一人前になるどころか失敗ばかりだったが。それでも楽しかった。大変でも幸せだった。
私に告白してくれる生徒まで現れたときは驚いた。
綾音様が居る以上、というより生徒となると断るしかなかった。果たしてあの子は元気だろうか。
私はこの有り様だ。あの子には元気で居てほしい限り。
「ひまわり綺麗に咲いてるじゃん。写真撮ってあげる」
いつも飽きずに写真を撮っているせいでアルバムも毎年のように増えていく。幸せが増えていくのは喜ばしい。
綾音様がひとりになっても、思い出があれば大丈夫だろう。
「一緒に撮りましょう」
「え、やだ」
写真を撮られたら魂が吸い取られるだのなんだの意味のない言葉を並べていく彼女様。
そんなことを言ったって私には通用しない。画角に収まった瞬間にシャッターを切った。
茹だるような暑さだというのに子どもたちは走り回って遊んでいる。なんとも微笑ましい光景に心は勝手に癒やされていく。
「私も走りたいなー」
木陰のベンチに腰を下ろし、隣に座っている綾音様に目を向ける。
深いため息を漏らし、ぴーちくぱーちくと説教を始められた。
「駄目です。走ったら余計にしんどくなるよ。自分の身体のことをちゃんと考えて」
「つまらないです。こんなにいい天気なのに」
木々からこぼれ落ちる光に手を伸ばす。
元気なうちに走り回っておけば、と呟かれた。
確かにそうだ。その通り。返す言葉も見つかりやしない。
生粋の運動音痴が走り回るはずもなかった。走ればずっこけるのがオチ。
俯いて拳を固く握りしめている姿を見るのも一度や二度ではない。もう何百回と見てきた気がする。
仕事中に倒れ、知らない天井が目に入ったのは倒れてから一週間以上が経ったときだった。
医者やら看護師やらがすっ飛んできたときは朦朧としてなにも考えられなかったけど。
綾音様に隠さなければ、と頭は全力で言い訳やらを考え始めたときには全然隣に居た。
そうだ、そういえばこの人は私が倒れたり体調を崩したときに必ずそばに居てくれた。
最初病状を説明されたときも、その後もずっと拳を握りしめていた人。それがなにを意味するのか。流石の私でも分かる。
でも綾音様じゃなくてよかった、と思う。私でよかった。大好きな綾音様が苦しむ姿なんて見たくない。
うとうとと微睡み、右肩にもたれる。
ぼやけだす視界に映る緑は鮮やかに風になびき、葉のざわめく音が心地よく感じられる。
忙しなさとは無縁の日々。これはこれでいい人生の締めくくりなのかもしれない。
「叶、そろそろ帰ろう。もう無理だよ、これ以上粘るのは」
頭の回転が次第に落ちていく。
帰り道は思った通り、自力では歩けなかった。
もう少しだけ、もう少しだけ。ほんの少しでいい。そんな願いも蝉の声に掻き消されていく。
一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うことが恋ならば。
それはまるで硝子でできた風鈴のように綺麗だと思う。
風鈴の音も、夜空に散っていく花々も。雨に濡れるあじさいも、日に照らされるひまわりも。
目が覚めると夏の夕暮れが広がっていた。
腕を無意味に天井へ伸ばし、振り下ろす。
外に行きたい、と何度でも思う。次はいつ行けるだろう。生きているうちに近場だけでも行っておきたい。
壁に寄りかかりながら寝室を抜け、リビングを通り過ぎる。
「どこ行くつもり?」
「ちょっとそこまで」
馬鹿かお前はと言わんばかりの目で見下げられ、連れ戻される。
いつもの下りだ。この人生は抜け出さないと成り立たない。
今までに何度こっそり飛び出しただろうか。学生時代はもちろん、大人になってからもよく勝手に外に出ていた。おかげで信用がない。
「じゃあ片付けでもしてきます」
「無理はしないように。そろそろご飯できるからね」
返事をして、自室に入る。
身体が動くうちに身辺整理でもしておかないとえらいことになる。
見られたくないものは山程あるし捨てるべきものもたくさんある。
