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Last resort  作者: 蒼了一


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20/103

螺旋[1]

 かつて但馬国(兵庫県北部)を支配していた山名祐豊には、四天王と呼ばれる重臣達がいた。その一角を占める垣屋光成の一族には、ひときわ異彩を放つ男がいた——垣屋正綱。若き日、堺で鉄砲術を学び、わずかな知行ながら山名家鉄砲備の組頭を任された男だ。


 火薬の匂いを風に乗せながら、正綱は幾度も戦場を渡り歩いた。だが、織田信長の但馬侵攻により、山名氏の居城、有子山城は終焉のときを迎える。城が落ち、炎が夜空を焦がしたあの日、正綱は鉄砲を置き、羽柴秀長へと膝を折った。敗者の烙印よりも、家を守る道を選んだのだ。


 秀長の旗の下に入ってからも、正綱の腕が鈍ることはなかった。鉄砲の轟音が鳴り響く先々の戦場で、その名はさらに高まってゆく。日向国(宮崎県)——南国の陽と潮風が混じる土地で行われた根白坂の戦いには、十三歳の嫡男、勘兵衛も連れ立った。幼さの残る頬に戦塵を浴び、父と肩を並べて放った一射は、父子の名を戦場に知らしめた。


 しかし、勲功の影には、避けようのない運命が潜んでいた。根白坂で負った傷が正綱の体を蝕み、翌年、彼は静かに息を引き取る。十四になった勘兵衛は、父の遺した家督と、背中の広さをそのまま引き継いだ。妹の佐名は八歳。あの頃の彼らにとって、父の死は世界そのものを揺らす出来事だったのだろう。


 それから七年。勘兵衛は父の名に恥じぬ働きを見せ、鉄砲備の組頭として職務をまっとうしてきた。だが運命は再び、無情な形で試練を与える。豊臣秀長の死と共に家が断絶し、勘兵衛の俸禄は宙に浮いた。一家は明日の米にも困るほどの窮地へと追い込まれる。


 その絶望の淵から手を差し伸べたのが、他でもない石田三成だった。精算処分を担当しながらも、彼は冷徹な官僚ではなく、人の情を見捨てない男だった。秀長の遺臣を積極的に召し抱え、行き場のない者には新たな主を探し、浪人となる者をほとんど出さなかった。その中で、垣屋家も救われた。


 三成の恩は、勘兵衛の胸に深く沈んでいる。たとえ石田家に仕えて三年に満たぬ身であっても、その忠義は揺るぎようのないものとなっていた。


 今、勘兵衛は百五十石の禄を賜り、佐和山城下に小さな屋敷を構えて暮らしている。妻子と数名の小者に支えられた慎ましい生活だが、そこには戦乱を越えてきた者だけが持つ、静かな温かさがある。


 そして——拓真のために用意された離れも、その温かさの延長にあった。母屋のすぐそばに寄り添うように建てられた一室。戸を開ければすぐに勘兵衛の居室、気配ひとつ逃さぬ位置にある。


 庭を渡る風が、草木を優しく揺らす。拓真にとっても、この静かな屋敷はどこか心を落ち着ける場所だった。


 *


 屋敷裏を流れる小川は、秋の冷えを含んだ透明な水をさらさらと運び、岸辺には色づき始めた落葉がいくつも浮かんでいた。つい先ほどまでその川辺で寝転び、澄んだ高い空をぼんやり眺めていたはずの拓真が、まるで足元の落ち葉が燃え上がったかのような慌てぶりで戻ってくる。日はまだ高いが、風はすでに夏のぬくもりを失い、草木を揺らすたびに乾いた音が混じっていた。


 居室の窓越しにその様子を見ていた勘兵衛は、思わず眉をひそめた。


「はてさて……今度は何を始めたのやら」


 拓真は息を弾ませながら部屋に滑り込むと、「まずは図面だ」と呟き、文机の上に持ち物を整然と並べ始めた。三色ボールペン、シャーペン、替芯、鉛筆、消しゴム、コンパス、折り畳み定規——どれも伏見で左近と勘兵衛が厳しく調べ、結局「害なし」として返却された、彼がこの世界に持ち込んだ唯一の文明の欠片だ。


 それを必死の形相で並べる姿は、子供が大事な宝物を床いっぱいに広げているようにも見える。勘兵衛は襖の隙間からそっと覗き込み、困惑と興味とが入り混じった複雑な思いを抱いた。


 ──左近様の御指図……あの御仁と懇意になり、正体を探れ……。


 思い返せば、治部少丸の茶室での初対面から、まだ数日しか経っていない。だが、その後は常に行動を共にしてきた。それでもなお、拓真という男が何者なのか、勘兵衛には掴み切れない。


 最初に想像していたような“妖しき異形”でないことは確かだった。むしろその逆。妙な光とともに現れながら、実際の彼は温厚で、愛想がよく、肝は小さいのに危機意識は薄い。気性は優しく、言葉には毒がない。まるで、功徳の高い僧侶か、無垢な童子のようにも見える。


 同じ日本人のはずなのに、どこか根っこの部分が噛み合わない。


 その原因は明らかだった。拓真は平成を生きた人間。勘兵衛は慶長の武士。価値観が一致するほうが奇跡というものだ。


 平成の民は人の命を絶対視する。「殺す」ことは最悪の罪であり、己が利のためにそれを成す者は“人ならざる者”と断じられる。


 だが、この時代は違う。武士の価値は石高で決まり、その石高を増やすために戦場で敵を討つのは当然の理とされる。無益な殺生こそ戒められるが、「殺す」こと自体は生きる術であり、武士の本懐でもある。


 ——俺とは相容れぬかもしれぬ。だが、それでも歩み寄らねば。


 左近の命である以上、勘兵衛にとって拓真は「調べるべき存在」であると同時に、「守るべき預かりもの」でもある。その矛盾を抱えたまま、彼は出来得る限りの務めを果たしてきた。佐和山城下を案内し、国友村へも連れて行った。本分とはかけ離れた役目かもしれぬが、それでも手助けしてやりたい——そんな気持ちが自分の中に芽生えていることに、勘兵衛自身が驚いていた。


 日が傾き、庭木が長い影を伸ばし始めた頃。襖が静かに開き、拓真が姿を現した。


「勘兵衛さん。本当に申し訳ないんですけど、明日、また国友村に連れて行ってもらえませんか?」


 その声はどこか切迫しつつ、頼み慣れていない者特有の遠慮が滲んでいた。


「はて、又蔵の仕事をまたご覧になりたいのでござるか?」


 問い返すと、拓真は首を振り、ぐっと身を乗り出す。


「いや、ちょっと作ってもらいたいっていうか……又蔵さんに相談したいことがあって。あ、明日お話します! 勘兵衛さんにもちゃんと説明するんで、お願いします!」


 その必死な目に、嘘も打算もなかった。ただ純粋な意志だけが宿っていた。


 勘兵衛は短く息を吐き、微かに口元を緩めた。


(まったく……この御仁は……)


 価値観は違えど、心の奥に宿る真っ直ぐさだけは、疑いようがないのだった。

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