後々困るのはうちの綾音様と巻き込まれる雪里先生こと雪里凪だからな、早めに片付け終わらなければ。
これでも随分ありとあらゆるものを捨てた。あと半年もないとなると急ピッチにせざるを得ない。
書類に今までの授業研究の紙の束。教科書を写したものたち。なぜか溜め込んでいた使い古しのボールペンまで。
本棚の本もそろそろ売りに出すなりしないといけない。お気に入りだけは最後までとっておくとして……。
アルバムも残しておくとして。
秘蔵の写真はどうするべきか。綾音様の前の家から見つかった一枚の写真。私がこっそり奪い取ったもの。
髪の長い時期があの人にもあっただなんて未だに信じられない。でもかわいくて頬が緩みきってしまう。
これは墓にでも入れてもらうかだな、と思うと背後に気配を感じた。
「早瀬ー、一体これはなんだ?久しぶりに見たな、それ」
見つかってしまった私の家宝。ただ取り上げようとはしない。気でも狂ったか、綾音様。
そういえばこれを拾ったときはまだ早瀬と呼ばれていたし先生と呼んでいた。
家くらい先生やめたいんだけど、と言われて呼び方を改めたのだ。
呼び方は色々考えた。人生で一番頭を悩ませたかもしれない。
今瀬様?名前呼びは流石に馴れ馴れしいか。あやちゃんとか。友達じゃないしな、って割と真剣に考えた。
綾音さん、と最初は呼んでみたりした。でもなにか違って。なんやかんやで綾音様が結局しっくりきた。
そんなときもあったな、と何度でも懐かしむ。
日常に刺激というものもなにもない。思い出をひたすら思い返すのが今の楽しみ。
案外お子様みたいな食べ物が好きだった綾音様。
名前呼び記念日、なんて言っていたあの日はお子様ランチを模したんだったな。
「先生のかわいい写真です。羨ましいですか、こんなかわいい人をもらったんですよ」
「羨ましいもなにもないよ。ご飯できたから」
食卓を囲み、真ん中に写真を置く。
「美味しいです、とても。明日は私が作ります、久しぶりに」
「そんな無理して大丈夫なの?今日だって外行ったし」
どんどん過保護になっていっている綾音様。
元々がかなりの過保護だといっても、エスカレートしているような。
仕方もない話だ。倒れるのはよろしくないし。
部屋中に大量のペットカメラを置かれたりGPSを仕込まれていたりの同棲生活。今更過保護だなんて思うのもおかしな話だ。
「大丈夫です。たまには作らせてください」
「叶のご飯を食べられるのはうれしいけど」
すっかり料理も一人前?の綾音様。これなら一人になっても家事は安心できる。
まあ、やるかやらないかの問題はまた別にあるけれど。
今日は普通の食事もちゃんと食べることができた。滅多にない幸せ。
子どもの頃は食べるものもなかった。野草だろうとなんだろうと食べたりもした。食べることができるというのはかけがえのない幸せそのもの。
綾音様の料理を、それも一人で作ったものを食べることができるようになるなんて。
これは病気になってよかったことランキング堂々たる一位に上り詰めるだろう。
「ほんとに上達しましたね、美味しかったです。さすが綾音様」
褒めたって何にも出ない、と笑われた。
笑ってくれた。泣いてばかりの、苦しんでばかりの綾音様が笑ってくれた。
私にとって一番の幸せは。やはり綾音様が笑っていてくれること、生きてくれていることだ。
どこまでも大切な人には、ずっと笑みを絶やさずにいてほしい。
どうしよう。私が居なくなったらこの人は一体どうなってしまうんだろう。
「髪の長い綾音様ってレアですよね。奪ってよかったな」
「そんな真面目に言うことじゃないでしょ」
棺にでも入れてくださいと言おうと思ったがやめた。
せっかくの和やかな空気がぶち壊されてしまう。
「これっていつくらいの写真ですか。ずっと聞きそびれてた。あれ、聞いたっけ?」
記憶力がどうも仕事をしない。年を取ったせいで。
「いつだったかな」
こめかみを抑えるポーズ!これは写真に収めておかなければ。
永遠に増えに増えていく写真。私はどうやら死ぬ気もないらしい。
当たり前だ、目の前にこんなに素敵な人が居るんだから。
「大学とかかなあ。多分だけど。いやもう伸ばさないからね」
どうせなら伸ばしてほしい。でも伸ばしてもらったところでその姿を見られるのか?ヅラでも被ってもらうか。
ろくでもないことを考えて美味しいご飯を食べて外にも行けて。今日は随分と欲張ってしまった。しあわせしあわせ。
朝起きたら治ってればいいのに。なんて、世界はそう甘くない。
「さ、お風呂入ろう。背中流すよ」
夏でも湯船に浸かるようになった。溺れないように、と監視付きだけど。
変態ですか?と茶化してみたりもした。否定はしなかった恋人。あなた変態だったんですか。
一緒に湯船に浸かりながら夜を過ごす。
入院中はそれこそ死の境目にまで陥った。よく生きているもんだ、人間というのはすごい。
今の生活になるまで時間はかかった。体力が激落ちたのもあるし、免疫がもう終わっているというのもある。
薬は飲んでもこれ以上の治療はしない。それが私の出した結論だ。
綾音様には泣かれたし叱られもした。死なないで、と繰り返し泣きついてきて。困って。
医者は口をつぐんでいた。
延命治療を私が望むはずもない。だからといって生きることを諦めたわけじゃない。現に生きたいと思っている。
「また日に焼けたんじゃないですか」
「そうかな。変わんないよ」
私のために仕事を休んでいる綾音様。そこまでしてくれなくてもいいと何度言っても聞き入れられなかった。
たまに顔を出したりはしているようだけど。日に焼けた肌を見ながら今瀬先生は今瀬先生で居てほしい、と思う。
この人の優しさを受け取るのが私だけではもったいない。
「ねえ綾音様。もし地球最後の日が来るなら、どうしますか?」
随分前にこんな話をした。感覚的には昨日のことのように思えるが、実際は一億年くらいは経っている。
嘘だ、流石に盛った。二十年くらいか。年月の流れというのは早い。
前に聞いたときは私と居る、と答えてくれた。
私も同じように答えた。綾音様と一緒に居る、と。
風呂場の天井を仰ぎながら、頭を悩ませている綾音様。そんなに難しいことを訊いただろうか。
「分かんない。叶と一緒に居たい。……それすら駄目なら、先に死んでやる」
反射的に顔を彼女に向けた。
困ったように眉を下げて、水面に視線を落とされてしまった。
そこまで言われてしまうとは思っていなかった。
私も過去に言った。一人のままだったら先に死ぬとでも答えると。
それでも綾音様に言われたくなかった。大切な人に、愛しい人に言われたいわけがなかった。
同じことを口にしてほしくなんてない。同じ苦しみなんて味わわせたくない。そんなの嫌だ。そんなの……。
同じ景色を見ることができるのは恋人同士の特権でもある。
それがひまわり畑のように、水を浴びた朝顔のように輝いているならもちろんいい。
暗い海底に沈んでいく、そんな景色を一緒に見たいわけがない。好きな人には綺麗なものを見ていてほしいんだ。
「困らせたか。悪いね、ほんと。叶はよく綾音様が居ないとって云ってくれるけどさ。私もそうなんだよ。叶が居ないと生きていけないんだ」
湯船にこぼれ落ちていく雨。
抱きしめることしかできなかった。
傘を差してもこの雨から逃れることはできない。日を差してあげることもできない。
ごめんね綾音様。私は本当に、約束を破ってしまうのかな。
「大切な人を置いて行くようなことはしません。約束です」
もう一度、いいや。何度でも何百回でも交わしてやる。約束は永遠だから。
「言ったな、叶。嘘ついたら腕立て伏せ百回な」
浴室に響き渡る笑い声。
本当に冗談じゃない可能性がある。雪里先生がやらされていた過去を私は今も覚えている。
まあいいか。嘘にならないようにしなければいい話だ。
髪を乾かし、ソファに寝転ぶ。
伸びをしながら仰ぐ天井。目線を横に向ければあの日の写真。ウェディングドレスを纏う私と綾音様と。
本当に夢のような話だ。
一人で、孤独に死ぬんだと思っていた私が今瀬先生に出会い、綾音様とともに人生を歩めるなんて。
神様は意地悪だと、よく綾音様は呟いているけども。そんなことはない。もう十分、叶えてくれた。叶えすぎてくれた。
だから今こうなっているんだ。最後の仕打ちか。
「パソコンとにらめっこして楽しいんですか。私としたらいいのに」
「湯冷めしないうちに寝なよ、叶。にらめっこしてもいいけどさ」
こっそりパソコンやらスマホやらの履歴を覗いたことがあった。
ずらーっと並ぶのは治療法、生存率、支え方……なにからなにまで。
一歩後退りするほどにはたじろいだ。そこまで心配というか思って考えていてくれるのもありがたい話。
そのありがたさを感じる前に思ってしまった。
どうせなら捨ててほしい、と。
罰当たりなことを思っているからこんな体になってしまうんだ。本当に馬鹿だ。どうしようもないくらいの馬鹿だ。
「にらめっこしてないのに笑ってますね」
「だってなんか面白いんだもん。なにも面白くないのに」
パソコンから私に視線を移した綾音様はなぜか満面の笑みどころかツボに入って爆笑し始めた。
生きている喜び。生きているからこその灯火。
ずっと笑っててほしいのに。
布団に入り、寝付くまで綾音様が隣で見守ってくれる。
まるで子どもに戻ったようだ。小さな子どもに。愛を求める子どものように。
「なんで一緒に居てくれるんですか、綾音様は」
頭を撫でられる感覚は落ち着く。こんな馬鹿げたことを訊いたことさえ後悔に変えていってしまう。
「ここまで一緒に居てそれとか。変わんないね、そこだけ」
豆電球の灯る寝室。
流れる空気は次第に重くなっていく。
無言が続く時間は何気に苦手だ。言い出した私が悪いけど。
額に手を置いたまままっすぐどこかを見ている大切な人。
また傷付けてどうする。最期もきっと傷付けてしまうのに。
「愛すってのはさ。そんな簡単にできることじゃないし、捨てることもできない。何のために指輪あげたと思ってる?誓いも祈りも込めた。なにがあっても、一緒に居るって」
なでなでタイムを再開しながらゆっくり言葉を選び、紡いでいく綾音様。
祈りの込められた指輪。
どうも婚約指輪で間違いなかったらしい十六の誕生日にもらったものと。
高校を卒業して、十八で結婚指輪をもらうというなんとも私たちらしい思い出。
祈り。綾音様らしいな。
誰よりも真面目でどこか抜けていて。決して完璧な人などではない姿を見せてくれた。完璧を求めてもなれなかった私に。
私だって見捨てることはない。なにがあっても。
だから本当に馬鹿なんだ、私は。愚か者だ。
こんなに素敵な人に惚れ込んで、突拍子もない告白をして。何故か受け入れられていて。一緒に暮らして、生きてきた。
それなのになんだ。なんで見捨ててほしいなんて思うんだろう。
「なにも悪くないよ、君は。自己犠牲は誰の幸せにもならない。それだけはいい加減分かって。自分なんて、って言わないで。いいんだよ。君は君のままで」
布団に潜り込んだ綾音様を抱きしめる。
鼓動が伝う。
あの日を思い出す。
「初めてあなたが家に来てくれたとき。普通に私の布団で寝るんですもん。私寝れなかったのに」
「それはごめんて。何も考えず行動してた。一緒に寝たらいいって思って」
冷房を遮断するように布団のなかで笑い合う。
大好きな先生が何故か自分の布団で寝ている、なんていう状況に放り込まれた少女は一睡もできなかった。
寝顔がかわいいだの寝息すら尊いだの思っていた。
今もそれは変わらない。先に寝落ちてしまった愛しい人。
そうか、そうだよな。あの頃の私と綾音様があっての今の私たち。
感謝をできるだけ伝えないといけない。涙の代わりに、苦しみの代わりに。
今だからこそ振り返られる。
愛を知らずに育ってきた私が初めて受け取ることができた大切なもの。
もちろん他の人たちにも、大人になってからよくされてきた。たくさんの出会いがあって別れがあった。
綾音様だけで成り立ってきた人生なわけじゃない。でも、綾音様だけに限定しておかないとどうにかなってしまいそうで。
ありがとう。それだけを今は思っていたい。




